マダム・ヴァイオレット
もうだんまりを決め込んで大人しくユリウスに付いて行った私は、北区にある豪奢な屋敷へ連れて行かれた。店じゃないの?なんでお屋敷なの?と疑問に思ってユリウスに聞くと「ここは特殊な人しか受け入れていないからね、店舗の形態にしていないだけ」と言った。そこへ入る直前にユリウスは変装魔法を解き、門衛に取り次ぎさせた。屋敷の中へ案内されると、奥から出てきた肉感的な夫人へ挨拶する。
「マダム・ヴァイオレット。この度はお世話になります」
「ごきげんよう、ユリウス様。こちらのお嬢様ですわね?」
「ええ、彼女はキキ。慣れていないので、お手柔らかに願います」
「……はじめまして。よろしく、お願いします」
「まあ、可愛らしい方ね。大丈夫よ、何も心配ないわ。こちらへどうぞ」
マダムは、どうやったらそんな上品な動きができるんだろうっていう静かな歩き方をして、私たちを案内した。奥にはサロンとかいう豪華な部屋があって、カーテンで区切られた広い更衣室と、たくさんのドレスが掛けられたハンガーが見える。
何に使うのかもよくわからない様々な小物も棚にごっそりあって、いったい何人の女性がここで同時に試着するんだと、私は目を白黒させていた。でもユリウスに聞いたら、まさかの私一人だけだった。
何考えてるの、この人たち……
ユリウスは優雅に椅子へと腰かけ、私がドレスを試着するたびにニコニコ笑いながら可愛いだの綺麗だのと繰り返す。マダムは「好みのドレスはあった?」と聞いてくるけど、そんなもの見分けがつく筈もない。困惑して、ほんとに訳がわからなくて。
「マダムにお任せして、いいですか……本当に、わからないので」
「まあ。では、そうね……ユリウス様が決めるべきですわね。どうぞ、こちらへお掛けになってお待ちくださいな」
――知らなかった。何着も着替えるのって、こんなに疲れるんだ。
マダムはユリウスへ話しかけ、どれが良かったか聞いてるみたいだった。もう何でもいいから早く決めてほしいよ。何色でもいいし、質感なんて羊毛と木綿と麻くらいしか知らないし、光沢なんてギラギラかピカピカかツヤツヤかってことしかわからない。
ユリウスはなんだか楽しげな顔をして、いくつかのドレスを指し示した。
マダムはふんふんと頷きながら「ま! ユリウス様ったら、センスが良くていらっしゃるわ」なんて笑い出す。
そして最終的には、白くてどういう構造になってるのかもわからないような、何重にもなっていて肩が丸出しになる膝丈のドレスと、どうしてこれなのかわからないけど総レースで透けている、とっても長いコートだかカーディガンみたいなモノがあった。
ふう、決まったのかな。
終わった?って思ってユリウスに目で問いかけると、面白そうに私を見返した。
「キキ、これから髪飾りと長手袋と靴とドレス用のランジェリーもマダムが揃えてくださるから。あ、あとハンドバッグもね」
……膝が、崩れ落ちるほど、ガックリした。
*****
パーティーの当日、私はヨアキムたちに「いってらっしゃい、楽しんでくるんですよ」なんて言われながらユリウスと出かけた。パーティーが始まるのは夜なのに、今は午後一時。まさか、そんなに準備で時間がかかるわけないよね?なんて思いながらついていくと、やっぱりこの前のマダムのお屋敷へ連れて来られた。
――そこからのことは、正直言って朦朧としていてあまり覚えていない。
何人ものマダムの助手?みたいな人に、よってたかって世話された。
髪を綺麗に切り揃えてもらったと思ったらお風呂で散々洗われて、スズランの香りがする化粧水だのクリームだの香油だのを全身に塗りたくられて、爪を磨かれて、ベージュのマニキュアを手にも足にも塗られた。そのマニキュアだって、ベースコートにカラーを二回にトップコートと、四回も重ね塗りされる。
白いレースの下着をつけて、白いコルセットをつけられて。薄手の白いストッキングを白いレースのガーターベルトで留められて、膝丈のドレスを着る。
所々に羽毛と真珠が飾られた、薄い布が何層にもなった真っ白いドレス。
肩にかける紐も何もないのに、私の薄い胸ではストンと落っこちてしまいそう。だけどマダムが笑って「ご心配には及びませんよ。コルセットに引っ掛かける金具がありますので、万が一にもキキ様が恥ずかしい思いをすることはございません」と言うので安心した。
この白いドレスにはもちろん袖なんてなくて、オピオンのタトゥをどうやって隠せばいいんだろうと思っていたら、白い長手袋をつけてくれた。手袋っていうか、中指に輪っかを通し、手の甲から肘までを隠す筒みたいなもの。
そしてあのコートみたいなのを着るのかなと思ったら、今度はお化粧が始まった…!
