~交差していく糸~ 一話
日の落ちる頃、神戸から車で出発した和弥たち一行は赤穂支社に到着していた。赤穂支社は海沿いの幹線道路からほど近い、それでいて周囲の民家から遠い。そういう場所を選んで建てたのだろう。
葵は建物二階にあるベランダから周囲を見渡していた。隣には高遠が付いてた。
「周囲一帯が戦場になる可能性がありますが、それについては?」
「これまでの襲撃は、全て民間人を巻き込まないように鍵里正輝自身が結界を張っているみたいです。勿論こちらも準備はしていますが。今まで民間人の被害は一件たりとも起きていません」
葵の質問に高遠が説明する。結局和弥たち一行に安松、高遠、そしてその部下の二名が一緒に赤穂支社まで同行していた。赤穂支社は兵庫県内、つまり安松の管理下だがそれでも他の組織の者がうろうろすることに不快感を示す者も多い。そうした不満を抑える為、安松は自ら前線に立つことを決めていた。
「今までがそうだったからと言って、今後もそうとは限りませんのでその対策はしてあります。民間人の被害だけは最優先で阻止するつもりです」
「高遠さんありがとうございます。さすがですね」
「いえ、南雲さん。全て支社長の御指示です。あの人は小心者なので、こういったことには細かいんですよ」
「なるほど……」
高遠の言葉に葵は感心する。今日会ったばかりの相手だが、安松も高遠もある程度信頼しても良さそうだ。血気盛んよりも臆病な方が致命的なミスは少ない。それもまずは防衛戦という状況なら尚更だ。
「それでも判断力は持っています。今回白神会の皆さんにご助力を頼んだことがその証拠かと」
「ああ、確かにそうですね。兵庫の責任者とはいえ、独断で他の組織に助けを頼み、あまつさえ領内に呼び寄せているんですからね」
トップの指示もなく勝手に動いているのだから、これは安松の独断で後の処分は免れない。しかしそれでも彼は組織の為、この地に住む民間人の為に動いたのだ。
「もしこの件が上手いこと解決したら、その時は安松さんのフォローをお願いします。あの人はそういうのは割と苦手なんで、組織の決定にはそのまま従ってしまうと思うので」
「ええ、その時は。高遠さんも含めて善処しますよ」
「……ありがとうございます」
この高遠と言う男も自分の役割を重々承知しているのだろう。そして視野も広い。この件が終わった後のことも考えている。
(優れた副官、ってとこかしら。まるで良治君みたいね)
ふふ、と小さく笑うと真面目な表情に戻す。
「ではみんなを集めてください。今夜について話しましょう」
「はい、かしこまりました。地図も用意しますね」
「ええ、お願いします」
さすがわかってるなと、葵は高遠の評価をまた上げた。
「……ホントに来るのか?」
「和弥、油断は駄目ですよ。いつも良治さんが言っているでしょう。『過信・慢心・油断、ダメゼッタイ』と」
「まぁ、そうだな。気を付けるよ」
時間はもう深夜一時に差し掛かるところ。夕方の会議で、今回の作戦では三手に分かれて防衛することが決まっていた。和弥と綾華、葵は幹線道路沿いに本隊として、良治とまどかは支社西側の森、眞子と翔は支社裏手とそれぞれ待機していた。安松と高遠は支社にて本部に陣取っている。あくまで指揮官は安松、彼が支持を出すことになっていた。高遠も一緒なのでさしたる問題はないだろう。
「どうかされましたか?」
「ああ、いや。なんでもないよ。大丈夫だ」
「そうですか。なら良いんですが」
「サンキュ。何かあったら言うよ」
「はい、わかりました!」
声をかけてきたのは高橋一之助という、神戸支社から一緒に来た二人のうちの一人だ。高橋はスポーツ刈りでそれなりにがっしりとした体格で、若い軍人と言った雰囲気を漂わせていた。若いと言っても二十代前半で、和弥よりも四つほど年上なのだが。
「……すいません、高橋が五月蠅くて。あまり気にしないでくださると助かります」
「大丈夫大丈夫。声もはきはきしててむしろ印象良いよ」
「そうですか……それなら良かったです」
入れ替わるように来たのは神戸から来た、高遠の部下のもう一人。相坂未亜という女性だ。和弥たちと同じくらいの年齢に見えるが、もう成人しているらしい。サイドポニーが童顔とマッチしててとても可愛らしく見える。だがいくつか交わした言葉で判断するなら、落ち着いた性格でいつも高橋をフォローしているのだろうと見当をつけていた。なんだかんだ言って面倒見が良いのだろう。
「そろそろ私語は控えたほうが良いですよ?」
「あ、はい、すいません。では」
