Fool's mate sideユリウス
キキと会うのを我慢し始めてみると、私は自分がかなりせっかちで忍耐のない人間なのだということがわかってきた。秘書のエルンストさんなどは「ツンドラ地帯にブリザード、多少穏やかな日でもダイヤモンドダストです」と私を評するようになった。
実際、中枢会議所での私は情け容赦なくなっているなと思う。「政敵」などと言えば聞こえはいいが、ギフトという部族特性を持つ者の集団である中枢内部でそれは「馬の合わない者」と同義だ。要するにギフト持ち同士の流儀によるケンカが絶えない、幼稚な集団とも言えると思うね。
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クランのみんなに協力してもらった「民衆への娯楽」は、順調にその規模を大きくしている。世論の半分は既に味方に付けたも同然だけど、問題は残り半分だ。情勢を見て「懐柔」と「力任せ」のどちらで行くかを見極めなくてはいけない。
――ああ、半分というのは主に女性と男性に分かれるんだよ。セリナたちによって広められた「恋歌」に共感し、我が事のように入れ込むことのできる女性たちは既に相当数が潜在的な味方と言える。
けれど男性はそうもいかない。
頭の固い年齢になればなるほど、デミの悪党がやっかいなことを身に染みて知っている。大切な者を傷つけられた記憶を絶対に忘れないし、自分が家族を守るのだという意識が強ければ強いほどデミの人間への警戒心は高まる。
まあ若い世代に関しては力押し一択なんだけどね。経験的なところからの先入観がないのはいいが、問題はキキの容姿が美しいという一点に集約される。身分違いの恋で苦しんでいる美少女だなんて、勘違いしやすい青少年には「俺が救ってみせる」と思わせる要素ばかりの極上グルメだ。
これに関してはペトロネラ夫人が引き受けて下さった。夫人は私の父の幼馴染で、由緒あるアウエンミュラー家の出身だ。ちなみに夫人の息子さん兄弟は私の派閥だね。
夫人は小さな頃から私を可愛がってくださっていたので、幼少時の軟禁生活のことも知っている。そしてここ数年ではぬいぐるみ店の常連仲間でもあるので、夫人へ大型コリー犬のカスタマイズ型ポムをプレゼントした時には頬へキスされてしまうほど感激されたっけな。
まあそんな経緯で、私からも蘇芳の護衛を雇って夫人へ同行させつつ「害虫駆除」をしていただいている。夫人もお若い頃に身分違いと両親に反対され、紫紺一般人の男性と引き裂かれた過去がある。その男性は権力と金の力に翻弄されて、彼女の必死な庇い立てにもかかわらず、中央の街から去って行かざるを得なくなった。
だから私が事の経緯を最初から説明した時、その方のことを思い出したのだろう。ひとしきり涙を流した後、「任せなさい」と言ってくださった。ああ、夫人は貞淑な方だよ? 嫁いだ先のロルバッハ家では夫を支えて息子を二人もうけ、御主人が亡くなられるその時まで仲睦まじかった。そしてその悲恋のことなど家庭では億尾にも出さなかったという。
私がそれを知っているのは、もちろん幼馴染だった父に聞いていたからだ。
「ペティおば様ならわかっていただけるのでは、という下心を持って相談しにきました」と正直に言うと、少し笑って「それでこそ中枢議員というものです。それを聞いて私が怒るとでも思った?」と拗ねた表情になった。
そんな訳で夫人はもう何人もの「勘違い」を諭し、その青年の周辺を調べては「彼に合う女性」をさりげなく引きあわせたりしていた。まったくすごい手腕だけれど、紫紺の高位階級のお見合いを多数セッティングしているのだから大した手間でもないわと笑っている。
そして残ったのは「頭の固い世代の男性」だ。
これに貢献してくれたのは、なんとレティシアだった。
アロイスの娘レティは、その魔法特性を生かす道を模索するためセリナから剣舞を教わっている。まだ七歳だけれど、この一年で相当練習して形になってきているわとセリナも満足気だ。そして例の「恋歌」の内容が私のこととは知らないレティだったけれど、セリナの舞いは剣舞でなくても全てを吸収しようとしていたらしい。
更に彼女は金属や合金のことを中央の職人街にある鍛冶屋でも勉強している。胴間声で職人気質が息をしているような親方は、このかわいらしい弟子にかなり弱い。でも彼女が今習ってる恋歌の振り付けを見せてあげた時、その技術は褒めたけど歌の内容には辛辣な態度だった。
親方は恋歌なんてどうでもいいし、相手がデミの女性と聞いて「けっ、デミのやつなんてロクなのがいねえ!」と親方は吐き捨てるように言ったようだ。でもレティはキキたち三人のことをヨアキムから聞いて知っている。なので親方へ「真面目に仕事してる人もいるのよぉ? 親方と同じ職人さんなの。私、親方と同じお仕事してる人は嫌いになれないわ」と言った。
