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白雪の傭兵  作者: あたりひ
〈紅炎を灯す唄声〉
53/54

53.血潮

 隊商をまとめる面々は落ち着いたものだった。

 ルフィアたちと近しい予想を立て、一部の護衛に態勢を整えてさせていた。加えて、集落が完全に陥落していた場合の動きまで計画していた。

 しかしルフィアたちが十全に武装し、状況を把握していることには驚いた様子だった。適当に雇った傭兵の頭になど期待していなかったのだろう。

 

 林に入ると、隊商は動きを止めた。

 元々決まっていたことだ。

 後に続く隊商のために道を整え、道脇の木々の損耗や動物たちの様子を見る。

 大移動という定例から生まれたもので、中規模以上の隊商には半ば務めとなっているらしい。


 移動を再開するときは点呼が行われ、荷物を確認される。

 寒さが落ち着いてくると盗人が増えるからだとエメレイに聞いた。

 形式だけでも行うことが重要だそうだ。

 

 ルフィアは木立の間を走りながら、そんなことを思い出していた。

 冬の間より雪が減ると、動物たちが踏み固めてくれる。

 走りやすいことはありがたかった。


 ウラガーンと合流して事情を伝えないといけないが、隊商に見つかる距離ではいけない。

 笛を吹いたあとにウラガーンがいる方向をオルレニアに聞いて、合流するために走っている途中だった。


 周辺の動物たちはウラガーンの気配に怯えているのか、すっかり姿を見せない。

 迷惑をかけるが、こちらにも事情がある。


 白い息を細く吐きながら、ルフィアは悠然と歩いてくる大きな影を見つけて立ち止まった。


 ゆっくりとした歩みでも一歩が大きく、すぐに距離は縮まった。

 銀狼は立ち止まると、ルフィアの前で足を畳んだ。


 

『血の匂いがするな。戦いか』

「どこからか、わかる?」

『お前たちが向かう先、人の巣からだ。私を呼んだのはそれか』

「うん。戦いが起きるかもしれないから、話しておきたくて」



 ウラガーンの大きな目にルフィアの姿が映っている。

 目線を合わせてくれたのだろうか、とりあえず毛並みを撫でておく。



『蹴散らせばいいか?』

「そう簡単にはいかないの。人の群れにも事情があるから」

『ならばどうする』

「少し離れたところで待っていてほしいかな。敵の援軍がいたら蹴散らして、もしわたしたちがまずい状況になったら助けに来てほしい」



 光によって薄く色が変わる銀色の目を見ていると、ウラガーンの感情が伝わってくるようだった。

 最近になってよく感じるようになった雰囲気だ。



「やっぱり、心配?」

『お前はすぐに無理をする。勇猛なのは良いことだが、無暗に傷つくな』

「傷つくつもりはないんだけど、どうしたらいいと思う?」

『下がっていろ』

「いや」

『それなら私かヴィエナと共にいろ』

「なんだか、守られてるみたいで複雑な気分になる。わたしも傭兵を仕事にしてるんだから、ちゃんと戦いたい」

『お前がどう思おうが私は群れをまとめ、守るばかりだ。狩りはいいが、獲物に傷つけられることは避けろ。相手を見誤るな』

「見誤ってるつもりはない、けど」



 ウラガーンの言葉に目をそらすと、鼻で小突かれた。

 実際、相手の実力は確かに評価しているはずだ。悪魔と一人で戦うことは避けたいし、サイラスなんかに勝ち目はないとわかっている。


 強者との戦いはいつも仕方がない状況だから行っているだけに過ぎない。



『お前はいつも一人で戦おうとする。勝てぬ相手には、群れの力を借りるのだ』

「それは、そうかもしれないけど」

『……お前は群れを信じるのが苦手なのだろうな。安心しろ、私はお前の味方だ。人の世界で生きられなくなっても、私はお前を裏切らない。だから、危なくなったらすぐに呼べ』



