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白雪の傭兵  作者: あたりひ
〈紅炎を灯す唄声〉
52/54

52.幌馬車

 日が上りはじめたばかりのプラーミアには、すでに活気があった。

 赤熱した蹄鉄が押し付けられ、蹄の裏から白い煙がもうもうと上がる。

 爪が焼けるような独特の臭気が漂い、馬の側に立つ職人が汗だくの眉間にしわを寄せる。職人にくらべて、蹄を手入れされている馬自身は暇そうに首を揺らしていた。


 厩を隣接させた鍛冶場の周辺は、すでに人で溢れかえっている。

 雪のなかを歩かせる馬は、通常よりも一層蹄に気を遣う必要があり、大移動の時期は装蹄師の周辺が商人たちでごった返しているのだとユエンに聞いた。



「都合のいい装蹄師に巡り合えない商人をかすめとるのは我々錬金術師だからねえ。くく、これからは特区も少しあわただしくなるよ」



 そんな話を聞きながら、自分たちは本当に区切りの時に居合わせたのだなと思ったことを憶えている。

『崩れた色彩』がこの機会に来たのはそれが理由だ。プラーミアを襲うには、あれより早くても遅くてもいけなかった。

 万全の職人たちが槌を持てば、そこらの兵士よりも脅威になりうる。ただでさえプラーミアには屈強な男が多いため、様々な準備で疲弊したところを狙ったのだ。

 適切に動いたところにオルレニアのような大局を揺るがす存在が現れたのは本当に不幸としか言いようがなかっただろう。

 状況が落ち着いたからだろうか。敵ながらサイラスに若干の同情を覚えてしまう。


 サイラスといえば、最後のときだけは中身に人の肉体があった。

 オルレニアいわく、遠方から操れる人形を作るのには時間がかかるそうだ。最後の場面に現れたサイラスは本体だったということで間違いないだろう。

 少なくともオルレニアの一太刀で両腕を奪われたサイラスがすぐに戻ってくることはないとアルテたちも言っていた。


 思い返しながら、怖気立つような『黒』の気配を思い出す。

 暗い夜道でひとつだけ開いている戸を覗き込むような、そんな不気味さのある気配だ。

 しばらくは感じたくない。



「忘れものはありませんこと?」

「アルテさん、もう五回目です。大丈夫ですから」



 近くで荷積みが行われる広場のなかで、町娘に姿を紛らわせたアルテが心配そうに眉根を寄せていた。見送ると言って聞かなかったためについてきてもらったものの、ここ最近のアルテは妙に心配性だ。

