~束の間の平和の終わり~ 二話
「ん……?」
細井が伝説となった日の帰り道、良治はポケットに入れてある携帯電話が震えていることに気が付いた。取り出して画面を見てみると、そこには三月の死闘を共に戦った戦友の名。周囲を見渡してからその電話を取った。
「もしもし」
『久しぶりだな柊。およそ一ヶ月半振りか』
「ああ、もうそれくらい経つな、風花」
電話の主は九州にある退魔士の組織『神党』所属の退魔士、如月風花。良治とは三月、そして去年の八月と戦場を同じくした仲だ。連絡先を交換していたが、こうして電話が来るのは初めてのことだった。
『もう随分前のことのように思えるがな。……それで柊、そちらに何か情報は来ていないか?』
風花の言葉に、最近聞いたことを脳内で検索するが特にヒットするような件はなかった。
「いや、なにもないな。何の話だ?」
『中国地方の陰陽陣に何か大きな動きがあったようだ。そちらにも何か知らせが来ていないかと思ってな』
「いや、少なくとも俺の所にはなにも。知ってても上層部だけだと思う」
残念ながら彼の元には何の話も来ていない。陰陽陣の名前は知っているが、どんな組織なのかなど内情は何も知らなかった。
『そうか、悪かった。……こっちは今陰陽陣のこと、四国の北斗七星も何かゴタゴタがあったらしく、その影響で強硬派が勢いを増していてな。少なくとも救援を送れるような状況にはない』
「なるほど……。神党はまだ穏健派と強硬派で大変そうだな」
去年九州に行った切っ掛けもそのゴタゴタ関連だったのを思い出す。その火種が未だに燻っているのだろう。あの一件で一旦は治まったようだが、今回の陰陽陣の件の余波でまた何かあったようだ。
『そういうことだ。……一応オフレコにしておいてくれると助かる』
「もちろんだ。むしろ情報ありがとう。少し探ってみるよ」
『礼を言う。それでは、またな』
「ああ、またな風花」
電話を切り、ポケットにしまう。数分の会話だったが得る物は多かった。
(風花がわざわざ連絡をしてきたということは、そのうち白神会にも影響が出る可能性があるということ。そして……)
もしかしたら自分をはじめ、和弥や綾華、まどかも参加するような大きな戦になるかもしれない。そう考える。特に白神会の長たる白兼隼人は和弥のことを高く買っている。前回の陰神との決戦でもそうだったのだ、今回も駆り出される可能性は考えれば考えるだけ高いと感じいく。
(準備だけはしておこう。リハビリもちゃんとしておくべきだな……)
左腕をさする。そう、出来る限りの備えを。せっかく風花からの連絡でその時間が出来たのだ、有効に使わないと申し訳ない。戦友とは有り難いものだなと、彼は夕陽を眺めながら感じていた。
和弥たちのいる関東から遠く西方、片目を失った男はほぼ一日に一か所支社を襲撃するという驚異的な速度で陰陽陣領内を蹂躙していた。この約半月の間に島根の浜田、益田、山口の萩、下関、山口、防府、岩国、広島の廿日市、広島、呉、尾道の支社を順に陥落させ、尚もその勢いに陰りはなかった。襲撃は全て夜間に行われ、退魔士でない一般人を極力巻き込まないよう鍵里正輝は配慮していた。彼が憎いのは陰陽陣、退魔士であって、その他の人間は守るべき対象であったものだ。
「ぐっ……」
昼間は休息を取り、夜間に襲撃し次の襲撃地点まで移動する。それをひたすら繰り返していた。そうすることしか知らないかのように。
今も異界の扉を開き、尾道支社の退魔士を皆殺しにしたところだ。周囲に蠢いていた魔獣たちは既に開いた門から魔界に帰っている。修行不足の彼にはどういう理屈か理解できていなかったが、呼び出した魔獣は彼に危害を加えず、そして門を閉めようとすると我先にと帰って行った。
