目標
やっと舞台説明が終わって主人公が動き出す回となりました。
ホテルの部屋に戻った俺は本屋で買ったこの世界の地図をテーブルの上に広げ、ユキと並んでソファーに腰を落とした。その他の調度品はベッドが2台にテレビ、シンプルだがそれなりのスペースがある。
「ユキはこれから何をしたい」
俺にはこの世界で特にやりたいことは無いのでユキの意見を優先することにした。
「私が調教されていたラボを破壊したい」
「それはどこにある」
俺は忌まわしい場所を消し去りたいというユキの思いに応えようと即決した。
「東都にある東寺重工の本社ビルの地下10階と、西島の荒比谷にある東寺重工の石油精製所」
ユキはそう言って、地図上の二つの場所を人差し指で示した。
地図の縮尺からすると東都はここから西に100キロ、本島を横断して西の海岸までは2000キロ、船で西島の沿岸にある荒比谷の町まで10キロほどだ。
「まずは東都だな」
高速道路も整備されているようだし、明日の朝に出発すれば1時間もかからず着くだろう。
「セキュリティはどうなっている」
「地下2階までは駐車場になっているので侵入は可能ですが、建物に入るにはチップ認証が必要です」
「中韓国籍のチップで入れるのか」
「まず、無理でしょう」
俺はユキの回答に落胆したが、何か考えがあるようだったので続きを促した。
「東寺重工の社員のチップを作れば可能です」
「どこで入手するつもりだ」
「明日、東寺重工の藤浜支店に出勤する社員をスキャンして作ります。今日の所はホテルのラウンジで東寺重工の社員を探すくらいしかできませんが行ってみますか」
俺は職業柄あまり酒をたしまなかったが酒が嫌いなわけではない。この世界の酒の味が気になっていたこともあって行動にうつすことにした。
「いいだろう、ラウンジに行ってみよう」
「楽しみです」
口から物を食べ始めてから人らしくなって行くなと思った俺はハッとして制約を付けた。
「一杯だけだからな」
ラウンジは飲み放題ではない。夕食の勢いのようにガンガン飲まれたらたまらない。まだ蓄えはあるが、これからずっとユキを養っていくことを考えた俺は、東寺重工に引き取ってもらった方がよかったかという思いがよぎった。
最上階にあるラウンジではバンドの生演奏していて、女性のボーカルがテンポの良い曲を歌っていた。
俺はテーブル席を希望して、フロア係に先導されてユキと一緒にカウンターの横に出た。
「居ました」
「なに」
ユキが視線をカウンターに座ってカクテルを飲んでいる二人組の男に向けた。俺はカウンターに近いテーブル席が空いていたので、前を行くフロア係を呼び止めた。
「すまないが、ここでもいいか」
「夜景が良く見える席もまだ空いておりますがよろしいので」
「ああ、ここでいい」
「かしこまりました」
フロア係は俺とユキが椅子に腰かけるとメニューをテーブルの上に置いた。
「ご注文が決まりましたらお呼びください」
俺は生ビールを2杯注文してフロア係を下げさせ、ユキと二人の男の会話を傍聴した。
「全く、壊れたマンションのドアを運んでいる途中にちょっと気を失っていただけで、一週間も自宅謹慎なんて支店長は何をそんなに怒っているんだか」
「そうだよな。盗まれたわけじゃなくて、ちゃんと会社まで届けたのにな」
「あっ、そうだ前を塞いだ車、外人じゃなかったか」
「そういえば、金髪だったけど、いまどき髪染めているやつもいるしな」
そのドアはユキが壊した俺の部屋のドアに違いない。途中で気を失ったということは、何者かが接触したということである。東寺重工に属するエージェントである東密が起こす行動ではないとすれば、外国のエージェントの行動の可能性が高い。
こちらに背中を向けている二人は、データをスキャンするために針を刺すように見つめているユキの気配にも気づかない。
俺はフロア係がビールを運んでくるのが視界に入ったので、ユキに作業を一旦中止するように人差し指で×印を作った。
「苦い、まずい」
ユキは顔をしかめてビールを俺に押し付けた。地球ではIPAというホップを効かせた味で、確かにビールを飲みなれた俺でも苦い。どうやらユキはコーヒーといい苦味は美味しいと感じないようだ。
「ねえ、一杯だけって約束だったけど、もう一杯お願い」
選択を誤った俺のミスである。俺は好みの味を聞いた。
「どんな味の酒がいいんだ」
「甘いのがいい」
俺はユキのリクエストを受けて、カルーアミルクをオーダーした。この世界でもそのカクテル名が通用するのかなと思ったが、コーヒー牛乳の様な液体をトレーに載せているのを目にして安堵した。
「美味しい」
俺は人間でない生命体でも女は甘いものが好きなのだなと、カクテルを楽しむユキを微笑ましく見守った。
「あの社員のデータも美味しいわね」
「そうなのか」
「東寺重工に同じチップで入社すればエラーが発生するけど、1週間も出社できないならこっちが好きな時間に侵入することができるわ。余計な仕事しなくていいし」
確かに時間を気にせずにアタックできるという事は、この上ないアドバンテージだ。ユキの言う余計な仕事については想像できるが言及は控えた。
「ラウンジに来てよかったな」
「ええ、だからもう一杯お願い」
二人組のデータスキャンを終えたユキが媚びてきた。
「分かった、もう一杯だけだぞ」
俺はこれ以上ない成果にボーナスをやってもいいかと思い、ファジー・ネーブルをオーダーした。
「わぁ、これも夕食で食べたオレンジっていう果実の味がして美味しい」
ユキが喜んでいる様子に、俺は今まで感じたことのない思いに胸が締め付けられた。
部屋に戻った俺はシャワーを浴びて下着に着替えて潜り込み、ユキにもシャワーは浴びるように伝えた。
シャワーを浴びてベッドルームに戻ってきたユキは、全裸で俺のベッドに入って来た。
「どういうつもりだ」
「丈二が良ければ抱いて欲しい」
最初の情事は遺伝子検査のための感情のない行為であったが、ユキの発言は俺の感情を求めてのことである。人ではない存在に告白されて、拒絶することは簡単だ。得体の知れない生き物の雌と関係を持とうと思う男はそう居ないだろう。
「分かったよ、ユキ。俺はこの世界でお前と生きるよ」
「ありがとう、丈二。肌の固さはこれぐらいで大丈夫かな」
皇帝の最強のボディガードと性の道具を兼ねる兵器として、マインドコントロールされたデータは完全に消去されるまでに時間がかかるようであった。
「ああ丁度いいよ。だが、一つだけ聞いていいか。ユキは人型の生命体なのか」
「我は水球の言葉で言えば、液体金属生命体だ」
俺は自在に姿形を変えられる能力からそうではないかと思っていた。
「わかった。種族は異なるが今日からユキは俺の女だ」
俺はそう告げるとユキの唇にキスをした。
スタートは異世界でのパートナーと捉えていた俺は、ユキを異性として意識してはいたが、これからは本気で愛していこうと思った。