【誘引】7回目1
金属板を懐に入れてキャンパスを後にしても、それを使う気にはなれなかった。
他人を巻き込むかもしれない危険物を適当に使って、延々と【地下迷宮】を彷徨わせるのは流石に気が引ける。
普段使うことのない駅まで歩き、普段とは違うチェーン店の立ち喰い蕎麦屋で天ぷら蕎麦を遅めの昼飯としてかきこむ。冷えた古い油が染みた天ぷらも薄まった出汁も喉越しの悪い蕎麦もいただけない。いっそ乗り継いでいつもの系列店に行って口直しをしたくなったが、下手に乗り継ぎをして【誘引】されるリスクを上げる気にもなれなかった。
無理矢理取った有給をどうやって潰すかと考えながら電車に揺られ、車内の客を眺める。
営業担当らしいサラリーマン。制服姿の学生たち。ベビーカーと母親。暇そうな老人たち。様々な中にも【誘引】された被害者はいるのだろうかと思うと、タバコが吸いたくなる。最近はタバコが不味く感じることが多くて、全く吸った気がせず量を増やしては不味さに苛立つという悪循環に陥っている気がする。
もし【誘引】している目的が健康な状態にすることならば、悪循環を繰り返すこの身体は徹底治療の対象になるだろうと自嘲した。
それでも駅に着けば喫煙所に行こうと考え、駅構内の案内図に足を向けようとする。
その目前で案内図が消えて、砂色の石畳の上でたたらを踏んだ。
「……笑えねえんだよ」
普段使っている乗り換え駅ではない場所で【誘引】されることがあることは、中野と一緒に【誘引】された時に思い知らされている。
それでもまた見慣れない【地下迷宮】の風景に悪態をつきたくなり、堪えようとした手がタバコの箱と金属板を掴んだ。
自由に出入りできることを思い出して一瞬で気楽になり、悪態を飲み込んで金属板に両手を添える。
目に映るのはコロッセオを思わせる建造物。その中心からすり鉢状に広がる螺旋階段と、その壁面に空いた無数の通路。天井を見上げてみれば天球儀を模したような球体の照明がいくつも鎖にぶら下げられている。太陽系のようにも思えたが、それらしきものは随分と端っこにまとめられていた。何度も目を瞬いても、それら照明全てを仕切るようなガラスが張られていることに気付いたくらいで、見える景色は全く変わる様子がない。
入るのに使わないと、出るのには使えない。金属板のそんな仕様を理解した俺の口からは、自然と悪態が溢れ出た。
「ちくしょう! くそっ! クソォッ!」
叩きつけた金属板が乾いた音を立てたが、悪態の方が強く響きわたって聞こえた。