大食い
図書館に移動する前にざっと新聞に目を通した俺は、証券取引所が存在し帝証一部で株が売買されているのにはちょっと驚いた。スポーツ欄には野球やサッカーのプロリーグの結果が載っていたが、日本の国技であった相撲は無いようだった。
俺はユキの存在が世界を揺るがし始めていることなど露とも知らず、図書館に向かって『ハリー』を走らせようとユキに声をかけた。
「ユキ、ヘルメット被れ、行くぞ」
「丈二、図書館に行かなくても、この国の表だった情報はラボでインプットされている」
「そうか」
俺は必要な情報をユキから貰うことにした。
帝国が国民を本島はH、西島はW、北島はN、南島はSで始まる出生した島のコードナンバーを配して管理していることが、この水球世界の中で帝国がいかに歪なのかを理解した。だが、地球での人生をやり遂げた感のある俺は、この世界で使命感を持って何かをしようとは思えなかった。
ユキから情報を収取していると昼近くになってきて小腹が空いた。
「昼飯を食いにいきたいんだが、どこかお勧めはあるか」
「お勧めを提供できませんが、拉麺というものに興味があります」
「じゃあ、拉麺を食いにいくか」
俺は味覚がありそうな水球外生命体の要望に応えることにした。
俺はチェーン店らしき拉麺屋の駐車場にバイクを停めて、二人のヘルメットを車体にロックして店に入った。
店内のテーブルでメニューを見て嬉々としているユキを見て、俺は目の前の女の姿をした規格外の生命体であることを忘れた。ユキはメニューを絞り込めずに迷っている。
「気になる物を全部頼めばいい」
俺はユキに助け舟を出したつもりであったが、それは大きな過ちであった。メニュー全品を頼もうとしたユキを止めて俺は、醤油、味噌、塩、とんこつの拉麺を注文した。
「我は味噌が好みであった」
4杯のラーメンを瞬く間に平らげたユキは、まだ物足りなそうな視線を投げかけていたが、俺は太陽光でエネルギーを確保できるのだろうと視線を無視し、俺も食べたかった餃子を追加した。
「ふっ、丈二といると楽しいな」
俺は予想もしていなかったユキの言葉に思わず聞き返してしまった。
「なんで」
「太陽光でエネルギーを得る我はサンルーフの付いたラボにずっと閉じ込められ、生命を維持するに必要なエネルギーしか与えられず、人格を奪われた実験の対象でしかなかった。故に経口でエネルギーが与えられることは一度もなかった」
それは味覚を持っている生命体であるユキに対しての虐待であろう。俺は思わず餃子を二皿追加した。
「これも美味しいね」
餃子を口にしたユキが笑顔で言った。ユキは規格外の生命体である。それは分かっている。
だが、俺はその言葉を聞いた瞬間、偽装で夫婦になろうと言ったユキとの種族を越えて妻としようと心に誓った。
「まあ、俺はユキより早く死ぬだろうが、お前を伴侶として生涯を終えたい」
水球に誰も知り合いがいない俺にとって、ユキはかけがいのない大事なパートナーだ。その気持ちに偽りは無い。
俺の決意を聞いたユキはきょとんとした後、ボロボロ涙を流して言った。
「水球では実験材料でしかないと思っていた我を、愛おしく思ってくれる者が現れるとは思ってもいなかった」
最初は殺人機械だと思っていたユキがここまで感情豊かなことに俺は戸惑いを隠せなかった。
地球で暮らしていた頃は硬派を気取って女性と親しくする事を回避していたが、人格を持つ生命体として理不尽な扱いを受けていたユキを守ってやりたいという気持ちが、短い時間であったが芽生えていた。ユキを守るどころか俺が太刀打ちできない存在だとは分かっていたが、言葉にせずにはいられなかった。
「俺が守ってやる」
「ありがとう」
ユキはちょっと驚いた顔をして言った。
俺はその日、藤浜でホテルに宿を取った。
ホテルのレストランのバイキングディナーにユキと向かうと、レストランに入ろうとする客のチップをスキャンしている男がいた。警察官だった俺は、SPがいるということは、新聞で藤浜にいると載っていた高野呑海がこのホテルに泊まっているということだ。
「中韓大国の旅行者の夫婦か、大和語はわかるか」
「はい、大丈夫です」
俺が流暢な発音で答えると男は険しい顔で軽く頷き命令するように言った。
「バイキングの料理を取り寄せたら速やかに席につくように」
俺は奥のVIPルームにちらっと視線を向けて、警備の人数を把握すると男に返事をした。
「わかりました」
俺はユキが料理を盛り過ぎないように注意を与えながら空いている席についた。
「一度に盛りすぎると目立ち過ぎるが、なんどもお替わりしてもいいぞ」
不満そうにしていたユキの顔は俺の言葉を聞いたとたん、満面の笑みに変わった。俺はゆっくり食べる様に指示をしてユキを見守ることにした。
「自分で好きなものを選んで、好きなだけ食べられるとは素晴らしいシステムだね」
「そうだな」
それは否定しない。
何度もお替わりに席を立つユキは周囲に大食いキャラと認識されたようだが、さすがに15回目のお替わりをしたところで俺は打ち止めとした。
ユキはなんでと言った表情をしたが、俺はSPを従えてテーブルに近付いて来る身なりの良い男を見て手遅れだったかと思った。
「お嬢さん。このホテルの料理はそれほど美味しいですか」
急に声を掛けられたユキはきょとんとしていたが、嬉しそうに返答した。
「初めて食べた物ばかりで、とっても美味しかったです」
「ほう」
男が驚きの声を上げたが、ユキは嘘をついてはいない。
「何度お替わりしても料金が変わらないなんて最高です」
ユキの底知れぬ胃袋を目の当たりにした俺もそう思った。
馴れ馴れしく言葉を返すユキにSPの目つきが変わったが、気配を察した男が手を軽く上げて制した。SPの一人から俺達のチップの情報を耳打ちされた男が俺に話かけてきた。
「中韓大国の方が東都よりも東を旅するとは珍しいですね」
男から疑惑の目を向けられた俺は視線を外すことなくやんわりと答えた。
「アメリゴ大陸から来たのです。帝国には今日到着したばかりなので」
アメリゴ合衆国から渡航してきたならば、本島東部で最大の港町である藤浜にいるのは自然だし、今日やってきたというのは嘘ではない。俺が全く動じないのを見て男は揺さぶりを掛けてきた。
「随分と大和語が流暢なようですが、私の顔を見ても何か感じませんか」
俺は男を見つめ直し、少し驚いたふりをして言った。
「もしかして、高野呑海殿下でしょうか。失礼いたしました」
俺が椅子から立ち上がろうとすると呑海が制して告げた。
「よいよい。大食いってものを初めて見せてもらって楽しかったぞ。林夫妻」
呑海はSPに護衛されてレストランから出て行った。
俺はチップの情報では林という名前になっているらしい。後でユキに確認しておこう。
明日からの予定をどうするか話合うため、俺達もレストランを出て部屋に向かった。