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作者: 偽者人間

逃げたい・・・

逃げたい・・・

そう思っていた毎日だった。

自分の存在も 生きる価値も見失いかけた毎日だった。

 わざと玄関のドアを強く閉めた。鉄筋コンクリートの箱の中に「うるさい」って「ココに居たくない」って響き渡る。そんな事があの頃の私にできる抵抗だったから・・・。

 携帯とポケットにある300円で4時間。それが限界だった。お金もなく、親友と呼べる子のいない私にとって暗闇の町で時間をつぶすには無力すぎた。歩きなれた道を歩いて何時ものコンビニでレモンティーを買い、ブラブラ歩いて深夜まで営業している本屋で時間が過ぎていくのを待つ。そのパターン。そのくり返し。

 父親は何も言わずに新聞を読みながらコーヒーを飲む。母親は背中を向けたままキッチンに立って振り返らない。何もなかった?昨日の夜の事なんて何もなかったかのようだね。なんだか笑える。笑えるよ・・・。私も何もなかったかのようにトーストを食べた。どんな味なのか判らない朝食だった。

 家からバスに乗って約20分で私の通っている高校がある。この辺りでは進学校って言われてて勉強にスポーツと文武両道な子が多い。なんだか・・・疲れる。私にとっては勉強もスポーツも目指すものもなければ優れてもいないのだから、息が詰まる。家も学校も私にとってはため息しか生まれなかった。

 先生は私の目を一瞬だけ見て小さなため息をついた。手渡された先日の試験の結果は散々だった。213人中178番。前回よりも70番近く落ちてた。でも、当たり前かな?勉強なんてしなかったし、「どうでもいいや」って思っていたから。

 また・・・父親と母親の怒鳴りあう声が2階まで聞こえてる。きっと、私の成績の事で互いを責め合ってるに違いない。仕事ばかりで家庭のことはノータッチ。それなのに母親ばかりを責める父親が悪いの?逃げるようにホストにハマる母親が悪いの?判ってるよ・・・私が悪いんだ。そんな事判ってるよ本当は。

 この高校に入るまで私は頑張ってた。いい子を装って、何事にも模範生であることが家族にとっても自分自身にとっても幸せだと思っていたし、そうするべきだとレールがひかれてたんだ。でも、意地か見栄か周りの同僚を追いかけるように父親が家を建てると言い出し、住んでた団地から離れた街に家を建てた。

 そのせいで私は仲の良かった友達とも別れ、小学校から続けていたバレーボールも辞めた。母親はローンを返すためにパートをはじめた。3人が3人ともマイホームと引換えに「ゆとり」を失った。

 こんなコンクリートの箱なんて私達には必要じゃなかったのに・・・。3人の気持ちにはこの冷たく硬い壁みたいに境界線が出来た。「耐震性に優れた壁は簡単には崩れないよ父さん・・・母さん・・・」

夢のマイホームはあっとゆう間に私たちの間にそびえたち、ぬくもりもましてや声さえもさえぎる壁になってしまった。


相変わらず私が隣に居るとゆうだけで二人は低いトーンで話し出した。その場に私が居なければ父親も母親もあんなに大きな声を出し合うのにね。この状態になっても二人は私の前では良き父親と母親のつもりなのかもしれない。現に私は手を上げられたこともないし、大声で怒鳴られたこともない。

今思えば、箱入り娘だったのかもしれないけれど私はそんなニセモノの優しさなんて欲しくなかったよ。

 「学校の成績だけど・・・愛はどう思う?」穏やかな父親の声を久しぶりに聞いた。私は本当はどうでもよかったし、結果は見えていたことだったから反省も何もなかっいたけれど振りをした。「今度は頑張る」って決まっていたセリフが口から出てきた。

 母親が私の前に白い紙を差し出すと「どうかな?お母さんはいい機会だと思うんだけど・・・」と私に答えを求めてきた。白いコピー用紙に 進学塾の事が事細かく書かれていて 母親の性格ににて几帳面に並んだ字は殴り書きなんかじゃなく、ものさしを使った整列した文字だった。