 カフリノを蘇らせて背負うものがなくなったのか、屋敷でも自由な振る舞いがよく見えた。



「ほんとうに心配ですのよ。身体に不調はなくて?」

「万全です。これでも傭兵としてやってきたんですから、安心してください」

「あなたの行動を見ていると全然安心できませんわ。なにかあったら手紙を送りなさい。崩れた色彩なんてわたくしがとっちめてさしあげますから」

「もしその必要が生まれたら、そうしますね」



 アルテの背後でにこにこと笑うカフリノは、助けてくれないようだ。

 どうしたものかと困っていると、隣から鋭い気配が現れた。



「時間だ」



 背嚢を担いだオルレニアに割り込まれ、アルテがあっと声を上げる。

 それから残念そうな顔をぐっと呑み込んで、微笑みを浮かべた。

 ルフィアも笑みを返して頭を下げる。



「それでは。アルテさん、お世話になりました」

「旅が嫌になったらいつでも来てくださいましね!」



 名残惜しそうにするアルテの背後で手を振るカフリノにも会釈しておく。

 振り返れば、セグルの荷車に最後の荷物群が運び込まれている途中だった。

 列の最後尾の馬車にはエメレイが座っており、ちらほらと他の護衛の姿も見える。そろそろ乗っておかなければ、本当に置いていかれそうだ。


 アルテに背を向けて、馬車に走り寄る。



「おう、遅かったな」

「知り合いに挨拶してまして」

「良いじゃねえか。そういう繋がりはあるだけいいからな」



 眠そうに目をこするエメレイと会話をしているうちに、オルレニアが乗り込んだ。

 軽く話をしていたのだろう。見れば、アルテは服の裾を握りしめて唇を結んでいる。

 その目を見るとルフィアまで心残りが出来てしまいそうで、あえて余所を向いた。


 今生の別れというわけでもない。

 きっとまた会える。



「オルレニアさんも、よろしく頼むぜ」

「ああ、貴様には感謝している。用向きがあれば手を貸そう」

「いい、いい。どうせここは最後尾だ。殿が多くて困るこたぁねえ」



 エメレイはあくびをしながら答えた。

 あえてそういう言い方をしているのだろう。

 傭兵として距離感を間違えないのがエメレイのいいところだ。



「ウラガーンは如何した」

「遠くから付いてくるみたいです。なにかあったら夜の間に報せてくれるそうなので、問題はないかと」

「そうか」



 低く重い笛の音が聞こえ、馬車に人が乗り込んでいく。

 出立の合図だ。



「……すこし淋しいですね」

「生きていれば、いずれ戻る事もあろう」

「ユエンさんたちはその時まで生きているでしょうか」

「錬金術師の行動は読めぬ。明日には死んでいるやもしれんな」

「ふふ、そうですね」



 幌の外を男たちが走り回っている。

 最後の確認だろう。荷物の確認以上に、こっそり乗り込んでいる輩がいないかどうか、というところか。

 そんな風に眺めていると、見覚えのある浅黒い肌の男――セグルが外から顔を出した。



「今回の大移動は厄介に見舞われる可能性が高い。ケツの奴らは、お前達に任せるぞ」



 返事を待たず、そのまま走り去っていく。

 行くぞ! と大声が聞こえる。

 がたがたと馬車が動き始め、斥候の馬が駆けていく。


 プラーミアからアルターリへ。


 約一ヵ月の移動が始まる。




 ◎◎◎◎




 北の地の移動は安定している。

 山が多く険しい西部に比べて、中部はなだらかな丘陵がほとんどである。

 雪が土と混じってぬかるみを生むことだけは難点だが、吹雪に見舞われる冬に比べればその程度は些事と言っていい。

 夏にかけては降水も少なく、先に通った隊商の轍を辿れば、次の街まで迷わず移動することはさほど難しいことではなかった。


 しかし当然、轍はプラーミアからのものに限らない。

 遠い距離を移動するなかで道を間違えたという話も少なくないようだ。

 旅慣れているものならまだしも、素人が迂闊なことをするべきでないのは確かだった。


 幌の帳を開いて後方を眺めていると、はるか遠方に別の隊商が見える。

 規模感を見る限り、セグル率いるトラン商工会の動きにあやかるつもりだろう。

 後続があるなら、ルフィアたちも少しは気を緩められる。


 最後尾の役割は単純で、後方からの襲撃を迎え撃つことにある。

 そこに置かれるのは切り捨てていい傭兵で、ひとつ前方の馬車に乗るのが正式な護衛になる。使い捨ての道具のようだが、最後尾が間者であれば厄介であることは間違いなく、ある程度の信用が必要とされるのも間違いなかった。