相坂は一瞬びくっとすると自分の持ち場へ戻っていく。それを目で追った後振り向いて和弥は苦笑した。
「綾華、ヤキモチ?」
「……わかっているなら聞かないでください」
「……可愛いな」
「っ!? 馬鹿……。ほら、仕事しましょ」
「りょーかい」
相変わらずこういうところも凄く可愛い。にやにやしながら敵が来ると思われる方向へ視線を向ける。
「表情、戻してください」
「はいはい」
言われた通り気と顔を引き締め、再度周囲の状況を確認する。
(最も襲来の可能性が高い幹線道路には、俺と綾華、葵さん。高橋さんと相坂さん。それに赤穂支社の退魔士が二十人程度。森には良治とまどか、岡山にある支社からの生き残りの人たちが十人くらい。裏手には眞子さんと翔さん、そこには地元の退魔士が五人。赤穂支社本部には安松さんと高遠さんと護衛がこれも五人くらい……)
頭の中で地図を思い浮かべ、配置を確認する。裏手はほぼ来ない可能性が高いということで、他の場所に戦力を集中したいという安松の意見を良治と高遠が念のため配置しておきたいと発言した経緯があった。
(出来るだけ奇襲を避けたいんだろうな)
相手がどんなことをしてくるかわからない以上、それは当然の行為と言えた。
「和弥、来ましたよ。予想通りです」
「了解」
伝令が葵ともう一人の退魔士に報告に来たのを確認して、綾華が和弥に耳打ちをする。それと同時に違和感が襲う。恐らく襲撃者による結界だ。
「準備はいいわね?」
「はい」
「問題ありません」
近づいてきた葵の言葉に頷く二人。そこでちょうど一人の男が視界に入ってきた。血と泥で汚れ、ぼろぼろになった衣服。左目を隠すように巻いた白い布は血で斑模様だ。
「なんだ、この感覚……」
「嫌な、不思議な感じがしますね」
足元が覚束ないような、ふらふらとした歩調でゆっくりと歩いてくる。左目に眼帯をしたその表情は、生気が失せた今にも倒れそうなものだった。しかしその印象はすぐに打ち消された。
「……っ!」
「これが報告にあった『開門士』の力ですか!」
巻いた布が弾け飛び、黒い眼窩が現れる。そして彼の背後が突然歪んだかと思った瞬間、それは異界との扉となって吐き出すように魔獣が現れてきた。黒い体躯と赤い瞳。魔界の生息する魔獣に間違いなかった。
「行くわよっ!」
「はいっ!」
葵が号令をかけ、周囲の退魔士たちと共に和弥たちも走り出す。魔獣の数はざっと数えて小型が五十程度。これからこの戦力で十分に渡り合える。
「サポート頼んだ!」
「前に出過ぎないでくださいねっ!」
「了解っ!」
春休みにようやく貰った転魔石を発動させ、手に馴染んだ木刀を喚び出す。四人のうち一人だけ武器を持ち運ぶという、ちょっとした恥ずかしさとやっと離れられたのは和弥の中で結構なモチベーションとなっていた。
「よっと!」
軽やかに犬型の魔獣を打ち払い、返す刀でもう一匹を打ちのめす。背後からは氷の矢が飛び、和弥周辺の魔獣に的確な牽制がされていた。
(問題なさそうだな……。でも油断だけは気を付けよう)
こういった大規模な戦闘は久し振りで多少緊張はしていたが、何の問題もなく身体は動いてくれた。周囲を見回す余裕すらある。
(他の人たちも大丈夫そうか……?)
苦戦している者もいるが、なんとか持ち堪えているようだ。動きの精度という点ではやはり実戦経験の差か、和弥たちが上回っているように見える。しかし日本刀を持った高橋と小太刀を器用に使う相坂だけは、それなりに機敏な動きで戦場を駆けていた。さすが安松と高遠の選んだだけはある。
「うげ」
あらかた片付き、狙うは鍵里本人と定めた和弥の視界にさっきと同数程度の魔獣の姿が入った。驚くと同時に、確かにと納得もした。これなら今までの支社が抗しきれずに落ちたのも仕方ないと。前もって知っていたお陰でそんなに動揺もせず戦えるが、そうでない場合はこの物量差に押し切られてしまうだろう。
「きっついけど、行くしかないか……! 綾華、頼んだ!」
「またそうやって貴方は無茶をっ!」
綾華の文句を背に受け、一直線に鍵里目掛け走り出す。
「和弥君、そういうの好きねっ! ……行きなさいっ!」
「葵さん助かります!」
葵が進行方向の魔獣を力一杯横に薙ぎ、進路を確保してくれる。空いたスペースに一気に飛び込んだ。まだ何匹か邪魔な魔獣はいるが、それは両手に握りしめた木刀で斬り伏せればいい。
「……やっと、会えたな」
何の感情も映さない瞳が、和弥を捕える。しかしその瞳の奥底に深いどろりとした物があるような、嫌な感触を和弥は感じ取っていた。




