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白雪の傭兵  作者: あたりひ
〈暗闇惑う門の街〉
15/54

15.反撃


「ケビン様、あと数分で到着致します」

「やっとか……!!」


御者の声が聞こえ、ケビンは万感の思いが篭った声を上げた。

残り数分、という事は最悪追い付かれても教会に逃げる事ができる程度の距離だ。


大きく息を吐き、肩の力を抜いた。


教会に着いてしまえばあの恐ろしい追手も何とかなる。

世界中各地で今も勢力の拡大を続けている教会に刃向かうという事は、世界中に敵対するという事。

いくら強大な力を持とうと、外界全てを敵に回しては生きていく事は出来まい。


笑顔を浮かべて、教会の者たちを巧く丸め込んで連れ出し、襲いかかるオルレニア達を告発する。

それだけで、彼らも、あのノーグ商会の支店も終わり。


少なくとも絶対にヴァロータからは手を引かざるを得ない筈だ。


「聖堂は見えるか?」

「そろそろ見える頃だとは思うのですが、若干天気が悪くなってきた様でして」

「天気が?先程まで晴天だったじゃないか」

「私もそう見えていたんですが、つい数分前から急に雲が出て来ましてね……」

「まあ天気なんてどうでも良い。とにかく急いでくれ」


何か良くない事でも起きそうだと言い始めた御者の言葉を無視して、ケビンは急ぐように命じる。

そして、隣に座る護衛達にも最後の警戒を促して、ケビンも無意識の緊張をほぐす為に大きく深呼吸をした。


――これでやっと、俺と彼女は救われる。


俯いて目を伏せ、静かに一人で笑みを浮かべながら、ケビンはそう心の中で呟いた。





◎◎◎◎





「――つまり、証拠は無かったと?」


書類にペンを走らせながら、その男は口だけを動かす。

腰まで届きそうな黒髪を揺らしながら、イヴはうむ、と肯定の声を上げた。


「そうか。流石、我々に敵対するだけの事はある」


男は書類の最後の一枚を終わらせると、ペンを傍らに置いて、顔を上げた。

光に煌めく白金色の髪、やや吊り目がちの、青い目。

整った、しかしどこか疲れの見える顔を歪めて、男はため息を吐いた。


「ロンバウト。もし彼奴らが失敗したらどうする。既に探せる場所は全て探したぞ」


一見20歳後半ほどに見える、優男。


そんな姿で、ロンバウトはイヴの言葉に苦笑して肩を竦めた。


「最悪、その辺りは何とか出来る。汚い手を使えば、どうとでも出来るのでね。ただ……」

「奴の印が偽装出来ないという訳か」

「ああ、奴の隠蔽は完璧だ。私が見習いたい程に」


ノーグ商会には情報を洩らさず、しかしヴァロータ側には自分の印や筆跡を教えているだろう事は、この状況から考えるに明確だ。


ケビンの情報操作の巧さは最早天賦の才を持つと言わざるを得ない。


「我も彼奴らの手伝いをするべきか?」

「オルレニア様がいるんだ。重症の君一人が加わっても大差ないだろう」


ロンバウトはイヴにそう言うと、床に落ちていた一枚の書類を手に取り、適当に目を通すと無言で破り捨てた。

良いのか、と驚きを表すイヴに不敵な笑みを一つ。


「それに本当の事を言えば、もう既に彼女達に頑張ってもらう必要は無い」

「何?」

「ノーグ商会にとって、一つの支店がなくなる事なんて大した事じゃないって事さ」


ならば、なぜ?


