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2018年/短編まとめ

七月の女神は蝶の美しさを認めない

作者: 文崎 美生

「あっ」


素っ頓狂な声で、読み掛けの本から顔を上げた。

日差しが強くなる七月、梅雨が明ければ夕立以外の雨が珍しくなる季節だ。

学校近くの森林公園のベンチに並んで座った幼馴染みは、電車に乗った子供のように落ち着きがなく、背もたれの方を向いて座っていた。


「何?」


本と一緒に持っていた梟の刺繍が施された栞を、読み掛けのページに挟み込む。

短い問い掛けに、夏の日差しに負けない程に鮮やかな赤く長い髪を揺らして、あれ、と私にとっては背中の方向を指差した。

もう片方の手には、コンビニで買ったソフトクリームが握られている。

ますます、子供のようだ。


仕方なく本を膝に置いて、腰で振り返る。

桜色の爪の先で指し示されたのは、寄り集まっている蝶達だった。

彩度の高い青色の目立つ蝶だ。

涼し気な色ではあるものの、何匹も、それこそ十数匹も集まっていれば些か気味の悪さすら覚える。


「あれは……」


眼鏡の奥で目を細める。


「鳥かなぁ」


髪よりも自然な赤い色の舌が、ソフトクリームを舐め取り、唇を拭っていく。

私は目を細めたまま、顔を傾けるようにしてやはり素っ頓狂な声音の幼馴染みを見た。

念入りな染髪によって成り立つ赤い髪に、色素の薄い明るい茶の瞳が浮いている。

眉尻に目尻が同じ方向を向いて下がっている、些か気弱そうな、しかし愛嬌のある顔立ちの幼馴染みは、不思議そうに首を傾けた。


「……良く分かったわね」


チラリと蝶の集まる方を見やる。

蝶達が群がっているのは鳥の死骸だった。

一応子供の多い森林公園だ、処理をしてもらう為に役所へと電話を入れるべきだろう。

しかし、幼馴染みはソフトクリームを舐めながら「んー」と曖昧に頷く。

切り揃えられた前髪が、温い風に吹かれて揺れた。


「前にね、サクちゃんと見たよ。作ちゃんが教えてくれたの」

「……あぁ」


溜息混じりに頷く。

そうして私は、もう一人のより身近な幼馴染みを思い出す。

黒髪黒目で純日本人と思える色味は、ある種の安心感を与えるものの、その言動は不安と危険が詰まっている。

重度の死にたがりの幼馴染みだ。


「大方『あんな風に綺麗な生き物の栄養になれるなんて幸せな死だよね。素敵。ボクも死にたい』とでも言っていたんでしょう」


割と抑揚の無い声音で、しかし期待と興奮を感じていると言った身振りで大仰にしてそう言う作が、直ぐに浮かんでしまう。

そんな私を見抜き、その奥底で苦い思いを抱いている事も見抜くもう一人の、それこそ割と人としてまともな幼馴染みはケラケラと笑い「今の似てた」と言った。

正直、嬉しくは無い。


MIOミオは?」

「え?」


笑い声を止めた割と人としてまともの幼馴染み――MIOは、キョトンとして私を見た。

ソフトクリームは頭の部分を半分程に減らしている。


「MIO、アンタはどう思うの」


本に付けたカバーを撫でながら問う。

ザラついた感触が指の腹には優しくなかった。

しかし、MIOは一度大きく目を見開いた後、直ぐにいつも通り目尻を下げて笑う。


「よく分かんないや」


大きく口を開けて笑うのは、愛嬌がある。

人好きのする笑みだと私は思う。

あははっ、と高く声を上げて笑うMIOは、そのままの大口でソフトクリームの残った頭を齧った。

口端に付いたものも、赤い舌で舐めとっていく。


そんなMIOを横目に、私は言葉を続ける。

手持ち無沙汰に本をパラパラと捲りながら、何ともなしに言葉を紡ぐ。