下地クリームを塗られ、顔にファンデーションを塗られ、薄いパープルのアイシャドウと、桜色の頬紅と、桜色の口紅。眉毛も整えて、描く。まつ毛もギュウギュウと上にあげられて、透明なマスカラを塗られる。パールみたいなパウダーをデコルテとかいう鎖骨周りや首や項や肩甲骨近くに丹念に塗られる。最後に、顔へ軽く粉をはたく。
顔の上に、何かいっぱい油の層があるような気がする。
顔が、重い気がする。
「こ、こんなに塗りたくって大丈夫なんですか」と聞くと、マダムは「あら、かなり薄化粧なんですけど……大丈夫、お綺麗ですわよ」と笑った。
これで薄化粧なんだ、そうなんだ……
私、顔にクレヨンでラクガキされてる気がしてたんだけど。
怖くて鏡なんて見れない。
いくらユリウスにわからせてやろうと意気込んでいたとしたって、道化師みたいな化粧だったら見られたくないよ。
好きな人に、そんなの見られて、笑われたく、ないよ。
どんどん沈んで行く気持ちと、どんどん進んで行く道化師の支度。
髪をコテでゆるくカールされてから結い上げられ、小さな純白の羽毛のついたピンをいくつもつけてカチューシャのようにされた。
そして最後に、レースのコート。襟は立っていて、フチに羽毛の飾りが付いているからくすぐったい。パールのボタンをコートの中ほどまでとめて、一つだけある薄紫のリボンで胸の下を締めるように結ぶ。コートは長袖だし、足首までの長さがあるし、素肌が出ているのは顔と手だけ。白いヒールのブーツを履いて、私の道化師の装いは完成した。
「ん~、素敵! ユリウス様はやっぱり見る目がおありね。さ、こちらへどうぞ」
「……はい」
気分はもう死刑囚だった。
これから私は、好きな人にガッカリされに行く。
がまんだ、がまんだよキキ。
これが終わればユリウスもわかってくれる。
貧相な私がどれだけ見劣りするのか。
男の視線なんて本当は集めたりしない女なんだってことをわかってくれる。
そうしたら、もう過剰な心配をユリウスはしなくて済むだろう。
だから、泣くのは工房へ帰ってから。
がまんだよ、キキ。
ユリウスは一度自分の家へ帰って、支度をして来たらしい。ほとんど黒に近いダークグレーのスーツと、パリッとしたドレスシャツと、クロスタイ。それにインバネス・コートとかいう二段になっているように見えるコート。
かっこいい。ユリウスは、やっぱりかっこいい。
スッと伸びた背筋、優雅な動き。今日は濃い金髪を少し上げていて、大人の男の人って感じがした。私と同じ色の瞳で嬉しそうにこちらを見ているけれど、その目に映っているのが貧相で道化師のような私だと思うと。
目線を上げることもできず、マダムに手をひかれるまま歩く。
私はマダムに真っ白いふわふわのコートを肩にかけてもらった。
そしてユリウスは私の手をマダムから受け取って、顔を覗き込む。
「キキ、ほんとに綺麗。誰にも見せたくなくなっちゃうなあ、早まったかな」
「ご満足いただけたなら良かったですわ。主人も楽しみにしておりましたから、存分に自慢なさってきてくださいまし」
「マダム・ヴァイオレット、心から感謝いたします。長様へのお礼は、仕事で成果を上げることと致します」
「まあ、主人になんてお礼することありませんわ。ユリウス様は、なさりたいように、お好きに振る舞えばいいのです。それが一番、楽しいでしょうから」
ふんわり笑ったマダムは「キキ様も恥ずかしがらず、堂々となさって楽しんでらして」と送り出してくれた。
「……ユリウス、マダムって」
「ああ、紫紺の長様の奥様だよ」
「なんであんなこと、してるの……」
「趣味、だね。レディを美しくするのが楽しみなんだよ」
「あ、そう……」
「ああ、それとね。一応入場の際にマナ固有紋チェックがあるけど、驚かないでそのままチェック受けていいからね」
「な……何言ってるの!? 私、戸籍なんてないんだよ?」
「だから、ちゃんと登録しておいたから安心していいよ。移民扱いだから、キキ・紫紺ってことになるけどね。それより、会場に入ったら私が紹介する人間以外についていかないでね」
「うん……わかった」
今日のパーティーは迎賓館でやるらしい。
さっきの話から察するに、紫紺の長もいると思うんだけど。
そんな場所へ私を連れてくる、この図太さ。
ユリウスの知らなかった一面をまた見たなあって、私はため息しか出なかった。




