野良猫
遠くへと飛んだ意識が見ているものは、夢だというにはあまりにも自分に関わりが深すぎた。
甘エビが好きな野良猫は、数日に一度うちにある庭に入り込んで餌をねだる。
全身が黒くて鼻先と左目の下だけが濁点のように白い顔を向けて、掠れた声で鳴く。
タバコの臭いが嫌いなのか俺からは受け取らず、置いておくと食べた。
「タバコをやめてみるかい?」
俺が咥えたタバコに火をつけながら問う声から顔を逸らし、煙を吐き出す。
あぁ、美味いタバコだ。例え夢であっても、久しぶりにタバコが美味いと思えるのを喜ぶ。
名前をつけることもない、たまに現れる野良猫。
それをあやすように遊ぶ姿を見ながら、縁側に腰を下ろしてタバコが煙に変わっていくのを楽しむ。
しかし吸い終わる前にタバコが消えて、玄関前に立っていた。
道端に転がっている野良猫の、飛び出た骨と目玉が見える。蹴られたのか踏まれたのか。血塗れの姿に、死んでいるのは一目でわかった。
それを拾い上げて共同ゴミ捨て場へと持っていく姿には、覚えがない。
それを見た隣人が何事か語りかけているところも。
それでも野良猫の死体を入れた箱には見覚えがあった。
「甘エビ……シュリンプ。うん、名前はシュリがいいかな。鮮やかな赤が似合うからね」
ゴミ捨て場で拾った箱に野良猫の死体を詰めて、それに名前をつけている姿を、俺は知らない。
隣人が罵声を浴びせて去っていくのを気にも止めずに家に帰る背中は、箱を抱いているせいか少し俯いて見えた。
行き場を失くして人の家に転がり込んで、ふらふらと出入りする野良猫のように気まぐれで身勝手な奴の、そんな背中を俺は見ていない。
「ごめん」
覚えている最後の姿は、野良猫の死体を箱に詰めた日の夜。香水の瓶を倒したせいで匂いが家中に染み付いた中で、珍しく頭を下げている姿。
その一言だけを残していなくなり、未だに帰ってこない。
それを野良猫の死による気まぐれなのかと、誤魔化せたのはほんの数日。
両親が遺していったタンス預金が全て消えていたことに気づいて、荒れた日々を思い出した。
まだ三か月にもならない記憶。
そんな記憶を思い出しながら、夜中に箱一つだけを抱えて家を出ていく姿を見つめる。
「……くそったれ」
その背中に投げ捨てるように吐いた呟き。
抱かれていた箱から零れ落ちるように、野良猫の掠れた声が答えた。
次の話からは、また毎晩1時の投稿になります。