 エメレイと知り合えたのは幸運だった。商人にまで顔が利く傭兵というのはそう多くない。定住していない者といえばひと握りだろう。


 そのエメレイといえば、馬車に乗り込んですぐに毛布を敷いて寝はじめてしまった。

 最後尾の馬車にはルフィアたち三人しかいない。

 意味もなくなにかを話すという気分にもなれず、ルフィアはオルレニアのとなりで道具を点検していた。

 ユエンとカルロスに手入れを頼んだ道具たちは使用感から変わってしまった。大事になる前に細かく確かめておこうと思ったのに、集中できない。


 理由は単純で、姿勢が一定のままではいられないからだ。


 がたがたと揺れる荷車はあまり人間には優しくない構造をしていて、外套を下敷きにしていてもお尻が擦れて段々痛くなってくる。

 だからといって足を三角に寝かせても、今度は足が痛くなるのだった。

 何度も体勢を変えながら道具とにらみ合うルフィアの隣で、それまでじっと彫像のように動かなかったオルレニアが身を傾けた。



「ルフィアよ」

「わ、起きてたんですね」

「使うが良い」



 最小限の動作で背嚢から取り出されたのは、ふかふかの毛織物だった。

 黒褐色の艶やかな毛が立っている。エメレイが使っているものでもやわらかそうで羨ましいなと思っていたのに、明らかに質が違う。



「オルレニアさん、これって」

「黒貂の毛布だ」



 道具を取り落して、あわてて拾い上げる。



「こ、高級品じゃないですか! だめですよ、下敷きなんかに使ったら」

「アレクセンに渡されてな。商いに手を出さぬ我らには、唯の道具に過ぎん」

「だからってこんな、ああっ」



 手を引かれて、強引に浮いた身体の下に毛織物が差し込まれる。

 四つ折りにされた毛織物はルフィアの身体を容易く受け止め、伝わる振動が心地よく感じるほどに優しいぬくもりが伝わってくる。



「くっ……」

「身体を労わる事も傭兵の務めだ。道具は道具に過ぎぬ」

「で、でも、そう言うオルレニアさんはなにも敷いてないですよね?」

「案ずるな。我の肉体はこの程度では傷付かん」

「それは、そうかもしれませんが……」

「暗がりの作業は目が弱る。火を点けるとしよう」

「大丈夫です、いりません!」



 おもむろに幌骨の鉤にランタンを掛けようとする腕を抑えようとしても、立ち上がってもオルレニアの身長に敵わない。

 あぁ、とルフィアが情けない声を出しているうちに暖色の光が薄暗がりを照らした。


 たしかに手元は見やすくなったが、もったいない。



「そんなに消費して大丈夫なんですか……」

「無論だ。商人の一人に話を通し、荷を積ませてある」

「それでも、もったいないのは一緒だと思います」

「構わぬ。我が資産は貴様の為にある」

「オルレニアさんのお金は、オルレニアさんのお金です! それに、わたし、自分の道具は自分でそろえてるので、そんな、気を遣わなくてもいいですから」



 オルレニアの隣に置いた背嚢を指さすと、オルレニアはそれを一瞥してから眉間のしわを濃くした。



「最小限に過ぎるな」

「わたしにはそれで十分なんです」

「辛うじて乗り越える事を十分とは言わぬ。近頃、貴様は己を蔑する事に関しては努めて精を出すのだと理解したぞ」

「そ、そうかもしれませんけど、だからってオルレニアさんのものを使うわけにはいきません」

「此れは貴様に用意した物だ」



 な、あ、と言葉にならない声がぼろぼろとこぼれた。


 ちゃんとプラーミアを出る前にオルレニアと荷物確認をした。

 毛布に枕に、着替えや予備の靴底、鉄串と水筒、それなりの貨幣。

 これまでのルフィアから考えれば、ずいぶん満足できるものを用意したつもりだった。


 仕事道具を含めればさらに荷物は増えるのだから、これ以上はやめておこうと冷静な判断もできた。アルテにも褒められたが、彼女の旅の経験は参考にならなかったため、それはあまり気にしていない。


