~一つの結末~ 一話
「――で、この人は誰なんだ?」
撤退時から今この明石支社で諸々の雑事を終えるまで、ずっと持っていた疑問をようやく和弥は周囲に投げかけた。同じことを思っていたのは自分だけでなかったのを周りの反応で感じる。
「誰かは知ってるけど、私もなんで結那がこんなとこに居るのか知りたいんだけど……?」
「なんでそこで結那じゃなくて俺を見ながら言うんだまどか。それは俺も知らないんだ。……ということで説明を頼む」
溜め息を吐く良治が結那と呼ばれた美人に説明を促す。
「うん、了解」
彼女は知らない者が大勢いる中で、物怖じせずに椅子から立ち上がると微笑さえ浮かべて話し出した。
「勅使河原結那、まどかとクラスメートの十七歳。良治とも知り合いよ」
「……それだけですか」
「むしろ質問があればそれに答えるわよ?」
「そうですね……」
簡潔過ぎる自己紹介に綾華の機嫌が少しだけ斜めになる。しかしそれも一瞬のことで、すぐに質問を考え出した。
「何故ここに?」
「良治に会いに、かしら」
「何故この場所が?」
「私の姉さんが占い師をしてて、その通りに来たら会えたの」
「良治さんに会いに来た理由は?」
「彼のことが好きだから、よ」
「……なるほど」
そっと右隣の良治に目を向けると、彼は頭を抱えて顔を伏せていた。そして「帰りたい胃が痛い帰りたい帰りたい」という声が微かに聞こえてくる。気持ちはわからないでもなかった。
「……ねぇ、結那」
「ん、なにかしらまどか」
まだあちこちに湿布や包帯の巻かれたまどかの静かな、それでいて重い声。しかしそれを一切意に介さない結那。
「いつから?」
「ん、そうね……初めて会った時から良いな、って思ってたから一目惚れみたいなものかしら」
「そう……でもなんでいきなりそんなこと言いだしたの?」
「二人が付き合ってるものだとばかり思ってたんだけど、この間聞いたら付き合ってないって言うから。それなら条件は同じじゃない?」
「……確かに」
段々と怒気が薄れていき、大きく息を吐いた後口を開いた。
「……まぁ納得したからいっか。結那だし」
「まどかならそう言ってくれると思ってたわ」
お互いにスッキリしたのか、笑顔を交わすクラスメート。ようやく弛緩した空気が流れ出す。予想外の展開に誰も口出しが出来なかったのだ。
「え、と。結那さん、つまり貴女は何処かの組織に入っているわけではないと」
「ええ。こういった退魔士、だっけ? そういうのも知らなかったくらいよ。ここに来るまでに姉さんに少し聞いただけ」
「……了解しました」
左隣の綾華が思考に入ったかと思うと、すぐに顔を上げて再度質問を投げかけた。
「結論だけを聞きます。協力してくださるのですか?」
「もちろん。何が起こっているか把握はしてないけれど、彼の力にはなりたいと思ってるから」
「その結果死んでも?」
「そうね。私は太く短く鮮やかに生きたいと思ってるの。全力を尽くすだけよ」
にやりと笑い言い切る結那。それはとても魅力的な笑顔で、思わず見惚れてしまうほどのものだった。
「という訳で。良治さん構いませんね?」
「……どうせ何言っても戻らないだろうし仕方ないでしょう……」
珍しく投げやりな言葉に疲労の色が見える。それは先程までのやりとりも影響しているのは明白だった。さすがに同情したくなってくる。
「大丈夫か……?」
「そう見えるなら今すぐ眼科に行って来い」
「俺の目は問題なさそうだ」
「なによりだよ」
とりあえず復活するまではこのままそっとしておいた方が良いと判断して周囲を見るが、誰も言葉を発さない。それに気付いた、今まで一言も発言していなかった高遠が我に返ったように話し出す。
「ああ、そうですね。それでは現状の把握と今後の対策について――」