 塾に行くんだ・・・私。

成績が悪いってそんなに駄目な事?私が家にいると邪魔?厄介?いろんな事が頭の中を駆け巡り たどり着いた答えは「いいよ・・・行っても」って私、頑張る振りして逃げ道見つけた気がしたんだよね。

だって、家も学校も今の私には居心地の悪い場所なのだから。

 夜中に飛び出して、時間をつぶすのに苦労して虚しくなるくらいなら塾に通うのもいいかもしれない。

私には1つの逃げ道だと思った。

 週に3回、月・水・金曜日は学校から家に帰る途中でバスを降りるようになった。個人の経営する塾でよかったのに・・・5階建てのビルを見上げて私は小さな憂鬱しか感じなかった。

そこはネットでも有名で私でも聞いたことがあったし、1階は事務室と講師たちの部屋があり、学校の先生と同じくらいの講師が椅子に腰掛けているのが見えた。

 2階から5階までは全て教室になっていて2階と3階は大教室が3部屋づつ、4階と5階には4・5人が学べるような個室が20部屋くらいあって自習している生徒も多かった。これ以上に勉強するなんて・・・もくもくと机に向かう後姿は私には想像がつかない努力家にしか見えなかった。笑える・・・私はそう思ってた。こんなに勉強ばかりして何が楽しいんだろう・・・笑える。

 7時から始まる授業までには、いつも時間があって、それまで私は近くにあるファミレスで夕食を食べる。ハンバーグ、パスタ、グラタン・・・この3つは私の定番だ。この3つだけをくり返しくり返し注文してきた。もう何週目かな?1ヶ月が過ぎたから3?4?週目か・・・。うける。一人で薄笑いを浮かべる私はきっと暇で寂しい高校生に見えたかもしれない。中年の店員さんは目が合うたびに優しく微笑んでくれたし、少し年上のお姉さんは少なくなったコップの水を何時のまにか満たしてくれた。それが、接客の当たり前の仕事だとしても私には決して悪くなかったんだよね。

 今日は金曜日だからグラタンを食べた。火傷しそうなほど熱く、とろけたチーズを見ると今週も終わるなって・・・思った。

 週末は家にいる。ほぼ部屋にいる。玄関を開けることなんて、私しか居ないときに宅配便を受け取るときぐらいだ。母親はパートでいない。父親はなぜか?いない。行き先はわからない。でも、みんなココに居たくなかったんだと思う。きっと近所から聞こえてくる幸せそうな声が痛むんだ。

 うちも団地に住んでいる時はそうだった。団地暮らしだけど それなりに収入もあって母親は専業主婦をしていたが家計は苦しくなったし、父親は日曜日は必ず休みで私と母を満たしてくれた。それは、近所の公園で散歩して帰りにレストランで食事をしたり、本屋でそれぞれに好きな本を選び、おやつを食べきれないほどに買い込んで部屋で3人ですごしたり・・・。たいした贅沢でもないけれど3人がお互いを大切に思っていた気がした。だから、今のこの冷え切った空間が耐えられなくなる。そして、いつか本当に嫌いになってしまうことが怖いんだ。

 どうなっちゃうんだろうか?私たち・・・。そんな風にたまに思う。

でも時間は止まってくれないし、どんどん流れて過ぎて、私はどんな大人になるだろう?

父親は?母親は?私たち・・・どうなっちゃうんだろう?


 期末試験の結果は・・・相変わらず悪かった。159番。前回より19番だけ上がったが、こんなの上がったと言えない。それなのに、父親は「この調子で少しずつ上がればいい」と言った。母親は「まだ2ヶ月も経たないし・・・」と少し不満足そうだったが、何故か?父親が母親を責めなかったので それ以上は何も言わなかった。私はそんな二人を見ていて、少し気持ちが重かった。

言い争いがなくてほっとした反面で、やっぱり私のせいなのかと感じて仕方なかったから・・・。

 

 鍵がちゃんとかかっているか確認して私はバス停に向かった。

今日から夏期講習が始まる。午前と午後の2部構成になっていて通常はどちらか1つを受けるみたいだけど

部活も何もしていない私は母親の希望通り、午前も午後も講習を受けることにした。授業を受けること自体はたいしたことはない。聞いていればいいし、書き写していればいい。そうしていうちに時間は過ぎていってくれるのだから・・・。私がキツかったのは1時から3時までの空いた時間だった。

