うそだろう?
あまりの失態に、本当にどん底まで気持ちが落ち込んでしまいそうだった。
アルノルトの言う通り、リリーの後悔にまみれた話をじっくり聞くよりも、キキの現状の方を優先すべきだったんだ。
本当に、私は何をやっているんだ。
通信機からは『ユリウス、リリーの突然の謝罪は君が困惑しても仕方なかったさ。リリーも謝りたいという気持ちでいっぱいだったのだろうが、パートナーを待たせているから改めてと言った君の言葉を、訳の分からない彼女の理論で止めるなど……ちょっと考えの浅いお嬢さんだ。もう気にせず、キキのことだけを考えたまえよ』とフィーネの優しい言葉が届く。
そうだな、私がしょぼくれていたらキキが気にする。
嫌な思いをしたのは私ではなくて、彼女なんだから。
キキへ「帰ろうか」と言うと素直に頷き、立ち上がる。
ああ、本当に可哀相なことをした。
もうこの子のことだけを考えよう。
そうだ……まだ時間はあるし、肩の凝らないリストランテへ連れて行ってあげて、美味しいものをたくさん食べてもらって、工房の皆へお土産をたくさん買おう。
そんなことを考えながら迎賓館を後にすると、頭が重かったり、強張っていた首や肩の筋肉がほぐれる暖かい感覚があった。
急速に疲れが無くなっていく、このマナは。
「……キキ、いま治癒魔法かけた?」
「うん」
「もう……疲れてるのはキキでしょ」
ほんとにもう、この子は。
怖い目にあったのに、嫌な目にあったのに、結局人を気遣うんだ。
やっぱり君は天使の娘にふさわしいよ。
なんだか無性にキキを甘やかしたくなってきたな。
「ありがとうね。じゃあさ、食事に行かない?」
「え、さっき食べてたじゃない」
「んー、だってさ、せっかく綺麗にドレスアップしてるのにもったいない。工房へ戻ったら、キキのことだからすぐにお化粧だって落としちゃうんでしょ?」
キキはピタリと立ち止まった。
え?
その顔はどういうこと?
さっきの、マダムに手を引かれていた時みたいな固い表情。
どうしたんだろう、もうパーティーは終わったよ?
迎賓館は出てきたじゃないか。
そう思ってキキを見つめていたら、小さな声で意を決したように話し始めた。
「ねえ……ユリウスは、どうしてそんなに私がかわいいって、思い込ませたいの?」
「思い込ませたいわけじゃないよ。事実なのにそれを頑として認めようとしないキキが心配なんだよ」
「事実なわけ、ないでしょ。それを言うなら私が貧相な容姿だっていうことが事実だよ」
「 !? ひ、貧相? 本気? 本気でキキは自分のこと、そう思ってるの?」
「え? それ以外表現しようがないっていうか……それが現実だから仕方ないっていうか」
「ほ、本気、なんだ……えーと……ねえキキ、ちょっと真剣に話がしたい。私の家へ行こう」
嘘、だろう?
「貧相」って、そんな。
キキが「デミの外では私は目立つ存在ではない」と思っているのは感じていた。でもそれはあくまで「普通だから目立たない」と思い込んでいるのだと考えていたんだ。
デミでは「弱そうだからカモにされやすい」と言っていたけど……キキ自身から、そういえばデミの外での自分はどういう存在だと思っているのかと聞いたことがなかったかもしれない。
まさか「普通の容姿だからその辺の人と変わらない」と思っているのではなく、「貧相でその辺の人にも劣るのだから、男にもてるわけがない」と思っていた……!?
嘘だ、どうやったらそんな判定になるって言うんだ!
私はあまりにもキキと認識の差があることを、ようやく知った。
ハイデマリーはわかってたんだ。
「認識の齟齬の帳尻合わせ」「荒療治」――
愕然とする。
私はこれまで、もしかしたらキキの心を無遠慮に傷つけてきた可能性がある。
知らなかったでは済まされない。
気付かなかったでは済まされない。
私は本当に「幼気な少女を傷つけていた」のか!?