 オルレニアの荷物を見ても、そう違いはなかったはずだ。

 革や金具類がいやに少ないとは思っていた。

 オルレニアほどの傭兵ならなんとかできてしまうのだろうとそう思っていたのに、まさか商人を利用する手があったなんて。



「……荷物を預けるのって、ふつうなんですか?」

「相応の代価は必要の上、信用は置けぬ。重要物を渡すべきでは無い」

「盗まれたら取り戻せないですもんね。そこまでしてやる意味って」

「己を売り込む一環だ。隊商を使うならば、商人と手を組むは良策であろう」

「そういう取り組みもあるんですね」

「次の機会に試すが良い」

「はい、この先の村落で買い物して、試してみようと思います」



 納得して頷いたあと、丸め込まれたことに気づいた。

 オルレニアの会話はまるでオルレニアの戦い方そのものだ。

 確実に受け止め、踏み込み、相手の一手を返していく。きっちりと言葉が帰ってくるせいで、ついついオルレニアが望むような言葉を口にしてしまう。

 口数が多いわけでも、言葉が上手いわけでもない気がする。

 経験がものをいうということだろうか。


 下敷きに体重をかけて足をぐっと伸ばすと、膝が鳴った。

 それにしても、毛織物があたたかい。



 「しかし、貴様は痩躯であるな」



 なにをいきなり、とは思わない。

 大体にしてお尻が痛いのは、ルフィアの肉付きが悪いからだ。



「あんまり食べるほうじゃないんです。それと、食べても肉がつかなくて……ヴァロータでも、抱き心地が悪そうって言われてました」

「野卑に尽きる者共め。貴き身分では痩躯が好まれる事を知らぬか」

「オルレニアさんもそういうの、気にするんですか?」

「拘りは無い。健やかで在る事に勝る要件は無かろう」

「健やか……食べるのは好きなんですけど」



 道具をいじっていると、金具のひとつが転がる。

 あ、と声を上げたときにはオルレニアが拾い上げて、差し出されていた。



「貴様と似た者を知っている。肉体に掛かる負荷が、栄養の供給を妨げて居るのだ」

「その人はどうしていたんですか?」

「他者からの施しを拒否しない事を旨とした。名を上げる程、施しを与えたい者が増える故に」

「では、わたしもそうしてみます。とりあえずオルレニアさんからの施しは受けますね」



 会釈しながら受け取り、はにかみを返す。



「ならば我の狩りの腕を見せてやろう。かつてはイテアカフテをよく仕留めたものだ」

「イテア、カフテ?」

「茶褐色の鳥である。尾羽が長く、足が速い」

「あ、キジのことでしょうか。オスは緑っぽくて、けーんって啼きます」

「ふむ……違いなかろう」

「キジのお肉は好きですよ、でも大体は狩人さんの手柄ですし、わたしが与れたことはほとんどなかったかもしれません。ふふ、たのしみです」

「余剰を分ければ、隊商の機嫌も取れる。在れは良い鳥だ」



 旅の食事は質素だ。

 水でふやかしたパンを呑み込むだけの作業はルフィアもあまり好きではない。

 だから何度か隊商に付いてまわった頃、キジ鍋を囲む傭兵たちが羨ましかった。

 