お昼を食べても2時間は長かった。だからといって5階で自習する気にも到底なれなかった。

だから机に座り 携帯をいじるか眠る。その2通りが私の選択肢だ。

 昨日は母親の誕生日だった。でも、父親は残業で遅かったし、母親も仕事から帰ったと思ったらシャワーを浴びると1000円札を1枚テーブルに置いて出かけていった。きっと少し前から通いだしたホストのところだろう・・・。一言も交わさないまま母親の誕生日は過ぎたのに、次の日の朝は何時もどおりだった。

そして何時もどおりに家を出てバスに乗ってる私がいた。


「地理は苦手。でも、数学はもっと嫌い。」 机の真ん中に書いた。

中学校の頃は地理で100点をとった。褒められたくて一生懸命に暗記した。

そしたら両親は私が地理は得意だと勘違いした。「違うよ」と言い出せなくなった。

数学は中学校の3年間ずっと5段階評価の5だった。公式を覚えれば解けていた。

でも1番大切な事に公式はなくて解けないまま投げ出したままになっている。


「地理は今も苦手。でも、数学は好きになった。」机の真ん中に書かれていた。

誰だろう・・・。数学好きなんだ・・・。 

「勉強は嫌い。全部嫌い。疲れるし・・・役に立つの?」書いてやった。

きっと出来ないやつは私みたいにこんな感じ。言い訳並べるし、逃げるんだ。

「確かに、疲れる。逃げる?一緒に?」少し小さく書かれてた。

同じ?仲間?そんなはずないか・・・。でも、笑えた。

「宇宙だったらいいけど、無理でしょ!!」意地悪してやった・・・。

「お金があれば宇宙も行ける時代だし・・・行く?」

「いいよ。お金用意しておいて」

「了解。貯金を続けるから!!」・・・笑える。

私みたいに暇人もいるんだなぁ。授業聞かないで落書きして笑ってるバカ者。


 それから バカ者同士の会話は弾んだよね。

何が食べたい、誰のコンサートに行きたい、肩が痛い?とか、ファミレスやテスト、家族の事・・・

こんなに自分のことを話したのは久しぶりだったし、楽しくなってたんだよね。

塾にいく事が嫌じゃなくて、今日は休みか~~~って感じになってた。

何処の誰かもわからないのに家族の事、学校の成績の事まで話してて でも誰だかわからないから話せたのかも知れないと思った。あの頃の私とあなたは近いようで遠かったんだ。

他人のことは責任もなく、気軽だ。

ましてや見えない存在なのに何故か?的確で優しさがあって・・・二人の距離は近くもなく遠くもない。


「今度の試験 少し頑張ってみたら?両親を驚かしちゃいなよ」って簡単に言うけど・・・

「何番になったら会ってくれる?」さぁ、どうする?さぁ、何て言うの?

「いいよ。10番以内なら会おう!!」無理。絶対に無理。

進学校で10番以内なんてありえない、100%無理と言える。

「ありえない。会いたくないなら言えばいいのに」きつい言葉になってしまった。

もう・・・返事もないかもしれない。家に帰って後悔した。

もう・・・終わったらどうしようって事ばかり考えていた。

私はどうしたいんだろう?私は何を期待して何を望んでいるんだろう?

今日は少しだけ早く家を出た。机に書かれるかもしれない言葉が気になって仕方なかったから・・・。

「会いたいよ。だからお互いに高い目標にする。駄目?」

良かった・・・。ほっとした。ちゃんと返事があったし、想像よりも優しい言葉があった。

「あなたの目標は何?」教えないなんてずるいし。

「難しい試験に受かる事。君の10番以内に値すると思うよ」そっか・・・。

不思議だけど、素直に頑張ろうって思ってしまう。凄いかも・・・会いたいって気持ち。

勉強すること、努力することは無駄だと馬鹿だと思っていた私は?笑っていた私は?

