泡の壁4
全力疾走後の高血圧が引き起こした偏頭痛は光さえ痛みを呼ぶのか目を開けているのも辛い。
横たわったままで閉じたまぶた裏では、真っ暗な視界の中を粒子のような光の群れが漂っている。
ストレスと血流量の増減によるものだと、大学時代に聞いたのを思い出した。
それを歯車に例えたのは誰だったかと逃避する思考が、痛みに呼び戻されてタバコを求めて手がさまよう。
引いた血の気が戻るのを待つ間も、身体中の痛みは引かなかった。
嘆きが地下通路を彷徨っても拾うものはいないらしく、落ち着いてくる血流の拍動音以外は空調設備の音しかない。
それでも泡壁のように音一つ立てずに迫りくる危険もある。
とりあえず目を開ければ、まぶた裏の歯車から灰色の壁に視界が変わった。倒れ込んだ時の状態を思いだせば、本来なら全力疾走してきた道が見えておかしくない。
しかしあるのは他と変わらない地下通路の壁。痛む身体を堪えて起き上がり、交差路に出れば十字路だった場所がT字路に変わっていた。
通路だったはずの壁をなぞると、他と比べて少しざらついている。泡壁が壁へと変化したようだ。
構造改変はこういうパターンもあるらしい。
左右を見ればどちらも下り階段。振り返れば倒れていた通路の脇に上り階段が一つ。通路の先はしばらく先で行き止まりになっていた。
携帯を見れば居酒屋で飲んだ分だけ昨日よりも帰りが遅かったためだろう。日を跨いで少し過ぎたところだった。
その時間帯で構造が変化するのか。
また泡壁に巻き込まれないように、なるべくその時間帯は部屋の中にいる方が安全だろう。フルマラソン以上の距離があるような、初日の一本道で泡壁が発生したら回避不能である。そこは運に任せるしかないのか。
せめてパターンが少ないことを願っても、そもそも基本形の地図さえ無く、出口の場所も自分が今いる場所もわからない。
「扉も自販機も売店もなしか」
水が買えればもう一度倒れてしまえたが、このままでは脱水症状を起こしかねない。
うなだれるだけで痛む身体を、振り返って上り階段へと向かわせる。
歩くことさえ覚束ない今の状態で、下り階段は使いたくなかった。
今日はまだ【誘引】されてから一時間程度しか経っていない。
前回との比較で、案内窓口にたどり着くまで少なくとも残り二時間分が、この先の上り階段にあたることになる。
足を上げることさえ億劫な状態で、足先に見えた上り階段を見上げる気力すら湧かない。
もういっそ死ぬのを覚悟してここで一晩寝てしまおうかと思い、それでも階段の先へと視線を上げた。どうせなら心を折られてから倒れようとする奇妙な開き直りに、自分でも苦笑が漏れる。
「あぁ、そうか。そうなるのか」
前回這いつくばって上った階段は、わずか十段で通路へと変わっていた。
年末なので週末まで毎日三話投稿予定です。(1時、2時、3時で投稿予定)