~倒れる者と救う者~ 三話
「はぁ……はぁ……」
戦場を離れて息を切らせながら走る一つの人影。彼は走るのはあまり得意ではない。しかし走らなければならない理由があった。
(あんな凄い人たち、見たことない……!)
子供の頃から兵庫に住み、今でも生まれ育った地で仕事をしている高橋一之助にとって、都筑和弥や柊良治の姿は新鮮で憧れを抱くのに十分なものだった。彼らは自分たちの住む地域だけでなく、事件の起こった色々な場所に出向いてそれを解決している。そう聞いてまるで高橋は彼らはヒーローだと思った。そして今も事件を解決しようとしてこの兵庫で戦っているのだ。しかも別の組織の事件の為に。日本を股にかけた退魔士。年下だが間違いなく彼らは高橋のヒーローだった。
(そんな人たちに重要な仕事を任せて貰えた!)
伝令はただの使いっ走りではない。託された言葉とその意味を理解し、正しく伝えなければならない。そして当然のことだが足の速さと持久力も求められる。更に言うなら相手の顔見知りであることも付け加えたい。敵が偽って情報を伝えることもあるからだ。
「――っ!?」
ちょうど戦場から姫路支社の中間地点。今回は民家に被害が出ないと思われるギリギリの地点を戦場としたせいで、姫路支社との距離はかなり空いていた。それは当初の作戦の一つに、分が悪ければ支社を放棄して明石支社に向かうというものがあり、それを可能にするためだった。しかし弊害として、こうして伝令の報告に時間がかかっている。時間がかかる、それは距離があるということ。そしてそれは、伝令が孤立する空間が出来てしまうということに他ならない。
「……」
「あ、暗天衆か……!」
不意の気配に立ち止った高橋の前に現れたのは黒装束の男が二人。構えた直刀は光が反射しにくいように黒く染められていた。
「くっ……」
一人を相手するのでも危ないというのに、二人ならばもはや勝負は見えている。しかし助けを呼ぶにはどっちにしろ遠く、彼の声は届かないだろう。
(だからこの場所を選んだのか……)
そう思い当たるがどうしようもない。戦って切り抜けるしか手立てはない。暗天衆の二人を見据えながら小さく深呼吸をして覚悟を決めた。
「――え」
その直後、彼は自分の胸から黒い刃が飛び出したのを見た。
「あ、ああ……」
この場に居た暗天衆は二人だけではなかった。胸から溢れる赤いものを見つめながらそう気付いたのは、意識が暗転する直前だった。
まだ援軍が来るには時間がかかる。それまでは現在の戦況を維持しなくてはならない。良治はそう考えていた。
新たに現れた魔獣の数は、どうしようもないほど多いわけではない。主に和弥や相坂たちが担当していて、零れ落ちるように何頭かこっちに来るだけだ。しかし彼の周囲にはいなくても、少し離れた場所ではまだ戦闘は行われている。別働隊の方向だ。
「別働隊の救援をお願いします!」
「わかったでござる!」
「了解です!」
前夜での戦闘から顔見知りになった面々から力強い返答。それに手を振って応えて、最後の確認の為に周囲をぐるっと見渡した。そしてそれが彼の命を救った。
「――よく気付きましたね」
「いや、ホントは気付いてなかったんだけどね……」
「……運が良いですね」
首を刈り取りかけた大鎌をなんとか弾き飛ばし、間合いを取る。飽きれた声を発したのは前日に見たのと同じ黒装束。ただ頭部に覆面はなく、一目で彼女とわかった。
「前日の続きか?」
「そうなりますね。これも何かの縁ですし、付き合って頂きたいですね」
「確かにこうなった以上見逃すことは出来ないな。引き上げてくれるっていうならいいんだが」
「無理ですね。この場を離れても他の方を相手に戦うだけです」
「なら仕方なないな。潮見天音、相手をしよう」
疲労は指示をしていた間にある程度回復している。姫路支社からの援軍が来るまでならなんとか耐えられるだろう。そう目算を付け、良治は天音を相手に時間稼ぎをすることに決めた。もし彼女が他の者を相手にして誰かが殺されたらきっと後悔するだろう。
「そう言ってくれると思ってましたよ、貴方は」
「そういう信頼感はいらないんだけどな……」