いつの間にかに消えていってたんだ・・・。


 3学期のテストは58番だった。恐ろしいほどに父親も母親も驚いていたし、喜んでた。

「君は凄いね。こっちは駄目でした。」何て言えばいいのか判らなかった。

あなたは試験に落ちたらしく・・・それでも私にもう少しだと背中を押してくれた。

私はわかったことがある。

私はあなたの事がスキって事。

何にも判らないのに、確かな事は何も知らない・・・。

名前も年齢もましてや男なのか女なのかさえも、もしかしたら存在なんかしない

誰かが遊び半分で馬鹿な私の相手をしているのかも知れない。

それでも、ここまで頑張れたのはやっぱり「会いたい」とゆう気持ちがあって、何時だって支えてくれる

笑わせてくれる存在があったからだと思う。


 部屋のドアをノックして母親がココアを入れてくれた。こんな事は奇跡に近い現象といっても過言じゃない。そう思う。

少しだけ団地にいた頃に戻った気がした。運動会や文化祭の前日にはこうやって私の好きなココアや紅茶を部屋に持ってきてくれたあの頃みたい・・・。


私は3年になって家でも勉強をするようになった。1問でも多く解けば目標に近づく。そうすれば会える。

そう思えば思うほど 今までの自分からは想像できない自分ががむしゃらになって努力してくれるのだ。

ふと想像してみたりする。

あなたは年上で大学を受験したのだろう・・・でも落ちてしまった。

言葉遣いからでは男なのか女なのか判らないけれど抱擁力があって、いつも話しを聞いてくれてアドバイスをくれる。どんな顔で どんな声で どんな笑い方をするんだろう?

私は恋をした。今まで好きな人は居たけれど、何かが違う。

みんなと一緒にカッコイイだとか見た目で騒いでた頃の気持ちとは明らかに違う。

外見ではなく好きになった。


 父親は母親と一言も交わさないままに会社へ行った。母親はパートが終わると直ぐに帰ってくるようになり夕食を手間を掛けて作るようになった。

だからといって、夫婦の仲が元に戻るわけはなかったが前みたいに大声で喧嘩することはなくなった。

母はホスト通いをやめたらしく、夜も週末も家にいることが多くなった。その反面で父親は深夜に帰ってきたり、週末には帰らない日もあった。

 1度壊れた関係を元に戻すのは本当に難しいんだと思った。きっと両親は元には戻らない・・・。

公園で遊んで帰りにフェミレスでお父さんがグラタンでお母さんがパスタで私がハンバーグを注文しては、お父さんもお母さんも私に分けてくれた・・・あの頃みたいには戻れないと感じた。

子供と大人の真ん中で一生懸命に背伸びをしてみても、恋愛のレの字もろくに経験のない私には 男と女、恋人や夫婦の本当のところ・・・・は判らない事だらけ。

 

 3年になって私はもっと頑張った。これでもか・・・って位に問題集を解きまくったし、目に見えて先生たちの態度が変わった。そんな大人の態度が苛立と同時におかしくてたまらなかったけど、まだ10番には届かなかった。やっぱり上には上がいる・・・これが現実なんだ。


 「私達、会えると思う?」やっぱり不安になってしまう時がある。

 「どうかな?」そうやって冷たい文字を見ると、落ち込んでしまう私がいる。

 「でも・・・約束は守るよ」そんなふうに結局は踊らされてしまう私がいる。


卒業まで後2回。試験は2回しかない。前回はやっと27番になれたけど、不安でしかない。自信もない。

結果は・・・・「18番」・・・「19番」届かなかった。

私は10番以内には入れなかった。だから、あなたには会えなかった。

心のどこかで少しだけ、それでも会ってくれるんじゃないかって期待していたのに・・・。

あなたは会ってくれなかったよね。


あの時 めちゃくちゃ泣いたんだよ。

国立大学に受かって、もうココにも来ることはないって泣いたんだよ。

「合格おめでとう。君のおかげで僕は強くなれました。ありがとう」最後のメッセージ。

本当に会ってくれないんだ・・・でも最後に1つだけわかった事。

私は恋をした。1度も会ったことのない人と恋をした。もう会うこともないだろうけど・・・

よかった・・・あなたは優しい人だった。



 コピーされた用紙が1・2・3・4・・・また詰まった。最近、コピー機の調子が悪い。僕は半分に破れた用紙を引っ張り出しながらため息をついた。今日も12時を過ぎた・・・。何度、この部屋で日付を追い越しただろうか?仕事馬鹿だと昨日も言われたけど、どうかな?一人笑いで過ぎていく。昨日も今日もきっと明日も・・・。

