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白雪の傭兵  作者: あたりひ
〈紅炎を灯す唄声〉
51/54

51.隊商

前回までのあらすじ

プラーミアで一通りの事件を終えたルフィアたち。傷を負ったルフィアの体調も回復し、そろそろ「アルターリ」へ出発する支度が終わろうとしていた。

 日の光に抗するように、プラーミアは熱を上げていた。

 街の端まで煙が立っているのは、冬の間は眠らせている炉まで起こしたからだ。

 大移動に際して立ち寄る商人たちはプラーミアで良質の武具や金具を買い付ける。

 多少の騒動があったとしても、職人たちは腕を止めてはいられない。


 人々の往来はさらに増し、旅装束の姿が散見された。

 錬金術師の特区もその影響を受けており、普段は姿を見せない錬金術師たちがちらほらと歩いているのが見える。

 ノーグ商会も完全に門戸を開き、内々の問題も収まらないうちから無数の商談を取り付けているようだった。


 からんからんと振り鈴の音が鳴り、またひとつ馬車が動き出す。

 腰から剣を下げた赤ら顔の男たちが複雑な面持ちでそれを眺めている。



「惜しいねえ、嬢ちゃん一人なら話は違ったんだが」

「そうですか……残念です。また会ったときは、お願いしますね?」



 ルフィアはわざと苦笑して、頭を下げる。

 露天の幌の下、こんな言葉を聞いたのは何度目だろうか。

 やせぎすの男は困った顔でルフィアの次の傭兵に向き直っていった。

 

