泡の壁3
柔道の受け身など、高校時代にしかやった経験はない。
十年近く昔のことだったが、身体というのは意外と物覚えが良いらしく、非常時にはちゃんと活用してくれたようだ。
名前も忘れた体育教師への感謝や授業をサボらなかった学生時代の自分を褒めてやりたい。
しかし、そんなことに思いを馳せるのは、もっと後のことになる。
その時は瀕死状態で全身の痛みと苦しみに苛まれており、物を考える余裕などなかった。
前まわり受け身で放り飛んだ身体は、固いコンクリートの床に背中から落ちた。肺全体が潰れたかと思う衝撃が呼吸を途絶えさせ、捻った状態で落ちてきた右脚は側面を床に打ち付けた。
まっすぐに振り落ちた左脚は革靴程度ではかかとを守れない。かかと落としは固い床には全く効かなかった。
交差路を抜けて反対側の通路へと滑っていく摩擦でシャツはめくれて腰から背中が摺り下ろされた。
そうした衝撃や痛みが一瞬に降ってきて、全力疾走で限界を超えた肺は活動を拒否。脳が拍動するような血流は吐き気を誘発して、平行感覚さえ狂わせている。
無自覚に吐きだすために体勢を変えようとしたのか、身体を動かそうとした左腕と尻が攣った。
そこかしこが痛み辛みを訴えて、真っ暗な視界で歯車のような光が踊る。
意識が途絶えるまで、そんな状態が続いた。
目が覚めても、痛みが引かず息苦しくて全く身動きができない。
「……タバコ……吸いてぇ……」
心からの願いを呟くのがせいぜいである。
年末なので週末まで毎日三話投稿予定です。(1時、2時、3時で投稿予定)