~一つの結末~ 五話
「まだこんな奥の手持っていたなんてなっ!」
「それを言うなら貴方もでしょうっ!」
大鎌の振り払うような斬撃を、良治は村雨で弾き飛ばす。半魔族化した良治、魔族の力を借りた天音は付かず離れずの近接戦闘を繰り返していた。
「半魔族化したお陰か、スピードとキレが戻ってますね!」
「お前も一撃が鋭くなっててやり難いっての!」
「私はこれでも術士なんですけどねっ!」
「信じられねぇよっ!」
軽口を叩きながら周囲の人と魔獣を縫うように立ち回り、お互いの刃を打ち払う。
「それにしてもまさか魔族との契約者だったとはなっ!」
「望んでなった訳ではないですよ、そうしなければ生き残れなかっただけです!」
「っ!」
僅かに天音の表情が硬くなったのを良治は見逃さなかった。あまり触れて欲しくない話題ということだろう。力の入った鎌に押し込まれかけたが、なんとかギリギリで弾き飛ばす。
「……色々限界が近いってのに、なんだか楽しくなってきたよ」
「限界が近いからこそ、かもしれませんよ。限界ギリギリが一番楽しいでしょうから」
「確かにそうかもな」
今までの経験上、燃え尽きる寸前こそ最大の力を発揮できる。自覚はしたが、だからといってどうにもコントロール出来ることでもなかった。
「――行くぞ!」
「返り討ちに致しましょう!」
「――あれは」
高台の上、魔獣の群れに矢を射りながらまどかはもう一つの任務の達成を予感した。目の良い彼女だが、暗闇で多数の動く人や魔獣の中、たった一人を探すのは至難の業。射る度に視界内を確認していたが、ようやくその成果を上げることが出来そうだ。
「どうしたの?」
「やっと見つけたっ」
結那の声を背に確信の矢をつがえ、雷の矢を夜天に放つ。それは彼女の狙い通りの軌道を描き、目的の空中でパァンと軽い音をさせ弾けた。――これは合図。良治から任された最重要任務完遂の合図だった。
「はぁっ!」
「クッ!」
和弥の木刀が唸りを上げ、徐々にツナシゲを追い詰めていく。現在視界に良治の姿はない。気になったがそれは目の前の敵を打ち倒してから改めて聞けば良い。そう決めてから明らかに和弥の動きは鋭く、ツナシゲは防戦に回ることが多くなっていた。
「これは……」
「ナンダ……?」
道なりにしばらく行った先の上空で弾けた雷光。これは和弥が走り出すサイン。あの光の下にはきっと――
(――鍵里正輝がいる!)
「グッ!?」
ついにまどかが発見してくれた。彼女に感謝しつつ、一瞬注意の逸れたツナシゲを木刀で押し退けて走り出した。ここで必ず鍵里正輝を止めてみせるという決意を胸に。
――自分にはもう居場所などない。
そんなことはもうとうに理解していた。大事な女性を失った時、自分は取り返しのつかない修羅の道へ足を踏み出してしまった。しかし元の道へ戻ろうというつもりも皆無だった。戻れたとしても、もうそこには誰もいない。唯一の理解者は永遠に失われた。
――ならばこんな不幸はもう繰り返させない。
この悲劇の根源は、陰陽陣という醜悪な組織にある。それならその陰陽陣を壊滅させれば自分のようなことにあう人間はいなくなるのではないか。それが出来るならそのあとのことなどどうでもいい。恐らく誰かに殺されるだろう。それだけのことをしてきた。
――しかしそれはこの場でない。陰陽陣を潰してからだ。
遠くから迫りつつある、見覚えのある青年の姿に鍵里正輝は輝きのようなものを感じた。全てを救うような、暖かく包み込むような光を。
――……彼は自分にとっては死神で、残る陰陽陣にとっての救世主になるだろう。
「まだ……こんなところでは終われない……ッ!」
傷だらけの右腕を振りかざし、幾度目かもう解らない、夜よりも深い闇の扉を彼は開いた。
「……っ!」
魔獣たちを木刀で弾き倒しながら進んだ先、少し前に光の弾けた下には目的の人物が立っていた。その周囲にはわらわらと増えていく悪霊。その数に和弥は顔を顰めた。
(数が多い……! それに普段見る悪霊とはちょっと違う感じがするな)
和弥の違和感は当たっていた。彼は見ていなかったが、以前綾華とまどかが丹沢の山で遭遇したものと同種類の悪霊だった。即ち魔界に存在する悪霊。
(だけど立ち止まる訳にはいかないよなぁっ!)
