立て続け
知り合いの牧場主から着信があった。
シカが出たそうだ。
忍び猟が成功した翌日のことである。
本来、この日はやるつもりがなかった。
早朝の仕事(牧場を出入りする仕事)を終えたら昼寝でもしてのんびりと過ごすつもりだった。昨日獲ったばかりなので猟欲は全くなかった。
こんな時に限ってチャンスは到来する。世の中そういうものだ。
帰宅後、すぐに装備を整えスイッチターンでかの牧場へと向かう。
10分ほどで到着すると待ち受けていた牧場主が開口一番「それ何発入る?」と聞く。
「2発です」と答える。
「じゃあ2発入れておけよ。1発くらい当たっても死なねえからな」
いつもはこんな口調で話す人ではない。温厚で紳士的な人なのだ。全然感じが違う。目つきも怖い。どういうことだ。
牛舎に案内され、窓の外を顎で指示される。いる。確かにシカがいる。五頭はいる。大小、オスメス、大家族だ。
「撃て」主は言う。
とは言われても的が多い。牛舎に対して垂直に切り立った斜面にまるで射撃ゲームのようにシカが散在している。
銃を構えようとすると先に主が、「窓の枠に押っつけれ!その方が当たる!」と怒鳴る。もちろんそのつもりなのだ。やりづらいったらありゃしない。
大きなメスがいた。首に狙いをつけた。引き金を引いた。
当たった。
メスはその場に倒れ、斜面を転がり落ちた。
その瞬間、
「なんでオンツー(オスのこと)狙わねえのよ!」と主が怒鳴った。
面食らった。
オスを撃って欲しかったのか? こういう場合オスを撃つべきなのか? 混乱して仕方がない。
「次はあれだ! オンツー撃て! あれを撃て!」
主が立て続けに怒鳴る。
照準を合わせるが、完全に調子が狂った。さっきとは違い、スコープが揺れる。
撃った……空撃ち。
思考停止。
そうだ、2発入れてあったのだ。薬莢の排出を忘れていた。
慌ててボルトを引く。煙と共に薬莢が排出される。
この時点で僕は怒っていた。
舌打ちをした。
その雰囲気が伝わったのかもしれない。主は何も言わなかった。
再度、照準を合わせる。
撃つ。
外れる。
それでいい。
もう当たる気がしない。
シカはいよいよ逃げ出した。
「次はあれだ!」
主が言う。
オンツー。かなり遠い。木の陰にいる。撃つ。もちろん当たらない。
「当たらねえか……」主が残念そうに言う。
もう終わりだろう。そもそも1発目に当てたメスがまだ生きている。とどめを刺さなくてはいけない。
「あそこにいる! ほら、ケツだ! ケツが見えてる!」主が叫ぶ。
白い尻が見えた。かなり遠い。斜面の上、高角度な位置にいる。
「尻を撃て!」主が怒鳴る。
これには閉口した。尻は撃たない。撃てと言われても撃てない。何を好き好んで半矢にする必要がある?
行ってくれ。僕はそう祈った。シカよ、立ち去ってくれ。
とうとう主も諦めたようで「1頭獲れたからいいか」と言った。
この言葉を聞いて、少しすまない気持ちになった。
僕に獲らせてくれたのだ。それは紛れもない事実だ。シカを撃つという行為に並々ならぬ興奮状態だったとは言え、主は私有地に僕を招き入れ銃を撃たせてくれたのだ。
1発目で当てたメス。かなりでかい。まだ生きている。とどめを刺しに行こうとすると主に「早く軽トラ持ってこい!」と言われる。
しかしとどめを刺す許可をもらう。強引だった気もするがそれがハンターの仕事だ。
至近距離で首に一発撃った。
シカは即座に脱力。だがまた激しく動き出した。
死なないのだ。もう立ち上がれないことはわかる。頭と脚をじたばたさせるだけだ。ものすごい生命力。
「ほっときゃ死ぬから軽トラ!」
主の激が飛ぶ。
確かにそうかも。首に2発だ。死ぬだろう。
軽トラを横につけてもメスは生きていた。これはきっと母だ。大きいし生命力も強い。なんとなくそう思った。
刺すしかない。こうなったらナイフでとどめを刺すしかない。それが正しいことのように思えた。
頭を押さえるとおとなしくなった。もう瀕死なのだ。胸骨の位置を探り、みぞおちに当たる部分を一気に刺した。
メスは叫んだ。悲鳴。感情のある生き物の悲鳴。恐怖と苦痛を知らせる断末魔の叫び声。こんな声、あんまりだ。胸に刺さる。あまりにひどい。だが、そうさせたのは僕。2発も銃弾を撃ち込んで、ナイフで喉を切り裂いたのはこの僕なのだ。
次に信じられない現象が起こった。
いつの間にか現場に来ていた牧場主夫人が「あ、来た」と言ったのだ。
何が? と思う間もなくその光景が目に飛び込んだ。
子ジカだった。
子ジカが母の骸に寄ってきたのだ。
母の悲鳴を聞きつけて戻って来たのだ!
主も夫人もたまたま居合わせた酪農ヘルパーの若者も「あああ」と言った。ため息ともうめき声ともつかない声だった。
この瞬間、全員が同時に罪を感じた。
だが、その罪とは、目の当たりにしないだけで、どんな人間でも呼吸して吐き出すような不可欠な罪だった。そのことは皆理解していた。はっきりとそれは感じた。感情を共有したのだ。
急に主が優しい声に戻った。
「あれも撃つ?」冗談交じりに言った。
「あれは撃てません」僕はそう答えた。