ペトロネラ sideキキ
明日はユリウスに会いに行く日。ジンもギィも「ユリウスに来させればいいじゃんか」とヨアキムのように言っていたけど、待ってほしい理由を説明したら納得してくれた。
そしてジンは信じられないという風に、私が感じた「味方になってくれる人たちのあたたかさ」の話を聞いている。
「……俺たちは、もうあの青い池のそばに来ていると思うか」
「私はそう思ったよ、ジン。デミは相変わらずケダモノだらけなんだけど、酷い目に遭う子供が絶えないんだけど、それでも私たち、たくさん味方がいるって思った」
「――ふん、油断大敵ってな。俺たちは半獣だってのを忘れちゃいけねえよ。気を抜いてケダモノと大差ない考え方を一瞬でもしちまったら……真っ逆さまだぜ?」
「ん、わかってるよ、ギィ。せっかく得られた信用を失うようなこと、しちゃだめってことだよね。今日ペトロネラに会えると思うから、きちんとお礼言ってくる」
「そうしな」
ギィはニッと笑い、ジンは私と一緒に納品に行くからと支度し始めた。
最近バラ売りの幻獣駒が妙に売れていて、少しだけ納品が追いついていないの。なぜかヨアキムが苦笑いしていたんだけど、男の子向けおもちゃの売り場で「マナ・ジオラマ」という箱庭が売り出され、それがバカ売れしている影響らしい。
その木箱には魔石が一つ設置してあって、いくつものミニチュアデータが入っている。それを駆使して箱の中にオリジナルの「小世界」を作り出し、その出来を見せ合うマニアみたいな人たちが急増しているんだとか。
そしてその箱庭にぴったりの大きさなのが幻獣駒。まるで幻想的な箱庭の中で幻獣たちが神話を紡いでいるかのように小世界を構築した「見本」が二階のショーケースで話題になり、チェス駒としてではなく箱庭の住人としてバラ売りの駒が売れているというわけ。
まあ売れてくれる分にはありがたいけど、よくそんな使い道があったものよね。紫紺の富豪の間でも人気が高まり、そのマナ・ジオラマは様々なサイズが売りに出されているらしい。中には部屋一つをすべてジオラマにしてしまった富豪がいるみたいで、ケヴィンは「金持ちの道楽ってのは果てがないな」と笑っていた。
シュピールツォイクで納品をしていたら、アイラが来てくれた。笑って手を振ると嬉しそうに「ハーイ!」と近寄ってきて、ジンに「キキ借りてもいーい? ペティとお茶するの!」と声をかける。
「ああ、わかった。いつもすまんな、ありがとう」
「あら、お兄さんにまでお礼言われちゃったわ。いいのよ私たちが勝手にやってるんだから! ジンも今度一緒にお茶しよーね!」
「ああ」
ジンが珍しく笑って女の子の相手をしているのを見て、周囲にいた女性が目を丸くしてから頬を染めていた。そうか、傍から見ると一目瞭然なんだ……ジンにもギィにもファンがいるってことなのかな。後でアイラに聞いてみよう。
いつもの喫茶店へ入ると、そこのマスターが「いらっしゃい、アイラ、キキ」と声をかけてくれた。最近何度もここで話をしているから、すっかり覚えられていたみたい。おずおずと「こんにちは」と返すと、「今日も紅茶でいいかい?」とマスターは笑った。
頷いて窓際の席へ行くと、ペトロネラが待っていた。
「こんにちは、キキちゃん! アイラとレオナから聞いて、嬉しくって早く来ちゃったのよ」
「こんにちは、ペトロネラ……さん。あの、私……」
ペトロネラはチッチッと人差し指を振り、レオナみたいに少し拗ねた顔で私の言葉を遮った。
「レオナとアイラはお友達に昇格したのでしょ? 私も仲間に入れてほしいわ! 私のことはペティって呼んでちょうだい?」
