~倒れる者と救う者~ 四話
こちらに倒れてくる安松の背中。それがまるでスローモーションのように俊二には見えた。目の前で知っている人間が斬られる絶望感。それはこの短い期間内で嫌という程目に映ったものだ。しかしだからと言って慣れるものではない。慣れてはいけないとも思う。
「――ッ!」
怒りと悲しみを乗せて、着地したばかりで硬直している暗天衆の男目掛け、『地聖』を片手で薙いだ。
「ごふっ!」
銀閃は首筋を切り裂き、一瞬遅れて赤いものが噴き出る。男は首筋を抑え目をぎょろりとしたが、数秒もしないうちに倒れ動かなくなった。
「安松さんっ!」
高遠が顔面蒼白で駆け寄り、上司の容体を確認する。胸は真っ赤に染まり、意識はない。高遠の表情が固まる。
「まだ諦めるな、俺たちの判断が間違っているかもしれない」
「……そうですね。まだ呼吸はあります」
ふらりと立ち上がった高遠は、一瞬目を閉じて深呼吸をすると声を張り上げた。
「少しでも医術の心得のある者はこっちへ! ……ここから撤退します、車の用意を。急いで、時間との勝負です!」
「は、はいっ!」
ばたばたと指示に従い行動し始める。数人が横たわる安松の傍に走ってきた。一様に表情が暗くなるのが状態の悪さを示している。
「俺はどうします?」
ここで俊二に出来ることはないように思え、立ち上がって安松の様子を窺っていた高遠に問いかける。
「そうですね……すいませんが奇襲部隊に撤退の連絡を。車は何台か合流地点に置いておきます、と」
「了解。じゃあこの場はお任せします。……なんとかしましょう」
「そうですね……」
先程までの暗い表情は消え去っている。今そこにあるのは決意と覚悟。これなら任せられる。安松が倒れ心が折れるのではないかと心配したが、逆にそれを糧に一皮剥けた様に感じられた。
(出来る人だとは思っていたけど、更に……)
今の世代、殺し合いの戦場を経験している退魔士は少ない。だからこそある程度仕事が出来る者は多い。しかし戦場というものは劇薬だ。人を殺す、殺されるのを見る、そんな経験を経て成長する者もいれば心に傷を負い戦えなくなる者もいる。
(負けられないな)
成長の片鱗を感じながら、俊二は今も戦っているであろう和弥たちの元へ走り出した。
「おいおいおいっ!」
「まだ増えるんですかっ!?」
和弥と相坂が叫ぶのも仕方ないと言えた。周囲の『熊』型の魔獣の数を苦労して減らしていたが、それを嘲笑うかのようにまたも『門』が開いたのだ。
「死、ね……!」
少し距離があり声は聞こえなかったが、和弥には鍵里の口がそう呟いたように見えた。血みどろの口元、赤く染まった瞳。今にも倒れそうに膝は曲がり体勢は前屈みだ。
「ぐ、おおおおおおおおぉっ!」
獣のような咆哮。顔だけを空に向けた大気を震わせるような絶叫。
「ふ……っざけんな!」
それを聞いて、頭が沸騰するような感覚が襲う。何故、と。
「そんなにもなって、まだ殺したいって思うのかよ! 恨むのはわかるよ、悲しいのもわかる! それでも……それでも、そんなになってまで! あんたの本当にしたいことってこんなことなのかよっ!」
その言葉に鍵里正輝は答えない。ただ、寂しげに微笑んだだけだった。
「――ダカラコソ、魔界ノ門ヲ開イタノダロウ?」
代わりに答え、言葉と共に『門』から現れたのは、鎧を着けた武士のような姿をしていた。ような、というのはそれを着ているのが白い骸骨だったからだ。
「魔族……!」
「私ハ悪霊カラノ成リ上ガリノヨウナモノダガネ……。ソノ認識デ間違ッテハイナイナ」
学園祭の件でこんなような骸骨を見たことはあった。しかしあの時の骸骨とは桁外れの存在感。学園祭の時の骸骨は傍に居てもほとんどわからない程度のものだとすると、今現れたのは数km先に居ても、嫌でも気になってしまう程のものだ。
「ま、ま、魔族って……!」
「安心してくれ、あの骸骨は俺がやる」
動揺する相坂を宥めるように、一歩前に出る。ここは自分が止めるしかない。そう感じたのだ。
「私ニハ『ツナシゲ』トイウ名ガアルノダガネ。マァイイ、ソコノ不思議ナ男、ヤロウデハナイカ」
かちゃかちゃと鎧と刀、そして骨の当たる音をさせて近づいてくるツナシゲ。
「不思議な男ってなんだよ。まぁ、やるんだけどな」
「つ、都筑さん……」
「任せろ。……相坂さんたちは周りの『熊』頼みます」
出てきたのはツナシゲだけではない。『熊』もまた複数増えている。さすがにそこまでは手が回らない。うっかりタメ口になっていた口調を元に戻して指示を出す。
「は、はいっ!」
返事を背で聞いて、和弥は走り出す。ツナシゲの抜いた刀と木刀が交差し、それは戦場の合図となった。
「邪魔が入りそうですね……」
その言葉に周囲の気配を窺うと、確かに彼女の言うとおり魔獣の気配が増えていることに気が付いた。そしてその中に一つ、飛び抜けて禍々しい物も混じっている。良治はそれが魔族だろうと当たりを付けた。
「……そうだな」
待っている本隊は未だに来ない。来る様子もない。天音の相手をなんとかしていたが、もう良治の身体は限界に近かった。
「仕方ありませんね、勝負は預けておきます」
そう言う天音も右腕にそれなりの傷を負っている。今回唯一与えられた大きめの傷だ。対する良治だが、深手はないものの無数の細かい傷がある。一撃必殺の大鎌を相手に、致命傷だけを避けて捌きに徹した結果だ。
「……次があれば、な」
「出来れば生き残っていてください、このまま終わるのは心残りですから」
それを別れの言葉にして森へと逃げ込み去っていく。正直退いてくれて助かったのは言うまでもない。しかし。
「まだ、終わってないんだよなぁ……」
振り向く良治の視界には、こちらに向かってくる熊型の魔獣たち。痺れた左腕をだらんとぶら下げ、苦々しく睨み付ける。先程までは天音を前にした緊張感で持っていたが、一度切れれば元に戻すのは至難の業。
(三体……いけるか?)
