~一つの結末~ 三話
「多過ぎないかっ!?」
「これまでで一番多いですね。油断しないでくださいっ!」
「くっそ!」
狼型の魔獣を相手にしながら綾華と会話を交わす和弥。まだ戦闘開始間もなくで、集中力が問題ないからこそ出来ることだ。
(しっかし、これじゃあしばらく鍵里を探すなんて出来ないなこれは)
今戦闘しているのは舗装されていない土の道だ。勿論狭いのでその密集を突破するのは至難の業。鍵里正輝の姿を確認すらまだ出来ていない。目の前の敵に対処するので手一杯だった。
「――!」
視界の端から銀閃が襲い掛かるのを捉え、反射的にそちらに片手で木刀を振るう。
「ぐっ……!」
「止メラレタカ。サスガダナ」
「ツナシゲっ!」
鈍い衝撃で数歩押し込まれるたが、それでも体勢は辛うじて保つ。ツナシゲの鋭い斬撃は片手で受けられるほど軽くはなかった。すぐに左手も柄を握り締める。
「ククッ、正々堂々トイコウジャナイカ」
「ああ、悪くないな。……綾華、リョージ、周りは任せた!」
「任されました」
「了解!」
二人の声が返って来るのを確認して意識をツナシゲに集中させる。こいつは俺が倒すべき相手だと。
(重さも鋭さも大したことない。……あの夜叉に比べれば)
目指すべき相手はツナシゲではない。この場には居ない夜叉。いつか再会した時に越えなければならない壁だ。
(近くに来てるって話だもんな。尚更負けるわけなんて出来るわけがないさ)
ぎゅっと木刀を握り直し、にやりと笑う。
「ナニガ可笑シイノカナ?」
「いや、特に理由はないさ。ただ」
「タダ?」
「あんたなんかに負けてる時間はないってことさ!」
上段からの一撃を振り下し、剣士の戦いは再開した。
「まぁ、やっぱり紛れて出てくるよなぁ」
「御期待に応えられたようで何よりです」
混戦の中森の暗がりからすっと現れたのは小柄な少女。肩まである少しウェーブのかかったくせっ毛ももう見慣れてしまった。
「潮見天音、ですか」
「はい、初めまして白兼綾華。まさか白神会トップの妹君がこんな戦場の真っただ中にいらっしゃるとは。白神会とはそんなに人材難なのですか?」
「安っぽい挑発ですね。まぁ真面目に返すなら実地訓練といったところでしょうか。私はまだまだ一人の退魔士としても上に立つ人間としても未熟ですから」
「その冷静さは上に立つ者には重要でしょうね。陰陽陣にとっては嬉しくはありませんが」
「それはどうも」
大鎌が現れるのを見て短刀を抜く。近距離での真っ向勝負は圧倒的に相手に分があるが、これで一撃目の致命傷は避けられるはずだ。
「綾華さん、ここは俺が。綾華さんは周囲の援護をお願いします。どうせ彼女は俺に用があって現れたんでしょうし」
「その通りです。柊良治、貴方がこの戦場で最も危険だと判断しています。少なくとも足止めくらいはさせて頂きますよ」
「それには異論があるんですがそうらしいです。……ここは任せてください」
「……わかりました」
そう言って一歩引くと、綾華はすぐに周囲の援護に向かった。この狭い戦場、敵も味方も手の届く範囲に居る。出来ることは幾らでもある。
「さ、潮見天音――決着をつけよう」
「嫌な目ですね。自分の命を捨てることを覚悟した、死を受け入れた目です」
「人のこと言えないんじゃないか。道具として生きてるような目をしてるよ」
「……お互い様、ということですかね」
「そういうことかな」
一瞬の沈黙が降り、甲高い音が響く。十分な距離を取るような広さはない。刀と大鎌での接近戦、それは体力と集中力を削り続ける短期決戦に他ならない。
「――その命刈り取らせて頂きますッ!」
「出来るものならやってみな!」
「ねぇ、全然当たらないんだけど」
「ふっ! ……それはそうでしょうよ。結那が簡単に弓を扱えたらびっくりよ。私の立場がないじゃない」
「そうだけどさー」
戦場脇にある高台で矢を放ちつつまどかは結那の愚痴を聞いていた。一つでも多くの矢を放ち、一体でも多くの魔獣を討つ。それがまどかたち高台の射手たちに任された任務だ。
「結那、もう射らなくていいから周囲の警戒お願い。そっちまで見てる余裕ないから」
「おっけー。それなら私にも出来そうね」
高台の部隊は結那を含めて四人しかいない。弓やボウガンを使うような退魔士はどの組織でも少ないらしく、実戦経験を買われてまどかが指揮をしているような有様だった。
(指示とか指揮とかっていつも良治に任せてばっかりだったから、どうしても慣れないわね)
その立場になって初めてその苦労がわかる。常に移り変わる戦場を注視し、その変化に合わせて適切な指示を出す。言う事は簡単だが、これのなんと難しい事か。ただ今回のまどかたちのやることは至ってシンプルだ。『高台から遠距離で魔獣の数を減らす』、これだけだ。戦闘が始まってすぐは敵味方がはっきり別れていたので問題なかったが、こんな乱戦になってからは誤射と隣り合わせだ。精密な射撃が求められていた。
「一時方向新たに魔獣の集団! 射って!」
新たに出現した魔獣の一団を見て指示を出す。時々現れる魔獣たちの数を減らせれば、それは大きな援護になる。元々相手の数が圧倒的に多い。物量作戦で飲みこまれてしまえば成す術もなく全滅してしまうだろう。まどかは指示はされていなかったが、それを防ぐことを最優先として高台部隊の指揮を執っていた。
「――まどかっ、化け物!」
「っ!?」
切羽詰まった声はまるで悲鳴に聞こえ、まどかは瞬時に彼女の方へ振り向いた。
「――邪魔なのでな。排除させてもらおう」
「あの時の魔族……!」
森の中からがさがさと草を踏み分けて現れたのは、半人半馬の黒い体躯の魔族。まどかが戦列を離れる原因となったケンタウルスのような姿のラッゾだった。
「ふむ、たった数人とは。これだけの人数であの働きとは恐れ入る」
「それはどうも」
弓兵であるまどかには接近戦での対抗策はない。小さなナイフくらいは持っているが、さすがにそれだけでは心許なかった。
(距離が近い……一矢射てるかどうか)
駆け出したラッゾを止める手段はない。三人の射手が一斉に射ったところであの勢いを殺すことは難しいだろう。
(それなら今やるしかない……!)
