誤診
ちょっとマヌケなことになっているユリウスがかわいいなと思って、笑いが込み上げるけど。そんなバカなことで笑ってる場合じゃない、ユリウスの疲れを取ってあげなきゃ。
走査方陣を展開すると、思ったより筋肉疲労はなくて驚く。私をずっと抱っこしてたのに、そんなに負担になってなかったの? 見た目によらず力持ちだったのかなぁと不思議に思ったけど、とりあえず治癒魔法で筋肉をほぐす。もちろん体力も回復させる。
なのにユリウスは相変わらず手の平を上に向け、私を抱っこしていたときのまま腕の形を崩さないから、本当にユリウスの頭がどうかしてしまったんじゃないかなって不安になってきた。
精神疾患は、私じゃ治癒できないよ……
このままじゃ、またどんどん腕が疲れてしまうと思って、そっと手を取って、腕をさすってあげながら膝の上に置いてみた。思いのほか素直に従ってくれたので、ユリウスはただ茫然としただけという状態になった。
「ユリウス、あの、大丈夫? おろしてくれてありがとう。書斎に、行こう?」
しゃがんで顔を見上げると、目が合った。
そして徐々に焦点を結んだ瞳が私を捉えてくれたなと思った瞬間。
――キュガアァァァァァ!!
そういう音がしそうなほどの、急激な顔色の変化だった。
ユリウスは首も耳も何もかもが真っ赤で、言葉まで「ぅ……ぁ……」と小さくしか発せられなくなっている。
私はと言えば、それはもう真っ青だった。
こんな症例、エマから聞いたことがない。
パニックになりそうな気持ちを押さえつけ、とにかく今まで学んだ症例に似たものがなかったかと脳内を必死に検索する。
のぼせを伴う疾患って?
風邪? 違う、スキャンに何もウィルス反応がない。
熱中症……今は冬になりかかってる寒い時期だし、部屋だって適温だもん、違う違う!
自律神経失調症? これは判断しにくい。人によって症状が違うし、後で他の自覚症状が出ていないか確認しなきゃ。
あ、まさか……高血圧症!!
そうだ、ユリウスってしょっちゅう何か食べているし、塩分の取り過ぎで高血圧なのかもしれない。
大変、卒中のリスクも高まるし、栄養指導しなくちゃいけないかも。
手の震え……うわ、出てる! ぷるぷるしてる!
やだやだ、どうしよう。高血圧症って自覚症状もなく進むことも多いし。
え、でもスキャンしたけど、血圧は正常範囲内だ。
え? ユリウスの病気は、何?
ウイルス感染してるわけでもなし、発熱しているわけでもなし。
そうだ、動悸や不整脈があるなら……男性には珍しいけど甲状腺異常ってことも視野に入れないといけないかも。
脈拍数がとんでもないことになっているユリウスの手をそっと膝に戻し、心臓の音を聞きたくて耳を胸にあてる。
ドッドッドッドッとすごい動悸が聞こえて、泣きそうになってしまう。
どうしよう、わからない。
この病気かと思ってはスキャンを繰り返し、違うことがわかってはもう一回トライ。結局なんの病気なのか私では判断が付かず、もうモタモタしてる場合じゃないと思った。
半泣きでユリウスの脇に手を入れ、なんとか立ち上がってくれないかなと思ってぎゅっと抱きしめ、がんばって引っ張り上げてみようとしたけど。
だめだ、やっぱり非力な私では人ひとり持ち上げることなどできない。
とうとう我慢できなくて、ユリウスを抱き締めたまま涙がこぼれてしまった。
「ふ……ふぇ、ユリウス、死んじゃやだ……た、立てる? 歩けない? 私じゃ、ユリウスの病気がわからない……ひっく、ジン、たすけて……ギィ……ひっく……あ、そうだ……使用人さん……使用人さんを、呼べばよかった……待っててユリウス、すぐに治癒院へ連れて行ってあげるから……」
「……! うわ、うわ、な、何で抱き……うわ!」
「 !? ユリウス、気付いた? パ、パニックになっちゃったの? どうしよう……熱は上がってない……のぼせだけなら、そんなに症状は深刻じゃないかも……立てる? 治癒院、行こう?」
「え!? キキ、何で泣いてるの!?」
「な、何でって……何でって、だって、ユリウスが病気だからっ」
「ちょっと待った……その、病気じゃありません……」
「うそ! だってすごく長い間放心状態だったんだよ! 動悸がすごくてのぼせの症状が出ていて、でも血圧も正常値、ウィルス感染もなし……! きっとストレスで自律神経失調症なんだよ。私じゃカウンセリングの知識がないから、早く治癒院に行こう。ごめんなさい、まだ全然私は未熟だった。もっと勉強して、どんな病気やケガでも治せるようになるから……だから、死んじゃ、やだ……! ふえぇぇぇ……っ」
ユリウス、ユリウス、ずっと健康で、元気でいてほしい。
それだけでいいから、たまに話せるだけでいいから、少し笑顔を見せてくれるだけでいいから、生きていてほしい。
その為なら必死に勉強する。
今は治せない精神疾患の勉強だって、カウンセリングの勉強だって、何だってするから。
止まらない涙は、たぶん今までの十六年間で流した水量を軽く超える。
ごめんねラス、あなたのために流した涙より、たくさんの涙を流してしまった私を許してほしい。
だって、こんな怖さは初めてで。
死体なんて山ほど見たことあるのに、ユリウスが死んだらどうしようと考えるだけで気を失いそう。
ユリウスに抱きついたまま、涙が止まらない私をおずおずと引き離す手があった。
そこにはまだ少し赤いけれど、さっきよりよほどマシな顔色になったユリウスの、心配そうな顔があった。
「……あーあ、せっかくのお化粧が流れちゃうよ」
「そんなのどうだって……ユリウス、泣いちゃってごめん、治癒院……行かなきゃ」
「必要ないです……私は病気じゃないよ。だってどの病気にも当てはまらないから、キキは困って泣いちゃったんでしょ?」
「うん……」
「えーとね、人間て、照れると赤面しない?」
「……する」
「私はね、本気で照れると、ちょっと急激に赤面するクセがあって……あああああ、こんな釈明も、恥ずかしくて仕方ないよ……」
「て、照れる……? 照れて、赤面……? なんで……」
「え、何でとかキキが言う!? あ、あんなド直球の告白されて、私が何も感じない鉄面皮だと思ってるの?」
「告白??」
「えー!? 私に恋してるとか、嫌われたくないとか、会えるだけでもいいとか言ったでしょ!」
「言った」
「それ、告白でしょ!」
「……そう? でも、私はユリウスに受け入れてもらうわけにはいかないから。告白って、両想いになりたくて、言うんだよね? そうじゃなくって、私がどうして鏡を見たくなかったのか、わかってもらうために説明しただけっていうか」
ユリウスは「えぇぇ……?」と言いながら、ポカーンと私を見つめる。
そしてつっかえつっかえ、「とにかく私は病気でもないし健康体だし、キキはもう泣かないでほしい」って言うから、素直に頷いておいた。
でももうあんな思いはしたくないし、結局私が誤診して勝手にパニックになったのが原因なんだから、二度とこんなことにならないようにしっかり勉強しようとは、決心した。
そして涙で落ちてしまったファンデーションを軽く塗り直してごまかし、二人して「いったい自分たちは何を話し合いに来たんだろう」なんて思いながら毒気を抜かれていた。
書斎へ戻って、使用人さんが持ってきてくれた紅茶がすっかり冷めているのもかまわずに飲み干し、どちらからともなく工房へ戻ろうかという話になった。




