車のことなどどうでも良いではないか
当たったのに!
林道を走って間もなく、右の藪からオスが一頭出てきた。彼はそのままテンポよく逃げたが近くにもう一頭いた。でかかった。おそらく出会った中で一番のデカジカ。
何度も失敗を重ねたから幾分か落ち着いていた。ゆっくりと銃を取り出し、いたって自然な動作で車から出る。そして立て膝で構える。スコープの揺れはそれほどでもない。引き金を引いた。ズドン。シカはがくっと上半身を落とした。これは当たった。手応え十分。
この時僕は何を思ったか、車をどうにかしなくてはと思ったのだ。林道は車一台分の幅しかない。とっさの判断のつもりだった。だが間違った判断だった。シカを回収するにあたり、路側帯にでも車を寄せなくてはいけないと思ったのだ。
車に戻って発進。だが路側帯などない。次はバック。都合良く路側帯などないのだ。あきらめてシカが倒れた地点に視線を戻した。愕然とした。
シカがいない。
倒れたの藪の中だ。きっと藪で見えないだけ。その辺に倒れているはず。
ようやく車のことなどどうでも良くなりシカの捜索を始める。
だがいない。どこにもいない。最悪だ。確かに弾は当たったのだ。だがシカは逃げた。上半身をがくっと落として前脚で踏み込めていなかったので胸部のどこかに当たっているはずなのだ。まさか脚か? 前脚の一本ぐらい折れてもシカは余裕で逃げるらしい。
とにかくシカは逃げた。僕が車に気をとられている間に逃げた。半矢でシカを逃がしてしまった。
車のことなどどうでも良いではないか!
大事なのはシカだ!
半矢ならば、どこかで死ぬ。苦しんで苦しんで野たれ死ぬ。ハンターとして避けるべき、恥ずべき行為!立派な雄鹿だった。神獣のような美しい角をしていた。ちくしょう!何も学んでなどいない!何がディアハンターだ!ただいたずらにシカを殺してしまっただけではないか!
それでも引き金を引くことには多少慣れたのだろうか。弾丸発射の反動も気にならなくなった。ガク引きにはなっていないと思う。
この経験を次に活かすしかない。課題は二の矢。一の矢の後、絶対にシカから目を離さない。優先事項は確実にシカの息の根を止めるということ。車のことなどどうでも良い。喉元にナイフを突き刺すまで、車には絶対に戻らない。
そうだ。車があるからいけないんだ。思い返せば、車が理由で何度も機会を逃した。歩き猟の可能性を探ろう。忍び猟だ。憧れの忍び猟。クマは怖いが、きっと対処法はあるはず。