 重たいくらいの言葉が嬉しいのは、それが嘘じゃないとわかるからだ。

 獣だから、というわけではないだろう。

 ウラガーンがそういう性格なのだ。

 裏表がなく、誇り高いという点においては疑いの余地がない。



「わかりました。すこしでも怪我したら呼ぶようにします」

『それでいい』



 首回りの毛に顔をうずめると、深い森の匂いがする。


 この毛並みはやわらかく感じるが、強度といえばすごいものだった。

 試しに抜けた一本を切ろうとしてみたが、単純に斬るだけでは刃を食い止めるほどの靭性があった。

 加えて毛の内に潜む皮の分厚さ、丈夫さは比類にならない。

 並の武器では傷をつけることはできないだろう。


 魔者がウラガーンを傷つけられたのは、彼らが肉体の限界を知らないからだ。

 文字通り捨て身の全力を出した人間でようやく、傷ひとつを付けられる。

 単純に数で押そうとしても、数十人では敵わないだろう。


 オルレニアもそうだが、ルフィアが抱くには余りすぎた力だと思う。



「ウラガーンって、熊と戦ったことはある?」

『ハエルアリか。森を争うのはいつも奴らだ。それがどうした?』

「熊は森で一番強いってよく言われてるから」

『殺すだけなら容易い。私の身体は常に銀に護られている。たとえ奴らが群れで来ても、私は負けない。前の、プラーミアか。あの場所は強大な色を持つ者が多すぎて乱れていたが、私を殺せる獣などそういない』

「そういないっていうことは、すこしはいるの?」

『熊の王と森を争ったが、決着はつかなかった。アレは私を殺せるだろうな』


 

 巨大な熊と狼の争いを想像して、苦笑する。

 森のなかにいてくれてよかった。

 どちらかでも人の領域に現れたら、とんでもないことになっていただろう。

 

 改めてウラガーンの強大さをかみしめながら、ルフィアははっと振り返った。



「そろそろ戻らないと。とりあえず、もしものときはあなたを呼ぶから」

『ああ。何だったら、先に脅しておいてやろうか』

「死体が新しい問題になっちゃうからだめ」

『鎧とやらを嚙み潰すのはなかなか気分がいい。必要ならすぐに呼べ』



 笑ったのだろうか、開かれた口から太く鋭い牙が覗く。

 こんな狼がいきなり襲いかかってきたら、集落などひとたまりもないだろう。


 隊商という事情が無ければウラガーンに威嚇してもらうだけでよかったかもしれない。


 小走りで隊商の元に戻ると、ちょうど道の手入れが終わる頃だった。

 もっと大きな林なら時間がかかるのだろうが、今回は馬賊の件もある。


 商人たちの間にも緊張が見て取れて、急がない理由はなかった。

 



 ◎◎◎◎




 先に視察に出ていた護衛が戻ると、状況は概ね予想通りだった。

 集落の人々はほとんどが馬賊に抑えられているらしい。

 自警団は全滅と報告された。


 実質的に集落は馬賊の手に落ちている。見張りも厳重で、貴重な遠眼鏡が貸し出されてようやく状況がわかった。


 集落はなだらかな丘に作られている。

 獣の侵入を防ぐ程度の塀が囲み、丘上と丘下にそれぞれひとつずつ門がある。

 住民はほとんどが中央の集会所に集められていて、一部が丘下の入口付近に見張りと共に置かれている。


 子どもを人質に、その親を利用するつもりらしい。

 なにも知らない隊商なら、住民に迎えられて気を抜いていたところを蹂躙されるだろう。


 そこらの賊ではないことは既に間違いないが、熟練の護衛たちが接近をためらうほどには、相手も予断を持った警備態勢だったらしい。

 報告を聞いた隊商の面々の表情が厳しいものになっていた。

 

 結論としては、正面から隊商が平静を装い侵入。

 同時に丘上の門から襲撃し状況を攪乱、その間に熟練の傭兵たちが遊撃隊として中央集会所を目指すという手筈になった。


 単純な計画になってしまったが、悩んでいる時間に余裕がなかったということもある。

 住民を救うことに悩むあまりに隊商が全滅しては意味がない。


 ルフィアたち三人は上の門から襲撃する役割につけられた。

 交渉や時間稼ぎを主とする丘下の隊商や住民の救助を行う遊撃隊と比べて、正面から接敵する危険な位置になる分、人は多くなった。

 ルフィアたち三人を含めて合計十八人。

 三人一組で、六つの小隊にわかれて進む。

 