高遠が進行を務めた話し合いは問題なく終わり、それぞれが任された仕事に取り掛かっていた。しかし特に大きな仕事がない者は夜までの時間を休息に充てることを指示されている。和弥もその一人だった。
「しっかし、大丈夫か良治は」
「まぁあればかりは当人たちで解決するしかない問題ですから。和弥も首を突っ込んでは駄目ですからね」
「突っ込みたいなんてさすがに思えないな……」
他人の色恋沙汰に首を突っ込んでも巻き込まれるだけで、さして得るものはない。大概の場合疲れるだけだ。既に疲れている友人を見て思うことはあるが、恋愛経験のほとんどない和弥からアドバイス出来ることはない。自分でどうにかしてもらうしかないのだ。
「和弥もあんな風にモテたいですか?」
「いや、俺は遠慮したいな。俺には綾華だけで十分だよ」
「……っ! もう……」
ああもう可愛いなぁ。にやにやしながら手を繋いで宛がわれた部屋の前に着く。
「ではすいません、私はここで」
「ああ。手伝えなくて悪い。頑張ってな」
「はい。今回は良治さんが欠ける可能性がありますのでちゃんと休んでおいてくださいね」
「そうさせてもらうよ」
「っ!?」
言葉と共に綾華の唇を奪うと、真っ赤になった綾華を置いて部屋に引っ込む。扉越しに彼女の小さな声が聞こえた。
「……もう。ばかぁ」
ああもう可愛いなぁ。抱きしめたい衝動を布団に抱きついて解消する。幸せな気分のまま和弥は眠りについた。
「はぁ……」
高遠は一人、会議室で頭を抱えていた。絶対的に指揮官が足りない。現場を任せられる人材が少なすぎた。
(柊さんは消耗し過ぎで今日一日は頼れない。安松さんはまだ予断を許さない状況……。綾華さんにはこの明石支社の周囲の警護、南雲さんたちには部隊の割り振りと配置……)
未だ重体の安松はこの明石支社ではなく、既に戦闘の及ばない違う場所に搬送されている。命を取り留めたとしても数日中の復帰は見込めない。
「はぁ……」
この数日相談をして作戦を立てていた良治も、最後に決定権を持っていた上司の安松もこの場にはいない。高遠が現在最終決定権を持つことになっていた。
(今まで適当にやり過ごしてきたツケが回ってきたかな)
高遠の両親も退魔士で、何の疑問もなく流されるまま退魔士になり、いつの間にか明石支社のトップに立っていた。自分自身無能だとは思っていないが、特段有能という訳でもない。任された仕事を淡々とこなし、それなりの信頼と実績を積んできただけに過ぎない。それも現場に出ることもほとんどなく、事務作業のみの結果だ。しかしそれでも人材不足故か、二十代前半にして安松の副官という立派な肩書が付いてしまっていた。
「うぅむ……」
とんとん拍子に出世してしまったので、頼りになる相談相手もいない。歳も近く、将来が楽しみだった二人のうちの一人は悲しくも昨夜戦死してしまっていた。それも彼の心に影を落としている一因でもあった。
「なんとか、するしかないか……俺が」
「あ……」
「相坂さん……」
明石支社の裏手にある名前の刻まれていない大きな墓石。その前に立ち尽くしていた相坂未亜は、人の気配に気付くとゆっくりと振り向いた。
「申し訳ありませんでした、俺の判断ミスです」
「……いえ、退魔士として戦場に居た以上誰のせいでもないですから」
「……」
良治の頭に沈んだ声が響く。頭を下げてもどうにもならない。何も変わらない。しかし彼は自分で判断ミスをしたと感じていたし、一番高橋一之助に近しい人間だった彼女に頭を下げずにはいられなかった。例えそれが自己満足だとしても。
「もう、大丈夫です。いっちゃんのことで誰も恨んではいません。殺した犯人ももういないと聞いていますから」
高橋を殺した犯人は俊二の話だと暗天衆の可能性が高い。しかしその下手人も姫路支社で二人、俊二が伝令に来る途中で一人討ち、恐らくその誰かが高橋を殺したと思われていた。
「だから、いいんです。……でも」
「でも……?」
