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Transparent - 無垢の色 -  作者: 赤月はる
第一章 キキの事情
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かっこわるい王子様

  





連れて来られたのは、同じ北区の中。迎賓館から少し南へ下った場所にある、大きな家。入ると使用人さんが「お帰りなさいませ、ユリウス様」なんて恭しくお辞儀してたりして、これが個人宅なのかと驚く。


部屋へ入ると、使いこまれた重厚な机や書棚、来客用のソファとテーブルが品良く配置された場所。

……ベッドも、キッチンも、バスも見当たらない。ここがユリウスの部屋の一つ、書斎だと言う。


そして使用人さんが少ししか音を立てずに美味しそうな紅茶を私とユリウスの前に置いて出て行った。


そっか、私たちがユリウスをヘンテコだと思うのは、こういう生活からして違いがあるからなんだ。


私たちの常識はユリウスの常識ではない。

ユリウスの常識は私たちの常識ではない。


こんなに違う価値観の、こんなに共有できないモノばかりを持つ人に恋をした私はバカなのかもしれないって、素直に納得してしまった。



「どうぞ、座ってキキ」


「……」


「えっとね、まず聞きたいことがある。キキにとって、美しい女性ってどんな容姿の人のことを言うの?」


「娼館のお姉さんみたいな人」


「娼館…ッ!? そ、それって男を誘う感じの、媚態が艶めかしい感じの、そういう人?」


「うん」


「キキは、もしなれるなら、そういう風に……なりたいの?」


「ううん」


「よかった……でも、じゃあ、そういう風な容姿じゃないから、キキは自分が貧相だと思ってるってわけか」



コクンと頷くと、ユリウスはホッとしたような、困っているような、複雑そうな顔をした。

そして何かに気付いたように部屋を出て、手鏡を持ってきた。



「キキ、その分じゃ今日の自分の姿もきれいだなんて思ってないんでしょ。しかも、鏡で確認もしてないね? はい、鏡。見てごらん」


「……っ! やだ……」


「ダメだよキキ。今日は私に『自分が貧相だってことをわからせる』なんて思ってたんでしょ? ちなみにそれ、現在までのところまったく成功していないから。ということは、キキは私との勝負に負けている。だから勝者の言うことを聞いてね。私は『キキがきれいな女の子だってことをわからせたい』んだ」



私は、崖っぷちに立たされたような気持ちになっていた。

ユリウスはどこまでも、私を追い詰める。


私が自分をかわいいと思い込むと何だっていうの?

ユリウスをこっそり好きでいるだけなら、別に私がグラマラスだろうが貧相だろうが関係ないでしょ?


これ以上、みじめな思いを、させないでほしいのに。




手鏡を裏返したまま膝に置き、俯いて震えている私は本当に泣きそうだった。


すると何を思ったのか、ユリウスは私の横に来て手鏡を取り上げ、テーブルに置く。許してくれたのかな、見なくてもいいのかなと思って安堵したのは一瞬だけだった。



いきなりユリウスは私の背中とひざ裏に腕を突っ込み、がばっと持ち上げた。あまりのことに驚いて、小さく「ひ!」と息を吸い込みながら悲鳴を上げてしまう。ユリウスはお構いなしに書斎を抜け、奥の部屋のドアを乱暴に開けた。




こわい。

ユリウス、怒ってる。


そこは寝室で、大きなベッドがあって、それを見た私は更なる恐怖に震えた。


『男を怒らせたから、つっこまれて心を殺されてしまうんだ』


ユリウスが? 私の心を殺す? そんなはずない。ユリウスはそんな人じゃない。


『でも怒りに我を忘れた男が、弱い女や子供にすることといったら?』


違う、ユリウスはそんなことしない。


『そう? でも、ユリウスだって……男、だよ?』


違う、黙れ、違う! ユリウスは相手を暴力で理不尽に組み伏せたりしない!




恐怖と混乱で、体がガクガクと震えた。ユリウスがどんな顔をしているのか、どれだけ怒っているのか、怖すぎて確認もできない。両腕を縮こまらせて、頭を手で挟み、全身の筋肉が緊張で破裂しそうなほど強張る。


心身を守ろうとする本能と、ユリウスがそんな人ではないと思う理性がせめぎ合い、私をバラバラに分解してしまったかのようだった。


――痛そうな声で、ユリウスが呟く。



「キキ、見てごらん」


「……」


「キキ、何も怖くない。ほら、あれを見てごらん」



もう何が正解なのかも分からなくなった私は、大好きな人の優しい声に一縷の望みをかけて従った。


お願い、怒らないで。

お願い、嫌わないで。

声が優しいなら、もう怒ってない?