そう言いたげに小首を傾げるイヴを面白そうに眺めながら、ロンバウトは人差し指を立てる。


「ノーグ商会が強大な商会だというのは君も知っているだろう?」

「勿論。北の物流のほとんどに関与しておるだろう」


ヴァロータにある商会支店の中では二番手に位置するノーグ商会だが、北の地で最も力を持っている商会は、ノーグ商会だ。


数えきれないほどの船舶、南の端にまで及ぶ支店の数々。

その力は、全世界で権威を振りかざす教会ですらおいそれと手を出す事は出来ない程である。


「君ですら知っているのに、それをケビンが知らないと思うかね」

「確かに……。なら、このヴァロータからノーグ商会を立ち退かせて何かしようとしている?」

「それもあるかもしれない。だが恐らく、ケビンの目的の中で、それは過程に過ぎない」

「ふむ?」


緑色の目を瞬かせて、イヴは困惑に困惑を重ねる。

すると、ロンバウトは机上の紙を一枚取り、イヴに見せた。


「ケビンの動向を調べた物だ。どうやら彼は、貴族として名声を得る事に興味はなく、ただひたすらに安定した生活を送る事に力を注いでいたらしい」


そこに書いてあったのは、ケビンが男爵になってからの記録。

自分に関係ある貴族達の情報を集めて、部下の半分に自らの屋敷の管理をまかせ、接触などは常に受け身。

自分から動く事は滅多になく、政治闘争にも一切関わろうとしない姿が書かれていた。


「しかしそんな彼が、最近になって動き始めた」


しかし、丁度一年前。


ケビンが様々な医者を訪ね始めたという。

行ける限りの距離の医者を訪ね終わったあと、一ヶ月ほど経った頃からケビンの動きが活発になる。

一ヶ月ごとに一人ずつ、人を殺し始めたのだ。


「殺されたのは、かつての大戦争に関係している者。本人から子孫まで、とにかく全員がそうだった」

「……それは、知っている」


つい最近、イヴの知り合いが一人殺された。


憎々しげに呟くイヴは、今すぐにでもオルレニア達の後を追って行きそうだ。


「さて、ここまで話せばわかるとおもうが、彼の行動は妙だ。私達二人を殺したいのであれば、ノーグ商会をこの街から撤退させる必要など無いだろうに」

「ならば、奴の目的は一体なんなのだ?我は何をすれば良い?」


結論を言わずに、まるで謎かけをするかのように話をするロンバウトに対して、イヴが腰の剣に手を掛けながらそう問うた。


ロンバウトは小さく首を傾げると、立ち上がり、壁に貼られている地図に近付き、指を差した。


「私は、ここに向かおうと思う」


その指先が示す場所には、黒いインクで『ケビン(Кевин)』と書かれた小さな領地が描かれていた。


「ケビンの領地……か?」

「正確には、ケビンの屋敷だ。私の予測ではケビンはここに何かを隠している」

「何か、とは?」

「守るべき何か。……これも推測だがね」


苦笑しながら、呼び鈴を鳴らす。


するとあらかじめ準備していたのか、数秒の間に旅装を持った使用人達が扉を開けて現れた。


「イヴ。脚は必要かね?」

「いらぬ。我を馬鹿にするでない」

「おっと、これは失礼した」


防寒具をしっかりと着込み、ロンバウトはイヴに声を掛けながら部屋を出る。

そして長く、まるでの迷路のように入り組んだ廊下を迷いなく進み。


オルレニアによって破壊された壁などを見て内心苦笑しながら、やや急ぎめに足を運んで商会の外に出た。


服の内側に腰に携えた剣と短剣。

服の内側に差した短杖(・・)