 一度だけ、ゲルダンが賭けに勝ったときに分けてくれたことを憶えている。

 温かく、艶のあるやわらかい肉だった。噛んだときに溢れる味の深さに驚かされた。

 奪われないように隠れて食べていたら、ゲルダンに笑われた。当時は傭兵ですらなくて生きるのに必死だった。


 今はあの頃よりずいぶんと余裕ができたが、旅の食事はやはり質素に変わりない。

 キジ肉、と聞くだけで心が踊る。


 狩人が獲ると聞いてもあまり期待はしないが、オルレニアがいうのだ。

 キジが自ずから絶滅でもしない限り、その狩りから逃げることはできないだろう。


 楽しみが出来て口角を上げていると、向かいで寝ていたエメレイが目を開けていた。



「なあ、それ、俺にも分けてくれるよな」



 身を起こすなり、伸びをしながら訊いてきた。

 あやかれるものすべてに乗りかかるつもりだろうか。



「それはオルレニアさん次第です」

「貴様には此の隊商との縁を繋いだ借りが在る。振舞ってやろう」

「おう、あんた最高だぜ。ついでに俺にもやわらかい毛布を貸してくれねえか」

「これはわたしのだからだめです。オルレニアさんもそう言ってます」

「いや言ってねえだろ」

「オルレニアさん?」

「エメレイよ。程度を知れ」



 オルレニアの冷えた声に、エメレイは両手を広げて軽く首肯した。

 なにやら駄目な琴線に触れてしまったのかもしれない。


 ひとまずルフィアはエメレイににんまりと笑い返しておく。



「ふざけた面しやがって。わかってるよ、冗談だよ」

「オルレニアさんは厳しいですからね。甘やかされようなんて考えは許されませんよ」

「お前がいうことじゃねえだろ、どう考えても」



 小首をかしげれば、エメレイは苦い顔をした。

 さすがに調子に乗りすぎだろうか。

 オルレニアをちらと見やれば、オルレニアは思案気に目を動かしたあと、口を開いた。



「甘やかしている心算は無い」



 出てきた言葉が少し的外れな気がして、失笑してしまう。



「ふふ、ふ、あはっ」

「笑ってんじゃねえ。お前、慣れたら性格悪くなるやつか」

「ご、ごめんなさい、ふふ、なんだか面白くて」

「オルレニアさんよ、こいつにちゃんと礼儀を教えてやってくれ」

「笑わせたのは貴様であろう」

「いや、笑わせたのはあんただろ。くそ。やってらんねえ」



 オルレニアの顔に、珍しく目じりのしわが笑みを湛えていた。

 ルフィアがプラーミアで寝込んで以来はどこか警戒しているような緊張があったが、それが薄れているようだった。

 ひとしきり笑ったあと、オルレニアに寄り掛かる。



「すこし、肩を借りてもいいですか?」

「構わぬ」



 背を預けると、しっかりと受け止められる。

 なんて安心感のある腕だろう。このなかにいれば、なにもこわくない気がする。



「それではわたしは眠るので、しばらくおねがいしますね」

「任せたぞ、エメレイよ」

「あんた、その顔で冗談言うんだな」



 道具を片づけて、あくびする。

 さっきまでは煩わしかった馬車の揺れが、なんだか心地よかった。

 がたがたと不規則な揺れのなかで、まぶたが下りてくる。


 外から入る薄い光とランタンの暖色がまじりあって埃がきらめいている。

 旅の移動は過酷なもの。そんな風に思っていたのに、今はあまりに穏やかだ。


 オルレニアとエメレイがなにか話しているのを聞きながら、まどろみに浸かりきった。

 よく眠れそうだった。



 

 ◎◎◎◎

 


 

 ひゅ、と風を切る音が鳴ったことには驚かなかった。

 およそ数刻前にオルレニアが予見していたからだ。


 プラーミアを出て数日が経った頃だった。


 矢は幌馬車に向かっていくつか放たれたようで、隊商は速度を緩めつつ、にわかに騒然としていた。


 幌の隙間から外の様子を伺い、改めて状況を理解する。

 日が沈みかけていて、夕焼けのなかで視程が悪い。


 プラーミアを出てからそう時間が経ったわけではない。襲撃の主は待ち構えていた。

 このまま意図する方向に隊商を追いやるつもりだろう。



「馬賊だろうな。じゃなきゃ反撃を恐れて矢なんて撃てねえ」

「エメレイさんは見えますか?」

「いや、こう明暗が激しいとだめだな。お前もか」

「もともと目は良くないんです。ほら、こんな身体なので」

「それで傭兵やろうってんだから度胸があるぜ。オルレニアさんはどうだ」

「五人だ。片付けても良いが」

「なにがどうなってわかったんだよ」



 困惑を顔にするエメレイの前で、オルレニアは目だけを動かしていた。

 きっと色を見ているのだ。

 正直、オルレニアなら言葉に嘘はないだろう。



「風の音が伝えて居る」

「なに言ってんのかわかんねえが……まあ、あんたほどの男がいうならそうなんだろうな」

「買い被るな、エメレイよ。我は此の地の見識が浅い。貴様は如何に思った」

「馬賊にしたって弓が上手いな。この辺りでまともに盗賊なんてやれてるやつはそういない。大体は傭兵崩れやら帰れなくなった冒険者が相場だが……こいつらは仕掛け方が上手い。西方の部族で同じ動きを見たことがあるな」

「流れ者か」

「そうだな。北王国と西方の軋轢を考えると、情勢の変化で追いやられたか? まあなんにしたって素人じゃない。油断はできねえな」



 話しながら弓に弦を張る動作はこなれたものがある。

 エメレイは真剣な表情で幌に穴を開けて覗き込んだ。



「影が濃い、よくこの状況で仕掛けたもんだ」

「目的はなんでしょうか。この規模の隊商を襲撃するなんて無謀だと思いますけれど」

「誘導だろうな。逃げやすい道に俺たちを追い込むつもりだ」

「わたしもそう思いましたけど、この辺りにそんな道ありましたか?」

「だから警戒してんだ。この辺りにそんな道はねえ。分かれ道はあっても、今の時期は大移動の影響でそれなりに栄えてる集落に向かう道だ」

「森もそう深くありません。襲撃に適した場所もそう多くないのに、どういうことでしょう」

「お、わかるか。妙なんだよ。普通はこんなとこで仕掛けない。集落まで逃げ込まれたら攻めようがなくなるからな。なんもねえなら小規模の隊商を集落のあたりで待つこともあるだろうが、この時期にそんなことをするやつは馬鹿だ」