 冷蔵庫の中にはペットボトルがコロコロ転がっていて、たまにジャムの瓶にぶつかる。その音がなると

補充しないとって感じる。

僕の部屋は生活感がない。僕に生きる活力が不足しているからか?もう半年が過ぎるとゆうのにココはまるでビジネスホテルのようにすっきりと必要最小限のものだけがあるだけだ。

 1LDKなのに僕には8畳の部屋さえも時に広く感じてしまうし、食事は朝が遅いから食べない。

昼は職場で食べ、夜も職場で食べ・・・たまに家で食べるときも買ってきた弁当ばかりだ。だから、キッチンはお湯を沸かすやかんしかない。今考えると、お鍋もフライパンもなかったなんて生活感ゼロ確定だ。

 その頃の僕は弱い人間だった。自分で進もうとする行為もしなければ、立ち止まっていることが無難だと、平穏だと思い込んでた。これでいいんだ・・・って納得させるばかりだった。

 最近ではアパートと職場へを行ったり来たりするだけで、そのルートになるフェミレスとコンビニ以外は僕の生活になくてもいいんじゃないかって感じる程だった。

 

僕はこの2年間の生活から目をそらしてきたんだ。気持ちをだましていたんだ。


 小学校、中学校、高校、大学とずっと成績は良かった。スポーツも好きだったからハンドボール部に入っていたし生徒会活動もしていた。自分で言うのもなんだけど将来は安泰だと思ってた。そうなることが当たり前だと言い切れるほどに僕は努力をしてきたのだから・・・。


 父親の顔は知らない。今まで1度も見たこともなければ今の所、会いたいとも思わない。母親は写真で見たことがあるが、声を聞いたこともなければ母親のぬくもりなんて触れたこともない。

 ばあちゃんが言ったんだ・・・。「あんたは幸せになるよって」しわくちゃな笑顔を作って僕の小さな手を握りしめてくれた事を今でも夢にみることがある。

 ばあちゃんは両親の話をほとんどしなかったから、僕もソコには出来るだけ触れないでおこうと思っていた。だって、ばあちゃんはしわくちゃなのに腰も痛かったのに僕を大切にしてくれた。10回のうち1回は厳しい言葉だったとしても、9回は優しい言葉しか残っていない。それほど、守れらていた気がする。

 ばあちゃんは幼い僕に沢山のことを教えてくれた。人として何が正しくて、何が間違っているのか。

生きていくために大切な事や決してやってはいけない事。

 あの頃の僕には、次から次へと送り込まれてくるばあちゃんのメッセージが時に疑問になり、時に勇気に変わり、時に重荷になったりしたけれど今考えると・・・ばあちゃんは急いで居たんだと思う。


 僕が幼稚園に入園したとき、ばあちゃんは75歳だった。若くて綺麗に着飾ったお母さんたちの中に一人だけ何時もとさほど変わらない格好をした腰の曲がったばあちゃんが立っていた。僕は正直、とても恥ずかしくて振り返ることも手を振ることもしなければ帰り道もばあちゃんを待たずに走って帰った。それでも、ばあちゃんはその晩に満面の笑顔で僕の好きなカレーを作ってくれた。ばあちゃんのカレーは大きなジャガイモと人参と玉ねぎに鶏のもも肉がゴロゴロ入っていて最高に美味しかった。僕は泣きながら食べたのを覚えている。あの時の僕はどんな気持ちだったんだろう?悔しさなのか、嬉しさなのか、情けなさなのか判らないけど泣きながら食べたことだけは鮮明に覚えている。そして、その夜に僕の背中をさすって寝かせてくれたばあちゃんの手のひらの温もりを忘れたことはない。


 人の気持ちをわかってあげる事は難しいけれど、わかってあげようと努力しなさい。

 

