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Transparent - 無垢の色 -  作者: 赤月はる
第四章 ZERO RANGE
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婚約 sideキキ

  






ユリウスの「工房出入り禁止」が、解かれた。

ギィが「もう大丈夫だろ」と言うとヨアキムは「ギィも苦労性ですねえ」と笑う。

わかっていたつもりだったけど、ギィはデミの伝手や数少ない『外』の知り合いを通じて、噂による状況を見極めながら私を守ろうとしていたらしい。


そんな中で私が自発的に動き出したのを聞いて、ジンと二人で見守ってくれていた。

……ほんとに、私は二人の兄がいないと「キキ」でいられないなと思う。


ヨアキムから連絡を受けたユリウスは、数か月ぶりに工房へやってきていた。そしてソファのいつもの席で「はあぁぁ、やっぱここが落ち着く……」と溶けたアイスみたいになっている。


「ユリウス、氷雪じゃなくって雪解け水になっちゃってるよ?」


「いやぁ、だって……ねえ? ほんっとここに来られないのキツかったぁ」


はふぅと息を吐いて力を抜いているユリウスは、精密にスキャンしてもどこも緊張していない。ふふっと笑いながらそんな彼を見ていると、久々の対局で負けてしまったギィがぶーたれながらユリウスに言った。


「これに懲りたら、もうキキのバカっぷりに拍車かけるようなことすんなよ」


「あはは、ギィってばそんな心にもないこと言っちゃって」


「うっせぇ! てめ、次は最短手で負かしてやろうか」


「やだよ、僅差で勝った余韻のままにキキとお茶を飲める幸せを逃すもんか」


ぐいっと私の頭を抱きかかえるように引き寄せられて、顔に熱が集まる。みんなの前でこんな風にいちゃいちゃされると、ちょっと困るんだけどな……


「ユリウス、それでこれからどうするんです?」


「ああ、それも今日話したいなって思って来たんだ。でもまだ本人に肝心なことを言ってないんだよねー」


「あなたらしくないですねえユリウス。こういうことは疾風迅雷、電光石火の人たらしだと思っていましたが」


「あ、熟語がかっこいいのに人たらしってひどいよヨアキム……」


「……ねえ、二人とも何の話してるの?」


私が質問すると、ちょっと困った顔をしたユリウスが「四人に相談があるんだよ」と言った。私たちがユリウスに相談にのってもらうことはあっても、逆は珍しい。ヨアキムとはいろいろ話し合うみたいだけど、どうしたのかな。


「えっとさ、この一連の騒動の収束を計ろうと思うんだ。でもこれには主に二つの方法があってね」


ヨアキムは「あー」と小さく相槌。私たち三人は「??」と首を傾げた。


「一つはこのまま、なんとなく私とキキはちゃんと付き合ってますよ、仲もいいですよという状態でなし崩しにするパターン。この場合、まだしばらくキキの周囲の警戒は緩められない。しかも『もう大丈夫かな』と思った頃合いで、潜伏していた面倒なキキ目当ての男だの、私へのハニートラップがかけられる可能性もある」


「……騒動って、お前が意図的に起こしたんじゃねえかよ」


「だからこその後始末でしょ。で、もう一つは私とキキが婚約したと大々的に発表してしまうパターン」


「え!?」


こ、婚約?? したっけ? いや、その、こ、恋人になれたとは思っているけど、どこでそういう話になったっけ……?


あれからペティとユリウスに、噂のことや恋歌がユリウスの仕掛けた壮大な計略だったというのは私も聞いていた。私一人のためにそこまでやったユリウスに驚いたけれど、おかげで私はたくさんの宝物が手に入ったから、文句なんてなかった。


でも婚約、したっけ?と思って首を傾げた私を見て、ユリウスが苦笑した。


「あは、ごめんねキキ。ちゃんとプロポーズしてからこういう話をしたかったけど、逆にこういう計略じみた話に利用するために求婚しただなんて思われるのが嫌だったんだ。まあ発表するなら同じことだろうって思うかもしれないけど。でも、ちゃんと君の家族の前で、こういう考えだってことを詳らかにしておきたかった」


