この意味2
仕留めたシカの解体を終え、小休憩にと缶コーヒーを飲んでいるところだった。
缶コーヒーは半分凍っていた。
スマホを見ると午前10時過ぎ。仕留めたのが7時半だったからもう2時間以上もやっていたことになる。
それでいて体は冷えてはいない。むしろ暑いくらいだ。これもアドレナリンの効果なのかな。
犬が歩いてきたのだ。黒犬。赤い首輪、いや、赤い布切れを粋な感じで巻いている。
飼い主も近づいてきた。こんな場所で犬の散歩?
僕は誰も入らないような森林を選んで、その谷底まで下りている。こんな場所で犬の散歩など考えられない。
しかし、現実、黒い飼い犬と、その飼い主が凄惨なシカの解体現場に現れたのだ。
「こんにちは」と声をかけると相手も気さくに「こんにちは」と返してくれたが、俄然緊張が高まる。
こちらはいかにもリラックスしている風を装い、缶コーヒーを啜りながら笑顔で迎えるが、実際、凍った缶コーヒーからは何もでてこない。完全に飲んだ振りである。
「こんなところまで散歩するんですね!?」僕は言った。
「ええ、よくしますよ」と男は言い、「もう終わったんですか?」と尋ねる。シカのことだ。
警察? それともハンターの監視人? いろんな想像が頭をよぎる。シカを仕留めた後だとどうしても妙な罪悪感に苛まれ、不当なことなどしていないのに罪人の心境になってしまう。しかし話を聞いていると、本当に犬の散歩をしている人のようだ。だが、ただ者ではなかった。
話を聞くと、元猟犬ハンターらしい。
猟犬のみでシカを捕まえ、ナイフで仕留める。
そんなことが可能なのか!?
僕は心底驚いた。そして心酔した。
今はもう引退したそうだ。犬が歳をとったから。飼い主も若くはないようだが、とても魅力的な風貌。細身だが筋肉質で機能的な装束に身を包んでいる。アウトドアの達人と言った装いだ。
話を聞く。今はハンターが出てそうな日を狙って犬を散歩させ、運良く残滓にありつけたら犬の餌にしているらしい。カラスの動きでそれがわかるらしい。すごい。すごい人だ。
そして今目の前にフレッシュなシカの残滓がある。雪に埋めたが、掘り起こそうと思えばすぐに掘り起こせる。
犬がその周りでうずうずしている。
主人の命令を待っているのだ。
「どうぞ!よかったら、まだ肉も残っていますので、ワンちゃんにどうぞ!」僕は言った。
主人の顔に花が咲いた。
良かった。こういうことだったのだ。ウィンウィンな関係である。
飼い主は慣れた手つきで雪の下の毛皮を開き、腰からナイフを取り出した。あばらに残った肉をそぎ、犬に与えた。犬はうまそうにむしゃぶりついた。うまいだろう。まだ新鮮だもの。
「これ、取りに来ますか?」飼い主は聞いた。
最初何のことだがわからなかったが、埋めた残滓のことを言っているのだ。
この現場、この状況で残滓を埋めるのは違法ではないが、何か試されているような気がしてしまう。しかし短い間だがこの元猟犬ハンターと話して感じた印象に従って、こう答えた。
「本当はすべて持ち帰るべきなのでしょうが、場所も場所なだけにこのまま埋設処置にしようと考えているのですが、どう……でしょう?」
質問に質問で返す形になってしまったが、元猟犬ハンターもそれで問題ないと思うし、むしろそれが当たり前だと答えてくれた。さらに「これもらっていいですか?」と言った。
「どうぞ、どうぞ、どうぞ!」僕は答えた。
なんだか嬉しくなった。
今はナイフ一本しかないので、一度戻ってまた後で取りに来るそうだ。背骨からとるスープがうまいと言っていた。
良かった!飼い主も僕も笑顔で別れた。「お気をつけて」とp互いに声をかけた。黒犬もかわいかった。ああ、俄然猟犬が欲しくなった。
別に猟犬に仕込まなくても、この大自然の中、犬と歩くという行為に心惹かれた。
すごい人もいるもんだ。
なんてかっこいいんだろう。
憧れる。
ああ、とても良い1日となった。
肉だけでなく、貴重な出会いを得た。
この意味。
また会えればいいな。