~一つの結末~ 四話
「……っ!?」
「追い切れてませんよっ!」
背後から振り下ろされた大鎌を、感覚だけで振り返り様に刀で受け止める。もう何度目か解らない死線を潜り抜けるが、未だに勝利への道筋は見えない。良治は今まで経験したことの無い戦場で生き残ろうと必死に足掻いていた。
(天音だけでも十分な脅威だってのに……!)
天音だけを相手にするなら勝機は見える。良治は機動力とスピードで遅れを取ることは少ない。相手の隙を突くことも難しいことではないのだが、天音は彼に匹敵するスピードを持っていた。そしてそれ以上に厄介なことがあった。
(死角を突くことが上手過ぎるッ!)
暗天衆という組織に属してる故か彼女は物陰に潜むのが非常に上手く、良治はそれを目で追うことも難しかった。そして物陰とは道の脇に立ち並ぶ木々だけを指すわけではない。周囲で戦っている味方の退魔士や大きな魔獣も含まれていて、隠れる場所には事欠かなかった。そして天音だけでなく、時折思い出したかのように魔獣が邪魔をしてきて一番の強敵に集中しきれないでいた。
「ぐ、うっ!」
「捉えました!」
偶然はそう何度も続かない。完全に視界外からの一撃は彼の背中に大きな傷を与えた。なんとか振り返って刀を構えるが、背中から流れ出る熱いものを感じて良治は奥歯を噛み締めた。
「ここまでですね。私にとって有利な、そして貴方にとって不利な戦場だったのが決定的な差だったということでしょう。私たちに実力の差はほとんどないように思えますから」
剣士と暗殺者。それぞれ得意とするものがあり、不得意とするものがある。乱戦に慣れていない良治には非常に戦いにくい状況なのは確かだった。
「……ここまで、か」
構えた身体から力が抜け、寂しそうな、そして悲しそうな笑みが浮かぶ。――彼は、覚悟を決めた。
「潮見天音。お前に俺の全てを差し出そう。ちゃんと受け取れよ……っ!」
ちょうど近くに和弥の姿が見えた。これまで隠していたことを申し訳なくは思うが、それはそれで仕方ないから諦めて貰おう。どうせこれが最後だ。
「はぁ……ッ!」
「これは……魔族化!?」
今までの記憶が走馬灯のように駆け巡り、彼の身体が変貌していく。黒髪から白髪に、筋肉は一回り盛り上がり、そして瞳は金色に輝き出す。
「……なるほど、混血というわけですか。まだ奥の手を隠していたとは恐れ入ります」
「使いたくなかったよ。特にこんな衆人環視の場所ではね。……だけどもうそんなこと言ってる場合じゃないのは理解した」
周囲を見渡すと、和弥は少し驚いた表情をしていた。綾華は感情を噛み殺そうとするように俯いている。葵は寂しそうに微笑っていた。
「……そうですか。覚悟をしたということですね」
「そういうことだ。全てを投げ打つ覚悟を」
静かに一歩踏み出し、愛刀の村雨を構える。しかしこちらに駆け寄って来る人物が視界に入った。秘密をひた隠しにしていた親友が。
「和弥……」
「リョージ……」
和弥の視線に耐えきれず、良治は目を逸らした。友人と、親友と思いながらも言えなかった自分を後ろめたく感じていた。
「……今まで言えなくて悪い。俺は……魔族との混血だ」
「魔族との、混血……」
罪を告白するような良治の姿は、まるで教会で懺悔する罪人だった。見えない涙が流れているように、和弥は感じた。そして彼は素直な言葉を発する。何でもないように。
「なんかカッコいいな、それ」
「は……?」
「いやなんかその白い髪とか金色の目とかカッコいいなと」
「……お前ってヤツは」
感心したような表情の和弥に良治は苦笑いする。器が大きすぎて何も言えない。そういえばこんなヤツだったなと思い出して、今まで悩んで黙っていたことがちっぽけなことだったような気さえしてくる。
「まったく……まぁ詳しい話はあとだ。ここは任せてくれ。あまり時間はない」
「ああ、了解。またあとでなっ!」
「――サテ、モウ良イノカネ?」
「ああ。すまないな待たせて」
変貌した友人を背に、先程まで殺し合いをしていた骸骨の元へと戻ると、予想外の言葉を投げ掛けられた。律儀にも終わるまで待っていてくれたらしい。その甲冑姿が示すように武士道を心掛けていたのだろうか。
「アノ少年ハドチラカトイウト、コチラ側ノ者ノヨウダガ気ニナラナイノカネ。今マデ知ラナカッタノダロウ?」