素早く矢をつがえて射撃体勢に入る。滑らかに力を込め、雷の矢を放った。
「やぁっ!」
「はっ!」
不意を突いたつもりの矢だったがそれはラッゾの想定内のことらしく、上半身を傾かせて矢を避け、にやりと笑うと駆け出してきた。あの時と同じ、まどかを跳ね飛ばしたあの突撃。彼女の背にぞわりと怖気が走った。――今度は死ぬ、と。
「ちょっと待ったぁー!」
「ぬっ!?」
ゴッ、という鈍い音。まどかとラッゾの間に立つのはこの場で唯一のクラスメート。ラッゾの腹に拳を突き立て、その突進を止め、不敵に笑っていたのは勅使河原結那。
「我が突撃を止めただと……」
「いやー、ちょっと右手が痺れたから凄い勢いだったのは確かね。――でも、止められないほどじゃないわ」
拳を引き、一歩ステップして距離を取る。右手の掌を握って開いてを数度繰り返し、また戦闘態勢を取った。両手に嵌められた青い指ぬき型のグローブが存在感を放つ。
「私はこういう時の為にここにいるってこと忘れてたわ。この部隊の誰一人殺させはしない」
「結那……」
「まどかはちょっと離れてて。この馬は私が倒す」
結那の背中から湧き立つような気迫を感じ、まどかは気圧されるように後退した。
(素質、あり過ぎよ。……嫉妬するほどに)
まどかも一人前以上の退魔士だが、その彼女でも結那の素質と能力が人並みではないのを強く感じていた。対個人としては相当のものだと。
「我を馬とは、ほざいたな人間。粉々に踏み砕いてくれよう!」
「さぁ来なさい!」
「はああぁっ!」
「ぐぬうっ!」
結那の拳打がラッゾを圧倒する。スピードに乗らせず、走らせなければどうとでもなる。そんな声さえ結那から聞こえてきそうな両拳のラッシュ。
「まだまだまだまだぁっ!」
「ちっ!」
無理矢理結那を押し退け、僅かながら助走距離を作るラッゾ。そして振り向きざまに走り始めた瞬間に結那の拳がその加速を押し止めた。
「な……!?」
「加速出来なきゃこっちのもんじゃない?」
「く、この!」
再度同じように距離を取って加速しようとするが、それを許す結那ではない。崖の上という限られた場所では人間の小回りの方が優位に働いていた。
「ぐ……くっ!」
完全に押されていたラッゾが崖ギリギリまで後方に跳んで距離を取る。加速できる距離を。それを理解しながら結那はその光景を見ていた。ゆっくりと肩を回し、拳の状態を確認しながら。
「舐めるな人間ッ!」
駆け出すラッゾ、それを視界に入れながら深呼吸をして構えを取る結那。
「はあああああぁッ!」
「ゴ……ハッ!?」
耳を塞ぎたくなるほどの爆音と振動、そして土煙。一瞬の静寂の後、崩れ落ちるラッゾ。結那の渾身の一撃はラッゾの腹部を砕き、その拳は手首まで突き刺さっていた。
「こんな人間に……小娘に、我が……!」
「と・ど・めっ!」
「――……ッ!?」
右脚がラッゾの頭を振り抜き、砕けた頭部からゆっくりと塵に変わっていく。
「拳打も蹴りも充分効くのね。まぁあの化け物が見かけ倒しだったってことかしらね」
「……うっそ。こんなにあっさり倒しちゃうなんて」
完全に消失し、なんだか消化不良気味な表情を浮かべる結那。それがまどかには現実味のない光景に思えた。
「なんかもう、規定外ね……」
「そう? まぁ正直言うならギリギリの勝利って感じだし、きっと相性が良かったのね。近距離の真っ向勝負だけならそうそう負けない自信はあるから」
そう言われると確かにそうなのかもしれない。そしてきっと遠距離からの攻撃手段しか持たないまどかにとっては非常に相性の悪い相手だったのだろう。しかしそれにしても退魔士としての訓練を受けていない人間が魔族を真っ向から打ち負かすなど、常識の範囲外の出来事だった。
「もう褒めるしかないわね……」
「ふふ、これなら胸を張って良治に会いに行けるわ。どんなもんよ、ってね」
「……もう」
苦笑して溜め息を吐く。こんな戦場にあってもこの友人は変わりがなさすぎるなと。
「まだ戦闘は終わってないわ。みんな、射撃の準備を!」
部隊全体に聞こえるよう一際大きな声を上げると、まどかは自分の仕事に戻るべくまだ終わらない戦場を見降ろすべく崖際へ走って行った。