準備は万端だと、口元に薄く笑みを浮かべる。


商会の者達と別れて、街の外にて。


少しばかり大きな翼が羽ばたいた。


「行こうか。イヴ」


地の底から響くような唸り声が応答し、黒い影が飛び立った。

それは速く、一瞬にして人の目にはただの鳥にしか見えないだろう。


ただ今は、その背に乗るロンバウトだけが大きさを知るのみだ。




◎◎◎◎




「オルレニアさん、あれは……?」


風の如き速度で駆けるウラガーンに乗りながら、オルレニアの背後からルフィアが空を見て困惑の声を上げた。


「何?」


オルレニアも、ルフィアの視線の先を見て呟いた。


「あれは……」


二人の視線の先。


青空が続く空の中で、教会があると思われる場所の上だけが、暗雲に包まれている。

自然では起こりえない明らかな異変に対して、オルレニアは眉間に皺を寄せた。


「……『魔術』か?」


そして小さく、そう言葉を洩らす。


魔術とは何だと首をかしげるルフィアとは違い、ウラガーンも僅かに驚いたように唸った。


『雪の結界だ。厄介な。』


馬の倍近い速度で走りながら、ウラガーンが言う。

それにオルレニアが頷き、ルフィアはなんともいえない表情になった。


「オルレニアさん、魔術って……?」


そして弱い声音で、オルレニアに問いかける。


「我が使う力と似て非なる物。今や使える者など極僅かである筈の、超常の力だ」

「つまり、なんだかすごい力なんですね」

「……今は、その認識で構わぬ」


どの程度まで理解したのか、間抜けなルフィアの返答にオルレニアは頷いた。

元々オルレニア自身も細かく話す気は無いようだった。


そんな会話をしている内に、大雪の壁は目前に迫っている。

それは正に壁と言うのが正しいあろう程に、境界線がはっきりと存在し、その外側には一切雪が降っていない。

当然そんな状態のため、教会を超えた内側と外側では、積雪による明らかな高低差があった。


『オルレニア。どうする?』


ふと、その境界線の前でウラガーンは足を止め、そう問いかける。


内側で降り注いでいる雪は、斜め下へと高速で落ちて行っている。

つまり、内側には大雪だけでなく強風、暴風までもが発生しているのだ。


「ルフィア、行けるか?」


当然、二人共防寒対策は行っている。

問題は暴風に耐えるために体力を消耗する事だ。


振り向いたオルレニアは、僅かに顔を顰めた。


「やはり、これ以上は厳しいか」

「っそんな!!」


オルレニアの言葉に俯いていた顔をガバリと上げるルフィア。

その顔は一見してわかるほどに青ざめていて、呼吸には乱れが多い。


とてもでは無いが、戦える状態では無かった。


「先の戦闘で体力を使い過ぎたな。この先に進んだとしても、ロクに走る事もままならぬだろう?」

「だ、大丈夫です!!まだ戦えます!!」


何とか付いて行こうとするルフィアに、しかしオルレニアは無言で首を振った。

今のルフィアでは戦うどころか、寒さに負けかねない。


当然、自分の体調をわからないルフィアではない。必死に通るはずのない言い訳を口にするのは、オルレニアに対する申し訳なさと、自らの不甲斐なさを悔いているからだ。


そんなルフィアの頭に、オルレニアの大きな手が乗せられた。


「ルフィアよ。我は貴様を救う為にあの森を出たのだ」

「でもっ……」

「我は。貴様のような体を持つ者を知っている」


言い訳を並べようとしたルフィアの勢いが止まった。


「その者は戦場で体力を使い果たし、失意の果てに死んだ。地に伏して、声を絞って我に介錯を頼んだ」


その手が優しく動き、そっと頭を撫でる。


それと同時に。


くらり、と視界が揺れて、冷たい何かが背筋を駆け抜ける。オルレニアの声の中に、ルフィアは幾千もの死を幻視した。


「……分かり、ました」

「すまないな」


一体どれほど、仲間の死を見て来たのだろう。

オルレニアは表情をぴくりとも動かさなかったが、その手の平からは溢れ出るほどの怒りと悲しみを感じた。


そう、それはたった一片を垣間見ただけでも、体の芯まで悪寒が走る程に。


「オルレニアさん」

「何だ」


オルレニアは森を出てから、粗末な武器しか使って来なかった。

ある時理由を聞いてみると、嵩張るから、と短く答えられたのをルフィアは覚えている。


確かにオルレニアの腕前ならば、例え油を塗ってバターも切れない程に使い古した粗悪品の剣でも戦う事は出来るだろう。


しかし武器の優劣は、思わぬ所で重要になる。


「これを、持って行ってください」