ばあちゃん・・・。友達と喧嘩をして帰った日に言ったよね。

別に泣いてたわけでもないし、何時もどおりに夕飯も食べたし、僕は何も変わらない態度のつもりだったけど、ばあちゃんには何時もバレちゃうんだ。

そして、ばあちゃんは言うんだ。「あんたは幸せになるよ」って・・・。だから、僕は僕なりに頭の中をグルグル回転させて考えたし、気持ちの中の本当の僕を探したんだ。

そうすれば、「ごめん」の一言が言えた僕がいて、「ごめん」って返してくる友達がいた。

僕には背中の広いたくましい父親やスパゲティやグラタンみたいな洒落たご飯を作ってくれる母親はいなかったけれど、その何倍も何百倍も思ってくれたばあちゃんがいました。

 僕のばあちゃんは最高です。僕のばあちゃんは僕のばあちゃんは・・・僕が小学校3年の時に天国にいってしまいました。

 学校の帰り道で捕まえたアブラゼミを片手にアパートの玄関を開けたとき、僕の指先からアブラゼミは解放されました。子供の僕には何が起きたのか直ぐに理解するのが難しかったのです。

 いつもの笑顔で「お帰り」と言ってくれてたばあちゃんは、狭い台所で倒れていました。もうすぐ夏休みになろうとしていたのに・・・一緒にデパートに行ってスパゲティを食べると約束したのに・・・。まな板の上にはジャガイモと玉ねぎが転がったままだった。

「今日はカレーライスなの?ばあちゃ・・・ん」救急車のサイレンが近づいてきて僕はとても怖かった。

隣のおばさんが呼んでくれた救急車は、カッコイイと思っていた救命士なんかじゃなくて僕にはとても怖いおじさんに感じたんだ。


 僕は勉強した。たくさん たくさん 勉強した。

親戚は叔母さんが一人いたみたいだったけど、僕は迷わずに児童養護施設に入った。

1度も会ったことのない親戚と急に家族になんてなれる自信がなかったし、おばあちゃんがいなくなったとゆう現実が幼い僕にどうゆう生活を導くなんて知る術もなかったんだ。


 セミが競うように鳴いていて、太陽が照りつけた駐車場のアスファルトは揺れていた。僕はさっきから少しも進まない宿題を前に窓から外ばかりを眺めてた。クーラーの効いた部屋は、ばあちゃんと住んでいたアパートよりも綺麗で涼しくて広くて・・・食事だって豪華だった。

 同年代の子も20人近くいたし、先生も怖くもなく優しくもなかった。コレといって変化のない毎日が続いている感じだった。僕にはクーラーがなくて扇風機で十分だったし、狭くても隣にばあちゃんが居れば幸せだったんだって気づいたのが小学校の高学年の頃だったと思う。

「飛び出そう」そう思うようになったのは中学にあがってからだった。そのために時間があれば勉強をした。気がつくと問題集を解いていたし、気分転換で過ごす場所も図書館だった。そんな僕は中学校では常に3番以内の成績をキープしていたけれど、高校に上がってからは挫折も味わった。やっぱり高校からはそれなりに出来る子が集まるから簡単に上位にはなれなかった。

 それでも2倍も3倍も努力をして10倍以内に入ることが出来た。それに、隣に座った子に誘われて部活にも入部した。生まれてはじめてハンドボールをした。体を動かすことは嫌いじゃなかったから直ぐに夢中になって、高校の3年間は勉強とハンドボールで僕の毎日は埋まっていった。そのお陰で優勝とはいかなくても準優勝をしたり、県外に派遣されたり充実していたし希望した大学にも受かる事ができた。


 僕は幸せになるよ・・・・ばあちゃん。 そう確信して大学に通った。


 4年間はあっとゆう間だった。運よく奨学金で学費は出なかったものの 生きていくにはお金がかかる。

生活費は勿論だけど、パソコンや本に服だって交際費だって・・・。できるだけ切り詰めていたものの実家から通っている友達に比べたら「苦しい状況」に間違いなかった。

でも、ずっと裕福ではない僕にとっては大きな問題でもなければ卑屈にもならなかった。 10時には大学に行きこなすべき授業を受け、夕方からはバイトをして日付が変わった頃に部屋に帰る。そしてベットはいつも僕を深い眠りに吸い込んでいく。忙しい毎日が経済的な僕のゆとりも彼女と別れて寂しい時だって紛らわしてくれていたのかもしれない。

