結婚後の日常 sideユリウス
六月一日になり、私とキキは紫紺のマザーへ入籍の登録をした。
それは本当に紫紺の高位階級、そしてギフト持ちの中枢議員としてはあり得ないほどの「ひっそり婚」だ。
キキは薄紫のドレスも純白のドレスも着なかったけど、その笑顔は晴れた青空のように美しかった。もちろん私が盛大に惚れ直したのは言うまでもない。
いわゆる紫紺の高位階級らしい結婚式をしないことについては、私がかねてからキキに宣言していた通りに反対意見を抑え込んだよ。キキはずっとそれを気にしていたけど、ランベルトに「そんなの気にすることありませんって」と説明されて納得してた。つらいよ、夫よりランベルトという友人のほうが信用があるんだね。
まあキキもやっぱりドレスを着て見世物のようにならずに済んだのはホッとしていたし、シュピールツォイクで民衆に向けた「おかげさまで入籍できました、ありがとう」の映像だけはがんばってくれていた。
それに対する民衆の反応は……ロミーが各部の調整で嬉しい悲鳴を上げるほどの経済波及効果があったと聞く。ファルケンハイン家にもひっきりなしに下級貴族がやってきた。「ユリウス様がキキ嬢を大切に想う気持ちに感動しました」とばかりの連絡や贈り物が届くんだよね。これは申し訳ないけど母様や執事に対応をお任せしたよ。
まあ……喜んでくれて何よりです、としか言えないね。長様には「お前の議員としての地盤は盤石だな。すべての部族の民に幅広く支持者がいる議員なんて聞いたことないぞ。このまま行けば、次期の長は満場一致でお前になるだろうよ」とか言われるし、エルンストさんが真っ青になってシンクタンクへ指示を出してた。苦労をかけてごめんね、エルンストさん。
その他は婚約した直後のように金糸雀の里へ行ったり、猫の庭で軽く食事会という名のお祝いをしてもらったりというのはあったけど、すっかり慣れたキキは屈託ない笑顔でお礼を言っていたね。
――で、めでたくキキはファルケンハイン家へ引っ越してきたわけだけど。
「キキ、次のお休みはいつかしら? 中央広場の近くにおいしいケーキを出す喫茶店ができてたのよ、一緒に行かない?」
「え、えっと、休みは……特にないから、その、ユーリの都合に合わせる……」
「あら、本当? 嬉しいわぁ! あなた、蘇芳の財務監査調査書って明日には終わるわよね? じゃあ決まり! 三人であさって行きましょう」
……母様、すっごくナチュラルに私をのけ者にしてますね。そのケーキ屋さんなら私も知ってますよ、ふわっふわの紅茶シフォンケーキが絶品ですよね。
それに父様、その財務監査調査書ってあと四日はかかると言ってませんでしたか? 何をチラチラこっち見てるんですか、エルンストさんは貸しませんけど?
「キキ~、ユリウスが怖い顔をして私をにらむんだ……ちょっとばかりエルンストくんの使ってる『相互セカンドオピニオン端末』とやらに調査書をインプットしてもらえればいいだけなのに……そしたら一緒にケーキ屋へ行けるんだがなぁ」
「父様、母様……キキたちに決まった休日なんてないです、デミの悪党がそんなの忖度して悪事を働くわけがないでしょう。キキが断れないのをいいことに振り回さないでくださいよ、いい加減にしてください。キキとシフォンケーキを食べに行くのは私だけです」
仕事しろ、レオンハルト・ファルケンハイン・紫紺。
私とはまったく畑違いの部署に所属しているくせに、エルンストさんの仕事効率がバカみたいに上がったのを察知してどんどん調査書を押し付けてくるんだから。
ランベルトさんが発注した「水晶製の幻獣像」は無事に完成し、それを削り出した残りが巨大な魔石となってヘルゲの元へと渡った。それが彼ご自慢のすっごい新端末のコアとなったため、今まで使っていた「相互セカンドオピニオン端末・ミッタークとナハト」はエルンストさん率いるシンクタンクに下げ渡されたんだ。
いやぁ……あれすっごい。
「昼」という意味のミッタークは「ほどほどに明るい展望で、一般的に妥当と見られる予測」をするし、「夜」という意味のナハトは「イヤになるほど暗くて最悪の事態を予測」する。
これを軍部の仕事に対して使うときは、大抵がナハトの意見を基軸にして作戦構築していたらしい。まあ人の生死にかかわることであれば、最悪を想定すべきだからね。
しかしシンクタンクではそこまで深刻な予測が必要なことは少ないため、ミッタークの予測でほぼ事足りるのだそうだ。それでもたまにナハトの予測通りのことが起こるケースもあって、それをなんとなく警戒しているだけで事故を未然に防げるんだからすごい。
どちらにせよ、あの端末の演算速度は信じられないほど高速だ。
それでもヘルゲ自身の魔法演算速度の八割くらいしか出ないと言って、彼は「まあまあの性能といったものだが、いいのか?」などと言いやがってましたけど。
アロイスは「変態魔法使いの感覚でものを言わないんだよヘルゲ」とか笑ってましたよ?
