月曜日の喫煙所
「先輩、なんかえらいくたびれてるっすねー?」
「あー……今朝、誘引されてなぁ……」
「うはっ、マジっすか。先輩最悪っすね!」
入社三年目になった後輩の軽口を、手にしたバインダーで叩いて黙らせる。薄茶まじりの黒髪にヘラヘラした笑みが特徴的な後輩は意外に取引先にウケがいい。見た目だけは良いからだろうか。
部署が変わってからも喫煙所で会うことが多く、その都度絡んでくる。
社屋ビルの小部屋一つを改装した喫煙所には、愛煙者たちが肩を寄せ合ってひしめいている。簡素なテーブルに添えられた吸殻入れと全力稼働の空調以外にはライターすらなく、自然と雑談程度の交流も生まれた。
しかし【地下迷宮誘引現象】の発生以降、ストレス過多で訪れるものが増えたせいだろう。
利用者同士の諍いが増えて、お互いに不干渉というのが暗黙理になった。その状況でも絡んでくる空気を読まない後輩を、適度にあしらうのが日常になっている。
実際に体験した身としては、確かにストレスは大きい。だが他人に当たり散らしても意味はないだろう。
まぁ、空気を読んで空気を悪くするほど協調性がないという理由もある。
そんな息苦しい空間で会話する機会を奪われた他部署の社員には、後輩の顔に釣られている女性社員も数名いる。
それなりに見目が良く、高卒採用されて三年目とまだまだ若い後輩だ。妙に懐かれているのには微笑ましさもあるが鬱陶しさが勝つことも多い。正直な本音を言えば、こいつのモテっぷりと立ち去れと言わんばかりの女性の視線がイラっとくる。
「お前んとこの社用車、うちの部署に回してくれ」
「いやー、それはさすがに無理っす。あ、うちでルームシェアします? 家賃と食費で月十万でどうっすか?」
「お前の彼女の家に転がり込む気はねえよ。それより良い不動産屋がいたら紹介してくれ」
チラ見していた社員の舌打ちと後輩のブーイングを無視して煙を燻らせる。
持家を貸し出して別居の家賃に充てようと検討しつつ、後輩の妄言を一蹴する。以前、恋人との惚気を語る過程で後輩にはDV傾向があると知った。こいつを追い出した方がいいと思うだけの、他人事でいられる距離を詰める気にはなれない。
「実際、地下迷宮って行ってみたいんすよねー」
そんな後輩は空気を読まず、軽口を叩く。
一緒に住めばきっと毎日怒ることになると、容易に予測できる発言だ。
室内の視線を容易く集めて空気を凍らせても、一切気にすることがないのは短所なのか長所なのか。
周囲の人間がタバコを吸うことも忘れて息を呑んで、煙の代わりに殺意が漂う。
ガチギレしたい【誘引】関係者を代表してバインダーの角を叩きつける。
タバコを吸殻入れにねじ込み、涙目で抗議する後輩を引きずりながら喫煙所を後にすると、息苦しそうに後輩が文句をこぼした。
「もうちょっと後輩に優しくしてもよくないっすか?」
どうやら俺の優しさは後輩には伝わらなかったらしい。
もう一度、軽くバインダーで叩いてやった。