 ルフィアはプラーミアからの移動に際して、隊商への売り込みをしていた。

 大移動に際して、多くの傭兵は隊商の護衛として行動を共にする。

 一日二食と銀貨一枚がつけば上等。

 ルフィアも経験があり、そこまで苦労するものだと思っていなかった。


 ヴァロータは傭兵が隊商を選ぶ立場だが、プラーミアはそうではないらしい。

 傭兵の少ない街では隊商が傭兵を吟味して、より優れた、信頼の高い者を連れていく。


 ただでさえ競争の激しいなかでは、はじめの印象が重要になる。

 そしてルフィアはその印象にそぐわない容貌をしていた。

 大柄な男が多い傭兵たちから、わざわざ細身の女性を選ぶ物好きはそういない。

 悪い意味で身体を求める視線も多く、仲介人が下卑た思惑を露わにしなくとも、そういった意図が見える隊商はもう諦めた。


 朝から総当たりする勢いで多くの隊商に声をかけているものの、上手くいく様子はない。

 ただ自信をもって「わたしが探してきます!」とオルレニアに言ってしまった手前、そう簡単に言葉を撤回することもしたくなかった。



「俺もものを知らんわけじゃない。あんたがどうかはさておき、特区を出入りしている人間ってのはあまり良い印象を持てなくてね。悪いな」

「いえ、こちらこそ失礼しました。またなにか、機会があれば」



 加えて、錬金術師との関わりが足を引っ張っていた。

 ルフィアはよく目立つ。途中から髪を灰色に染めていたものの、帯剣している少女の噂は簡単に広まっている。

 錬金術師とは異常者の集まりだ。エイゼンシュテイン伯の厚遇によってこそプラーミアに特区を持てているだけで、一部の地域では排斥されているような存在である。

 多くの土地を旅しながら商売を行う隊商にとって、そんな傭兵と関わりを持つことは、利益以上に風聞が悪い。


 せめてプラーミアに馴染みがあれば話は違っただろう。

 悪評があれば好評もあるとそんな受け取り方ができるほどルフィアの悪評はやわなものではなかった。



「わたし、すごく頑張ったのにな」



 一人ごちながら、人の隙間を縫って歩いていく。

 少し腕も疲れてきていて、病み上がりの体を呪いたくなる。


 なぜ腕が疲れるのかと自分でも思うけれど、競争のなかで剣を振らなくて済むほど傭兵の世界は甘くない。

 血気盛んな傭兵は他の傭兵を倒すことで自分を売り込むこともあり、ルフィアはその恰好の標的だった。

 もちろん返り討ちにしてみれば、不気味さに拍車がかかったらしい。

 ルフィアは雇われず、負けた男に対する呆れと何ともいえない微妙な空気が居心地悪かった。



「困ったな……」



 結局のところウラガーンに頼れば、移動自体は可能だろう。

 多少の艱難はあれど、オルレニアがいれば旅の道中は学びの場になるだけで済む。


 ただひとつの問題として、ヴァロータからプラーミアへの道のりは旅人も少なく怪しまれることはなかったが、プラーミアからアルターリへはそう簡単にはいかない。

 大移動に際して多くの旅人は隊商と共にあり、まともな道には人目が多すぎる。

 巨大な狼が駆けているとなれば大問題になることは間違いなかった。



「ほんとうに困ったな……」



 一瞬、オルレニアに頼ることが頭によぎるが、頭を振って否定する。

 ここで頼るのはあまりに情けない。それに、これは成長と見聞の機会なのだ。


 ぐっと手を握りしめ、空を見上げる。

 心が乱れたら空を見る。空はいつも雄大で、心を落ち着かせてくれる。

 そんなことをゲルダンが言っていた。らしくもないと思う。

 ふー、と細い息を吐いてから行く先を見れば、見知った顔が視界の隅に映った。


 今にも雑踏に紛れ込みそうな素朴な顔と、長い茶髪を持つ男。

 ただ、一度見たら印象に残る不思議な愛嬌がある。



「エメレイさん!」

「おわっ、あぁ? ……なんだ、嬢ちゃんか」



 いかにも道行く途中だったエメレイは圧のある声を上げたあとにルフィアの姿を見て、眉間に寄せたしわをすぐに緩ませた。

 片手には長い包みを持っており、おそらく短槍が包まれているのだろう。



「あ、ごめんなさい、いきなり声かけて」

「まったくだ。って言われるから、そうやって謝んのやめたほうがいいぜ」

「これは諍いを避ける方法なんです。ところでどうしてここに? もう行ったのでは?」

「あー、ちと不都合があってな。隊商の荷車が故障して、どうせならここで蹄の手入れもしておくって隊長がおっしゃりやがった。あと二日くらいはプラ―ミアだ」

「なるほど」



 長距離を移動するためにはいろんな難題があるが、荷車の状態は特に大切になる。

 雪のなかを移動してきた馬の蹄も同じで、蹄を労わらなければ馬がだめになってしまう。

 応急処置くらいはしているだろうが、万が一を考えるなら、滞在時間が二、三日伸びるくらいは大した問題ではない。



「で、なんだ?」

「なんだということはないんですが……あ!」



 思えばルフィアにとって都合のいい話だった。

 首を傾げるエメレイに、にこりと笑みを返す。



「ねえ、わたしたちもその隊商に入れてくれませんか?」

「あ? なんだ。困ってんのか」

「へへ、まあ、端的に言ってしまえば」

「似合わねえ笑い方すんなよ。どういう風の吹き回しだ? お前ぇらの実力ならひとりふたり捻ってやればそこらへんに潜りこめるだろうが」

「ええと、錬金術師との関わりが噂になってまして。あと、わたしの見た目も」



 自分を指さし、小首をかしげる。

 エメレイの視線がルフィアの頭の先から足先まで移動して、戻る。



「たしかに怪しいわな」

「女性に対してなんてことを。どうですか、わたしの実力を勝ってくれませんか?」

「あんたらの能力については疑いねえが、買うのは俺じゃねえんだよな」



 エメレイは思案気に明後日を見てから、眉根を上げた。



「まあ、紹介くらいはしてやってもいいぜ。今年はずいぶん荒れてるみたいだしな」

「荒れてる?」

「おう。アルターリのほうで騒ぎがあるみたいでな。向かう奴らにも対立があるらしい。隊商同士や傭兵同士の争いやら、どこが先に着くやら後から追い抜くやら……まあ、いざこざで稼ぐ奴もいるくらいだ。逆に言えば、ここで上手く対応出来る傭兵ってのを商人たちは求めてる」