キキのことを、私は知るべきだ。
きちんと知って、今までどれだけ彼女を傷つけていたのかを理解しないと。
くそ、何が「私のキキを汚すな」だ。
あの男どもの無遠慮な視線なんてこの子には届いてもいなかった。
だけど、私が放ったであろう無遠慮な言葉は……
きっと、キキのこころを抉っていたに、違いないんだ。
*****
自分への激烈な怒りも、奈落の底へ堕ちてしまいそうな自己嫌悪も、すべて表面から消し去る。もう知らずにキキを傷つけたりしたくないんだ。
でも、やるべきことはきちんと遂行しよう。
もしキキが自分を貧相だと思う理由をどうにかして払拭できるなら、それは遂行しなければいけない。彼女の認識を改めないことには、デミの外での自己防衛に支障が出るのも事実なんだから。
その上で、キキがどんな風に傷ついてきたのか、聞こう。
もう二度と同じ過ちを犯さないように。
意を決して、私の家の書斎でキキと向き合った。
冷静に、冷静に、と思いながら、彼女をよく観察する。
今は急にこんな場所へ連れて来られて戸惑ってるだけ、かな。
少しホッとして、気を抜いた私は――質問に対するキキの答えにまたしても驚愕した。
「えっとね、まず聞きたいことがある。キキにとって、美しい女性ってどんな容姿のことを言うの?」
「娼館のお姉さんみたいな人」
「娼館……ッ!? そ、それって男を誘う感じの、媚態が艶めかしい感じの、そういう人?」
今日何回目かの「嘘だろう」を脳内にエコーさせながら、これは感覚が違うわけだと納得する部分があった。
何という、退廃的な美的感覚なんだ。
私にとってデミで見た娼婦とは、目に痛いほどエキゾチックな色使いのうすものを纏い、咽るほど強い香水と、元の顔などわからないだろうという厚化粧をした、体を商品にする女性。
そうしなければ生きてゆけないから、そういう商売をしているということも知っている。彼女たちを蔑む気持ちはないものの、それでも娼婦の見た目は客を誘うための「宣伝・誘致活動の一環」だとしか思っていない。
でも、キキたちにとっては――
あんな風にスラム街の底辺で必死に生きていたら、小さい頃に見ることのできた数少ない「きれいな人」だったのか……
キキ自身は別に娼婦のような見た目になりたいわけじゃないと聞いて、心底ホッとした。でもそういう美的感覚を持ってしまったキキに、どうやってわかってもらえばいいと言うんだ?
たとえ理解してもらうためだとしたって、「君は娼婦のお姉さんみたいに綺麗だよ」なんて、思ってもいないことを言いたくない。大体、その娼婦のようではないからキキは自分を「貧相」だなどと誤解しているんだ。そんな見え透いた嘘でキキの何かが変わるわけもないよ。
ということは……正攻法で行くしかない。
君の美的感覚の物差しは、デミの外では通用しない。
君の容姿は、デミの外では「美少女」に分類され、男の視線を釘付けにしてしまう。
そう、言うしかない。
けど……何かがおかしい気がするんだよ。
アルノルトによると、キキはリリーを見て「綺麗な人と親しげに話していて、話しかけられなかった」と思っていたらしい。キキほどではないけれど、確かに私たちの基準で言えばリリーは綺麗な人だと言える。でも、リリーは決して娼婦のような化粧でも衣裳でもなかった。じゃあなぜキキはリリーを「綺麗」だと思えたんだ?
今日のキキの様子を思い出して考えていたら、突然カチリとパズルのピースが嵌ったような気がした。
キキは、鏡で今日の自分を見ていないんだ……!
はぁ……
本日数度目の「嘘だろう」が出ました。
なんてことだ。
迎賓館での彼女を思うと、心臓が潰れそうな痛みを覚える。
自分を貧相なままだと思った女の子が、周囲の女性はみんな綺麗と思いながら、肩身の狭い思いで私に連れまわされていた?
うそ、だろう? キキ……




