迎賓館での地雷撤去
パーティー当日、全身フルコースで磨き上げてもらうキキを昼過ぎにマダムの元へ送り届けた。どうしてこんな早い時間からここへ来たのかを察したキキは、まるで何もかもを諦めた死刑囚みたいな表情だ。
ま、全部の支度が済んだ頃には少しくらい様子が変わってるといいけど。
お化粧が済んだあたりで自分のキレイさにびっくりすると……思うんだけどなあ。
私はさっさと自宅へ戻り、支度がてら必要なことを関係各所へ連絡していた。
エルンストさんへ今日の招待客の中にいる要注意人物リストを提出してもらい、アルノルトとフィーネへ連絡して私がどう動くつもりかを大雑把に伝えておく。挨拶が必須な人物や煙に巻く必要のある人物を頭に叩き込み、なるべくキキが疲れないように最短で迎賓館を出る方策を立てた。
これで何とかなる、かな……
私の目的はキキに自覚してもらうことと、長様に会わせることのみだからね。
彼女をあまりに疲れさせてしまっては可哀相だ。
数時間後に長様の家の執事から連絡が入り、私はキキを迎えに行った。私自身はかなり控えめな色使いをしていて、装飾品といえばファルケンハイン家の紋章がついた懐中時計の鎖のみ。キキの影であるかのようにほぼ黒の装いでまとめてあった。
わくわくしながらエントランスで待っていると、マダムに手をひかれたキキが姿を現すが……
――正直言って、ここまでとは思っていなかった。
半分伏せた瞳が白いレースに反射した光を映していて、水面を覗き込んでいるように揺らめいている。華奢なうなじは陶磁器のように滑らかで、本当にこの子が天から舞い降りてきたと言われても信じられそうだった。
でもキキの表情はとても……固い。
緊張しているのはわかるんだけど、鏡を見てショックを受けた……?
自分がきれいなのがわかってびっくりしてるだけならいいんだけどなと思いながら、顔を覗き込む。そして私がいま感じていることを正直に伝えた。
「キキ、ほんとに綺麗。誰にも見せたくなくなっちゃうなあ、早まったかな」
――ほんと、これはその辺の男に見せるのはもったいない。
長様の件さえなければさっさとパーティーをキャンセルし、個室で食事できるリストランテで思う存分キキを眺めたかったな。
さぞかし美味しい食事ができただろうに。
*****
――迎賓館へ入った途端、キキは突然……まるで隣に誰もいないかのように気配を消す。
幽鬼の如く存在感をなくしていくキキに驚き、また覗き込むように見てしまった。
なにか怖いのかな、緊張しすぎているのかなと思ったけれど、その瞳は何か使命感に燃えているような感じで。
「キキ? なんでそんな……気配を殺してるの。よくそんな芸当できるねえ」
「そりゃ、これくらいできないとケダモノに見つかるもの。大丈夫、なるべく目立たないようにして、邪魔にならないようにする」
「もう……逆だよキキ。私の邪魔にならないようにって言うなら、隣でいつもみたいに笑っていて?」
「なんで?」
「私だってこんなパーティーは好きじゃないんだ。でも今回は広目天に目をつけられちゃってさ……気を張ってなきゃいけなくて疲れるから、キキがいてくれると楽なんだよ。ね?」
「私がいると、楽なの? ……じゃあ、気配消すのは、やめる」
「あは、やっぱりキキって素直だね、かわいいな」
なるほど、私の邪魔をしたくないなんて考えて使命感に燃えていたんだね。
かっわいいなーキキ!