同時に駆け出し、大鎌を横薙ぎに放った天音と、愛刀を上段から振り下した良治。十字に交差して第二幕の幕が上がった。
予想以上に魔獣の数が多い。鍵里正輝を視界に入れてまず最初に感じたのはそれだった。着替えたのだろう、前日とは違う服で吐血の後もない。そして既に開門を行っているせいか左目には何も着けておらず、黒い穴が覗いていた。
「――まずはある程度魔獣の数を減らす!」
「了解です!」
突っ込んだ勢いそのままに魔獣を蹴散らしながら後ろをちらりと振り向く。
(心配なさそうだな)
小太刀を手にスピードと回避、手数で勝負するタイプ。昨日今日の戦闘の中で和弥は相坂をそういったタイプに分類していた。彼の周囲には彼女のようなタイプがいなかったので目新しかった。
「やぁっ!」
彼女の気合の入った声に和弥も呼応するように魔獣を切りつけていく。本来の木刀ならそんな真似はとても出来ないが、『力』を込めた武器はその武器を覆い『力』そのものが硬化し物質を断つ刃になる。しかしそれは刃物状の物の話で、例えば棒状の物なら硬化するだけになる。
「はぁっ!」
和弥の持つ木刀はちょうどその間に位置する。切りつけることも叩きつけることも出来る。それは力の加減が出来るということであり、無駄に相手を殺したくない和弥にとって非常に有難い武器だった。
「なんとかなりそうですねっ」
「ああっ!」
数十もの魔獣がみるみるにうちに減っていく。こちらは疲労こそあるものの、戦い慣れたせいで大した怪我もせずに持ち堪えている。問題は体力が尽きるまでに決着をつけられるかどうかということだ。
「――っておいっ!?」
ようやく数も減り、本丸に攻め込もうかと決断して顔を上げた和弥の目に映ったのは、鍵里正輝の横で大きく開く黒い穴だった。みるみるうちに更に広がっていく。
「が、がぁっ!」
「おいやめろ、死ぬぞっ!」
彼に和弥の声は届いていない。苦しみ悶えるような呻き声に掻き消されている。喉の奥の奥から絞り出すような、吐き出すような声。まるで泣いているように和弥には聞こえた。
「……さぁ、来い……ッ!」
「……!」
「ひっ!?」
大きな穴が開けば、大きな魔獣が通れる。それは道理だ。まるで通れるほどの穴が開くのを待っていたかのように、熊型の魔獣の群れが姿を現していく。群青色の毛並みに赤い瞳、大きな鋭い爪が一般的な熊とは決定的に違うことを示していた。
「おいおい、さすがにキッツいな……」
本来の目標は鍵里正輝。しかし出現した十数頭の『熊』たちを無視することは出来ない。『熊』たちを掻い潜って鍵里を狙うことがそもそも難しい。更にこの戦場を和弥抜きで持たせるのも難しい。そして彼らの背後に戦力はほとんど残されていない。いいとこ小型の魔獣数匹をなんとか処理できる程度だろう。『熊』型の魔獣を通してしまえば被害は確実に広がる。
「……この熊たちは絶対に通すなっ! ここで全滅させるぞっ!」
「はいっ!」
「了解です!」
口々に上がる返事に心強さを感じる。逃げ出そうという者はいないようだ。これなら戦えるはずだ。
(しっかし……ここはこれで精一杯になりそうだな。リョージ、すまん)
心の中で親友に謝り、和弥は先陣を切って走りだした。
「連絡が来ませんね」
「ど、どうするか……」
姫路支社前の広場に待機していた高遠が、隣でおろおろとしている上司の安松に声をかけていた。しかし帰ってきたのは情けない声。その光景を見ていた俊二は少しだけ高遠に同情した。
(あんまり決断力があるようには見えないが……)
しかし一応安松は現状の最高指揮官だ。情けないからといって勝手に進言したり行動したりしては波風が立つだろう。特に俊二は許可を得ているとはいえこの場では外様だ。何か聞かれたら答えるくらいに留めておいた方がいいだろうと考えていた。
(さて高遠さんはどうするかな)
現在この広場にいるのは俊二以外に安松と高遠、そして配下の退魔士が十数人。姫路支社とこの周辺の退魔士たちだ。小さな話し声がそこかしこで聞こえ、厳しい統制が取れてるとは感じられない。それは普段からこういったことを行っていないことを示していた。