「ああ、知らなかったよ。でもまぁ誰にも知られたくないことの一つや二つあるもんだ。俺にだってあるさ。例えば一年くらい前までねーちゃんに関節技やら寝技やら諸々かけられてて何度も気を失って、泡吹いてたなんてことは誰にも知られたくないからな」
「ツマリ君ニトッテハソノクライ些末ナ出来事トイウコトカナ」
「そうだよ、いつだって悩み事なんて他人から観たらちっぽけなものさ」
「……ソウカ。器ノ大キナ男ダナ。人ノ上ニ立テル程ニ」
「そりゃどーも。いつかそんな男になってみたいもんだ」
和弥にとって彼は大切な友人であり、それはどんな過去があったからといって変わることではない。現在、そして未来が何より大切なもの。それを心奥に置いてあるならば、そう簡単に動揺はしない。
「――さぁ、待たせておいて悪いがさっさと倒させてもらう!」
「望ムトコロダッ!」
「良治……」
「あれが半魔族化……」
崖の上の少女たちが硬い表情で呟く。愛しい少年に届くことの無い言葉と祈り。彼女たちはただその覚悟を認めて見守ることしか出来なかった。
「お願い、せめて悔いの無いように生き抜いて」
「まどか……」
まどかは祈るように両手を握りしめたが、それも一瞬のことでその視線は彼ではなく戦場に向けられた。
「私は私に任された仕事をやり遂げる。――それが私に出来る全てだから」
「……そうね。私も負けてられないわね。まどか、崖に上がってきた奴らは任せて頂戴ッ!」
「結那ありがとう。お願いね!」
「く……!」
すぐに態勢を立て直す良治。その動きは機敏というよりもむしろ非常に雑な物だった。
「――何をそんなに焦っているのですか?」
「焦る……?」
心の中でも天音の言葉を反芻する。
焦る。焦り。問われて思い返せば、確かにその通りだったのかと思い至る。しかし、焦りに至ったその理由にすぐには辿り着けない。
「そうです。そう、何かに追われているような。今のこの戦況とは違う、もっと大局的な意味でです。ここでの役割とすれば私を足止め出来ればそれでも及第点でしょうし」
確かにその通りだ。ここで天音を足止め出来れば十分。倒して和弥たちに合流出来れば最上だが、実力的に拮抗している状態で焦って勝ちにいく必要はないのだ。
しかし問われるまでの彼は、なんとしてでもここで天音を倒し、合流することだけを考えていた。それも最後の手段の半魔族化まで使ってだ。
「ここで私を倒さなければならない……そこに至った原因は私にはわかりませんが、そんなままでは無駄に早死にしますよ」
時間。即ち寿命。
ようやく良治は根底にあった原因に辿り着いた。
もってあと数日。もしかしたら今日にも死ぬかもしれない。そのことが心の奥底にこびりついていて、余計な焦りを生み出していたのだろう。自分の寿命など既にこれまでの人生の中で解決していたと思っていたが、あと少ししかないという状況に至り知らず現れてしまったのだろう。
「……ふぅ」
大きく一度深呼吸をした。それだけで頭の中がクリアになっていく。頭の中がこんがらがったとき、冷静さを求められているとき。深呼吸をして真っ直ぐ前を見る。
「お前の言う通りだったみたいだ。礼を言う」
「……余計なことを言ったみたいですね。まさか一瞬にして元の冷静さを取り戻すなんて。さすがは白神会でも屈指の剣士ということですか。《黒衣の騎士》柊良治」
「俺と同じかそれ以上の相手に言われたんだ。素直に受け取っただけさ、暗天衆頭目・潮見天音」
お互い口元に笑みを浮かべる。しかしそれも一瞬のことに過ぎなかった。
「やはり貴方は危険ですよ。実力、メンタリティともに。ここで全力で潰させてもらいます」
「全く持って同感だ。今後も戦いたいとは思わないな。命が幾らあっても足りそうにない」
「そうですね。だから、私も奥の手を使わせて貰います……!」
ぞくりと大気が震えた気がした。そして。
「魔族の力……? 魔族、じゃない……契約者か!」
天音の身体を包む『力』が禍々しい物に変化、そして増大していく。更にその瞳が金色に変貌した。それは今の彼に近しい変化、風貌だった。
「その通りです。この力、全力で振るわせてもらいますっ!」
「……上等ッ!」
良治の言葉が終わると同時に、二つの影がぶつかった。