【誘引】5回目6
沈んで見えなくなっていく老人を見つめていたのはほんの一瞬だっただろう。
走るよりもかなり速くなった泡壁に自分も激突されて、息が漏れた。
反動で飛ばされかけた身体に追い討ちをするように泡壁が追突してくるのを、反射的に手を出して守ろうとする。
しかしその手は僅かな間だけ身体を支えて、泥がまとわりつくような感覚とともに沈み込んでいく。慌てて足を立てて手を引き抜くが今度は足が沈む。それを抜こうと手をつけば、また手が。
泡壁の奥で老人が手招いているような錯覚すら覚えながら、はるかにぎこちない動きで手足を泡壁にぶつけて身体が沈むのに抗う。
しかし、そんな抵抗は完全に無駄だった。
手足それぞれで二回ほど叩いたあたりで、泡壁は通路の果てに辿り着いたらしい。
慣性の法則というやつは【地下迷宮】でも仕事をする勤勉な奴らしく、走るよりも速く移動する泡壁が急停止した結果は明瞭だった。
「あ」
しっかりとぶつからない位置に避けていた鈴木の、なんとも言えない間の抜けた声が通り過ぎていく。
まとわりついていた泡壁は手足をあっさりと手放し、カエルのような体勢で足掻いていた俺は宙を舞った。
鈴木と十字路を超えて通路を染めるベージュ色のブロックが見えるようになると、自分が背中向きに回転していることを理解する。
そのまま視界が伸びた通路を収めて、床に頭が掠めるようになりながらだんだん顔が床に近づいていく。しかも以前どこかで見たような足ツボのように尖った石畳の道が、むしろおろし器に見えてきた。
半分泣きたくなりながら、覚悟して手足を伸ばして身体を支えようとした。しかし止まらない勢いに身体が回転して、転がりつつ滑りながらその通路に蹂躙されていく。
たぶん、途中から悲鳴をあげていたと思うが、転がりきった後の俺には最早立ち上がる気力もなかった。身動き一つできないままに嗚咽を漏らし、今日も【誘引】されて心が折れたのを感じる。痛みのせいとはいえ、マジ泣きしたのは何年ぶりだろうか。
そうしている間に、鈴木がこちらに来ていたらしい。
追われている時の恐怖や逃げ切った時の呆然は既に何処かに忘れてきたのだろう。その口から発せられたのは遠慮のかけらもない言葉だった。
「え? オジサン泣いてんの? うわ、マジウケる。ちょっと写真撮らせて! ほらこっち向いて!」
「ふざっけんな、ボケガキィ!」
人間、キレると何をするかわからないものである。
スカートめくりなんてやったのは、二十年ぶりくらいだろうか。