「あ……なるほど、そっか」


「ていうか、これでキキが婚約を承諾してくれたらラッキーとも思ってるけどねー」


少しおどけたユリウスを見て、「あ、ほんとは緊張してるなあ」って感じた。スキャンしなくてもわかるようになってきたな、私。


もしかしたら「外」の女の子はこういう扱いをされたら怒るものなのかもしれない。でも私にはユリウスがこうするしかなかったというのが、もうわかってる。だから笑って、答えた。


「ふふ、ユリウスと婚約しても、いいよ?」


「ほんと!?」


「うん、その方が事態が収束するんでしょ?」


「あの、大前提として、キキが好きで結婚したいってのはわかってくれてる? ほんとに結婚してくれる気、ある?」


私がすんなり受け入れたことに驚いたユリウスは、逆に動揺してしまっていてかわいい。吹き出しそうになるのをこらえてジンとギィを見たら、目線で『やっちまえ』と言ってるのがわかった。


「――それはどうしよっかな? 作戦として婚約が必要なんだし、その時になってみないと……」


「えーっ! まだキキには何かひっかかるとこがあるの!? 何? もう思いつかないっ! デミの悪党を一掃して平和にしなきゃダメ!?」


あまりにスケールの大きい「障害物」を想定したユリウスに、私たちは耐えきれずにぷは!と吹きだした。ジンはぶるぶる震えながら笑って「……何十年計画だ……」とか言うし、ギィは「キキ、頷いたらここら一帯が平和になるってよ!」とゲハゲハ笑うし、ヨアキムは「ユリウス、キキが関わるとおバカになるのは変わりませんねえ」と苦笑い。


私は笑いながらも、情けない顔をしているユリウスが可哀相になった。


「ごめんねユリウス、うそだよ。結婚、してもいいよ」


「ほんと……?」


「ん、ほんと」


「来年、成人したらすぐに結婚してくれる?」


「いいよ」


「どこに住みたい? デミ? それとも他の区?」


「えっと……たぶんユリウスの家に行った方が警護とか中枢での対処が楽なんじゃないの?」


「そ、そりゃそうだけど、いいの?」


「私はいいよ」


ユリウスはふるふるしながら「やったぁ……ありがと、キキ」と私を抱き締めた。


ヨアキムはふぅ、とため息をつきながらユリウスを見て、精一杯の威厳を出しながら言った。


「ユリウス、毎日キキはこちらへ通わせてくださいよ? キキの治癒師の腕はデミに必要ですし、なにより……なにより、工房に潤いがなくなる……はあぁぁ」


うん、威厳を出すの、失敗だね、お義父さん?


私は笑って「すぐじゃないよヨアキム。それに寝る場所が変わるだけでしょ」と言った。するとヨアキムは「違いますよキキ。寝る場所じゃありません、『帰る場所』が変わるんです」と淋しそうに呟く。


だからちょっと胸がきゅっとなって、ヨアキムの隣へ座った。そしてぺっとりしてから小さな声で「大丈夫、ここに私の家族がいるのは変わらない。ね、お義父さん?」と囁いた。途端にヨアキムはぽろぽろと泣き出し、どんなに慰めても謝っても涙が止まらなくなってしまった。





*****





翌週、私はものすごく緊張してファルケンハイン家にいた。


ユーリがうきうきして「大丈夫よお、綺麗だわキキ!」と私に「紫紺のお嬢様みたいな仮装」をさせている。


今日はマダム・ヴァイオレットの家……じゃなくて、紫紺の長の家へ婚約の報告をしに行く。これがいわゆる「貴族的な慣習」の中でどうしても外せないことであるらしく、婚約の報告と結婚式を長立会いの下で行わなければならないのだそうだ。


でもよくよく話を聞いたら「ギフト持ちの中でも高位と認められている人の立ち会いなら誰でもいい」らしい。じゃああんな恐ろしい虎に立ち会ってもらわなくても!と思ってユリウスに聞いたけど「ごめんね、私の場合は長様に気に入られちゃってるから、長様以外ありえないんだよ」と申し訳なさそうに言われてしまった。


