白百合と桜吹雪
工房に住み始めてから少しして、ヨアキムが連れて来たユリウスという中枢議員。
この人も、相当ヘンテコな人だった。
だってヨアキムみたいに私たちを「宝物」と言ってはばからない。
私は大好きな絵本の挿し絵に彼が似ていると思って、今考えても不思議なくらい最初から彼に懐いた。ユリウスの周囲の空気は、感じたことがないほど気持ち良かったから。
デミではこんなにいい匂いの人はいなかった。
娼婦が服代わりに纏う香水が今までで一番いい匂いだと思ってたけど、その匂いが一気に下品なものへとランクダウンするくらい。
彼は春の夜風に舞い散る桜の花びらのよう。
彼は手の届かない岩場で凛と一輪だけ咲いている白百合のよう。
なんでそんなイメージを持ったのか自分でもよくわからないけれど、私はユリウスという人が纏う空気に、警戒心をすべてはぎ取られたかのようになってしまった。
あの建国祭の後、ギィとジンが言ってたっけ。
「キキ、お前ユリウスがナイフ突き付けてきても喜んで刺されそうじゃんか」
「……デミでは切り替えろよ」
ユリウスはナイフなんて突きつけないよと思ってポカンとしたけど、二人の言いたいことはすぐわかった。警戒心を失くしてはデミで生きていけない。彼らは私がボンヤリとして、デミの暗黒に飲まれないかと心配していた。
でも、それは無用の心配だった。力のない私は彼らよりよほど臆病だったし、ヨアキムとユリウスの前でしかこんな風にならない。でも確かにここまで警戒心がなくなるのは不思議だったので、私は自分がどういう心理状態なのかを真剣に考えた。
「守ってくれる人」が珍しくて、利用価値のある人だと思ってるのかな?
それとも私は面食いで、きれいな顔のユリウスが好きなだけなのかな?
ヨアキムもきれいな顔だから好きなのかな?
ううん、違うと思う。
ヨアキムもユリウスも、不思議な方法で私たちを救ってくれた人だから。
大人に守ってもらうという、初めての経験をくれた二人に、私は懐いた。
たぶん、それが正解。
私は納得できる理由がついたことに安心し、二人の前では警戒心をすっかり失くしたキキになっていった。
*****
初めて建国祭へ行った時にユリウスからもらった髪ゴムは、今でも大事に使ってる。エマに三つ編みを教えてもらって、私の貧相な茶色の髪を片側で軽く編んでから髪ゴムでまとめているの。
いつも使ってるとゴムがへたれてきちゃうから、何度もガラス玉を新しいゴムに通し直して使ってる。それを見るとユリウスは、時折思い出したように私の髪を手で掬って笑いかけた。
「キキ、この髪ゴムずっと使ってくれてるね。嬉しいな、気に入ってるの?」
「うん」
「じゃあさ、キキも今年十五歳でしょ? 大人っぽいものを色々プレゼントしたくなっちゃうな。髪留めとか、どうかな? キキの髪はサラサラできれいだし、きっとシンプルなものが似合うと思うんだ」
「……これがいいの。ユリウスが最初にプレゼントしてくれたものだから」
「うーわー、聞いた? ヨアキム、聞いた!? キキってば、かっわいい! 聞いた!?」
「聞いてますよ、キキが可愛いのは当然でしょう」
「ヨアキムもユリウスも、またヘンになってる。私の髪、別にきれいじゃないよ」
「キキはもっと自分に自信を持っていいと思うよ? サラサラで明るい茶色のきれいな髪だし、アーモンド型の大きな目をしていて。それに私と同じ薄茶色の瞳でお揃いだね」
「目が、ユリウスと同じ色? じゃあ、嬉しい」
「ヨアキムー! 聞いた!?」
「聞いてますよ! ユリウス、少し落ち着いてくださいね」
いつも私は、ヨアキムやユリウスにかわいいと言われる。出会った頃からずっと言われていて、それも私たちがヨアキムとユリウスをヘンテコだと思う一因だった。だって私みたいな発育不全の貧相な子は、どう考えてもかわいくなんてない。
デミできれいとかかわいいって言ってもらえるのは、娼館の妖艶なお姉さんたち。豊かな胸に細い腰、張りのあるお尻を自慢げに見せつけて、艶めいた流し目を向ければ男たちが群がる。
自分がそうなりたいってわけではないけど。それでも十五歳にもなって、胸がぺったんこで薄っぺらい体をした私に自信がないのなんて、当たり前だと思う。
別にジンとギィは私をみっともないなんて思っていないけど、それは「仲間」とか「兄妹」って感覚が強いからだと思う。どういう見た目だって関係なくて、私たちは離れたくない者同士なだけ。三人がお互いに支え合わないと、立っていられなかったから。
ユリウスは工房に来ると、主にギィと真剣なチェスをする。
ギィはシュピールツォイクで開催されるようになったチェストーナメントで優勝するほどの腕前になっていた。ギィに負けることが多くなったユリウスは「とんでもないライバルを育てちゃったな……」と苦笑いしてたっけ。で、対局が終わればギィと感想戦をして唸ってたりする。
そして満足するとソファに座るので、その頃を見計らって私はヨアキムを除いたみんなにお茶を淹れる。ヨアキムは工房ができてかなり経ってから、実は魂だけの死者なんだっていう最大の秘密を私たちに打ち明けている。だからヨアキムは飲食ができない。
本当にびっくりしたけど、それでも「ヨアキムはヨアキムだから、今までと変わりない」とギィが言ったら、彼はとても嬉しそうにしていた。
ソファに座る時の席はいつも決まっていて、私は必ずユリウスの隣に座るの。そうすると、ユリウスの匂いがして安心するから。
でも最近はジンもギィもヨアキムも、私がぺっとりとユリウスにくっついて座るのを見ると渋い顔をするようになった。
「キキ、お前くっつきすぎだ」
「……前からこんなだったじゃない」
「そういう問題じゃねえよ、ホラ、アレだ、慎みってヤツだろ」
「ギィがまともなことを言いましたねえ」
「うっせえよ」
「……私、慎んだ方が、いい?」
「えぇっ、慎み反対! キキはぺっとりが一番可愛いのに! ギィに僅差で負けた悔しい気持ちをキキで癒してるのに!」
「……じゃあ俺が身代わりになるから、キキを放せ」
「私よりゴツいジンにぺっとりされても悔しさが増すだけなんだよね。そして何でここで自己犠牲の癖が出るの? 私ってもしや危険人物扱いなのかな……」
ユリウスは心底困惑した顔で私を見て「ひどいよねえ?」って同意を求めてくる。
だからコクンと頷いて、私は結局ユリウスにぺっとりくっついたままだった。
キキ15歳
ユリウス26歳