一番近い悪霊に木刀を振るう。普段相手にしている霊はある程度手応えがあるのだが、和弥の木刀はほとんど手応え無く風切り音をさせた。
(……ダメか!?)
しかし悪霊は彼の目の前で真っ二つに裂かれ消えていった。感触がないまま立ち消えていく悪霊に驚きつつも、とりあえず倒せることを理解して木刀を構え直す。
「……いっくぞ!」
一斉に襲い来る悪霊たちを一太刀で斬り伏せつつ、鍵里正輝の場所を確認する。一撃で倒せる以上、ほとんど足を止める必要はない。ただぶつからないようにだけ速度を調整するだけだ。
「――はっ!」
「ぐ、う!」
悪霊の合間を縫い、鍵里正輝への直線が開けた瞬間に和弥は全力で大地を蹴った。だがその一撃は予想されていたらしく、鍵里の持つ小刀で防がれた。
「大した、一撃だな」
「それはどーも……」
防がれ距離を開けられた和弥は背後の悪霊に備え、自分から道の脇へ飛んだ。既に間には数体の悪霊が阻み、強行突破は難しい。
「っておい!」
悪霊たちの奥に立つ鍵里が右手を掲げ、更に扉を開く。
「……うへぇ」
ぞろぞろと増えていく悪霊に辟易の声が漏れる。和弥にとって紙のような相手だが、だからと言って不用意に近付けばどうなるかわからない。予想外のダメージを受けるかもしれない。
(散々綾華やリョージに言われたからなぁ)
相手の能力や目的がわからないうちは迂闊に仕掛けるな。確かにその通りなのだが、勿論それだけでは打開出来ないこともある。
(無理をしない程度にあいつらを減らしながらチャンスを待つか。……ん?)
なにか遠くから音が聞こえたような気がして周囲を見渡す。しかし変化はない。だが段々と音が大きくなっていき、気のせいではないと確信した。
「……上!?」
「――ああああぁぁぁぁっ!!」
「えええええっ!?」
ズドン、という地響きをさせて何かが天空から落ちてきたのを確かに和弥は見た。もうもうと立ち込める土煙に、戦場に居たほとんどの者が目を奪われ立ち尽くした。
「なんだ、これは……」
呟く鍵里の様子からもこれが相手方が仕掛けたものではないと思えた。そして和弥はこんな風に登場したというある天使の話を、三人から聞いたことがあったなと思い出していた。
「おいおい、まさか……」
「げほっげほっ……もう、なんでいつも失敗するのよぉ……」
首が変な方向に曲がっていたのを手で直しながら立ち上がった彼女の姿に、彼は見覚えがあった。
「……あれ? なんで都筑さんが?」
「それはこっちのセリフ。でもまぁ久しぶり、パティさん」
金髪に白い羽を広げた少女に、和弥は苦笑いを浮かべて声をかけた。
「あれは、パティ……?」
足を止め、初めて会った時のことを彷彿とさせるような墜落劇を眺めていた。そして直前に悪霊が出現していたのを思い出し、得心する。
(多くの悪霊が出現したことで……)
周囲の者が呆気に取られている中、瞬時に思考を切り替える。それをするのは自分の役割だ。
「――和弥、パティの援護を! 眞子さんはそこの骸骨を足止めしてください! 葵さんは他の人の指揮を執って魔獣たちを!」