怒らないなら、言うこと聞くから。


だから……お願い、私を、嫌わないで。


そっと顔を上げてユリウスを見ると、何か痛みを耐えているような顔で見下ろしていた。そしてふっと目の前へ視線を向けて、もう一度「見てごらん」と言う。


そっと見てみると、大きな姿見に映った、ユリウスに抱っこされている白い人。

ビクビクと縮こまっている白い人は、ユリウスに縋りつきながら凝視している。

滑らかな白い肌。

桜色の唇。

ぱっちりとしたまつ毛の、アーモンド型の瞳はユリウスと同じ薄茶色。

グラマラスではないけれど、どこもかしこも細いけど、王子様のようなユリウスに抱きかかえられて垂れ下がっているレースが繊細な蜘蛛の糸で編まれた羽衣のよう。



「天使みたい、でしょ」


「……」


「娼館のお姉さんだけが美の基準じゃない。世の中にはたくさんの物差しがある。デミには天使みたいなお姉さんはいなかったから分からないかもしれないけど、キキは間違いなく美しいんだよ。少なくとも今日迎賓館で会った人たちが手放しで君を褒めていた言葉は、嘘やお世辞なんかじゃないんだよ」


「……ど……も、いい」


「ん?」


「誰かが、私をどう思ってたって、どうでも、いい。ユリウスが、怒るなら、もう自分を貧相だなんて言わないから。だから……嫌わない、で」


「私がキキを嫌う? 何言ってるのかな、有り得ないよ。えっと……そっか、ちょっと乱暴にこっちへ連れて来ちゃったから、びっくりしたんだね。あんまりキキが鏡を怖がってるから、強引に見せちゃえって思ったんだ」


「鏡は別に、怖く、ない」


「でも震えるほど鏡見るのをイヤがってたじゃないか」



私は思わずユリウスの顔を見上げた。

きょとんとする彼の顔を見てようやくわかったことがある。


ユリウスも、私を誤解してるんだ。


そっか、私がユリウスに恋してるなんてわかってないから、だからこの人はこんなに私がやめてほしいって思うことを理解してくれなかったんだ。


私はいつも、そう。


臆病で、男性に怒りを向けられることが恐ろしくて、何か話そうとしても、思ってることの半分も出ない。


だから私がユリウスを「ヘンテコ」という言葉で一括りにして本当に理解しようとしていなかったように、ユリウスも私を理解するとっかかりがなかったんだ。



「ユリウス、話したいことが、あるの。いい?」


「もちろん。じゃあ書斎に戻ろうか」


「あの、歩けるから、おろして」


「えー、さっきまでプルプル震えてたじゃない。転んじゃいそうだからこのまま連れて行くよ」



ああ、まただ。

私が恐怖にまみれていた理由を理解してないから、言うことを信じてもらえない。


――言葉。

言葉を、紡いで、伝えなきゃ。



「私が震えてたのは、ユリウスに嫌われるのが怖かっただけだよ。もう怖くないから、歩ける」


「 ? えーと、手鏡を見なかったのも、見たら嫌われるって思った? よくわからないよ、キキ…」


「違う。私はユリウスに、恋しているの。でも分不相応なお化粧されて、ピエロみたいな私は、王子様みたいなユリウスに、相応しくないの。ただでさえ、デミの人間だからユリウスの周りをうろちょろしちゃいけないのに、バカだから、恋しちゃったの。だからね、せめて嫌われたくないの。会えるだけで、いいの。だから、嫌われたら、会ってもらえなくなるから、怖いの」


「……」



ユリウスは、彫像のように私の目を見たまま動かなくなった。

だから当然、私はまだおろしてもらえていない。

困ったな、あと何を言えばいいの……



「あ、だからね、鏡を見たくないってゴネちゃったのは、ごめんなさい。ピエロみたいな自分に決まってるから、ただでさえユリウスがかっこいいのに、あんまりその、みじめな思いをしたくなかったの。それだけなの、ダダこねて、ごめんなさい。だから鏡は、怖くないの。さっきユリウスが、私を嫌うとか有り得ないって言ってくれたから、もう怖くないの。だから、もう歩けるの」



私を支えているユリウスの腕が震えてる。

ずっと私を抱き上げてたりしたから、重いんだ。

早くおろしてほしいな、治癒魔法をかけてあげたい。


ユリウスは私を抱えたままふらふらと歩き、ベッドの端にぽすんと座った。


当然私はそのままユリウスの膝の上へ座る形になっていて、でもその……ユリウスが私を起こしてくれないから、座ってるんだか寝てるんだかわからない中途半端な角度のまま。これじゃ結局ユリウスが腕で私の体重を支えてるんだから、辛いままだよ。


私はもぞもぞとユリウスの上で動き、彼の肩と膝にそれぞれ手を突いて、体を浮かせるようにしてストンと真っ直ぐに座った。そして少し勢いを付けて、ユリウスの足を蹴ったりしないように気を付けながら立ち上がった。



振り向くとユリウスは、まだどこか一点を見つめながら、私を支えていた腕の形のまま固まっていた。しかも私が勢いを付けて飛び降りたものだから、ベッドのスプリングでぽよんぽよんと揺れるがままになっている。


私の王子様、かっこわるい。






  

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