猛虎
広目天=紫紺の長ヒエロニムスの二つ名。
『見る』ことに関して強烈なギフト(カリスマ性)を発揮する特徴からこう呼ばれています。
入場のチェックもすんなりパスし、私は目も眩むような煌びやかな迎賓館へ入った。クロークにコートを預けて入った先は、まるでおとぎ話のような、別世界でのパーティー。夜目はきくけど、こんな光の洪水は私の目には痛すぎる。それでも道化師がユリウスの恥にならないよう、気配を極限まで消していった。
「キキ? なんでそんな……気配を殺してるの。よくそんな芸当できるねえ」
「そりゃ、これくらいできないとケダモノに見つかるもの。大丈夫、なるべく目立たないようにして、邪魔はしないから」
「もう……逆だよキキ。私の邪魔にならないようにって言うなら、隣でいつもみたいに笑っていて?」
「なんで?」
「私だってこんなパーティーは好きじゃないんだ。でも今回は広目天に目をつけられちゃってさ……気を張ってなきゃいけなくて疲れるから、キキがいてくれると楽なんだよ。ね?」
「私がいると、楽なの? ……じゃあ、気配消すのは、やめる」
「あは、やっぱりキキって素直だね、かわいいな」
「……」
道化師みたいな私を連れていても安定しているユリウスの「ヘンテコクオリティ」にため息をつきたい。でもこの場でそんなことはできないと思って、黙り込むことでなんとかそれを抑えた。
ユリウスは自分が言い出したことだから、私の姿がヘンだとか化粧が濃いとか言えないんだろうな。だから言い慣れている「いつも通りの言葉」を発してるんだろう。
ともあれ、今日の使命は第一が「ユリウスに恥をかかさないよう気を付けること」、第二が「ユリウスが気疲れしすぎないように気を付けてあげること」だと思う。走査方陣を使って随時確認したいところだけど、紫紺の長がいるから許可なく魔法を行使してはいけないんだそうだ。
面倒臭いな……
「キキ、友達がいたから紹介するよ。こっちへおいで」
手を乗せるだけで軽く腕を組んでユリウスと歩いて行くと、不思議な二人がいた。
ピーコックグリーンの瞳がキラキラしている男の人と、濃紺の……深い蒼の瞳がキラキラしている小柄な女の人。とっても仲良さそうに寄り添っていて、男の人は幸せだっていうオーラをそこいらじゅうに振り撒いている。
「アルノルト、フィーネ。紹介するよ、パートナーのキキ」
「……初めまして。よろしくお願いします」
「おぉ……これはなんと美しい! ユリウス、まったく君は……彼女が人形ならば『あの部屋』に閉じ込めたいとでも思うのではないかい? こんなに純白の美しい天使は見たことがないね」
「うっはー、こんばんはキキ。俺アルノルトって言うんだ、よろしくね。ユリウスってワガママでしょー? もし言う事聞かなくて困ったら、俺に連絡くれればいいよ。デコピンしに行ってあげるから」
「アルノルト、やめて。今日は長様がキキを『見たくて』ウズウズしてるんだよ……これ以上私のスタミナを削るようなこと、言わないで」
「ヒロおじいちゃんが? 何で?」
「……広目天の本領発揮さ。この前エルメンヒルト様の娘さんとの縁談へ正式にお断りの返事をしたらさ、じゃあお前はどんな娘なら首を縦に振るんだって詰め寄られて……」
「うあ、それで『見られた』の?」
「そ。あっという間にデミへ通ってることバレてさ、『見せろ』って最大パワーで言われたね。なんてギフトの無駄遣いだ」
広目天とやらが紫紺の長のことらしいけど、ユリウスとアルノルトはいかにも「うわぁ、めんどくさ」とでも言いたげな顔で話してる。それを聞いていたフィーネは不思議そうにユリウスへ質問した。
「ふん? しかし君がデミへ通っているのは、主にチェスに関することなのだろう? なぜキキがご指名なのだい。ジンやギィを長に会わせればよかったのではないか?」
「どちらにせよ長様は、私に対するハニートラップの多さを気に掛けて下さっているんだよ。三人のうち誰でもいいのなら、女性を『見たい』と言うに決まってる」
私は随分とポカンとしていたと思う。だって初対面のこの二人がジンやギィのことまで知っているのが不思議で仕方なくて。ユリウスが私たちのことを彼らに話していたとしたって、この二人はまるで昔から私たちを知っているかのようだから。