「あんなの花の蜜ばかりじゃあ無いでしょう。寧ろ、動物の糞尿から腐った体液なんかを栄養にしているわ。お陰で、死の象徴やら不吉の象徴にまでされているじゃない」


例えば、死んだ人間が蝶になって現れる、なんて話もあるくらいだ。

葬儀場なり火葬場なり、ふわりと現れればそれは故人そのものとされる。

私は一度目を閉じた。

じわりと顬に汗が浮かぶのを感じる。


「存外、綺麗でも無ければ不気味で怖いものかも知れないわよ」


汗を拭う。

それから、はぁ、と短く息を落とす。

MIOは私の言葉を咀嚼するように数回頷くと、ソフトクリームのコーン部分を齧った。

かぶり、ザクッ、コーンが崩れ、壊れる音がする。


「そうかなぁ」ザクザクッ、という音の隙間から、そんな薄ぼんやりとしたMIOの声。

私は顔を上げて体を僅かに下げるようにして、MIOの方へと向けた。

MIO本人は、相変わらずコーンとその中に申し訳程度に添えられたソフトクリーム部分をまとめて口の中に入れている。

座り方も背もたれを前にし、目線は蝶へ。


「私はあんな風になりたいなぁ。命をムダにしないんだもん」


薄茶の瞳がゆらりと怪しく揺れた。

その奥に紫色が見えたような気がして、一度瞬きをする。

しかし、次の瞬間には変わりない様子のMIOがそこにはいて、相変わらず目尻を下げた表情筋が溶けてしまったような笑みだ。


「……ミ」オ、と呼び掛けようとしたものの「あーあ、ほら、やっぱりアイス食べてるじゃん」不満そうな声に掻き消された。

聞き慣れた、それこそ耳タコのような声。

私がMIOのいる方向とは逆側を振り返れば、視線だけを向けたMIOが「作ちゃん!……と崎代サキシロくん!」とはずんだ声を上げる。


振り返れば確かに、その名前と一緒に記憶している姿があった。

方や死にたがりの幼馴染み、方やクラスメイト。

不満そうな声を上げた作の方は、片手にビニール袋を引っ提げていた。


「食べてるのは私だけだよ〜」

「うん。そんな気はしてたけど」


手を振るMIOに近付いてくる作。

長く伸ばしっぱなしにしている前髪の奥で眉を寄せ、ビニール袋の中を覗き込む。

アヤちゃんは、買っても飲み物だろうと予想していたけど」そのままの状態で私に声を掛けてくる。

そうね、短く頷くものの「何も買ってないけど」と添えておく。


「じゃあ、どうぞ」


ガサリ、音を立てて袋を大きく開き、その中身を私に見せてくる。

覗いて見れば、アイスが四つ。

そんな気はしてた、とは言ったものの全員分買ってあるところに気遣いを感じる。


そうして私は、四つあるうちの一つとアイスと一緒になって入れられていたスプーンを手に取った。

「あっ」それを見て僅かに上擦った声を出す。

手に取ってアイスは、コンビニなんかでは一番高く値段設定を行われているカップアイスだ。

ちなみに味は苺味である。


「文ちゃん、いつもバニラじゃんか……」

「態々待っていた人に対してその言い草はどうかと思うわ。これくらい貰っても良いじゃない」


問答無用でカップの蓋を開ける。

蓋を置いてビニールの蓋を更に開ければ、桜色のような薄ピンクが現れた。

それにスプーンの封を切って取り出した木のスプーンを突き立てれば「あぁ……」溜息のような悲壮感の滲んだ唸り声。

口に放り込んだアイスは、ほのかな苺の香りが鼻へと抜けていく。


「まぁまぁ、確かに俺達遅かったし……」

「崎代くんは、自分のアイスが食べられていないから、そんな事が言えるんだよ」


ビニール袋の中に片手を突っ込んだ崎代クンは、同じカップアイスのクッキーアンドクリームを取り出した。

目を眇めて眉を寄せた作だが、短く息を吐くと、崎代クンと同じ手付きで同じカップアイスの甘夏を取り出す。

それをスプーンと一緒にMIOに渡した。