 行動を起こす頃には、すでに日が沈んでいた。

 隊商はなにも知らない素振りで、明かりを灯して丘下から集落に入っていく。


 積雪は薄く、気温も低すぎはしない。悪くない気候だった。

 炭をかぶせた外套で身を包みながら、ルフィアたちは集落を大きく迂回し、丘上の門が見える位置にたどりついた。


 冷たい空気を鼻から吸って、布で覆った口から吐く。

 雪のなかで白い息は目立たないが、松明の光を当てられると雪との差異が過剰に出る。


 オルレニアは普段通りの服装だが、それ以外の面々はルフィアと同じく、炭で黒くした布や外套を使っていた。


 相手に弓の名手がいる以上、警戒するに越したことはない。


 月は薄雲に隠れている。

 いくら夜目が良くとも、すぐに見つかることはないはずだ。



「俺らはとにかく、一人もやられずにゆっくり進むことが重要だ。怪我することだけは避けろ。無理に前に出るな。不意を突かれないように、三人で目を凝らせ」



 長いひげを三つ編みにした強面の男が言った。

 たしか名前はアヴィーブと言っていた。傭兵稼業を続けてそろそろ二十年になるそうだが、抱えていた傭兵団が事故で崩壊したとか。

 大柄だがオルレニアがいるせいでそこまで目立つほどではない。指示に迷いがなく、動きにも淀みがないところはさすがに熟練だった。


 六組に分かれたのは、それぞれに繋がりがある様子だったからだろう。アヴィーブ自身、仲間を二人連れてきているようだ。


 ルフィアの隣にはもちろんオルレニアとエメレイがいる。

 この二人に限って万が一ということはないだろう。

 ルフィアはエメレイに勝てるが、多人数での戦いにおけるエメレイの活躍がルフィアを優に勝ることもわかっていた。



「わたしが前でいいんですよね」



 小声で問うと、二人は頷きを返す。

 ルフィアを主軸にオルレニアが合わせ、エメレイが補助を務める。

 オルレニアが主軸をすると誰もついていけないからだ。


 ルフィアとしては、今回は前に出るつもりがない。

 前衛を重武装の傭兵に任せて、横から切り崩す形で考えていた。



「そろそろ動くぞ」



 アヴィーブの声に傭兵たちが気を引き締めるのがわかった。

 十八人ともなれば、足音をひそめていてもそれなりの音が鳴る。ルフィアはいつ気付かれても問題がないように、鞘から柄を浮かせていた。


 敵は塀の上から外を見るために低い台座に乗っているようだ。遠目に松明の炎が見える。

 隠れるようなものがほとんどない丘の上だ。じきに気付かれるだろう。


 同じ考えの傭兵が多いのか、周囲から聞こえる吐息が震えている。

 しくじれば、矢の一本で致命傷を負う。

 そうなれば、上手く行ったとしてもこの集落に置いていかれる可能性が高い。


 簡単に切り捨てられる人員だからこそ、緊張する。


 ルフィアはあえて力を抜き、様子を計った。


 先にオルレニアから習った技術はまだ頼りにはできない。

 だからいつも通り、一対一を想定した確実な構えに入る。


 あと百歩ほどの距離で、たしかに炎が揺らいだ。

 アヴィーブの舌打ちが聞こえる。事前に打ち合わせていた合図だ。


 気付かれた。


 ほとんど間髪入れずに、夜闇に銀光が走った。


 ルフィアではない方向に飛んだ矢が傭兵の一人に命中する瞬間、オルレニアの剣がそれを弾いた。