なので、ちょっと膝が笑っちゃうけどがまん。

パトリックに対峙した時に比べれば、つっこまれる心配も殴られる心配もないんだから、がまん、です。


そうしてカチコチになりながら長の家へ着くと、マダム・ヴァイオレットが満面の笑顔で出迎えてくれた。


「まあキキさん! 今日もとっても素敵なドレスだわ、あなたは何色でも似合いますわね。ユリウス様、ようこそおいでくださいました」


「本日は私事でお時間をいただき、ありがとうございます」


ユリウスが滑らかに挨拶をすると、優雅にマダムは応接へと私たちを案内した。そこには……虎の気配がほんの少しだけ滲んでいる紫紺の長がいた。


「お、来たかユリウスにキキ嬢。まあ座れ」


「失礼します」


「だっはー、意外と短い期間だったなあ? いやいや面白いものを『見させてもらった』、いいショーだったぞユリウス」


豪快に笑う長はまたしても虎みたいな脳波を出し、私はぷるっと震えた。でも隣にユリウスがいるから大丈夫!と我慢していたら、思いもしないことが起こった。


あのすべてが優雅さで出来ているようなマダムの手から、鋭い攻撃が長の喉元へ繰り出されたからだ。正確には、マダムの持っている優美な扇子の先が喉仏へ寸止めで突きつけられたっていうか……


「あなた、興が乗るとギフトを垂れ流す癖は押さえられませんの? 美しい女性の血の気が引くのを見るのはもうたくさんと申し上げましたでしょ?」


「おー、すまん。ヴィー、頼むから扇子をどけてくれ~」


「キキさんへのお詫びが先でございます」


「キキ嬢、すまんなあ。どうも俺はユリウスが昔っから面白くて仕方なくてな。俺のギフトは恐ろしかったか」


私は呆気にとられつつ「す、少しだけです、大丈夫です」となんとか答えた。

でもそれよりマダムの尻に敷かれている長を見て、まるで優秀な調教師にムチをパシンと鳴らされたサーカスの猛獣が伏せをしたように思えてしまって。


今度は笑いをこらえている私に気付いたユリウスが、楽しそうに「キキ、笑ってもいいところだと思うよ」と腕をつついた。それで私が思わずクスクス笑うと、長もマダムもホッとしたように微笑んだ。


「ふふ、家では紫紺の長ではなくて、ただのギフトを押さえるのがヘタなヒロですわよ。ねえ、あなた?」


「あー、そういうことだな。まあ仲良くやれ、二人とも。結婚は来年と言っていたか」


「ええ、キキが成人したらすぐに」


「はっは、惚れこんだもんだな! いいことだ、ギフト持ちにはそういう伴侶が必要だからな」


長の言葉に、ちょっとだけ違和感があった。だって紫紺の高位階級はお見合いが普通だと聞いていたから。すると長は私のそんな疑問を『見て』察したらしく、少しだけ辛そうな顔をして言った。


「――ギフトが強力に発現する者は、大抵何かしら人間不信の芽を抱えている。微弱な力なら、ただの『いい人』で済む。だが俺やユリウスのように強力なギフトはな、ある意味で自分自身への呪いと引き換えの力なんだよ。そこを乗り超えた時に、一人の異性に惚れこむことができるほどのエネルギーがあるかどうか。それこそ『神のみぞ知る』なんだ」


私、この前ほんの少しだけユーリに聞いてはいたけれど。

ユリウスも子供の頃に辛い経験をした。だったらこの人もそうだったのかなあと思い至って、ようやく「虎への警戒心」を無くすことができそうだった。長もマダムと出会うまでは、たくさんの人に囲まれていても孤独だったのかもしれない。


「……マダムと出会えて、よかったですね……」


「まあな。ヴィーがいなきゃ俺はただのフラフラした議員崩れだったろうよ!」


また豪快に笑う長の顔を見て、私も自然に笑えた。

それは「人がルールを守って生きるこの世界では、過ぎた警戒心は必要ない時もある」と教えてくれた友人たちのおかげでもあった。





  

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