「……わたしたち、アルターリに行くつもりなんですけど」

「は、ならちょうどいいじゃねえか! 最終的には隊長次第なわけだが、多少は口利きしてやるよ」

「え、エメレイさん……っ!!」

「うわぁ、先に言っとくが、あんま……期待しすぎんなよ」



 目を輝かせて見るほどに、エメレイは顔を渋くする。

 ルフィアの見た目に騙されてほだされるのは、いつも戦ったことのない相手だけだった。


 エメレイにはもう見た目で甘えても仕方ない。

 過剰な反応はやめて、エメレイの隣に並ぶ。



「それでは、お願いしますね」

「……なんだかんだ、お前、やり方が上手くなってる気がするよ」



 ひとまずエメレイの言葉は、誉め言葉として受け取っておいた。

 



 ◎◎◎◎




 警備があちこちに立っているのは、それだけ問題が起きるからだ。

 人が溜まる大通りから外れ、職人区との境界を示す水路に沿って歩けば、すぐに数台の幌馬車が見えてくる。

 中央に井戸のある広場――大通りのものに比べればずいぶんと狭く、周囲の家屋のせいで薄暗い――の周りに停まったそれらには、それぞれ数人の姿があった。



「あれが隊長だ。旅人育ちで無尽蔵の体力がある」



 そのうちの一人、エメレイの視線の先を見やれば、よく日に焼けた肌を持つ男が木箱に座っていた。黒い髪は肩口で揃えられ、側頭部の内側は短く剃ってある。


 目元に薄く傷の痕があり、整えられた黒い口ひげ。

 隊長という肩書に見合う、落ち着いた風貌だった。

 一見して細身だが、外套から覗く腕には引き締まった筋肉が付いている。まるで緩みのないそれは、見せかけではない仕事への情熱が感じられる。


 険しい表情もいかにもといった感じ。

 オルレニアとどちらが怖いだろうか。

 そんなことを考えながら歩み寄る。

 職人気質の人間のほうがこちらも信頼が置けるというものだ。



「今度は、なにを連れてきた」



 掠れた声が響く。

 じろりと向けられた黒い目が、鷹のように鋭い視線を向けていた。



「妓人は、いらんぞ」



 一言一言、かみしめるように発せられたそれに、ルフィアは苦いものを覚える。

 妓人――遊女、または娼婦、言い方はいくらでもある。

 あえて言い方を選んだのは、この隊長の性分に違いない。

 エメレイが選ぶだけあって実に慎重な考えの持ち主らしい。



「あー。腕の立つ傭兵を連れてきた。もうひとりおまけもいるが、たぶんこの街にいるなかでも一、二を争うやつだ。護衛にどうかと思ってね」

「……それは、己の代役ということか?」

「いんや、俺だけじゃ心元ないだろ? ちょっと怪我してるし……」



 エメレイの言葉を受けて、隊長の目がぎょろりとルフィアに向いた。



「噂に聞いている。錬金術師の小間使いか」

「雇われていただけです。傭兵として」

「物好きには違いない。奴らの関心を惹くため、何を見せた」



 試すような視線に緊張が背筋を走った。

 なんの緩衝もなく、男は本題に入ったのだ。

 この男はルフィアを品定めしている。下卑ていない、正しい意味で。


 話が早くて助かる。

 それなら見せられるのはひとつだけだ。

 ルフィアが信じる方法、腰の剣に手を掛ける。