大声で周囲に指示を出す。出来るだけ速く先手を取りたかった。それだけで十分この戦場で勝利を拾えるはずだ。
「っ!」
「それで、私の相手は引き続き貴方がして下さるのですよね?」
「勿論だっ!」
振るわれた大鎌を防ぎ、お互いに口の端で笑う。二人とも自分の相手は目の前のこいつだと決めている。誰にも渡すつもりはなかった。
「やはり貴方が一番危険ですよ。一人の退魔士としても、指揮官としても」
「そういう評価はあまりしてもらったことがないから少し嬉しいかな。でもだからって手は抜けないぞっ!」
「それは残念ですねっ!」
ガチン、と鈍い音をさせて距離を取る。睨み合う最中、周囲が指示通りに動く気配を感じて胸を撫で下ろす。このままならいける、と。
「パティさん、この悪霊たちどうにか出来ます?」
言われた通りにパティの手を取り立ち上がらせた和弥は、まず一番聞きたいことを聞いた。
「はい、何の問題もありませんっ!」
「オーケー、じゃあ時間は稼ぐから頼んだ!」
「はいっ!」
和弥自身は彼女の行ったことを見てはいないが、話だけは他の三人から聞いている。ここは専門家に任せるのが得策だ。それがわかっているので良治の指示の意図を瞬時に理解出来た。
「はっ!」
パティが何かの詠唱を始めると同時に、彼女の安全確保の為に周囲の悪霊に斬りかかる。深追いはしない。あくまで彼女の一番近くの相手を常に倒していく。
「――――ッ!」
八体目の悪霊を倒した直後、和弥は背後でパティの詠唱が完了したのを感じた。語尾が跳ね、彼女の頭上から眩いばかりの光が周囲一帯を包み込んだ。
「すっげぇ……」
降り注ぐ暖かい光。それは悪霊たちを溶かすように導き、彼の心を癒すような光だった。
(なんだろう、何処か懐かしい……)
何かを思い出せそうな気がしたが、それはもどかしいことに出て来なかった。
「――ふぅ……」
考えている間に光は収まり、瞳を閉じていたパティが静かに目蓋を開いた。玉のような汗を額に張り付けた彼女は、目に見える範囲に悪霊が存在していないのを確認して小さく息を吐いた。
「これで、大丈夫かな……?」
「助かりましたよ、パティさん。――さて」
礼を言って振り返る。そこにはもう道を塞いでいた悪霊たちはもう居ない。
「相手は、あいつだけだ」
一つ深呼吸をし、木刀を構えて走り出す。ここで全てが終わると信じて。しかし。
「――和弥さんっ、後ろっ!」
「!?」
眞子の声に反応して後ろを見ると、そこには先程まで戦っていたスカルマスクが間近に迫っていた。
「ヤラセルモノカッ!」
「ちぃっ! 浄化されてないのかよっ!」
「際ドイトコロダッタガ何トカナッタヨ!」
赤と黒の鎧を軋ませ、錆び付いた刀を振るうツナシゲ。言った通り彼は天使が降りてきた段階で警戒し、詠唱が始まった瞬間出来る限りの距離を取るべく脇の森へと走り出していたのだ。
「ぐ、うっ!」
慣性の法則に流され、身体が後ろに引きずられるような感触のままツナシゲの一撃をなんとか受けきる。しかし体勢は悪く片膝が着く。
「死ネェッ!」
大きく振り下される刀。
(――まずいッ!)