体躯の大きい『熊』を相手にするのは今の状態だと厳しいと言わざるを得ない。普段なら問題なく対処出来るだろうが、集中力が切れ疲労もピーク、片手という現状は危機的状況だ。霞み始めた目で周囲を見渡しても味方は見つけられなかった。
「……っ!」
大きく息を吐き、先頭にいた『熊』に斬りかかる。今この現状を変えるのは自分自身しかいないのだ。ならばやるべきことは一つ。
(自力で、どうにかするしかない……っ!)
すれ違いざまに腹を斬りつけるが、片手では十分な傷は負わせられない。ならば回数で押すしか手段はない。
「……っ」
振り回される爪を避け、今度は右脚、背中と傷を増やしていく。そして動きが鈍ってきたところで愛刀を口から突き刺した。
「まず一体……」
ふらふらと立ち上がり、仲間を殺されて激昂したらしく、勢いよくドスドスと走ってくる。このまま体当たりされてはたまったものではない。塵に変わりつつある死骸を二体目の方に倒しながら横に避ける。
「ぐっ……」
左足に力が入らず、がくんと膝が折れる。体力的にもう限界だった。滲む汗と泥の中、良治は選択を迫られた。即ち――
(半魔族化、するしかないのか……?)
半魔族化すれば恐らくこの場は切り抜けられる。それだけの力があるのは確かだ。しかし、半魔族化してしまえば命の保証はない。
(いや、この場にその価値はない……なんとか乗り切るしかない……!)
彼の決断は『しない』というものだった。この場を半魔族化して『熊』を倒したとして、それで戦況は変わるだろうか。きっと変わらない。そう良治は判断した。してもしなくても戦況に大差はつかない。どちらにせよ自分は死ぬ可能性が高い。ならばここを半魔族化しないまま生き残り、今後必要な場面に取っておく。そう、決めたのだ。
「ガァッ!」
背後から襲いかかる『熊』の爪を刀で受け止め、なんとか倒れこむのを防ぐ。しかし徐々に背が地面に近づいていく。身体の大きさが違う、筋肉の量が違う、そしてなによりコンディションが違った。
「……っ!」
もう一方の腕が襲い来るタイミングで、なんとか地面を転がり間合いから逃げる。そこに三体目の『熊』がのそりのそりとゆっくり歩いてくるのが見えた。
「くっ……そ!」
同時に相手をするのは無理だ。三体目が来るまでに二体目を倒さなければならない。それが生き残る最低条件の一歩だ。力を振り絞り、顔面に叩きつけるように刀を振るった。
「ガッ!?」
怯んだ隙にもう一度腕を斬りつけて距離を置く。乱れた呼吸を少しだけ落ち着けると、何度目かの全力で走り出した。
「グ、ェッ」
体重を乗せ、体当たりをするように突き刺すと、地響きと共に仰向けに倒れる『熊』。ぴくぴくと痙攣を繰り返すと、塵に還っていった。
「はぁ……はぁ……っ!?」
ラスト一体。そう思い顔を上げるとそこにはその三体目。息を吐く暇もない。というか戦闘態勢にすら入れていなかった。『熊』の腕が風切り音をさせ横から襲う。
「ぐっ……!」
腕が上がらず、肩口を勢いよく叩かれ土煙を起こしながら転がっていく。爪も入ったらしく、鋭い痛みと鈍い痛みの両方が肩から滲んでいく。
「……はぁ」
身体を起こそうとしたものの、言う事を聞かない。
(さすがに……もう無理か)
距離を詰めてくる『熊』を眺めながら、諦めの感情に包まれる。
(悔いはあるが仕方ない)
母親の敵のシグマは討てていないが、所属していた陰神は潰すことが出来た。それだけで満足するべきなのだろう。深く息を吐き、その時を待つ。最後の意地で、目蓋は閉じない。現実から逃げないまま受け入れる。
「ガアァ……ッ!?」
「え……?」
叫び声が上がり爪に切り裂かれると思った瞬間、ドンという鈍い音がし、それは途中で途絶えた。
何が起こったのか。疑問に支配された良治の顔を覗いたのは、一人の美しい少女だった。
「――はー、間に合ったわね。生きてるうちに再会出来て嬉しいわ、良治」
両手両膝にプロテクターを装着した鮮やかな黒髪の少女は、彼にウィンクして不敵な笑みを浮かべた。