 卒業するまでに中学と高校の数学の教員免許をとった。先生になろうって何時からか自分の行き先を定めることができていた。

 小学1年生の頃 僕は算数が嫌いだった。2桁、3桁の引き算がややこしくてテストで48点をとった。

ばあちゃんは夏休みにノートぎっしりに問題を書いて僕に差し出したんだ。

僕はブツブツ文句を言いながら、しまいには泣きながら解いたんだ・・・。そして1冊をこなした僕にばあちゃんはチラシの裏に書かれた賞状を渡してくれた。何て書いてたかは覚えていないけど、嬉しかった。

そして誇らしかった。

 僕はそれから努力すれば、それなりに結果は出ると判った。 だから、今がある。


僕は卒業して教師になった。

怖いほどに順調に進んでる僕に神様はきっと「甘いぞ!!」って試練を与えたのかもしれない。


 受けもったクラスの子に「好き」だと告白をされた。僕は生徒に人気があったわけでもなければ、見た目も普通だしキャーキャー騒がれてた先生と比べたら 陰の薄い存在だった。そんな僕なのに、「好き」だと

言ってくれた生徒の存在が気になって仕方なかった。大きな瞳で僕の周りをウロチョロする事に僕は気持ちのどこかで愛しさを感じはじめていたのかもしれない。

 それは、男と女としてなのか?教師と生徒としてなのか?不確かなままに過ごした。出来るだけ確信に触れないで僕は境界線を引いたんだ・・・。この気持ちを追求したら危険だと感じたから。その気持ちに触れたら絶対に駄目だと理解していたから。


 それなのに、人の気持ちを理解することは難しい。 

ドラマみたいに切なさや愛しさで泣けるなんて理想だと思った。僕の流した涙は悔しさの痛みだけ残したのだから。

 文化祭の準備で生徒たちが7時ごろまで学校に残ることが続いていた。僕も勿論、連日8時過ぎまで学校に居るのが普通だったけれど、少しも苦には感じなかった。

どうせ、部屋に戻っても一人きりなら疲れ果てるまで外で過ごして帰るなり眠れる状態のほうが楽な気がした。僕には家族はいない。きっと何処かで過ごしているのだろうけど今となっては他人と同じだ。

 看板作成に使うダンボールをホームセンターに貰いに僕は車を走らせた。隣には、横顔のまだ幼い女子生徒が乗っている。といっても僕と生徒の年の差は「24-18=6」6歳だ。僕も働いてはいるものの立派な大人とはいえないかもしれない。冷蔵庫や洗濯機の梱包ダンボールをのせた帰り道、僕は「好き」だと告白をされた。正直、何と言ったのか全ては覚えていない。ただ、「ごめん」と謝った事。それだけは覚えている。

 次の日から その女子生徒は学校を休んだ。次の日も、その次の日も・・・。僕は何度も家に電話をしたけれど話をすることは出来なかった。そのまま2学期は終わってしまった。

僕は彼女をどれだけ傷つけたのだろう?僕の何がいけなくて・・・・どうすればよかったのか?

正直、答えは未だにわからない。ただ、18歳は子供のようで大人でもない難しい年齢で、24歳は大人ぶった未熟者だとゆうこと。冬休みの校舎には、僕とその子の噂が流れた。

 噂は噂で、ウソが沢山並んでいるのに何故か?真実に思えてくる。人はその噂に踊らされてしまうんだ。

「真実でなくても、違うとゆう証拠もない」校長はため息をついて僕をじっと見つめてた。

「お世話になりました・・・。」僕の言葉を待っていたかのように「残念だけど」と即答した。

納得はしてないし、悔しいし、情けない。きっと噂は本当だったと誰かが言うのだろう。逃げたんだと誰かは思うんだろう。僕は帰り道の車の中で泣いた。ばあちゃんが死んだ時のように周りも気にせずに泣いた。