「あ、あは……うん、わかった。私も、キキで。ペティ、たくさん守ってくれて、ありがとう。どうしてもお礼を言いたくて」
「ふふ、レオナもアイラも『私たちが勝手にやってることよ』って言わなかった? いいのよ、私は過去の自分の不甲斐なさを、エゴ丸出しでおバカさんたちに八つ当たりしているだけなのだから」
「八つ当たり?」
「そうよ、私はあなたと同じくらいの娘だった頃に恋人がいてね。紫紺の一般人だったから結婚もできず、彼を酷い目に遭わせてしまったの。それに彼と別れた後、あなたと同じように勘違いして近寄ってきた男がいてね。そういう勘違い男は許せないから八つ当たり。そして別れた彼への罪滅ぼしってとこかしらね」
「……ペティ。もしその人と結ばれていたら、あなたは幸せになれた……?」
身分違いの恋をしただけで、相手に不幸を呼んでしまったペティ。私がそうならないなんて、言える? ううん、そんな未来のことはわからないってランベルトは言った。
それでも……ユリウスに私が不幸を呼びこまないとは限らないと考えてしまうと、思わずペティへ縋るように質問してしまった。
「どうかしらねえ……冷静に考えたら、彼を私が幸せにできたかどうかはわからないわ。私は幸せな気持ちになれたかもしれないけれどね。だって私ったら、彼に何が起こるかの予測もつかない世間知らずだったんですもの。でもあなたは幸運ね、キキ。ユリウス様は賢くて、あなたを守る力をお持ちだわ。身分違いが不幸を呼ぶのではないの。愚かさが不幸を呼ぶのよ」
ガン!と頭を叩かれたような衝撃だった。
――問題は身分でも、住んでる世界でもない。愚かさが不幸を招く。
デミのケダモノは愚かで、腐臭を撒き散らす。
でもオピオンの子たちが少しずつ光を灯すと、少しだけその腐臭は消えていく。
ランベルトは決して愚かではなかった。でもクレメンティーネという腐臭を放つ愚かな者を防ぎきれず、それをとても後悔していた。その、0と1との間のバランスを取り損ねたら、誰にでも不幸は降り注ぐ。
でも同じくらい……生きていたら幸せも降り注ぐんだ。
ランベルトのように。
私のように。
黙っている私を「ん?」と柔らかい表情で見つめ返す女性。「八つ当たりよ」なんて言っているけれど、きっととても賢い女性。私はペティの賢さに、きっと救われたんだ。
「ペティ、もう一度言わせて。ありがとう、守ってくれて。それと、私は勘違いしている人がまだいるのなら、自分で『迷惑です』って言いたい。きちんと話して、私が好きなただ一人はユリウスなのって、言いたいから。それで何か不幸が降りかかったとしても、それでもユリウスが、好きなの」
しっかりとペティの目を見て伝えると、彼女は嬉しそうに笑った。
「ふふ、恋する女の子は無敵ね。いいでしょう、その強い気持ちでおバカさんの目を覚ましてやりなさい! 私が盾になってあげるから、言葉の槍で急所を突いてやるといいわ」
「えぇ? そこまで致命傷を与えちゃまずいんじゃない?」
「アイラ、いま私が誰の相手をしてると思うの? ナンバーワン勘違い王、パトリックよ」
「あっ! あいつかぁぁぁ! メンドクサー!」
「そ、そんなに? 私、あんまり話すのうまくないんだけど」
「あー、キキ本人に言われないとわかんないと思うから、それだけでもいいと思うけどね。まあペティがついていれば大丈夫だよ!」
「ふふ、そういうこと。私だけではパトリックを再起不能にまで追い込まないと諦めてくれなさそうだったから、キキが来てくれるなら逆に優しく諭してあげられるわ」
「さ、再起不の……え? え?」
私はペティとアイラの可愛らしい笑顔で寒気を覚えるという、初めての経験を、しました。