私は天使みたいなキキをエスコートする栄誉に浴した、君を引き立たせるために付き従っている舞台装置とでも考えてくれればいいのに。
まあ、そんな思考に辿りつくわけもないから、キキは可愛いんだけどね。
とりあえず気配を殺すなんて本末転倒だよ。私はこんなにきれいな天使になったキキを自慢して歩くためにここへ来たようなものなんだからね。
さて、キキへ無遠慮な視線を送っている者への牽制をしなければ。
アルノルトへキキを紹介すれば、その視線の大部分は消える筈だしね。
なぜかというとアルノルトとトビアスは正式に長様とジギスムント翁の魔法相談役に就任しているので、こういう場でも魔法の使用許可が自動的に降りているからだ。護衛じゃないけれど、もっとタチの悪い「風紀監視員」みたいな立ち位置になってるんだよ。
それでなくとも稀代のマギ言語使いと言われたボニファーツ老を超える能力を存分に世間へ知らしめているアルノルトは、その飄々とした性格にもかかわらずかなりの驚異と見られている。
つまり、議員たちが使うような手練手管が一切通用しないってこと。
それこそ「アルノルトへハニートラップを仕掛けて、不倫スキャンダルで失脚」などと考えた阿呆はものの十数分で長様の護衛に「反逆容疑」で捕縛されるはめになった。だってアルノルトはマナの波で突撃してこようとした女の子のことも黒幕もわかっていたし、あっさり躱してマナ固有紋の追跡魔法で監視。それを長様へご報告すれば一丁あがりだし。
まったく、大したものだよ。
今回そんな彼らを全面的に頼らなければならないのには、理由がある。
思っていたよりも、出席している政敵の数が多いんだ。
それは既にフィーネやアルノルトへ通信で伝えてあるんだけれど、キキ自身の美しさもさることながら、私を蹴落とす材料にキキを使おうとしそうな連中が迎賓館へ来ている。当然私は自分にできる方法で牽制するし、キキを邪な目で見つめる独身男には遠慮なしに殺気の籠った目で睨んだけれどね。
要するに、こういう時にアルノルトの肩書はかなりいい防波堤になる。
だから彼らに紹介した後は、多少頭のまわる者はキキを諦めたらしく、地雷撤去はうまく行ったようだと思った。
しかし今日のメインイベントは、ここからだ。
長様は私とキキを見つけると、周囲に群がってお祝いを述べていた取り巻き連中を置いてまでこちらへやってくる。
楽しそうですね、長様。
でもギフトがダダ漏れです、少し控えてくださいよ………
案の定、長様はキキを嬉しそうに見て、この前ほどじゃなかったけど結構な強度のギフトを私へ向けた。
そう、私へ向けたんだよ。
なのにキキの手は、フルフルと震えている。
緊張でカチカチになったキキの様子を腕に感じ、これはまずいと思った。
こういう気配に敏感な彼女が、長様のギフトを察知しているのがわかったからだ。
「キキ、少し休もうか。あっちに椅子があるからね」
「……ごめんなさい」
「いいんだよ、長様もほんとにキキを『見たかった』から、抑えがきかなかったんだ。ごめんね、何か怖い感じがした?」
「……ん。あの人、虎みたい」
「あー、なるほど。長様は本気で『見たい』と思うと、ちょっと獰猛な気配になっちゃうんだよね。女の子にはキツいよ、気にしないで。具合悪いなら帰ろうか」
「……ううん、ここで帰ったら、長はきっと気にするんでしょ。これ以上執着されて、あの脳波を浴びたくない。それに、ユリウスはもっと挨拶したい人がいるんでしょ、大丈夫」
脳波、ね。
なるほど、治癒師である彼女はギフトをそう感じたのか……
とにかく何か飲み物を持ってきて落ち着かせてあげよう。
一人で置いていくから、座らせる場所は賓客用の休憩ブース。
まともな神経の者ならばここにいる人間は長様の賓客だと理解し、声をかけては自分がマズいことになるとわかるはず。これくらいは利用させてもらいますよ、長様のせいでキキがこんな風になっちゃったんですからね!
一応はアルノルトとフィーネへ、キキの居場所と私が離れることを伝えた。
二人は短く『了解』と返し、通信をオープンチャンネルにしたままにせよとフィーネからの指示があった。ほんと、ミッション慣れしているフィーネがいるだけで安心感が違うよ。