 鞘を片手に緩やかな動作で刃を引き抜くと、光を反射した刀身が輝く。



「わたしが見せられるのは、これだけです」



 言いながら、ひゅっと空を斬る。

 二度、三度と剣を振り、軸を整えた振り下ろしからの、袈裟懸け。

 最後の太刀で最初の構えに戻る。 


 事件から少し間を置いていたが、身体はよどみなく動いた。

 一通りの動きを終えて、男の目を見つめる。

 男はエメレイの口笛に舌打ちして、ルフィアから目をそらす。



「剣を見せてみろ」

「……どうぞ」



 鞘を外して剣と共に差し出せば、隊長はふんと鼻を鳴らした。

 隊長は鞘を裏返したり日に当てて眺めたあと、刀身に目を寄せた。

 柄を握り、ゆったりとした動作で刀身を指でなぞる。それから両手で握りなおすと、縦横に傾け、なにかを確かめた。


 険しい眉間には一層深いしわが寄っているが、それだけ集中しているのか。



「南東の技が入っている。いくらで買った」

「銀貨、二十枚以内」

「随分な気まぐれにあったか。面白い」



 面白いと言いながら、その表情には一辺の変化もない。

 ルフィアが緊張を胸の中に押し込めていると、隊長はおもむろに立ち上がった。



「この剣を打った職人を信じよう」

「え、あ、ええと」

「雇ってやると言ってるんだ。その、もう一人とやらも信じられるんだろうな」

「は、はい。口も剣も、わたしより遥かに信頼が置けます」

「良し」



 そう短く言って、隊長は座っていた木箱の蓋を開ける。中に入っていた頭陀袋に手を突っ込み、取り出したのは独特な模様の銅貨だった。



「それを見せれば、うちの奴らは理解する。出発は明後日、日が登りきる前に広場で荷を積んでいく。最後尾の馬車に乗れ。報酬は一日につき銀貨二枚、飯は二食だ」



 思わず安堵の息が洩れる。

 どうやら、認めてもらえたらしい。



「セグル・キャザンクだ。トラン商工会に籍を置いている」

「ルフィア・エリンツィナ。個人で傭兵をやっています」



 セグルと名乗った隊長は、軽く頷くとそのまま馬車の影に去っていった。

 思えば、暇をしているわけがない。わざわざ時間を作ってくれたようだった。



「交渉上手じゃねえか」

「上手もなにも、これしか知らないだけです」

「なら運がいい。セグルは元々鍛冶師をやってた。良い剣を良く振るう奴は、あいつにとって良い奴になる」

「体つきでそうではないかと思っていましたが、やっぱりそうなんですね」

「鍛冶師ってわかるのはなかなかだな。嬢ちゃんは目がいいわけだ」



 エメレイは軽く笑ってから適当な木箱の上に腰かけた。



「さ、お前も準備があるだろ? 俺はしばらくここにいるから、オルレニアのやつも連れてくるといいさ」

「ふふ、オルレニアさんも隊長さんに紹介してくれるんですか?」

「甘えんな。ってか、あいつなら俺の紹介いらねえだろうが」



 失笑するエメレイは、本当に人当たりが良く見える。

 戦いのときもそうだが、彼は本当に気負いしない。その自然な立ち振る舞いは生来のものなのか、あるいは努力で得たものなのか。


 見習わないとな、なんて思いながら、ルフィアは屋敷へ帰路についた。

 


 