「す、すまん、助かった!」

「走れェッ!」



 アヴィーブが叫んだ。


 ルフィアは特に背が低い。遅れないように全速で駆けだす。


 松明の数が増えている。増援に加えて、射手の位置をくらませるつもりだ。


 エメレイが何度か立ち止まり、矢を幾本か放って牽制していた。

 そのうちの一本が命中したのか、光が一つ落ちた。



「よく当てられますね!」

「こんなもん適当だ! 運がよかったぜ!」



 あと五十歩のところで、六組がそれぞれ散開する。

 矢の数が増える。そのうちのいくつかが明らかに速い。


 優れた射手がいる。


 先頭を行くアヴィーブたちは分厚い円盾で矢を上手くいなしている。

 ルフィアたちの近くにくる矢は、オルレニアがすべて叩き落としていた。


 ただ、そう上手くはいかないものだ。

 衝撃に呻く声がいくつか聞こえてくる。何人かがやられた。 


 残り三十歩にもなれば敵の顔が見えてくる。


 浅黒い肌に深い髭を蓄えている男たちは分厚い皮の外衣を着ていた。

 東のほうでは見かけない服装だ。

 持っている弓も分厚く大きい。

 エメレイが持つ複合弓と比べると、弦の重さが見てわかるほどに違う。


 タァン、タァンッ、と弦が弾かれる音が二度響く。

 後方から二つ悲鳴が聞こえた。

 早撃ちながら、なんという精度だろう。


 だがここまでだ。弓の間合いは終わった。



「なぜ攻撃する!」



 声が届く距離になると、アヴィーブが叫んだ。

 一人が松明を振り上げて向き合った。



「お前たちが東の軍に物を運ぶからだ!」



 言っていいのか、と思うが、元より隠すつもりがないのだろう。



「俺たちに殺される覚悟はあるか!」

「西の戦士は死を恐れぬ! かかってこい!!」



 ほとんど形だけのやりとりと言っていい。

 ただし傭兵にとって、この確認は大きな意味がある。

 戦士以外を殺すのは恨みを買うからだ。


 そしてこれを邪魔するものはいない。

 戦士というのは、総じてこういった空気に浮かれている。


 だが、やりとりが終われば別だ。


 アヴィーブたちが即座に石を投げた。

 勢いのついた石は松明を持つ敵の一人に命中し、血を散らす。



「突っ込めェッ!!」



 アヴィーブが背負っていた得物を引き抜いた。

 鍛冶に使うような金槌だ。

 あんなもので叩かれたらひとたまりもないだろう。


 連なる二人も火炎瓶を投げ込みながら、槌を引き抜いて突撃する。

 門を閉じようとしていた男たちは、炎に足を引いたところで顔面に石を当てられて倒れこんだ。


 散開していた傭兵たちが横並びに追いつき、低い塀を容易く乗り越えて踏み込んでいく。


 ルフィアは一人の男と目を合わせていた。

 先ほど二人を仕留めた射手だ。松明の光に照らされ、老齢に差し掛かったしわの多い顔が見えている。

 

 明らかに手練れ。

 この距離でもなお、冷静に弓を引いている。


 タァンッ、と音が鳴るのに合わせてオルレニアの剣がブレて、矢が弾かれる。



「入ります!」

「ああ」

「好きにしろ!」



 ルフィアが門をこえると、小広場にいる敵の数は想像以上だった。


 二十はあるかもしれない。

 対してこちらの残り人数は十人ほどにまで減っていた。


 攻め込む側が人数で不利にあるというのは、非常にまずい。

 