結果、親方はその相手の女性がキキであるらしいと風の噂に聞き、考えを改めた。職人街のまとめ役でもある親方がそういう考えである以上、中央の街の南区ではデミの近所であるにもかかわらず「そいつを見て判断すっか……」という雰囲気になったようだ。
最近、その影響なのか職人街でデミの子供を弟子として雇う人がちらほら出てきているという話もある。まったくレティには頭が上がらないよ。お礼に鍛冶関係の書物データと中央のパティスリーで買ったチョコレートをプレゼントしたらキョトンとされたけどね。
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そんな街中での「娯楽の大渦」は順調にその勢いを増している。そうなると小うるさくなるのは私の周囲。つまり、私の政敵が涎を垂らしてウロつくわけだね。それに関しては、アロイスじゃないけど「凍らせまくった」とだけ言っておくよ。
ただ、それだけで済ませる訳にいかない敵も存在する。何度言っても理解できない愚かな男、オイゲンだ。彼はペトロネラ夫人が言うところの「勘違いさん系」だ。美しい女性に目が無くて、水商売をしている女性を好むところがある。彼は彼女らの薄幸さを聞くと「自分が救ってやらねば」と正義感を燃やしてしまうんだ。
まあ本当に薄幸で気の毒な方もいるのだろうけれども、中枢議員がクラブの女性を本気で嫁に取るなどという甘い夢を持つ者もそうそういない。なので彼女たちはオイゲンの同情を買って、店へどれだけ金を落としてもらえるかとしか思っていないんだよね。彼女たちは現実主義者なんだよオイゲン。その辺がわからずに胡蝶の夢から醒めないから君はバカなんだ。
あの長様のパーティーでは、キキに粉をかけたオイゲンをアルノルトが追い払ってくれた。オイゲンは「魔法部の研究バカごときが大きな顔を!」とプリプリしながら帰り、クランの者にキキの素性を調べさせていた。
え? もちろんそんなの私には筒抜けだよ。
ヘルゲの傍受スライムの活躍もあるけれど、オイゲンごときのクランなどとっくの昔にエルンストさんが丸裸にしている。
そして彼女がデミ出身の孤児で、私とはギィというチェスチャンピオンを通して接点があると気づいた瞬間、オイゲンの「勘違い」は見事に燃え上がった。要するに「ユリウスめ、彼女へいらぬ心労をかけるやり方をするなど! 私ならば彼女をいったん紫紺名家の養女にし、身分を釣り合わせた上で自信を持たせることができるのに!」と思ったわけだね。
いやあ、本当にバッカだねー、オイゲン。
そんなことキキは微塵も望んでないし迷惑千万な話だよ。
それで彼を潰すのに一枚噛ませろと言っていたアルノルトへ頼んで、オイゲンに軽い狂幻覚をかけてもらうことにしました。
内容は「本当にそれをキキにした場合、どうなるでしょう物語」。フィーネとアルノルトが総力を挙げて作り上げた架空の物語では、どのルートでオイゲンがキキに接近しようとも「キキに手ひどくフラれ」、「キキを守るジンとギィによって酷い目に遭い」、「長様の不興を買って議員失脚後は語り草になるほどのお家没落」への道をひた走る。
ちなみにその物語の題名はアルノルトが付けたんだからね? 私じゃないよ?
まあそれを毎晩のようにバリエーション豊かな悪夢としてオイゲンへプレゼントしてあげると、さすがの彼も目の下にクマができるほど憔悴し始めた。トドメに長様から「オイゲン議員、キキ嬢は俺の都合で招待した腕の良い職人なのだがな。俺へ何の挨拶もなく声を掛けて怯えさせたそうだな?」と渋い顔で釘を刺していただきましたよ。
その後クサクサしていたオイゲンは鬱憤晴らしにバトー・フルールへ繰り出した。その頃には既にロミーが手配した業者がその船上クラブへセリナの舞いの映像魔石を納品済み。もちろん「旬の噂」についてもたっぷりとクラブの女の子たちへ流してあった。
案の定その噂を聞いたオイゲンはうんざりしながらも「キキ嬢にこれで味方が増えるなら」と思って、彼女のことをクラブでバラしたわけだ。
まあ、その功績は大きいからね。本当に没落までは追い詰めないから安心しなよオイゲン。君は幻の蝶をフラフラと追いかけているのがお似合いだよ、ほぼ最初から私へ何の有効打も打てずに詰んでいるおばかさんなんだから。
Fool's mateは最初の状態から最短の手数で詰んでしまうチェックメイトのことです。
別名Two-Move Checkmate、最短二手目(相手の手数も入れると四手)で詰むので馬鹿メイトとも言われます。