「私は退魔士を辞めようと思います。……もうこんな思いはしたくありません」
退魔士はいつ死ぬかわからない。死が当たり前のように隣にある仕事だ。それは自分だけではなく共に戦う仲間も同様だった。そして仲間の死は周囲の人間の心に傷を残す。それが戦場に慣れていない者や、近しい間柄の者なら更に深い傷を。
「そう、ですか」
だからこそ良治は相坂を責められない。こんな陰陽陣という組織が壊滅するかどうかの瀬戸際だとしても。
「すいません……。都筑さんによろしくお伝えください」
そう言うとそのまま去っていく。その寂しそうな背中に何も言う事は出来なかった。
「……仕方ない、よな」
十分以上経ってから頭を上げ、墓石を眺める。ここは仕事中に殉死した退魔士たちの墓。退魔士たちの中には天涯孤独の者も少なくない。葬式をあげることもほぼない。組織の施設で焼かれ、そのまま墓に入れられる。高橋もその一人だった。
ふらりと崩れ落ちそうな身体を動かし元来た道を引き返す。布団から抜け出しはしたが、少しだけ戻った体力ももうない。自分の今の仕事は体力の回復だが、このことだけはどうしてもケジメをつけておきたかった。
(和弥の話だと鍵里正輝の消耗は激しい。姫路支社からこの明石支社まで少し距離がある。頼むから今夜だけは来ないでおいてくれ……)
自分の予想はもう高遠に伝えてある。しかしそれは願望の入ったもので、祈りのようなものだ。事態は常に最悪を想定して動いておくべき。良治も高遠もその考えは共通していた。
「……っ」
「っと」
「大丈夫、良治?」
膝が抜け倒れかかった彼をさせたのは結那だった。心配そうなまどかも一緒だ。
「悪い、助かる。でもどうしてここに」
「もう、良治が心配で来たに決まってるでしょ。相坂さんからこっちに居たって聞いたの」
部屋から起きて抜け出したのはあっさりとばれていたらしい。三十分も前のことではないのだが。
「……なるほど」
「いやー、結構無理するのね良治って。無理って言うか無茶かしら」
苦笑しながら肩を貸す結那。少しだけ嬉しそうに見える。
「ね、私と結那に出来ることはある?」
「そうだな……。じゃあ戦場になる可能性のある周辺の地図を頼む」
「わかったわ」
「おっけ。んじゃ良治は部屋でちゃんと休むこと。いいわね」
「わかってるよ。結那はまどかと一緒に行動して指示に従うこと」
「まぁそれが一番よね。目の前の相手を倒すこと以外はよくわからないし」
最初から考えを放棄しているような結那に、思わず二人で笑う。このサッパリとした性格は彼女の長所の一つだ。
「ああ、それで頼む。まどかも頼む」
「頼まれたわ。安心して寝てて。頑張るからっ」
とん、と軽く胸を叩くまどかの姿に小さく微笑む。
「ああ、あと一つ。良い機会だから言っておくが俺の命はあと少しだ。だから覚悟だけはしておいてくれ」
「……っ」
「え、どういうこと? 冗談……には聞こえないんだけど」
びくっとしたまどか、訝しげな表情から強張ったものに変わる結那。
「冗談じゃない。多分もう一戦が限度だ。だからそうなったらあとは頼む」
「良治……うん、わかった」
「ねぇちょっと、それが本当だとしてどうにかならないの!?」
「結那……」
丸二年付き合いのあるまどかですら、彼女の余裕のない大声など初めて聞いた。それほど彼女にとって衝撃的な言葉だった。だがそれはそうだろう。愛を告げたその日に、彼の命はもうすぐ尽きると本人から言われれば誰だって混乱し叫びたくなるものだ。
「悪いが諦めてくれ。俺の寿命が尽きるのは覆せない事実だ。……本当にすまない」
「……まどかがなにも言わないってことはそういうことなんでしょうね。認めたくないけど。本当に、認めたくないけど」
「ああ本当だ……すまないがあと、頼む」
色々心配だったがこれなら安心して任せられそうだ。そう思った瞬間、良治の意識は途切れた。