金曜日、大学内1
日が開けて金曜日。
昨日は仕事途中で帰ったことになる。昨夜から同僚の文句のメールがいくつも溜まっていたが、無視した。一方的に上司に宛てて今日は有給消化に充てるとメールを投げて、同僚宛には励ましの言葉を投げつけておいた。
昨日から気になっていたのは、【地下迷宮】に現れた老人のことだ。博士互助会のホームページから辿るだけで人物の特定は簡単にできた。更に辿れば教授として籍を置いている大学も、その講義の枠も見つかり今日は講義があると判明した。
そこまでわかればあとは直接話した方が早い。
大学のキャンパスには警備を素通りしてあっさりと入れてしまい、少しこの大学の安全性が不安になる。別の業者をねじ込む隙があるかもしれないと、社内で防犯系に顔が利くヤツにメールを飛ばしておく。
適当に歩いている学生に講義の場所を聞いて講堂に入ると、階段状の座席に見下ろされるように囲まれた教壇と壁一面のスクリーン。
「シュレディンガーの、猫か」
書き殴られたような数式は全く読めず、読めたとしても意味などわからない。それでも有名な思考実験であり大抵一度は耳にしたことがあるだろう。それが右から左へと抜けていくのも大多数で、受講している姿を後ろから眺めても舟を漕いでいるのが見て取れる。
物理は全くの門外漢なせいもあるだろうが、この講釈が実につまらない。
説明が下手というよりも理解していないように思えて、くそったれの声が耳に蘇った。
シュレディンガーの猫なんて言葉を知ったのが、自宅で野良猫に餌をやるついでの雑談だったと思い出す。
「なんで猫にこだわって箱を作ろうとしないのだろうね。不可解なことだね」
そう言いながら野良猫を撫でていた姿は普通のようで、異質な人間性は薄れたように見えた。
だから、数日後にその野良猫が入っているという箱を持ってきた時は不意を打たれた。
「キミにはこの猫は生きて見えるかい?」
そう言って講釈されたのが、シュレディンガーの猫とそれに対する解釈だった。
箱は開かれることなく、その日のうちに野良猫も箱もくそったれも、姿を消した。
そんな思い出に胸が悪くなりながら、拙い講義を眺めているうちに少しだけ理解できてくる。
老人の理解度が自分と同程度で、学者の名前や数式などでそれっぽく語っているだけだと。
「くそったれ」
思わず漏れた呟きは思いの外講堂に染み入って、講釈を垂れる口さえ止まらせた。
老人と目があったが無視された。【地下迷宮】で命を落としたせいでこちらの記憶が残っていないのだろう。
もっともそうでなくても鈴木の様子や股間ばかり凝視していたから、こちらの顔など覚えていなかっただろうが。
今はただ学生たち同様、つまらない講義が早く終わるのを待つだけだ。
週末なので次の話は一時間後に投稿します。




