~新たな決意~ 三話
「間に合ったけど結局ダメだったな……」
「ごめんなさい……全然、ダメでした」
朝焼けと炎で赤に染まる豊岡支社を眺めながら綾華は謝っていた。彼女が弱音を吐くことなんてほとんどない。あるのは和弥と二人だけの時だった。
「今回は最初からなんとかなるなんて思えなかったな……。俺もあの骸骨に足止めされてどうにも身動きできなかったし」
「はい……。豊岡支社は平地にある平屋造り。戦力も明石支社の時の半分程度……」
あの明石支社の戦闘が最も勝ち目のある物だった。パティの降臨など不確定要素もあったが、それでも魔族の一体を討ち、鍵里正輝まで届いていた。
「鍵里の位置もわからないまま終わっちまったな」
「はい……出来たら力尽きていて欲しいのですが」
「無茶な」
「ですね。こっちが撤退し始めたタイミングで相手も引き出しましたからね。戦闘中も定期的に魔獣も増えていました。少なくとも戦闘が終わるまでは生きていたでしょう」
「そのあと倒れてくれていたら万々歳だな」
「そうですね。もう限界だと聞いてますから可能性は零ではないはずです」
少しずつ綾華の瞳に力が戻っていく。反省は終わり、この次を見つめだしている。
「まぁそんな希望的観測は置いておいて。この次かその次の目標で最後でしょう」
「鳥取支社と米子支社……か」
鳥取支社。それは勿論鳥取県にある。そして、出雲本社と同じ県に存在している。それが何を意味するかと言うと。
「一周されちまったな」
「はい」
鍵里正輝の目的は完遂されたも同然だ。日本海側から山口県を回り、瀬戸内海沿いを東へ。そして姫路から北上し豊岡を落とした。あとは鳥取支社と米子支社を経れば最初の事件が起こった出雲支社は目の前だ。
「……行きましょう、鳥取に。時間はありません」
「ああ、急ごう。――綾華」
「はい?」
「俺はお前の為ならなんでもする。だから、頼ってくれ」
「……はい。ありがと、です」
「大丈夫カネ?」
「あ、と……少し、だ」
息も絶え絶えに山中を歩く鍵里とツナシゲ。ツナシゲに肩を借りながら歩く鍵里の顔は土気色。まだ生きているのが不思議なほどだ。
「フム……」
「あと、少し……」
もうツナシゲの言葉は届いていない。誰の言葉も届かないだろう。
「仕方ナイ、カ」
うわ言のように呟く、縋り付くような言葉。それを聞きながらツナシゲは次の戦場へ連れて行く。負の感情が巻き起こすべく戦場へと。
鍵里たちを遠くに見ながら、潮見天音は計画が問題なく進んでいることを確認していた。自分の主の計画が。
(個人的には失敗してほしかったですけどね……)
魔族との契約で縛られている以上、天音には反対出来ない。主と魔族が協力してこの陰陽陣を乗っ取ろうとしていることに。
(手を抜けば黒衣の騎士相手、殺される可能性は高い。殺されればあの魔族に魂を嬲られる……)
そんなことにはなりたくない。出来るなら自分の手の及ばない場所で彼らが鍵里正輝を討伐してくれれば、彼女に大きな罰はないと思われる。
(私に出来るのはただ祈るだけ……)
裏切れば死。そして死んだだけではまだ終わらない。
昔死にかけた時に命と引き換えに結ばれた契約。まさに悪魔の契約だった。
(いつか、誰かがあの魔族と主を――)
その時が来るまでは命令通りに動くしかない。今回は失敗、もうここからは無理だろう。
(いつか、いつか――)
暗い目をした少女は祈りながら、静かに移動を始めた。――東へ。
皆が豊岡支社に向かった際、彼女は挨拶に来なかった。だからそう時間を置かずにこの部屋に来ると思っていた。そしてその予想は的中した。
「どうぞ」
「……うん」
恐る恐る扉が開き、パートナーであるまどかが入室してくる。三分ほど前から扉の前から気配があったが、一向に入ってこないので良治が促した形だ。
「……」
ベッドから上半身を起こした姿勢で良治は苦笑いする。まどかが入ったは良いがその場に立ち尽くしているからだ。仕方ないので手で椅子に座るように勧めた。
「あの、さ」
座って一呼吸。まどかが口を開く。
「生きるの、嫌?」
「……どっちでもないかな」
良治は無表情、平坦な声で答えた。
「俺が生きてきたのは復讐の為だ。シグマは逃がしたが陰神は滅びた。……もう十分だと思ってる」
「だから、もう満足ってこと?」
「そんなところだ」
葵の父に助けられ、いつか母親の仇を取る為懸命に修練を重ねてきた。隼人から余命を告げられてからは更に。元々短い命を削り、常に出来ることを探し努力してきた。だからこそ今迎えるこの結果に不満はなかった。
「ホントにもういいの? もうやりたいこととかないの?」
「好きな本のシリーズの続きが気になるとか、あと一回近所のラーメン屋行っておきたかったとかあるけど、それはどうしても生きてしたいことじゃないから」
それは全て些細なこと。何としてでも生き延びて成し遂げたいことではない。
「私は……」
「ん?」
「私は、良治にもっとそんな小さな幸せを積み重ねてほしい。今まで凄く頑張ったのも、ツラかったのも、挫けそうになってたのも知ってる。――だから、もう復讐はいいって言うのなら……これから凄く凄く幸せになってほしいの」
