【誘引】初回(2/3)
通勤や通学に必要な距離が数時間から数日分に延びた場所に迷い込む【地下迷宮誘引現象】。
与太話として聞いていた俺も、いまやその仲間入りである。
毎日通勤していた道を数日かけて移動するという矛盾に、膝も腿も笑い続けている。
学生時代に読んだネット小説のような、魔物が蔓延る場所ではない。そんなことが救いだという程度に、この現象には救いがなかった。見た目はほとんど普段と同じ地下通路でありながら、ネット利用が全くできないため退屈で死にそうになる。
また利用することがないためか、地下通路にはコンセントがない場所も多い。実際、この三日間で二箇所しか見ていない。まぁ、充電できたところでできることもほとんどないのだが。
流行った初期に調べた限りの記憶を辿れば、一度【誘引】されたら以後も【誘引】され易くなるという噂を思い出した。全く救いにならない。
乗り換えのための通路を三日かけて歩き、ようやく通路の突き当たりにたどり着けば、そこから伸びるのは果てが見えない登り階段だった。
「なんで【地下迷宮】にはムービングウォークもエスカレーターもないんだ……」
延々と彼方まで続いている階段を少しずつ上がりながら、すり減られた精神が耐えきれず、何度目かの心が折れた音がする。
駅に着いたら不動産屋に行こう。乗り換えがなければ【誘引】されないという説もあった筈だ。職場近くに、最悪でも乗り換え不要の駅に引っ越そう。
そうは思っても持家がある。捨てきれない記憶が染み付いた、親がローンと共に遺した都市郊外の一軒家だ。くそったれな同居人が帰ってこないせいで自分しか帰る者がなく、庭木の手入れどころか家の掃除も満足にできていない。通勤疲れのせいだ。借家にすれば誰か借りてくれるだろうか。だが貸し出すためには片付ける必要がある。だが片付ける余力はない。階段を登る力も尽きかけている。
踊り場に倒れ込むようにして身体を横たえて、鞄から取り出したペットボトルに口をつける。キャップを閉めようとして、滑った。
階段へと向かい、落ちていく音が聞こえる。どこまでも転がり落ちていく音が呼吸音にかすれて消えていく。
たぶん一つ前の踊り場までの間で見つけられるだろうが、取りに行く気力はない。
硬い床に沈み込むような感覚に身体中の力が抜けて、目を閉じる。
ある程度、乗り換え方面へと歩くと全てが霞んで現
実に帰されるという。だがそういえば【地下迷宮】で力尽きた場合にどうなるのか、聞いたことがない。
転がり落ちたキャップも空になった弁当も、現実世界のような清掃員が片付けるのだろうか。
同じように片付けられるかもしれないと思いながら、力尽きた心身から意識が途切れた。
次の話 【誘引】初回(3/3) は一時間後の投稿となります。