そばにいる幸せ sideキキ
とうとうユリウスと結婚してしまった。
……こんな言い方だと結婚したことにまだ何か不安があるのかとユリウスが驚くから黙ってるけど、正直な気持ちはこれ。だってあんなに悩んだのに、結果は一番あり得ないと思っていた「ユリウスの正妻」という立場だったから。
そりゃ、もうデミ限定の愛人だなんて考えは無理なんだとわかってる。それでも毎朝目が覚めるたびに「なにここ、どうして私がシルクのネグリジェなんて着て豪華なベッドにいるの」と驚くのは止められない。
――そう、このベッドはユリウスの部屋にある。書斎の奥の、大きな姿見が壁にある、あの寝室。隣にはユリウスがきれいな姿勢でまっすぐ眠っていて、私とお揃いのシルクでできたパジャマを着ている。
引っ越してきたその日がいわゆる初夜だと思っていたから私も緊張していたけど、ユリウスはいまだに私と「そういうこと」をしようとしない。なぜなのかは……なんとなくわかってる。
あの「鏡を見ようとしないキキ」を寝室へ強引に連れてきたときの緊張の理由をギィから聞いてしまったからだ。
私が話したわけじゃない。ギィもことさら特別なことを説明したつもりはないと思う。
ユリウスがギィと雑談中に「ドレス着るのってキキには奇妙な感覚なんだね。そりゃ強引に鏡を見せようとしても意味がないのかな。寝室に連れて行ったらすごく緊張してたもんね、キキ」と言い、それに対するギィの返事が「あぁん? 強引に寝室に連れて行かれたらヤられると思ってビビるだろ」だっただけ。
……それを聞いた瞬間のユリウス、本当にかわいそうなくらい真っ青な顔色だった。たしかに私は何度もデミのクズにつっこまれそうになった経験がある。だから反射でそう考えて動けなくなったけど、同時に「ユリウスは絶対にそんなことをしない」とも思っていた。
私はもうなんとも思っていないし、あの時は自分の言葉が圧倒的に足りないせいでユリウスが誤解していただけだとわかってる。そう言ってみてもユリウスは「でも……私が浅慮だったね、ほんとにごめん」とどっぷり自己嫌悪に陥ってた。
――で、もう六月も半ばなのに私たちは夫婦らしい夜の営みなんてしていない。ユリウスに「しないの?」と言っても「キキに無理させたくないからね。急がなくてもいいでしょ」とほほ笑む。
これ、たぶん私が行動しないといつまで経ってもユリウスは抱こうなんて思わないパターン。だからって娼館のお姉さんみたいに薄物を着て男を誘うようなスキル、ない。どうすればいいんだろう。
*****
眠る支度をしながら、私たちは毎晩おしゃべりをする。その時間はとても楽しくて穏やかで、すごく幸せだ。ユリウスもほにゃっとした顔で私とぺっとりしてくれるし、氷雪の貴公子の仮面はどこに行ったんだろうと思うほどリラックスしてる。
キスもたくさんするし、私から彼に抱きつくこともある。ベッドの中に入ってから抱きしめ合ったまま眠ることも多いんだけど、朝になるとユリウスがまっすぐ寝てるのはほんとに不思議。
すごく……幸せなの。
こんなにユリウスを独占していいのかなっていうほど、彼は私に時間を割く。何か無理してるんじゃないかと、エルンスト(猫の庭で紹介されて、彼とも仲良くなった)に通信機で聞いてみたんだけど……なんかすごい勢いで愚痴られた。
『キキ、そんなわけないでしょう。あなたとの時間を捻出するために彼は「ギフト持ち本来の能力」を普通に出しているだけです。今までがちゃらんぽらんすぎただけですよ!』
「……ユリウス、ちゃらんぽらんな仕事してたの?」
仕事には真面目な人だと思ってたんだけどなと驚いていると、小型フォグ・ディスプレイの向こうのエルンストはぎゅうっと極限まで顔をしかめた。
『そこがユリウス様のずるいところなんです。今までも仕事は何をやってもすごい勢いで終わらせてましたよ。頭も切れますし、どんな問題が持ち上がっても彼の中で「絶対にこれをやる」と決めたらあっという間です。
――でもですね! それは空いた時間でシュピールツォイクに行ったり工房に行ったり猫の庭に行ったりするためなんです! 移動魔法があるから動き放題! たまに姿が見えないと思ったら、金糸雀の里で買ったブリヌイをもぐもぐしながら戻ってきたりするし! ぬいぐるみのブランが迷子防止機能で私に知らせてくれますけど、ブリヌイを買ってすぐ戻ってくるので止める間もないんですよぉ!』
「……な、なんかごめんね?」
『キキが謝ることないですよ……まあ、それでですね。あなたと結婚してからのユリウス様は、そういうオヤツの時間を極限まで減らして、仕事を普通に終わらせてるってことです。そりゃあ毎日早く帰れますよ。ほんと、もっと早くキキと結婚してくれてたら……!』
「…………な、なんかその、お疲れ様、エルンスト。いくらでも治癒魔法かけてあげるから、つらかったらここに来て?」