てことは白縹の中でもヘルゲはおかしい演算速度ってことじゃないですか、紫紺や瑠璃にしてみたら認識もできないほどの速さってことなんですけど?
……ふぅ。キキが娘になってくれたと浮かれっぱなしの両親を押さえるのが大変すぎて、思い出の中のヘルゲにまでイラつきが飛び火してしまったよ。
さて、キキをデミの工房へ送ったら、私もさっさと中枢会議所へ行かないと。今日もギフト持ちの有象無象がひしめく伏魔殿でお仕事だ。
「キキ、おいで。ケーキ屋さんにはキキが行きたいときに私を誘ってね。父様は自力でお仕事を終わらせてから母様とデートに行けばいいと思います。では行ってきますね」
「「えぇっ!? ずるい、ユリウス!」」
「いい加減にしてください……! おいしいケーキを食べに行くのに私をのけ者にした時点でアウトです!!」
「「……あ、そっちなの……?」」
なんで呆れた顔になってんですか。私からおいしいものを取り上げた上にキキまで独占されたら、どういうことになるかくらい親なんだからわかるでしょうに!!
*****
ぷりぷりと怒りながら工房に入ると、ようやく起きたらしいジンとギィがぼっさぼさの髪で寝間着のまま二階から降りてくる。彼らは夜中にデミを見回るから、朝は遅いんだよね。
「……ふぁあ……ん? おう、キキ。今日の朝メシ、なんだ?」
「料理人さんがサンドイッチ持たせてくれた。卵とハーブチキンのサンドと、ローストビーフのサンド」
「ろーすとびーふってお前……すげぇな、金持ちの紫紺ってのは朝からゴチソウかよ」
「いまお茶淹れるから。顔、洗って来て」
「おー」
そっかぁ、ギィたちの感覚だと家で料理人を抱えてるってのも「金持ちの紫紺」ということになるんだね。私は幼い頃から家にシェフがいるのは当たり前だったしな……
この工房でキキたち三人が暮らし始めた頃の料理担当は、持ち回りで当番制だったんだそうだ。でもそのうちジンとギィが夜に見回りをしてデミの子供を助けに行く回数が増えて、キキがハウスキーピングを担当すると言い出したらしい。
まあキキはとっさに体術で迎撃なんてできないので(魔法を的確に当てられれば最強はキキだけど、デミもそんなに甘くない)、当然といえば当然の役回りだと彼女は言っていた。今でも工房で仕事をしているキキが昼食と夕食は作っている。
でもほら、せっかく私と結婚したんだからと思ってね。
朝食だけはこちらで用意するからと提案して、私もここで食べてから中枢会議所へ行くようになったんだ。そうすれば私にも、彼ら三人が見る「デミの普通」とかが理解できるんじゃないかなっていう下心があってのことなんだけどね。
ところがこれがまたショックの連続。
キキはいつもジンとギィの体調を方陣でチェックするんだけど、先日は破傷風の菌を取り除いたとか言ってたし、今日は毒の話になっていた。
「……ジン、腕にケガしてるね。なにこれ、毒物?」
「ああ、痺れ薬っぽいのをナイフに塗ったものを投げてきてな。かすったが、痺れる前にぶっ飛ばしたから問題なかった。いまは少しかすった部分の感覚が鈍い。こんな粗悪品の薬で何がしたかったのかわかんねぇな、アタマの悪いクズはしょうもない」
「そっか」
え、「そっか」で済ます問題なの、それ? キキったら平然と治癒魔法かけて「ん、治った」とか言ってるけど、みんなどうして平気な顔してるの??
私が目を丸くしていると、ギィがケラケラと笑う。
「こんくらいでビックリしてんじゃねぇよユリウス。相手は貧乏人のクズだったからな、タンラン製の強力な痺れ薬なんざ買えやしねえって。二度と投擲武器なんてイイものを使えなくなるように、両手ツブしてきたから安心しな」
「……えーと、なるほど? ある程度そのクズさんの経済状況まで把握してるから、平気ってこと、なのかな?」
「クズさんて誰だ、アホか。勘だよ、勘。すかんぴんなのか、小金持ちなのか、それともマフィアお抱えなのか。その辺をすぐ判断できなきゃ、財布を狙うガキなんてすぐ殺されるだろうがよ。匂いを嗅ぎ分けるだけだ」
「へぇぇ……」
ギィによれば、子供たちが狙うのは「小金持ち」なのだそうだ。
小銭が入った「見せ財布」を盗まれただけなら、悪態をつくだけで追ってこない。
もちろんまったくお金を持っていないようなら狙う財布自体がなくて徒労に終わるし、バカを見る。
そして一番狙ってはいけないのは、マフィアお抱えのやつらだね。グラオみたいな精鋭から見れば三流の殺し屋であっても、子供では絶対に敵わない。必ず報復されるし、ずっと追われるようになってしまう。
――こんなふうに、毎朝私は彼らから「デミの普通」を聞いては情報を仕入れるようになっていった。