いつの間にかソフトクリームを食べ終えていたMIOは「ありがとう!」とアイスを受け取り、直ぐに開ける。

マジか、という思いでMIOを見てしまった。

そうして仕方無しにバニラのカップを手にした作だが、蓋を開ける前に「あっ」とMIOよりも抑揚の無い、しかしそれでいてどこか間の抜けた声を上げる。


突っ立ったままの作を見上げれば、私を通り過ぎたある一点に黒目を合わせていた。

混じりっけの無い黒目は、生気を感じさせない作り物のようなものの割に、酷く何もかもを見透かすような何かを感じさせる。

その黒目の中には、鮮やかな青が映り込んでいた。


見ているものに予想を付けて振り向く際、MIOがアイスを口に運ぶ途中の中途半端な格好で固まっている。

それから、私は背後に見える蝶達に視線を移す。

「わっ、何あれ?」不審そうに言ったのは崎代クンで、実際にはその反応が一番普通で一番当たり前のように思えた。


「鳥の死骸かな。良いねぇ」


心底羨ましそうに感情を乗せた声を出す作に、嫌々と小さな声で講義する崎代クン。

当然、当たり前のように後者の反応が正解である。

しかし、どうにもその反応を示す事が出来るのは崎代クンただ一人であった。

四人いて一人、何が当たり前の反応か疑問を抱いてしまう。


作は心底蝶の養分になる鳥の死骸を羨ましいと思っていて、そんな作を熱心に見詰めるMIOは作を養分に出来る蝶を羨ましいと思っている。

どうしようもない三角関係に目眩がした。

日本らしい湿気を含んだ暑さからくるものではなく、寧ろ爽快感もない不快感ばかりの汗が落ちる。


そもそも、春先には通っている高校の敷地にある桜の木の根元を掘り起こすような作だ。

動機は本当に死体が埋まっているのかという確認と、埋まっていなければ自分が埋まれば良いという頓珍漢なものだった。

春の陽気にやられた頭で出した思考らしいが、まあ、何年も前からの一種の病気である。

美しい物の養分になれば、自分の死も周りに認められると錯覚しているのだろう。


二人の爛々とした目は、夏の太陽よりも鬱陶しいもので、崎代クンを見れば眉尻を下げて困惑の表情を作っていた。

それが普通だ、なんて考えて納得しようとする私も大概な話で、苺のアイスにスプーンを立てる。

茶色い木のちゃちなスプーンが、まるで墓標のように薄ピンクの丘に立っていた。


私はそれを片手に本と一緒に持つと、ほら、とMIOの腕を掴んで立たせ、片足で作の足を小突く。

「えぇ?」不満そうな声は作のものだ。

不満そうな割に、しっかりと歩き出す。


「えっ、あれ、そのまま?」

「電話は帰ってからでもするわ。アイスが溶けるじゃない」


歩き出した私達にギョッとしたような崎代クンの言葉に、私は片目を眇めて言う。

傾けたアイスはカップの縁からゆっくりと溶け始めていた。

私はアイスの丘に突き立てた墓標のスプーンで、丘を切り崩して口に放り込む。


「うーん、いや、そうかもしれないけど……」


既に色々と興味を失った様子で歩き、バニラアイスを口に放り込んでいる作に、新発売だったらしい甘夏の感想を口にしているMIO。

そんな二人の後を追うように歩きながらも、背後を振り返る崎代クン。

私は、まるで私達を追い掛けるように寄ってきた一匹の蝶を、作の肩に止まるよりも前に掴む。


「良いのよ。あんなもの、私は好まないもの」


大きく腕を振って蝶を雲一つ無い空へ投げる。

「え?」不思議そうに私を見た崎代クンと、何事かと私を振り返った作とMIO。

私はそんな視線に気付かない振りをして、また薄ピンクの丘に茶色の墓標を突き立てた。

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