殺されたシカは
狩猟を始めて4ヶ月。
仕留めたシカは6頭。
これが多い数字なのか少ない数字なのかはわからない。
初心者としてはまあまあなのではないか、とは思ってはいる。
今、猟に出るのはやめている。
一つは体が故障したから。
両腿と左膝、左側の背筋と右手首の痛みがひどかった。
歩き猟で、谷底まで下りて獲物を解体、一時間かけて登ってくるという作業は体にこたえる。
一週間静養(効能の高い温泉にも入った)してようやく体が自由に動くようになったが右手首の刺すような痛みは残った。
2月に入った。
そろそろ猟に出ようと思うが、理由が必要だ。
肉はたんまりとある。
冷凍庫の中はシカ肉でいっぱい。
一週間、毎日シカ肉を食べた。
スジ肉のスープ。カレー。ステーキ。ハンバーグ。メンチカツ。ロールキャベツ。すき焼き。
どれもこれもが美味しい。
毎日食べても全く飽きない。
風邪もひかず、数年悩まされていた肌荒れも解消された。
シカ肉は薬だ。
肉という名の万能薬なのだ。
だが、個人的なストックは満たした。
ゆえに猟欲がわかない。
となると考える。
シカとの思い出を反芻し、頭の中で再現する。
僕は食べるためにシカを殺す。
殺さないと食べることはできない。
ここまで良質な肉を食べることができないのだ。
殺すーー、
とはどういうことだ。
一発銃弾を撃ち込んだだけで死んだシカは今までにいない。
必ず止めを刺さなくてはいけない。
喉元にナイフを刺すのだ。
刺しても数分生きている。
血がどくどくと溢れ出し、僕の頭は解体のことでいっぱいになる。
死ぬ瞬間、僕はそれを見たのだろうか。
気づいたら、シカの目がただのモノと化している。
瞳孔が開く開かないの基準はよくわからない。
とにかく目を見ればわかる。
生きているシカは見ている。
死んだシカはどこも見ていない。
解体は、死ぬのを待ってやるのだ。
筋肉は動く。
死んだシカだけど、背中の棒状の肉を左手でつかんで右手のナイフで剥いで行く時、ビクンビクンと動く。
これは最上の肉だと感じる。
一瞬、まだ生きているのでは、と考えるが、事実死んでいるのだ。
肉は動く、だが命はそこにはない。
この肉をいただくのだ。
この肉を食べるのだ。
命はどこへ行った?
それはわからない。
いつかわかる日が来るのかもしれない。
そのためにはシカを獲り続けるしかない。
殺して食べて、殺して食べて、そうやって生きて行く。
自分が食べる分には間に合っている場合、獲らなくて良いのか。
きっと獲る必要はないのだ。
もし獲るとするなら、親しい友人のために獲ろう。
料理の好きな、命を尊ぶ友人の、「美味しい」という言葉だけを信じて久々の猟に出ようと思う。