悲しそうな笑顔。今にも涙が零れそうな瞳。こんな表情をさせたいわけじゃない。胸がズキンと痛む感覚。
「いや……それでも」
自分の幸せの為に誰かを犠牲にする。それは小さなものなら日常的に行われていることではある。自分が得をするために誰かが損をする。しかしそれは自分の幸せがそれなりに大きく、誰かの損が軽微なものに限られるはずだ。生きるために誰かの人生が犠牲になる。それは良治には許容外のものだ。
「それに、さ」
「それに?」
「和弥の成長って気にならない?」
「……」
それは確かに気になる。一年からクラスメイトとして接してきて、同じ退魔士となってから更に身近になった親友とも言える存在。特にこの一年、ズブの素人だった彼が驚くべき成長速度で自分たちに追いついたという事実。天使の魂を持つと知っても興味は尽きない。むしろ更にどこまで行くのか知りたいという好奇心はあった。
「ね、一緒に見届けない? 私も気になるもの。和弥が何処まで強く大きくなるのか」
「……」
和弥には見届けたいと思える何かがある。少しだけ心が揺れる。
「生きて、この先を見たいでしょ?」
「だけど……」
それは我が儘。見てみたいとは思うが誰かを犠牲にしてまでじゃない。和弥の人生を見届けたいからと言って、別の誰かを犠牲にしていいわけがない。
「良治が迷うのもわかる。そういうの好きじゃないもんね。だから」
一つ呼吸をして、静かに続ける。
「私が、契約するよ」
「まどか……」
今まで自分がしてきたどれよりも重く大きい覚悟を、良治はパートナーから感じた。まどかのことを軽んじていたわけではない。しかし今のまどかに背筋が冷たくなるほどぞくっとした。
「……ダメだ、まどか」
「どうして?」
「俺はまどかに何もしてやれない。お前に背負わせすぎる」
「そんなことないって」
「もし契約したら、死後その魂は契約に縛られて俺の物になる。その契約は魂の奥深くまで刻まれ、決して浄化することは出来ない。……俺にもどうにも出来ない」
「わかってる」
「契約の効力は死ぬまで続く。破棄はお互いの同意があれば出来るけど、契約して数年は契約の効力が強く無理だ。俺が先に死んだ場合は契約は自動的に切れる」
彼女の覚悟を疑う訳ではないが、契約の詳細を話すことで引くかもしれない。そんなことを少しだけ考える。
(……違うな。これは俺の逃げか)
迷いが生まれてるから、彼女に引いてほしい。そんな逃避の思考。
「契約が成立すると、俺の力の一部がまどかに流れるようになる。より強い力を引き出そうとすると半魔族化に近い姿になる。潮見天音のような、な」
「あの姿が……契約者」
遠目に見ていたが、まどかはそれが人間とは異質なものだとすぐに理解出来ていた。自分と同じ人間ではないという恐怖。でも。
「――大丈夫だよ。もう良治で見慣れちゃったから」
「まどか……」
「だから、契約して」
「いや、でも」
「あーもう!」
歯切れの悪い良治の言葉に、まどかが勢いよく立ち上がる。その拍子に椅子が倒れるがまどかの言葉は止まらない。
「いいの、私の人生あげるから受け取ってよ! 後で返してもいいからとりあえず持っといてよ!」
「とりあえずって」
「だから! 私がどうしても良治と一緒に居たいの! これからずっと一緒に居たいの!」
涙声に変わっても止まらない。ぼろぼろと雫が止め処なく落ちていく。
「だからぁ……生きてよ……」
「……まどか、ごめん」
いつしか良治の頬にも涙が流れていた。これほど強い気持ちをぶつけられたのは初めてで、頭がくらくらする。
「たぶん、いつか契約を破棄する時が来る。それでもいいなら――少しだけまどかの人生、貸してくれ」
「良治ぅっ!!」
くしゃくしゃになった顔で目一杯に抱きついてきたまどかの頭を優しく撫でる。
「まどか、痛いって」
「だって、だってぇ……!」
「契約、しよう」
「うん!」
「酷い顔してるな……。俺の真似してくれ、すぐに終わるから」
「酷いよ……うんわかった」
傍らに置いてあった幾つか転魔石の付いたキーホルダー。五つあるうちの一つを握って発動させる。
「小太刀?」
「ああ。これを……」
鞘を抜き、左手の親指の腹をスッと切る。そして右手で小太刀を軽く回転させるとまどかに差し出した。
「ん……」
同じように血を滲ませたのを確認して、親指を出して傷をお互いに合わせる。――もう、覚悟は決まった。
「この血をもって、契約を」
「この血をもって、契約を」
親指から力が流れ、痺れるような痛みと熱が伝わっていく。しかしそれは数秒で落ち着いていき、すぐに引いていく。
「これで、出来たの?」
「たぶん。俺も初めてだからよくわからないけど」
なんとなく実感のないまま契約は完了した。覚悟した割には拍子抜けで、ちょっとだけ残念な気がする。
「さて、行こうか」
「え?」
ベッドを降り、ハンガーに掛けてあった服を外して笑う。
「――あいつの行く先を見届けるには、あいつの傍に居ないとな」
「……うん!」
「ああ、それと」
「どうしたの?」
きょとんとした彼女に笑顔で答える。精一杯の感謝をこめて。
「いや――これからもよろしくな、俺の相棒」