「その割に近づいてこないのも奇妙ですね」

「こっちを消耗させるつもりだろ。暴れて手柄を立てたい傭兵の手綱を握るのはそれなりに骨が折れるもんだからな」

「まるでやったことがあるかのような口ぶりですね」

「やったことがあるんだよ。一時期、商人の小間使いだったんだ」

「なるほど。どうりで」



 エメレイは傭兵たちのなかでは頭が切れる。

 それに商人に対しての知識がやけにあると思っていた。北の地を身ひとつで旅する傭兵というのもすごいものだが、それなら納得できる。

 エメレイが幌の穴から目を凝らすなかで、ルフィアはオルレニアに身を寄せた。



「離れたところにウラガーンがいるはずです。どうしましょう」

「奴は賢獣だ。節操無く襲い掛かる事は在るまい」

「でも万が一、馬賊と出会ってしまったら……」

「誇り高き銀狼は武器を向ける者を逃がさん。馬賊は容易く引き裂かれるであろうな」

「それはそれでまずいと思うんです。だからって呼ぶわけにもいかないんですけど」



 首から下げた小さな笛を指先で転がす。


 もしウラガーンが馬賊を殺したとして、死体が見つかることが問題だ。

 狼の爪痕、それも巨大なものが見つかれば、群れがいると推察するのは難くない。隊商の移動に影響するどころか、行路に支障をきたす。

 近くに置いておかなかったことを今更後悔していた。



「此の先が林が在ったか」

「はい。集落の前に、そう広いものではないです」

「其処で合流するとしよう。奴の手が必要だ」

「わかりました。でも、手が必要って?」

「恐らく集落は陥落して居る。我等では手が足りん」

「え? 陥落している、って、ど、どういうことですか?」



 オルレニアは少し黙ってから、口を開く。



「此の場で隊商を射たのは、後の油断を誘う為であろう。集落に入る直前に襲撃の勢いを強め、集落に逃げ込んだ隊商が態勢を立て直す所を狙う心算ならば理屈が通る」



 淡々と語るオルレニアの声に、エメレイが顔を向けた。



「そりゃおかしいだろ、オルレニア。この時期の集落は傭兵も多いし、よく隊商が入り込む。集落を乗っ取るにも、待ち受けるにも問題だらけだ」

「下らぬ賊で在ればな。奴らは此の周辺の者では無い。貴様が先に述べた事だ」

「敵の正体は西の部族ってことか?」



 その言葉を受けて、ルフィアははじめてうなずけた。



「そっか、それならここに止まる必要がないんですね」

「あいつらは優れた戦士だ。それなりの数があれば集落だって落とせるとは思うが……たしかにな、潮時を見て逃げ出すにしたって、端から遠征なら関係ないか」

「外から来る隊商に追い込みを仕掛けるくらいですから、かなり計画的な襲撃です。もしかしたらこの馬賊の主目的は略奪ではないのかもしれません」

「俺も今そう思ったところだ。大移動は西の異民族との戦争に物を届ける動きだからな。お前の予想は当たってるだろうよ」



 つまり、この襲撃は北王国と戦っている西の異民族からの攻撃だということだ。

 馬賊だと決めつけて規模を見誤っていたら大隊商でも崩される。


 すべて推測に過ぎないが、視程に入らない距離から矢を放つという卓越した技によって、精強な異民族であるという可能性はむしろ高まっていた。

 いくら北の地の戦士が強くとも、集落を守る程度の人数では多勢に無勢だ。

 厳しい冬の大地を乗り越えてくるような戦士団を相手には出来ない。


 ルフィアの手にも緊張が滲む。



「とりあえず、ウラガーンは林で呼び戻しますね」

「前の奴らに連絡するか?」

「既に見当を付けている者も居る筈だ。状況を計り、都度行動を決めるが良かろう」



 端的に告げて、オルレニアはおもむろに幌の外へ顔を向けた。



「先に奴等の程度を計るとしよう」



 そのまま遠くを見るように目を細めて、剣を抜く。

 あ? と驚きの声を上げるエメレイを置いて、ルフィアを手招いた。

 幌を開くと、夕日が入り込んできて視界が眩む。



「どうしたんですか?」

「此度の敵は色使いでは無い、が」



 幌を開いたあと、わずかに遅れて矢が飛んできたようだった。

 ようだった、というのは、オルレニアの手に矢が握られていたことで理解したからだ。


 この目が利かない状況で、ルフィアは矢が見えなかった。

 相手はこの状況でも精度の高い射撃が出来るのだ。



「優れたる技を持つ者だ。目で学べ」

「……はい、わかりました」



 頷きを一つ返し、オルレニアは剣を構えた。