この涙の一粒一粒が一体、何のために流れているのかは判らないくらいに僕の頬を流れてた。


 「地理は苦手。でも、数学はもっと嫌い。」 机の真ん中に書かれた誰かの文字は疲れてる気がした。

僕は誰もいない教室でふと目に留まった君の言葉に心をノックされた気がしたんだ。

それは、高校教師を辞めた帰り道・・・何が正しいのか見失った僕に問いかけてる気がした。

全然関係のない言葉で、何処がどう僕の手を動かしたのかわからないけれど気づくと返事を書いていた。

そして、いつの間にか伝言ゲームみたいに僕達は書き続けたんだ。


 君の家族の事は正直、アドバイスが見つからなかった。僕には父親と母親と子供の理想的な関係もリアルな環境も小説みたいな情報しかなかったし、どれが正しいのかは家族によって人によって違うだろう。   ただ「勉強を頑張って両親を驚かしたら?」って言ったのは僕がそうしたから。

ばあちゃんが居なくなって一人ぼっちになって、たぶん一生会うことのない両親に、もしも会ったときに

胸を張っていたかったから。今、思い返しても勉強は楽じゃなかったけれど無駄ではなく僕の進む道の選択肢を増やしてくれたのは確かだ。

 たまに帰り道に行くレストランでグラタンも食べた。君が美味しいと言ってたからハンバーグも食べてみた。にやけてしまった。君を思い出したんだ。

そんな風に全然聞かなかった音楽も聴くようになって CDも買ったし、教えてもらったオムライスを作ろうとフライパンも買った。僕は君の影響をもろに受けて、僕の部屋は少しづつ色が付いていった。

 気づいたんだ「好きだ」ってね。僕はズルイから机の上にメッセージを書く君の姿をみた事もあるし、問題を解く時も、ノートに写している時も知ってる。君が3年に上がって 僕は君に数学を教えました。

気づかれないように・・・高鳴る鼓動を殺しては交わした声を覚えている。授業中にふと目が合ってはバレないようにすました自分が確かに居た。

 26になって18の子にドキドキするなんて・・・好きになる感情は「必ず」はないし「不正解」もない。些細な会話からかもしれないけれど、僕は君に背中を押されたんだ。

こんなに頑張ってる君を見て、何をしてるんだろ・・・ってね。

僕は君に会えて やっと歩き出せた。


 もしも、君が10番以内に入ったら会うつもりだった。

約束は守るものだから・・・でも君は届かなかった。

最後の結果が出て、それでも会いたいと思ったんだ。でも、君の前に立ち「僕なんだ」とは言い出せなかった。どんな顔をするだろう?がっかりするだろうか?僕はどうすればいいんだろう?

 学校ではないけれど 僕は先生で君は生徒で その関係とゆうだけで何だか境界線が引かれている気がしたんだ。僕は線を飛び越えては駄目な気がしたし、それと同時に自分自身が傷つくのも怖かったんだと思う。僕は君を知っているけれど、君は僕のことを何も知らないのだから・・・。

「合格おめでとう。君のおかげで僕は強くなれました。ありがとう」 君に届いただろうか?

最後のメッセージを書いた夜、僕は切なさと同時に強さも手に入れた気がした。


 そして・・・結論を言おう。

さっきも君の料理の話を聞いた。オムライスが絶品で、今度はグラタンを作るらしい。

彼女は大学に入ってから夜はこの塾で事務のバイトを始めた。そして、恋愛をし卒業を待たずに結婚をする。僕の隣に座る男が結婚相手だ。

 もちろん「僕なんだ・・・」なんて言えなかった。よく話すようになった時には彼女の気持ちは隣の彼に夢中だったし、僕は今でも互いののろけと愚痴を聞いてるような関係だ。

 もちろん「僕なんだ・・・」なんて言う事はない。嫉妬もないし、切なくも無い・・・といえば嘘になるけれど、君は幸せそうだ。幸せだから、僕も進もうと思う。

 これから幾つもの境界線が僕との先をさえぎるかもしれない。そして自分から境界線を引く時もあるだろう。時に乗り越えない強さを、時に乗り越える勇気を僕は育てていこうと思う。


 僕が君との境界線を引き 乗り越えなかったのも自分自身の決断だった。

 その選択次第で未来は変わったかもしれない。

 でも、何より僕は君に会えて止まった時間を、躊躇っていた自分を折り越えることが出来たんだ。




 


 

 



 



 















  

結局はひとりぼっちじゃなくて・・・・

気づくと誰かさんの存在がある。

それが切なくても、届かなくても。


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