しかし度重なる『開門』により、正輝の身体には尋常でない負担がかかっていた。退魔士として三流の彼にとって、それは命を削る行為に他ならなかった。吐血を繰り返し、立つのもやっと。しかし彼は立ち止らない。立ち止れない。いつの間にか下を向いていた顔を上げると、そこには一つの影。
「だれ、だ」
「お前が門を開けたのだろう、退魔士よ。感謝する」
問いには答えず、ゆっくりと歩み寄ってくる。敵意は感じない。
「我が名はラッゾ。魔界の住人だ」
「魔族……だと」
魔界に住む知性ある存在を魔族と呼ぶ。正輝もそれくらいの知識はある。しかし実際に見るのは初めてだった。目の前の魔族はまるで伝説上のケンタウロス。人間のような上半身に馬のような下半身。他に特徴を言うなら、頭には灰色の二本角に黒い全身。瞳は赤一色だ。
「そう、お前らが魔族と呼ぶ存在だ。我は先程の門を通ってこの世界にやってきた」
「お前は帰らないのか……」
魔獣たちは一匹残らず消えている。このだけが残ったのは何故なのか。
「魔獣どもなどと一緒にされるなど。我はそんなちっぽけではない」
「そうか……」
よく解らないが、魔族は帰らなくても大丈夫なようだ。それだけを正輝は理解した。体力も気力も消えかけている。深いことを考える頭など残っていない。
「お前の行動には興味がある。同族を殺して歩み続けるお前に。それを続ける限り我はお前に協力しよう。我は人間を殺したい」
「魔族が、協力だと」
「信じられないか?」
俄かには信じられない。古来より魔族は人間と敵対してきたのだ。人間と魔族が手を取り合うことなど聞いたことがない。しかし。
「……ああ、協力してくれ。だがそれは俺が指定した人間だけだ。それ以外は殺すな」
「ああ、それで良い」
陰陽陣壊滅という目的には大いに助けになるだろう。それならばこの魔族に他の目的があったところで些細な問題だ。どうせその為に全てを投げ打つつもりだったのだ。今更何を失おうと知ったことではない。
「奴等の欲しがったこの力で、奴等を消し去ってやる……」
これまで支社から打って出て来た者、籠城した者、命乞いをする者、協力を願う者、その全ての退魔士を皆殺しにしてここまで来た。自分に付いてくるのは魔界の住人たちだけで良い。憎しみを糧に、彼はまた歩き出す。次の目標に向かって。
「…………」
それを夜影から盗み見る複数の人間がいた。夜に溶け込むような黒い衣服。気配を殺し、息を殺し鍵里正輝の一挙一動を注視する集団。そのうちの一際小柄な一人が憐みにも似た視線を送っていた。
(……長くはないですね)
直接監視をするようになったのは昨日からだったが、それまでの報告と自分がこの目で確認したことを併せて考えると鍵里正輝の余命は幾ばくかもないように思えた。
(そんなこともどうでも良いようですが)
静かに手を挙げ、周囲にサインを送る。すると同時に数人が正輝を追って移動を始めた。完全に統率がとれた、一流の集団だった。
(さて、これをどう上手く動かせるか)
思考を巡らしつつ、この集団の頭領たる彼女は無音で闇夜に消えていった。この先の展開に何かを期待しながら。
「来たか。書状を」
いつもの応接室で隼人は待ち侘びていた書状を手に取ると、目を皿のようにしてその全てを一気に読む。内容はある程度予想していたもので、期待に外れないものだった。
「送り主は兵庫支社の支社長・安松隆夫か……。現場から一番遠いにも関わらず最初に動くとはなかなか視野が広いね」
「どういたしますか? 動ける者は少ないかと」
「そうだな……」
彩菜の問いに一瞬沈黙をするが、既にもう答えは決まっていた。
「東京支部から葵くん、和弥くん、綾華、良治くん、まどかくんを。あとは……福島支部から眞子くんを。明日中には到着するように指示を」
「はい、了解致しました!」
指示を受け俊敏な動きで部屋を出る。それだけ急を要する事態なのだ。
「さて、またも大きな嵐だ。和弥くんはどう乗り切ってくれるかな」