 右手を添え、左手で握りこみ、首より上に柄を構える。

 ルフィアが基本としている構えだ。あえて真似ているのだろう。


 風が吹き、外套が靡く。


 明暗がはっきりと分かれ、むしろ視程の悪い状況で、オルレニアの顔は微動だにしない。

 遠くを見るようにありながら、近くを見ているような気配もある。

 姿勢はぶれず、ただ、よく見ると細かく肘の位置を変えている。


 斜め後ろから見ているからだろうか。なにかが奇妙だ。

 ルフィアの知る限り、剣士が放つ気配はこんな感じではなかった。


 大きな体躯がそこにあるのに、オルレニアの気配を感じない。むしろ違和感があるほど、そこに馴染んでいる。

 オルレニアの動きが完全に止まると、空間と一体化したようだった。

 オルレニアがそこにいなければおかしいというほどに、画になっている。



「来るぞ」



 はっとして見上げれば、星が薄く見える暗い空に、鈍色の光が混じった。

 それしか見えなかったが、必死に集中すれば目は追いついた。

 その矢じりはオルレニアに吸い寄せられるように風を切って迫る。


 オルレニアの動きと、矢の動き、全体を見ようと目を開く。


 そこでようやくオルレニアが見せようとしたものを理解する。

 オルレニアが剣を振るった瞬間、画が完成したからだ。


 キン、と細い音を鳴らして、矢は容易く弾き落とされる。

 ルフィアはその一瞬、確かに矢がその場にあるべきだと感じた。


 馬車にオルレニアが乗っていることも、矢がこの場所に飛んでくることも、すべて偶然であるはずなのに必然のように見えた。



「見えたか」



 剣を収め、オルレニアが問うた。

 何がと言わないのは、信頼の証だろうか。



「射手とオルレニアさんで、ひとつの風景を作っているみたいでした」

「良い見方だ」

「動いているはずなのに、オルレニアさんが矢を弾く瞬間、静止したようにも見えました」

「然り。我は射手と意味を合わせた。奴等が一体化して居る空気を識り、奴等の予測から身を外し、代わりに刃を置いた」



 幕を閉じると、再び暗がりに包まれる。



「意味を、合わせる」

「風の流れ、音の震え、光の強弱、感情の動きの一つまで、全ては意味を持つ。優れたる者はあらゆる意味に身を預け、場と一体化する。其れを逆手に取るのだ」

「なる、ほど……?」

「深く考えずとも良い。貴様は理屈と実感を以って理解する傾向が在る。今は分からずとも良い。後に其の場に相対した時、経験が活きよう」



 話しながら、ルフィアの隣に座り込む。

 言っていることを完全に理解できないのは、オルレニアが今言った通りなのだろう。


 この後に馬賊たちと戦うなら、その時に知る機会が来る。

 だからオルレニアはこの場でルフィアにやらせず、見せるに留めたのだ。



「エメレイさんは、なにかわかりましたか?」

「わかるわけねえだろ。何言ってんだ」

「なにもわかりませんでした?」

「喧嘩売ってんのか、買わねえぞ。俺はお前らと違って凡人でね。怪我して初めて痛みを知り、生き延びて落ち着いて、あとでようやく理解するのさ。痛みの上手い知り方なら教えてやれるぜ」

「それはそれで気になりますけど、遠慮しておきます」



 言葉を交わしつつ、連絡が来ればすぐに動けるようにしておかなくてはならない。

 ルフィアが身体をほぐしはじめると、エメレイも腕帯や腰帯に道具を差し込んでいく。


 オルレニアが動きを見せたのは、この後に待つ敵の技量を警戒してのことだろう。

 今のルフィアでは危険な場合があるとオルレニアは見ているのだ。

 これまでもそんなことばかりだったが、最近の戦いを考えれば、ただの人間との戦いということで気が緩んでしまいそうな浮ついた感覚があるのも事実だった。


 いつも通りに革帯で髪を留めようとして、オルレニアから貰った髪留めを使う。

 綺麗なそれに傷がつくのは嫌だったが、これを付けていると気分が上がる。


 細い鎖を引っ張って腕輪を合わせたあと、剣先を鞘の底から少しだけ離し、柄と鞘の隙間に麻布を一枚挟んで抜きやすくしておく。


 慣れた動きをしていると、段々頭のなかが冷えていくのがわかる。

 プラーミアでの生活のほとんどは、穏やかで暖かく、眠気が絶えないようなものだった。


 そういったものから、意識が離れていく。


 華々しい香気が、錆の匂いに変わる。


 戦いとは、そういうものだ。


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