 同じことを思ったのだろう。

 周囲の傭兵たちが自分を奮い立たせるように雄叫びを上げた。


 集落の木道を踏んで走ってくる敵は、片手に分厚いサーベルを持っている。

 多勢に無勢になる前に、敵の数を減らす必要がある。


 アヴィーブたちは盾を構える敵をそのまま叩き潰す勢いだった。しかし防戦に回っている敵を前に攻めあぐねているようだ。


 無数の剣戟の音が周囲で鳴り始める。



「まずは一人、仕留めます!」



 小柄なルフィアが狙い目だと思ったのだろう。

 振り下ろされたサーベルをルフィアは剣を抜き払いながら受け流し、返す刃でその手首を浅く切り裂いた。


 男が怯んだ瞬間、その両足が裂けて血が吹き出る。

 その状態でも歯を食いしばって動こうとするが、まもなく男は倒れこんだ。


 ルフィアも見えなかったが、オルレニアの斬撃が足を奪ったのだろう。


 大丈夫だ。目は追いついているし、身体も付いてくる。

 剣を構えながら焦りを落ち着かせる。


 足を斬られた男を守るように二人が前に出る。

 庇う速度も素人ではない。ルフィアたちの襲撃に対して、相手は異様なほどに冷静だ。



「ひとまず数を減らすので、背後をお願いします」

「承知した」



 口元の布を下げて、すぅ、と息を吸う。


 足首を回し、剣の柄が首元より上になるように構える。


 出し惜しみをしている場合ではない。

 最初から全力を出せば、警戒した相手の動きは鈍くなる。


 木の盾を構える二人の敵に向かって、ルフィアは身を低くして一気に距離を詰めた。


 振り上げられたサーベルを見ながら全身の力をみなぎらせ、震えを消す。


 確実に切り裂く。


 相手の動きが緩やかに感じるほどに意識が加速したとき、ルフィアはふっと息を吐きながら、一線に剣を振るった。


 一つの太刀筋で盾と腕を両断する。


 鉄をも切り裂く一撃を、その程度の防具で防げるものか。


 世界が元の速度に戻り、目の前の二人の顔が驚愕に染まる。

 一息遅れて、その胸に矢が刺さった。



「何度見てもすげえなぁ、お前のそれ」

「そう何度も出来ることじゃないので、出来ればやりたくありません」



 細く息を吐きながら、全身にかかった負荷を逃がす。

 鉄をも切り裂く一撃に使うのは勢いと精度だけではない、技術に加えて、ルフィアの全身の筋肉をすべて使用し、文字通り全力を込める必要がある。


 身体能力で劣るルフィアが確実に勝利するための一太刀なのだ。



「二人死した。気を緩めるな」



 背後からオルレニアの声が聞こえ、ルフィアは剣を構えなおす。


 周囲で戦う傭兵たちは、最初の取り決め通り、三人一組で確実に攻めたようだ。

 しかしアヴィーブとルフィア以外の四組は三つが潰れ、一つが二人だけになっている。


 残り、八人。

 着実に減っていく仲間の数に、冷や汗が浮かぶ。


 オルレニアは近くにいる味方しか護らないようだが、オルレニアがいなければ、もう一組まで潰れていてもおかしくなかっただろう。


 様子を見ていたルフィアはぴりりと肌を焼くような感覚に、振り返る。

 同時に振りぬいた剣が、凄まじい衝撃で跳ね上げられた。


 斬撃と矢が衝突したのだ。

 遅れて剣を握る手が強く痺れる。


 なぜ防げたのかはわからないが、危なかった。


 攻撃の主を目で追えば、乱戦のなかを走り回りながら弓を離さない老兵がいた。

 弓に付けた刃で接近戦までこなしている。明確に頭一つ抜けた強さがある。


 老兵はこちらの様子を見ながら戦場を駆け、隙間を縫うように補助しているようだ。

 その傍には同じく弓を持った二人の男がいる。

 あの三人が、敵方の精鋭であると考えて間違いないだろう。


 そして老兵が纏め役であるのは疑いようがない。


 状況は逼迫している。

 劣勢どころか、ほとんど全滅しそうな勢いだ。


 この状況で借りれる手を借りない理由はない。



「オルレニアさん、お願いできますか?」

「貴様から離れる事は出来ん」

「最悪エメレイさんと逃げに徹しますから、お願いします」

「……良かろう」



 ルフィアが後退して塀を背に構えると、オルレニアは不承不承といった様子で頷いた。


 あの老兵に確実に勝てるのはオルレニアだけだ。


 ルフィアでは接近するまでが大きな関門になる。エメレイの手を借りたとしても、間に入る敵を相手にしながらでは埒が空かない。


 アヴィーブたちも強いが、あの老兵にたどりつくのは至難だろう。

