神託
高野1192年3月29日(火)の朝、天海皇帝から曼荼羅を開くと連絡を受けた閣僚と皇位継承者は、東都を離れていた者も急ぎ戻り、夕方には全員が揃った。曼荼羅とは皇帝が神託を受けた際に、皇宮の祈りの間で開かれる特別の会合である。
執務室で書類に向かっていた天海は、全員が揃ったと神官から伝えられると椅子から立ち上がり、赤い袈裟を身に着けた。緋の衣と呼ばれ、神言宗の教主のみが纏えるものである。
祈りの間の玉座に天海が座すと、控える者達が深く頭を下げて唱和した。
「毘須観羅緋威、羅波真理亜緋無」
神言宗ではこの言葉を唱えることで、極楽浄土に迎えられるとされている。絶対神である亜緋の他には救いは無いという意味が込められている。
「皇帝陛下、この度の神託は何が告げられたのでありましょうか」
並み居る者たちの中で、次期の皇帝の一番手である空海が言葉を発したのは当然の流れと言える。
「昨晩の夢の中で、この国に皇帝の資格を持つ者が降臨し、悪魔と手を結んだと神よりお告げがあった」
神託の内容を聞いた空海は雷が直撃したような衝撃に身を貫かれた。
「降臨した場所は本島の東方である」
空海は続いて発せられた天海の言葉で確信した。藤浜でTW666XYZの遠距離操作実験を行った時に、皇帝の刺客を持つ者と接触してインストールされてしまったのだと。
「皇帝陛下、悪魔とはどのようなものなのでしょうか」
内務省長官の蓮池慎一郎が閣僚を率先して天海に尋ねた。
「詳しくはわからん。だが、一人で世界を破滅させるほどの力を秘めているらしい」
天海はそう言って、空海に視線を投げた。
空海は兵器開発の事が皇帝に漏れたのかと青くなったが平静を装った。母の兄で科学省長官である東寺秀樹と組んで極秘に進めてきたプロジェクトである。詳細が漏れることは無いはずだ。
防衛省長官の防人海斗は周りに気取られるのも気にせず嘆息していた。防人海斗は空海の妻である皇太子妃桃子の父であり、皇帝から「海」の字を名乗る事を許された皇室の一門だ。今回の失態が空海の計画を根底から覆し、どのような未来になるのか想像が出来なかった。
「これは大陸の諸国とも連携をとるべきでは」
外務省長官の西野渉が声を天海に進言した。
「神託の者達が世界の敵であると決まった訳ではない。そこまでせずともよい」
「しかし、帝国に仇成す者であるかもしれません。何か対抗手段を取るべきでは」
危機感を募らせた西野は天界に食い下がった。
それに対する回答は誰もが予想しないものであった。
「皇帝の資格を持つ者が降臨したということは、我に皇帝の資格は無いと神は判断を下された。よって、この月の終わりには皇帝の座を空海に譲位する」
突然の天海の発言に、1ヶ月後を予定した閣僚が騒然とする。退位は決まっていて準備はしてはいるが、月の終わりまでは今日を入れてもあと3日しかない。
ざわつく閣僚をよそにして、天海は非情な言葉を放った。
「このタイミングで皇帝の資格を有する者が降臨したということは、空海とその者のどちらが次の皇帝に相応しいか神が試練を与えたもうてくれたのだと思う」
空海は戦慄した。国家の存亡を背負い、TW666XYZを有する相手と覇権を争い勝てる気がしなかった。
国家元首が世襲制で絶対的な権力を持つ国は世界ではほんの僅かである。そして帝国が超大国である故に、その国家体制に変革を望む世界の国々は多い。その干渉を抑えるために水球外生命体の研究を進め、TW666XYZを造り出した空海は、そのポテンシャルをこれでもかと思うほど知っていた。
「陛下は帝国の未来をどのように考えておられるのですか」
空海は声を絞り出して天界に問うた。
「すべては亜緋の御心のままに」
天海は政治的な判断をせず、教主として信仰に身を委ねた。
閣僚達も皇族も帝国にかつてない動乱が起きる予感に不安を募らせた。
「では、散会」
天海はそう言い放って玉座をさったが、残された者達は喧々諤々と議論を交わした。
「兄上、私で力になれることがありましたら、遠慮なく御声掛けください」
空海は呑海に話しかけられて、険しい表情を緩めた。
農林水産省長官の田守耕造の姉を母とする呑海は温厚な性格と、地方の農村や漁村などを気軽に視察訪問していることで庶民からの人気が高い。逆に閣僚や皇族からは庶民に近いと一段下に見られている。
「ありがとう。何かあったら遠慮なく声をかけるさ」
呑海が去って行くと東寺秀樹が空海に近寄って来た。
「藤浜支店長からの連絡によりますと、TW666XYZの存在を他国のエージェントに知られたようにございます」
空海は即座に尋ねた。
「どこの国だ」
「チップ情報から、中韓大国の李とアメリゴ合衆国のアンソニーが、呑海様が一泊しているというのに藤浜から昨日の内に東都に戻って来ているようです」
「表だった目的を放棄してまで東都の大使館に戻ったということは、TW666XYZに関する何かを掴んだということか」
「そう考えて間違いないでしょうな」
東寺秀樹はあまり悲観した様子もなく空海に答えた。
東寺重工はTW666XYZの研究実験に伴い派生したノウハウを兵器開発に流用して、ロボット警察犬や光学迷彩ドローンなどの開発に成功していた。まだ量産体制には出来ていなかったが、空海の目指す情報で世界を制圧するという野望の遂行は可能である。
「殿下、TW666XYZは失いましたが、まだ打つ手はございます」
東寺秀樹の励ましを受けた空海は、前に進むしかないと眦をあげた。
舞台説明もやっと終わって、ユキと丈二の戦いが次回から始まります。