背筋がゾッと凍りつくイメージを感じながら、防御出来ることを祈って和弥は木刀を構えた――
「く……いってぇ……」
良治は全身を走る痺れるような痛みに苦悶の表情を浮かべていた。予想外の『攻撃』に彼は完全に虚を突かれた。
(天使の光は、悪霊や魔族にとって最も効果的……。ということは半魔族の俺も対象に入ってるってことか)
更に言うなら今良治は半魔族化している。当然と言えば当然のことだ。ふと視線を上げると、天音が大鎌を支えに辛うじて立っているのが見えた。
「……っ!」
「くっ!」
目が合い、動揺したのは天音の方だった。ここがチャンス、良治はありったけの力を足に入れて跳んだ。が、その一撃はすんでのところで大鎌に遮られる。
「はぁっ! ……!?」
もう一撃繰り出そうとした良治の身体から不意に力が抜ける。そして内臓が掻き回されるような感触と共に大量の血を吐き出した。
「あ……」
両膝を着いた彼の前には黒い死神。無表情の彼女は静かに大鎌を構える。
「さようなら、黒衣の騎士」
愛刀の村雨を悪足掻きに振るう。しかし天音の大鎌はそれもろとも無情に振るわれ、一瞬遅れて彼の胸部から血が舞い散った――
「――くぅっ!」
「パティ、さん!」
ツナシゲの日本刀を弾いて和弥を救ったのは、一本の細剣。十字架を想起させるそれを持つのは、悪霊たちを浄化した一人の天使だった。
「天使、カ……サスガニ分ガ悪イナ」
「貴方も浄化してあげますから大人しくしててください!」
「マサカ!」
大きく後方に跳ぶと近くに居た鍵里正輝を抱き抱える。気付かなかったが、既に彼は気を失っていたようだ。もう限界を超えていたのだろう。もしかしたら死んでいるのかもと思ったが、微かだがまだ生命の灯火を感じた。
「に、げんな……!」
「ソノ状態デ何ガ出来ルトイウノカネ。サラバダ」
そう言うとツナシゲは森へと飛び込む。パティが追おうとするが、鬱蒼とした夜の森の奥が見通せないことに気付くと、小さく溜め息を吐いた。
「すいません、これはちょっと追うのは難しいですね……」
「いや、仕方ないです」
幾らでも待ち伏せの出来そうな闇夜の森。空から飛んで追うとしても木々が邪魔をして発見するのは至難だろう。
「ちくしょう……ってなんだ!?」
「これは……」
遠くから大きな爆発音が響き、周囲を見渡す。しかし目に見える範囲には何事もない。だが気のせいではない。間違いなく何かが起こっていた。
「……リョージッ!?」
恐らく爆発音とは関係ない。しかし和弥の意識を引き寄せたのは仰向けに倒れゆく親友の姿だった。その向こうには見知った少女が大きな鎌を振り下ろした姿。
「てめえぇぇぇぇぇっ!」
咆哮と共に走り出した和弥を目にして、天音は一瞬迷った後踵を返して退魔士たちと魔獣たちが乱戦を繰り広げている戦場へ突っ込んでいく。その動きは素早く、するすると間を縫うように走り抜けるとそのまま姿を消して行った。
「くっそ……! おい、リョージ!」
血に染まった良治からは何の反応もない。彼の姿は先程までの半魔族のものではなく、既に元の人間に戻っていた。
「――和弥くん、撤退するわ! 急いで! みんなも!」
「葵さん!?」
泥だらけ、疲労困憊の葵が大声で撤退の指示を出す。確かに良治は倒れ、今すぐにでも治療を行わないとならないのはわかるがそれだけが理由とは思えなかった。
「明石支社の方から伝令が来たの。あの爆発音は敵の別働隊の襲撃。……支えきれそうにないみたい」
「またかよ……!」
またこの展開か。歯軋りをさせ地面を叩く。また守りきれなかった。そして鍵里正輝を逃がすことになってしまった。
「むしろ別働隊の方が本隊みたいな感じらしいわ。……こっちよりも魔獣の数は多かったみたい」
「こっちが、陽動だった……?」
考えられない話ではない。鍵里正輝や魔族がこっちに居たので、別働隊のことすら思考の外に追いやられていた。
「だから逃げるの。良治くんのこと、お願い」
「……はい!」
陰陽陣の退魔士たちも魔獣たちを倒しつつある。しかしこれでも明石支社を襲撃した別働隊を相手にするのは不可能なのだろう。
「良治さん……!?」
「綾華、こっちは任せてくれ。綾華はまどかたちと合流して撤退を」
「……わかりました。気を付けて」
撤退すると判断した以上、あとは出来るだけ素早く動かなければならない。それが出来なければ被害が増えるばかりだ。
綾華が走り出し、良治を背負う。その時、また大きな爆発音。和弥は急かされるように足を速めた。
「くっそ……!」
細い道を走り去る中、明石支社の方を見やると僅かに赤い炎が見えた。もう陥落するのも時間の問題だろう。
最後と覚悟して臨んだ戦場。しかし得たものはなく。次第に冷たくなっていく背中に涙が止まらなかった――
「一つの結末」完