『ありがとうございます……! キキの優しさに涙が出そうです。昔はもっとひどかったんですよ、私は彼を探すのに駆けずり回ってましたから。グラオには感謝してるんです……』
どうもエルンストにこの話題を振るのはいけないことだったらしい。
それに延々と愚痴を聞いていたら、背後にふっと見覚えのあるタイをした胸元が見えて、『エルンストさーん? 私が長様とジギスムント翁のごきげん取ってたあいだに、ずいぶん楽しんでたんですね?』とユリウスの声が聞こえた。
その瞬間にエルンストの『ひゃあぁぁ!?』というかわいい悲鳴が聞こえ、通信が切れてしまったので……彼がどうなったかわからない。治癒魔法が必要な事態になっていないといいんだけど。
*****
その日ユリウスは、帰ってきたとたんに私を持ち上げてソファに座った。つまり彼のひざの上へ、私は座らされたんだけど。
「……キキは~、なんで~、私じゃなくってエルンストさんに通信してたのかな~? 何か聞きたいことがあったら私に聞けばいいのに……」
「えっと、ごめん。ユリウスが仕事で無理してないかどうか、エルンストに聞くのが一番だと思って」
「……それ、私に聞いてもいいと思うんだけど?」
「ユリウス、隠すのうまいから。本人に聞いて隠されたら意味ないし」
そう言うと、ユリウスはむぅっと口を尖らせてから抱きしめた腕の力を強める。
「……じゃあそれって、キキに信用してもらえない行動を私がしているってことだね?」
「そ、そういうわけじゃ……」
え、こんなことでユリウスはすねるの??
私は自分の世界がとても狭くて、何かを判断しようとするときに「デミ流の常識、つまり外の非常識」を出してしまうことが多い。それは生きてきた経緯がそうさせるんだとわかってるけど、それでもこの「外の世界」へ嫁入りしてもなんとかやっていけてるのは……周囲の人々が私に合わせてくれているからだ。
私がデミというケダモノの国の常識でものを考えがちなのがわかってるから、みんながそれを思いやって「そうじゃないと思うよ、こっちではこう考えるよ」と教えてくれる。
そのたび「外って甘い考えでも生きていけるものなんだな」と驚いたりもするけど、デミが異常なだけだなと納得もできる。
だから「外」のことでわからない案件は、賢者か友達に聞く。
だから「ユリウス」のことも、友達を頼った。
――そっか。ユリウスが絶対隠すと決めつけるから、いけなかったんだ。
これじゃ以前と変わらない。デミの中しか生きる場所がなくて、狭いところでうごめいていただけの私と、変わらない。
「青い池の台地」では、もっと自由に自分を出しても、いいんだ。
隙を見せても殺されたりしないところだから、もっと余裕をもって考えても……いいんだ。
「ユリウス、ごめんね。あの、これからはユリウスにきちんと相談する。そうだよね、ユリウスが心配なら本人に聞くべきだった。あのね、ずいぶん私といる時間が増えてるから、仕事は大丈夫なのかなって心配になった。私はユリウスにぺっとりくっつけるから幸せだけど、ユリウスが無理してたらイヤだった。
――でも私のためにお仕事を早く終わらせてくれてたんだね。すごく嬉しい。ユリウス、好き」
「ぅあぁぁぁぁ、キキかわいぃぃぃ……っ」
感極まったという感じに抱きしめられたので、私もユリウスの頭をかかえこんでみた。ヒザに乗ってるとこういうことができるんだ、新発見をした。
つむじにキスをして、色の濃い金髪をゆっくり梳くように撫でる。さらさらで、すこし波打ったような短い髪。人の頭をかかえるのって妙に気持ちいい。好きな人の脳波が心臓に近くなると気持ちいいのかな。
――そうやってけっこう長い時間、ユリウスの頭を胸に押し付けて撫でていた。これクセになりそうだなと思って楽しんでいたけど、徐々に彼の様子がおかしくなってくる。ギシギシとした動きになって、背中にまわっている腕が所在なさげにさまよっていた。
どうしたのかな?と思った瞬間に、私は走査方陣を放つ。ずっとひざに乗っていたからどこか傷めてしまったかと思っていたんだけど……ユリウスの体で熱が集中していたのは、頭部と、下半身の一部、だった。
そういうことに私が気づいたとは彼も思ってないんだと思う。優しく私の手を押さえて顔を上げ、いつも通りの笑顔で「あ~、キキかわいい! もっと堪能したいけど、そろそろ寝ないと明日に響くね」と言いつつ私をひざから降ろそうとした。
「……ユリウス。しよ?」
「ん? 何を?」
「初夜、しよ?」
ドガッと赤面したユリウスは、あわあわしていた。でもこういう機会を逃したら年単位で何もない夫婦になりそうだと思う。
――翌日、私もユリウスも初めて「私的な理由で仕事をドタキャン」することになった。




