水球外生命体
マンションの周辺は記憶に残る街並みと同じだったが、大通りに出た瞬間にここは日本の横浜ではないことを否応なしに実感させられた。
俺は殺害現場から5キロは離れたローガンというコンビニの駐車場に『ハリー』を停めた。ユキにはフルフェイスのヘルメットを被ったまま、バイクで待っているよう指示して店に入った。キャッシングマシンがあれば預金残高が確かめられるのだがと壁際に目を向けた。
キャッシングマシンはあった。キャッシュカードを入れて暗唱番号を入力すると反応した。残高を照会すると退職金とそれまでの貯金を合わせて3500万ほどある。俺は続けて作業をして30万円引き出した。
客や店員を見る限り、日本人と比べてこの国の人間は平均身長が高そうである。185センチの俺も170後半はあるユキもそれほど目立たないだろう。
棚に並んだ商品を見る限り食文化は日本と大差なさそうだ。キャッシュカードも使えるかもしれないが、履歴が残る。状況が確認できるまでは現金払いが安全だ。
とりあえず千円札を出して新聞とボトル缶のコーヒーを2本購入すると、500円のお釣りを渡された。物価も日本とほぼ変わらないようだ。贅沢しなければ5年は楽に逃亡できそうだ。防犯カメラの台数が多い場所に長居は無用と、『ハリー』に跨るとエンジンをかけて海へ向かった。
俺は輸送コンテナが積み上げられた防犯カメラの死角に『ハリー』を停めて、ヘルメットを外して一息つくとユキに缶コーヒーを一本手渡した。
「飲めるか」
「太陽光を浴びていればエネルギーには問題ないが、経口でのエネルギー補充も可能だ」
「そうか」
俺はユキの解答に軽く相槌を打って、コーヒーを一口飲んだ。真似をしてボトルの蓋を回してコーヒーを口にしたユキはちょっと顔をしかめた。味覚や感情もあるのかもしれない。
俺は新聞の暦の部分に高野1192年3月28日(月)とあるのを見て、この国は建国されて約千年ほどで、1年のサイクルも曜日も日本と変わらないだろうと推測した。俺はいったん新聞を脇に置いてユキと向き合った。
「お前は何者なんだ」
俺の素朴な疑問にユキが言った。
「水球外生命体です」
どうやらこの星は水球と言うらしい。まあ、地球にしても陸地より海の面積の方が大きいので水球と呼んでもよいくらいだ。俺は地球よりも海の部分が広いのだろうと漠然と想像した。
俺は現状を把握するためにユキに質問した。
「ここはどこだ」
「神聖高野帝国、本島藤浜市横崎埠頭24番地です」
俺の質問にユキは番地まで正確に答えてみせた。ユキの中には様々なデータがインプットされているようだ。
「分かった。帝国でライフチップを持っていないとどうなる」
「ライフチップを埋め込んでおらずマザーコンピュータ『卑弥呼』の干渉を受けない大和人は皇帝のみ、外国人であれば不正入国もしくはチップを故意に身につけずスパイ活動をしたとして収容所に送られる」
ユキがなんで俺を皇帝と認識した理由を知った。そして正式に入国しても、携帯していない場合はスパイ行為と見なされるとは恐れ入った。
ライフチップを強制的に体内に埋め込んでマザーコンピュータ『卑弥呼』で国を強引に統治しているとは、マイナンバー制度よりも性質が悪い。
「他の国もこんなに統制が厳しいのか」
「外国ではチップの装着義務はなく、これほど厳しい統制は行っていない」
ということは、早めにこの亡命先の国の通貨に換金して脱出すればいい。
「この国の皇帝ってこいつか」
俺はユキに1万円札に描かれた人物の顔を指さした。
「第178代皇帝、高野天海様」
俺は字が違うが「こうや」という同音の姓に何か因縁めいたものを感じた。
「収容所に送られるとどうなる」
「東寺重工の兵器開発のための人体実験材料として処分される」
それってこの国でこのまま捕まることは殺されると同意語ってことだ。俺はダメもとでユキに尋ねた。
「ユキは外国人ライフチップを作れたりするのか」
「できる」
それを聞いた俺は、この機会にユキが他に何ができるかを確認した。それにより恐るべきスキルが発覚した。
主だったところは次のようなものだ。
体内への物質の吸収
吸収した物質の再現
光学迷彩による隠蔽
全言語の翻訳
容量100Tのメモリー機能
ライフチップのスキャンン機能
身体の変形・擬態
身体強度の変化
条件をクリアした場合の増殖
無酸素状態での活動
耐火温度600万℃
耐寒零度―300℃
亜空間ボックス装備
共鳴度30%以上での念話
寿命はおよそ200年(エネルギー枯渇しなかった場合)
性別 女性
「ユキ、お前は今いくつなんだ」
「101歳です」
俺の躰が見かけ通りに20歳くらいだとしても、エネルギーが足らなくならない限り、俺の方が早く死ぬ。そのときユキを制御できる者がいなかったらこの世界が破滅するのではないかという代物だ。
地球では核融合実験炉での最高温度は520万℃、絶対零度は-275℃だったはずである。核兵器でもユキは殺せないということだ。唯一、ユキを倒す方法は太陽光の届かぬ暗闇に閉じ込めて絶食されるしかない。だが、生存本能の危機に際して、ユキが大人しく閉じ込められたままでいるだろうか。今は先の事を考えても意味がない。俺はユキに命じた。
「ユキと俺の分のライフチップを作ってくれ」
「わかりました」
何もない場所でどうするのかと思ったが、指からレーザーを照射して3Dプリンターの要領でチップをユキは組み上げていく。
「作ったことがあるのか」
「私の中にあったチップの構造を再生しています。最初のアルファベットを外国人を表すFにそのあとに続く2桁の国別コードを書き換えるだけですので難しくはありません」
俺はユキの答えに感心しながら作業を見守った。
「国は丈二の肌の色と髪の毛の色を考えると中韓大国がよいかと思われます」
「じゃあ、それで」
3センチ四方の正方形のチップが組み上がり、小さなLEDランプが点灯するとユキが俺に手渡した。
「丈二の分ができました。私の分を丈二の妻として作成します。チップケースはコンビニでも買うことができます」
ユキはそう告げると、瞬時に碧眼を黒く、髪の毛も黒く変化させた。ハリウッド女優のような白い肌に目がぱっちりとして彫が深く鼻筋の高い顔立ちから、アーモンド型の目に少し平面的な鼻筋に顔も変え肌の色も俺に合わせた。
「分かった、そういうことにしよう」
俺は事後承諾してユキのチップが出来上がると、コンビニによって図書館に向かうことにした。
東寺重工諜報部が藤浜での調査を終了してから作られた新しい二つのチップは、帝国での丈二とユキのフリーダムな活動を可能にした。