 悔しいがこの状況ではオルレニアを頼るしかない。


 ルフィアの目の前で敵が三人切り捨てられた。刀身の残像しか見えなかったが、オルレニアの両手に握られている黒い剣が振られたのだ。


 格が違うのは、オルレニアも同じだ。


 老兵は目を瞠ったあと、すぐに矢を同時に幾本もつがえた。


 タァン、タァン、タァンと連続で弦が鳴る。


 よそ見している場合ではなかった

 ルフィアは正面から迫る男の攻撃を受け流し、その小指を切る。


 対人戦闘で重要なのは無視できない傷をつけることだ。

 小指を切られた男は呻きながら後退しようとするが、エメレイが踏み込み、組み合う距離で短刀を突き刺した。

 割り入ろうとした敵の一人が仲間の身体に阻まれて攻撃を躊躇った瞬間、エメレイは短刀を抜きざまに投げつけた。


 短刀は見事に腕を貫き、呻きが上がる。


 敵同士の連携を切る動きは的確だ。

 エメレイ自身が連携を得意とするからかもしれない。


 急いで視線を戻すと、オルレニアが老兵を剣で貫くところだった。

 手に持っている弓は砕かれ、片腕を失い、残った手で短剣を抜こうとした動きのまま口から血を吐いている。


 隣には共にいた二人の男たちが倒れている。


 老兵の目には驚愕と共に、乾いた笑いがあった。まさか自分がやられるとは、といったところだろうか。


 正直、オルレニアは理不尽だ。

 だが戦場とは常に理不尽なものだ。


 敵方に動揺が走り、その隙をついてアヴィーブたちも勢いに乗ったようだ。

 槌で骨を割る嫌な音が聞こえてくる。

 速度は緩やかだが、ルフィアたちは着実に相手の数を減らせていた。



「押し切れェェェェいッ!!!」



 アヴィーブの咆哮が響き、傭兵たちが雄叫びを大きくした。

 大きな音は嫌でも注意を引く。

 隙を見せた敵のサーベルを弾き上げ、足を浅く切る。



「ここまで来りゃあ道は見えたな」

「そうやって油断するからわたしに負けるんですよ」

「うるせえよ」




 エメレイを非難しつつ、ルフィアも同感だった。

 老兵がやられた敵側の動揺は激しいものだった。


 士気をほとんど喪ったのだろう。最初にいた二十人程度は壊滅状態だ。

 実際に後続する敵方も、じりじりと引き下がるような動きに変わっている。


 こちらは急ぐ必要はない。


 緩やかに攻めることで集会所に向かう遊撃隊への注意を削ることが目的だ。

 他の傭兵は敵が落とした盾を拾ったりして、上手く消耗を抑えている。


 ルフィア自身はといえば、正直なところそろそろ体力が削れてきていた。

 エメレイの補助がなかったら、かなり苦しかっただろう。



「大事無いか」

「なんとか。お見事です」

「過度に手を出す心算は無かったのだがな」

「あの人だけは逃すわけにはいかないと思って」

「貴様の判断に異論は無い。気にするな」



 少しだけ不機嫌そうなのは、気のせいだろうか。

 剣を構えなおしながらオルレニアの顔を見上げるが、表情はいつも通りだ。


 後で考えよう。

 そう決めて、ルフィアは状況を確認する。


 緩やかに進む傭兵たちに、敵は後退を続けている。

 どこかに誘いこんで一網打尽にするつもりかもしれない。とはいえ、こちらもそんな場所に出るつもりはない。


 二人しかいない一組は頭から血を流しつつも無事だった。

 アヴィーブと合流し、壁を背にしながら歩を進めている。


 事前に見ていた集落の地図を参考にするなら、この先には集会所がある。

 そこまで下がられては意味がないため、ルフィアたちが進むのはある程度でいいのだ。


 そんなことを思いながら先頭に続いていると、敵方に動きがあった。




「おい!」



 西の訛りが強い北の言葉。

 アヴィーブが手を掲げ、全体が停止する。



「うごくな。この娘を、殺すぞ!」



 拙い言葉だが、なにを言っているかは明白だ。

 浅黒い大柄の男が少女の髪を掴み、首にサーベルを添えている。


 わかりやすい人質。なりふり構っていられなくなったようだ。


 だが、こちらとしては都合がいい。

 前に進まない理由ができた。



「おうおう、情けねえ奴らだな」

「誇りを捨てたみたいですね」



 理屈はさておき、嫌な気分になる。


 こういう場合、少女を見捨てるのが定石だ。


 人質が意味を為さないということを見せつければ、次の人質は使われない。

 全体の犠牲を考えるならこの場で迷う必要はない。


 少女はまだ十に満たない年齢に見える。きれいな茶髪を三つ編みにして、首から木の首飾りを下げている。