「そうですね。では――」
「ぎゃあああっ!?」
「あ、暗天衆だ! 暗天衆が紛れてるぞっ!」
高遠の進言に耳を傾けようとしたその瞬間、部隊後方から悲鳴が上がった。そして直後に襲撃者は暗天衆との情報が飛んだ。
「っ!」
俊二は声のあった場所目掛けて走り出す。既に手には愛剣『地聖』が握られていた。
「た、助けてくれっ!」
「おい、大丈夫か」
現場から逆に離れるように散る退魔士たちを押し退け進むと、そこには背中から血を流し倒れた男と、悲鳴を上げたであろう髭の濃い少し太った男。髭の男は俊二に助けを求めるように、怯えた表情で這いつくばりながら近づいてきた。
「気付いたら、隣の奴の後ろに暗天衆の奴が……!」
「どんな格好してた? 特徴は?」
「い、一瞬だったし暗かったからよく見えなかったんだが、俺らと紛れやすそうな、おんなじような恰好だった……たぶんこの中に居るはずだ……!」
その言葉にぐるりと周囲全体を見渡す。他の者は警戒しながらこちらを見ていたが、会話を聞いて騒然としだした。
(まずいな……)
この中にいるぞ、誰だ、近寄るな、そんな言葉がそこかしこからさざ波のように広がっていく。疑心暗鬼は一瞬のうちに伝播し、全体を覆っていった。
「落ち着け、冷静に!」
高遠が叫ぶが動揺は止まらない。この場に居る退魔士が全員顔見知りではない。鍵里正輝に対抗すべく、周囲の組織外の退魔士たちを集めていたのが裏目に出た。数が増えればコミュニケーションは取り難くなり、纏まるのは難しくなる。
「……なぁ」
「な、なんですか、あとはもうわからないですよ」
「いやさぁ……」
髭面の男がよろよろと立ち上がりながら答える。しかし俊二には疑問があった。決して見逃せない疑問が。それを大きめの声で問いかける。
「周囲の人間と溶け込んでもわからないような、似たような恰好をしていたんだろ? ならさ……なんでそいつが暗天衆だってわかったんだ?」
「……――!」
「うぉっ、誰か止めろ! そいつが暗天衆だ!」
暗天衆がこの件で暗躍していることは限られた人間しか知らないことだ。そして先程言った通り、襲撃者がいたとしてそれが暗天衆だと判断できる術はないはずだ。黒装束などなら理解できるが、それが普通の衣服なら。
「っ!」
瞬時に暗殺者の顔になった髭面の男は彼の脇を俊敏な動きで駆け抜け、動揺から立ち直っていない人の群れを一直線に突っ切っていく。目的は――安松。
「……くっ!」
俊二は間に合わない。だが追いかけないわけにはいかない。誰かが止めてくれればなんとかなるかもしれない、そんな可能性はある。
「させないっ!」
「――っ!」
安松の前に立ち、壁となったのは高遠だった。手にするのは、シンプルでありながら確かな存在感を放つ銀色の槍。
「ぐえぇ……っ!」
静から動へ一瞬の変化。穂先を下げた構えから、間合いに入った瞬間にそれは蛇のようにしなやかで無駄のない動きで髭面の男の身体の中心を貫いた。
「うっわ、凄いなこれは……」
暗天衆の男の力量は正確には計りかねるが、俊二の脇をすり抜ける際の身のこなしは相当の物だった。そしてそれを一撃のもとに屠った高遠は手腕は鮮やかという他になかった。
「が、は……っ」
男は槍を掴んだまま膝を着き、そのまま抱えるようにして動かなくなった。俊二は男の背から覗く赤い穂先を見て顔を曇らせた。例え敵と言えど、誰かが死ぬのを目撃するのは楽しいことではない。
「危ないとこでしたね」
「ああ。しかし安松さんに大事がなくて良かったよ」
「……ッ!?」
ふぅ、と一息吐く高遠。その先に見えた光景に俊二は総毛立った。高遠の背後に立ちこちらに近づいてくる安松。全てが終わったと思い安心して歩いて来ている。更にその背後に跳びかかる一つの影が見えた。
「安松さん後ろっ!」
「え?」
呑気に振り返る安松、槍を掴まれ手放す判断が遅れた高遠、そして叫びながら走り出した俊二。
(間に合え、間に合ってくれ!)
最初の騒動で混乱させ、その隙を突いて安松を狙う。こんな簡単な策にまんまと嵌められた。そして――
「――!」
俊二の数歩先で、襲撃者の小太刀が安松目掛けて振り下された――