そう言ってルフィアは、自らの腰に携えた剣を、鞘ごとオルレニアに差し出した。


意匠は少なく、一見するだけではそう大した物には見えない。

だがこの剣は、ルフィアが何よりも一番に優先し、必死に貯めた金を全て注いで街有数の職人に手掛けて貰った剣だ。


丁寧な血溝と、決して折れることのない柔軟性、細身でありながら、鉄を断ち切っても刃こぼれ一つしない。


ルフィアが全幅の信頼を置く、無銘の剣である。


「……良いだろう」


オルレニアはその剣を受け取ると、僅かに口角を上げて笑った。


「ウラガーン、貴様はルフィアをヴァロータまで届けよ。ルフィアは出来るならばこの事をイヴ等に報せるのだ」

「了解です。……ご武運を」

「運は貴様に付くべきだ。ではな」


そしてルフィア達にそう指示すると、ルフィアの言葉に頷きながら、オルレニアは雪の嵐へと飛び込んだ。


その後ろ姿は、ほんの一瞬の内に見えなくなっていた。





◎◎◎◎





雪の嵐が、想像以上の力を以ってオルレニアを襲った。

周囲に立ち並ぶ木々の枝がミシミシと悲鳴を上げ、時折その破片や枝その物が飛来する。


「ケビンがこれをしているのか……?」


オルレニアはさして驚く様子もなくそう呟くと、凡そ教会があるであろう方向へ走り始めた。


元々、教会の建物――聖堂まではそう大した距離ではない。

しっかりと方角を間違えず、吹き荒れる大雪に抵抗出来るなら、然程問題ではないのだ。


「む……」


程なくして、聖堂と思わしき巨大な建物の影が見えてきた。

それと同時に嵐が弱まり、オルレニアは進む足を速める。


そして徐々に、何かを叫ぶ人の声が聞こえてきた。


「……!!」


弾糾するような、非難的な声。


「お前の体に憑いている『黒』が物語っているぞ!!」


はっきりと声が届き、オルレニアは顔を顰めた。

教会の者がよく使う言い掛かりだ。


穢れを祓ってやるから、金を払え。と。


「頼む!!せめて話だけでも……!!」


もう一つ聞こえてきた声。

オルレニアは僅かな困惑と共にはっきりと目に映った巨大な聖堂の傍を通り抜け、気配を隠して声の元へと向かった。


「駄目だ」


そこに居たのは、槍を構える騎士らしき男と、雪を体に乗せて青ざめた顔をするケビンだった。


「ふん……」


そんな二人の様子から、オルレニアはかつて脳裏に焼き付けられた光景を連想した。

そして、静かにルフィアから預かった剣に手を添える。


ケビンの背後には馬車が停まっているが、幌は木の破片で引き裂かれ、馬も御者も――ケビンに傷が無いという事は――護衛も怪我を負っている筈だ。

必死の思いでこの場に辿り着いたのだろう。


そんなケビンの元へ、オルレニアはゆっくりと近付き始めた。


「オルレニア……!!」

「誰だお前は!!」


目を剥いて悲痛な顔をするケビンと、オルレニアの気配に気付かず、驚く騎士。

しかし騎士は、すぐさま表情を引き締めて槍をオルレニアへ向け直した。


「貴様……その禍々しい気配はなんだ」

「判るか。若き聖堂騎士よ」


まるで決死の覚悟で魔王に挑む勇者のように、あまり慣れていないであろう戦いの構えを取る。

対するオルレニアは、剣に手を添えたまま僅かに眉間に皺を寄せただけ。


しかし、その一瞬で勝負は決していた。


「なっ……!?」


誰の目にも留まらなかった。


ルフィアが目指す剣撃の、更に上。


騎士が槍をオルレニアに向けた時既に、オルレニアの剣は振り終えていて。

手に持つ槍は刃を落とされ、真ん中で真っ二つに両断されていたのだ。


「話があるのはそこの男だ。退くが良い」


そう言われて、騎士は動く事が出来ない。

本来ならケビンを断罪しなければいけない立場にありながら、指先一つ、その呼吸に至るまで、動かす事は叶わなかった。


オルレニアはその横を通り過ぎ、膝を着くケビンを見下ろし、その首に刃を添えた。


「ケビンよ。貴様に一つだけ問わねばならぬ事がある」


猛吹雪の音が鳴り響く中、教会の門の奥から、甲冑の擦り合う音が聞こえ始める。

恐らくこの門番が上げた声を聞いた教会の騎士達だろう。


既にケビンの計画は詰んだ。


オルレニアに追い付かれ、理由もわからないまま教会にも追われる身となった。

そして今、首に剣を添えられて、オルレニアの問い掛けが始まる。


「貴様の行為は、貴様の、本意なのか?」


だが。そこから紡がれた言葉は誰もが予想し得ない一言だった。


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