 ◎◎◎◎




「上手くやったみたいですわ。ヴィエナさま」

「そうか」



 声をかければ、長机を挟んで座るオルレニアは頓着もないように茶を傾けた。

 街の喧噪を聞くのをやめて、アルテは微笑む。



「心配なら着いていけばよろしかったのに」

「成長の妨げになろう」

「随分気をお遣いですわね。いえ、ずっと思ってはおりましたけれど」

「過剰とは得心している」



 険しい顔だが、これは元々。

 むしろオルレニアが優しげだったら気持ち悪いかもしれない。

 ただその行動はあまりにも過保護で、アルテは苦笑を咳払いでごまかした。



「本当に発つのですか?」

「大移動とやらに併せるのが自然であろう。遅れさせる理由もあるまい」

「理由はあります。わたくしたちの力が馴染めば、アルターリまで歌も届きますわ。そのほうが、万一を考えれば安全かと」



 隣で編み物をしていたカフリノが顔を上げて首肯する。

 カフリノが万全でないため、今の歌姫は全力の半分も発揮できていない。

 もう少し力が戻れば、北の地くらいなら端から端まで歌を届けられる。連絡さえあれば、ルフィアの助けになれるだろう。


 素直で明るく愛嬌のあるあの少女のことはアルテも好意的に思っている。

 それにこの数日で彼女がひどく弱っている姿を見て、彼女の身体の弱さを知った。

 歌姫の力があっても不死身になるわけではないが、できることなら力を貸してあげたい。



「お前達の歌は信用している。だが他の色がルフィアを染める事には危険性がある事も、無視は出来ぬ問題である」

「たしかに……彼女はかなり純粋な白ですものね。簡単に染まり、変容する。なるほど、だからヴィエナさまも力を抑えていらっしゃいますのね」

「ああ」



 オルレニアの身体に揺らめく『黒の色』は押し込められたように少ない。

 再会して初めから違和感を覚えていたが、これもルフィアのためだったらしい。

 彼ほど強力な『黒』が近くあれば、常人でもすぐに『色』が崩れてしまうだろう。



『ヴィエナさまがこんなに気を遣うなんて、ほんとうに珍しいですね』



 カフリノの声が頭に響く。

 いささか無礼ともとれる発言だが、アルテも同じ気持ちではあった。

 オルレニアは基本的に、誰に対しても同じような態度をとる。相手で仮に護衛対象であったとしても、慇懃に振る舞っている姿は珍しい。


 それがルフィアに対しては、過剰なほどの気遣いを見せている。

 本人が拒否しなければ、あらゆる世話を甲斐甲斐しく焼きそうなほどに。


 カフリノが蘇る前はどうでもよかったことが、目端について気になってしまう。



「なにか、思惑がありますの? かつての色彩戦争では、わたくしたちは早々に離れました。その後のことに関わりが?」



 軽く首を傾げてみれば、オルレニアは空になった茶器を置いた。



「そうであったな。お前達は、二度目を知らぬ騎士だった」



 どういう意味か、と聞くつもりはない。

 かつて色彩戦争と呼ばれた大戦争。

 五色の『王』と、それに従う者たちが武器を持ち、争った。

 世界の形を変え、今の世界を築き上げるに至った戦いだ。

 第一次戦争でほとんどの『王』が消えたため、第一次戦争と第二次戦争の規模は天と地ほども差がある。

 書物も残らないほど古の大戦であるため、その事実を知る者はもはや生きていないだろう。

 アルテは第一次戦争で『王』とまみえて片割れを失ったため、第二次戦争にはほとんど関与していない。

 その結果が、現在に続いている。



「わたくしは、カフリノを亡くしましたので」

「ああ。誰もが多くを失った。そして、其れは終焉を迎えておらぬ」

「終わっていない、とは?」

「零れ落ちたものを掬おうとする者が、未だ多く存在している」

「……委細は、話してくださらないのですね」



 あえて明言を避けるようなオルレニアに、思わず暗い声が出てしまう。

 もちろんアルテも思い当たる記憶がないわけではない。

 ただ、推測だけで語れる軽い事情ではなく、だからこそオルレニアが口にしない限りはアルテも追求は出来なかった。


 オルレニアは見た目以上に寛容で温厚だ。

 眉を寄せて黙っているのは、怒っているわけではないのだろう。

 むしろどう答えたものか、困っているように見える。



「……アレクセンに聞け」



 しばらくの沈黙の後、その一言がこぼれ出た。



「アレは知っておりますの?」

「ああ」

「ヴィエナさまは、わたくしとアレの仲をご存じだと思っておりますけれど」

「イヴリアナ・トリアとカフリノ・シクルの関係は良好で在ったと記憶している」

「そうですわね。ですがわたくしとあの男の関係はとても、とても険悪ですわ」



 語気を強めれば、オルレニアは目を伏せた。



「よく、憶えている」



 思い返してみても、互いに喧嘩していた記憶しかない。

 仲裁に入っていたのは多くの場合カフリノか、あるいはオルレニアだった。

 だから、オルレニアがそれを忘れているわけがない。

 隣から小さな忍び笑いが聞こえて、カフリノを見やる。



「互いに苦労を掛けられていたな。カフリノ・シクルよ」



 オルレニアは眉根を上げて、カフリノもそれに目線で応えた。

 く、と言葉がのどにつっかえる。



『トリアさまが呆れた感じで見ていたのも憶えています。懐かしいですね』



 カフリノからの追い打ちに、つっかえた言葉を呑み込んだ。



「あの男が、わたくしに……話してくれると思います? ヴィエナさま」

「さてな」

「つい最近、喧嘩したばかりなんですけど」

「聞いている。色を剝がされたとな」

「なんなんですの、アレ。気色悪いことこの上ありませんわ」

「其れを含め、まともに話す機会を設けるが良かろう」



 元々アルテはあまり口が上手いほうではない。

 オルレニアに対して食い下がっても、はぐらかされるだろう。

 やきもきする感情は抑えよう。



「とにかく、ヴィエナさまには頭が上がりませんから無理な頼みも聞きますけれど、ルフィアさんに害が及ぶなら歌姫としては協力致せませんわ。わたくし、あの子を気に入っておりますの」