 丸い目は青く、涙に潤んでいた。

 震えているが、必死に気丈を保っているのだろう。ぐっと握りしめられた両手が真っ白になっている。



「どうする! 命か、逃げるか!」



 死を恐れない戦士が、随分滑稽な脅し文句だ。


 少女の目がルフィアを見た。


 こんな場に女性がいるのが珍しいからだろう。

 ぴたりと目が合って、恐怖が余計に伝わってくる。少女の視線はやがてルフィアの身体へ移り、ルフィアの持つ剣へと流れたようだった。


 少女の目からついに涙が零れ落ちる。


 アヴィーブはこの少女を見捨てる。

 小声でしているやり取りはその後の動きについてだ。



「ルフィア、落ち着け」



 エメレイの声に、思ったより力が入っていたことに気付く。

 剣を握る手がわずかにしびれて、額に軽い浮遊感があった。


 はい、と言葉を返そうとして、声が出ない。



「おい、ルフィア?」



 視界の隅でエメレイが訝しげな顔をしている。


 ルフィアの視界の中央には、少女がいる。

 青い目をした少女は自身の末路をおおよそ理解してしまっているのか、握っていた手を広げて、必死に力を抜こうとしているようだ。


 その姿に、ルフィアはどこか見覚えがあった。


 ぼんやりとなにかが記憶に引っ掛かる。思い出せない。

 今日とは違って、吹雪の日だったような気がする。

 ルフィアはこんな少女の姿を、どこかで見たような気がする。


 曖昧なのに、やけに意識が引っ張られる。


 頭が痛い。血が巡りすぎているからなのか、気疲れなのか。


 剣を握る手の痺れは、あまり感じなくなっていた。



「誇りを、捨てた」


 

 繰り返すようにつぶやけば、ひどく重い言葉に感じる。


 目頭が熱いような気がする。自分は泣きそうになっているのか。


 違う。


 怒っているのだ。


 悪寒が背筋を貫けば、ルフィアは自身の変化がわかった。

 激しい怒り、喉に手を入れて身体の内側をすべて吐き出したくなるような、苛烈で自分すら呑み込んでしまいそうな怒り。


 脚が震えている。


 すでに、構えは出来ていた。

 当然だ。先ほどから構えは続けている。


 目の前でアヴィーブが相談を終えたようだった。


 少女は目を限界まで見開いて、時折息を詰まらせながら、鼓動に合わせて身体を震わせている。


 その目がもう一度だけ、ルフィアの視線と交差した。


 アヴィーブが口を開く。


 その声が出る前に、ルフィアは距離を詰めていた。



「許さない」



 少女を人質にしていた男がサーベルを引く前に割り込み、その腕を切断する。

 あ、と声が上がる前に喉を切る。


 頭が痛い。側頭部に激しい鈍痛がある。


 吐き気に似た気持ち悪さが胸を満たしている。

 全身の筋肉が燃え上がりそうな熱を持ち、心臓の鼓動が胸骨に響いている。

 血が燃え滾るようだ。


 そうだ。

 わたしは、許せないんだ。


 誇りを捨て、子どもを害そうとする悪辣を。



「おまえっ――」



 なにかを言おうとしたもう一人の敵の首を切る。ヒュゥという空気が流れ込む音が遅れて聞こえ、男は血を吐いた。


 一拍遅れて動こうとした男たちを相手に、ルフィアは半歩引いた。


 身体を焼きつくすほどの怒りが満ちているのに、感覚は空気に馴染んでいた。


 剣の柄を頬に添えて、左手を軸に右手を添える。


 近いのは、五人程度だ。

 なんということはない、切ればいい。


 意識が加速する。


 最小限の動きで剣をすべらせ、まずは三人の喉元を切る。

 遅れて迫る男の股間を蹴りつけ、腰が引いたところで両腕を切る。

 そのまま首を切る。


 最後の一人をサーベルの上から切断する。


 血が吹き出た。返り血を剣で受け止め、目が潰れないようにする。


 呆気にとられていたのはそこまでだった。

 敵方はおよそ八人、怒号を上げて迫りくる。


 背後からエメレイの悪態が聞こえてくる。


 まあ、関係はない。

 敵を全員片づければ、人質を取る者もいなくなるだけだ。


 次いで一人の喉を突き、横に裂きながらその身体をもう一人にぶつける。


 仕方ない。

 襲い来るのなら、人質をとるのなら、覚悟は出来ているだろう。

 お前たちが襲ったのだから、仕方ない。


 誇りを捨てるということは死ぬということだ。


 そうだろう。

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