会話の内容も私にはまったく意味が分からないけど、わからないからって興味なさそうにしてしまったらまずいから、聞いてるフリをする。
そしてイヤな情報の断片ばかりが蓄積されていく。
ユリウスって、やっぱりモテるんだ。
当たり前のように縁談とかハニートラップとか話してる。
三人のうち誰を長に会わせるのでも良かったのに、ユリウスがたまたま「キキに自信をつけてほしい」と思っていたのと、長が女性を見たいという思惑が合致したせいで道化師にされて。
気落ちしそうな心を何とか奮い立たせ、目的を忘れちゃいけないと自分を叱咤する。
がまんだ、キキ。
これくらい何てことない。最初から、ユリウスはかっこいいってわかってた。
私は、デミでユリウスをリラックスさせられれば、それでいい。
がまん、だ。
必死に何でもないと自己暗示をかけながら、力の抜けそうな膝に気を付けていると、アルノルトが話しかけてきた。
「ねえキキ、ちょっと」
「はい」
「あのさー、大丈夫? ユリウスにこんなとこ連れて来られて、めちゃくちゃ緊張してるんでしょ。波が……あ、いや、顔色が悪い気がする」
「あ……ありがと。大丈夫」
「そう? 少しがんばって挨拶だけ済ませれば、きっと休めるからさ」
「うん」
マダム曰く薄化粧だけど、とても顔色なんてわからないんじゃないかと思われる化粧をされているのに。よくわかったなあ、この人。
そうやって話していると、今度はトビアスとパウラという二人にも紹介され、挨拶した後はユリウスだけに神経を集中させていた。
……うん、この四人はユリウスを疲れさせない。
なら、きっとこの人たちは信用していいんだ。
そんな風に品定めした後で、ユリウスがフッと気配を変えた。ほんの少しだけ、筋肉が緊張してる。気をつけなくちゃ。
「ユリウス、よく来た」
「長様、在位三十周年、誠におめでとうございます。この度は奥様にも大変お世話になりまして、感謝しております」
「あれの趣味だ、気にするな。で、こちらの女性か」
「はい、彼女がキキ・紫紺です。キキ、紫紺一族の長様だよ」
「……キキ・紫紺です。初めまして、よろしくお願いします」
「ヒエロニムスだ。このような気疲れする場所ですまんな。だがユリウスが掌中の珠としていた者をようやく『見ることができた』ぞ。美しい娘じゃないかユリウス」
「長様が無茶をおっしゃるから、大変だったんですよ? キキだって緊張してしまうし……これでデミの件、ナイショにしてくれますよね。チェス王者にいつでも挑める環境がなくなるのは困ります」
「ふん、仕方ないか……ま、ユリウスがここまで執着する娘が『見られた』のは儲けものだったな。あとは妻に詳しいことでも聞いて、酒の肴にするか」
「はあ……お好きにどうぞ」
紫紺の長は堂々と話した後、笑顔で去っていった。
――でも私は、冷や汗が背中を伝って流れ落ちるほど緊張していた。
なに、あれ。
なに、あの脳を痺れさせる音。
『見ることができた』
あの一言に乗ってきた、何かの脳波みたいなもの。
こわい。
デミのケダモノなんて目じゃない。
あいつらが痩せ細ったハイエナなら、長は巨大な体躯の虎。
あれは、危険すぎる獣。
あの獣がいま空腹じゃなくてよかった。
あの獣がいま満足していてよかった。
そうでなければきっと私なんて、ひと齧りで殺されちゃう。
知らずユリウスの腕を掴んでいる手に力が入ってしまって、たぶん震えているのがユリウスにはバレていると思う。
案の定、ユリウスは右手を私の手に重ねてきて、宥めるようにポンポンと叩いた。
「キキ、少し休もうか。あっちに椅子があるからね」
「……ごめんなさい」
「いいんだよ、長様もほんとにキキを『見たかった』から、抑えがきかなかったんだ。ごめんね、何か怖い感じがした?」
「……ん。あの人、虎みたい」
「あー、なるほど。長様は本気で『見たい』と思うと、ちょっと獰猛な気配になっちゃうんだよね。女の子にはキツいよ、気にしないで。具合悪いなら帰ろうか」
「……ううん、ここで帰ったら、長はきっと気にするんでしょ。これ以上執着されて、あの脳波を浴びたくない。それに、ユリウスはもっと挨拶したい人がいるんでしょ、大丈夫」
「……そっか。何か飲み物を持って来るから、待っててね」
「うん」
私は慎重に椅子へ座り、ガクガクする体を必死に押さえながらユリウスを待った。