「害を為す心算はない。お前達に害を為す事も無かろう」

「それも詳細は語ってくださらないのですね」



 少し考えてから、カフリノに目くばせする。

 口が上手い妹なら。

 

 カフリノは小首をかしげて、両手を合わせた。



『ヴィエナさまは、ルフィアさんのことをどう思っているのですか?』



 カフリノの言葉をオルレニアに聞かせるために復唱する。

 なるほど、そういった質問すればいいのかと納得する。

 会話にそこまで思考できないアルテでは、上手い質問も浮かばなかった。



「ふむ」



 オルレニアはその問いに、小さく唸った。

 そして目を伏せ、しばらく黙り込む。



「……小さな、灯火のようなものだ」



 それから紡がれた答えは、ひどく曖昧だった。



『素敵ですね』



 詮索の声を止めるように、カフリノが言葉を挟んだ。

 目をやれば、人差し指を唇に当てて微笑んでいる。



「素敵ですとカフリノが申しておりますわ」

「そうか」



 短く答えて、オルレニアは明後日に目を向けた。


 ほとんど同時に、ルフィアの気配を屋敷の前に感じる。

 話は終わりということだろう。



「くれぐれも、お気をつけて」



 立ち上がるオルレニアに声を掛けると、頷きが返ってきた。


 扉の開閉音が鳴り、部屋にアルテとカフリノだけが残される。

 静かな空間に、パキ、と薪が爆ぜた。



「あぁ……人のことは本当にわからないわ」

『姉さまは鈍感ですからね』

「そういうカフリノはなにかわかったの?」

『いいえ。でも、詮索するのはとっても野暮だと思ってしまって』

「たしかにね。あのお方なら応じてくれるでしょうけれど、べつにそこまでして聞きたいことでもないし」



 昔のオルレニアはこんな世話話をする相手ではなかった。

 だからこそ未だに何を考えているのか、今でも簡単にはわからない。

 戦いの中で見えていた姿と、この落ち着いた現代に見える姿は大きく違っていた。


 そもそもアルテ自身がずっと蘇生法の研究ばかりしていたものだから、どうにも世間と感覚が離れているのもある。

 もっと人と関わらなければならない。



「ヴィエナ様が変わったなら、アレクセンも変わっていると思う?」

『変わっていたら姉さま、好きになれますか?』

「絶対にならないわ」

『なら、気にすることではないと思います』

「そうね」



 長机に置いていた紅茶を魔法で温め、少し渋みの増したそれを嚥下する。

 思ったよりざらついた味に思わず舌を出してしまった。



「それにしても、これからどうしようかしら」



 カフリノが生きている、それだけでアルテは幸せだ。

 出来ればルフィアやオルレニアの手伝いをしていければと思うものの、彼らが旅をする身の上である以上、アルテにできることは少ないだろう。



『とにかく、誰かの力になれたらいいですね』

「うん、名案だわ」



 思い出してみれば、この百年程度でも世話になった相手は多くいる。

 最後に関わったのがルフィアやオルレニアだっただけで、長い研究のなかで人の手を借りたことはたくさんあった。


 とりあえず、『崩れた色彩』との戦いには協力しよう。

 その上で、サルマン伯爵やユエンたちに手を貸してもいいだろう。

 錬金術師の評価を上げるなら、彼らが認められるほどの価値を与えればいい。

 そのための販路を……と考えて、ふと、腹が立つ美形の顔が浮かんでくる。


 アレクセンは気に食わないが頭が良い。

 腰を落ち着けて話をすることも必要だろうか。


 だんだん苛立ってきたところで、カフリノに肩を叩かれた。

 どうですか? とカフリノが編み上げた靴下を見ていると、今の幸せに絆される。

 そうだ。カフリノと一緒なら、あの男とだって、まともに話せるかもしれない。

 

 ノーグ商会を訪ねてみよう。

 もし面会の約束すら断るようだったら、今度こそ後悔させてやる。

 そう心のなかで誓いながら、アルテはカフリノの靴下を褒めることにした。

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