~破滅への開門~
和弥たちは何かが起きた中国地方・陰陽陣へ。
そこで彼はなにと巡り合うのか。
「ねぇ正輝、どうかしたの? ……手紙?」
「……ああ、出雲本社からの召喚状だ。何の用か書かれてないな」
暖かい日差しを避けるように、縁側の庇の影で同じ県内にある本社からの書状を読んでいた正輝に、覗き込みながら声をかけたのはみゆきだった。
「本社からって珍しいね。何の用だろ?」
「そうだなぁ……俺たちの結婚祝いとか」
「まさか。そんなわけないじゃない。……そうだったら嬉しいけど」
「まぁ、そうだな」
二人の名前は鍵里正輝と井上みゆき。二人とも陰陽陣米子支社所属の退魔士だ。そして結婚を二月後に控えた婚約者同士でもある。
「じゃあ何の用なんだろうな。本当に見当がつかない」
先程言ったように、結婚祝いなんてことは有り得ない。ある程度有力な家系ならともかく、お互いに没落した退魔士の家系で後ろ盾などもない。
鍵里家は陰陽陣成立直後から独特の力を能力を活かして力添えをしてきたが、徐々に力は衰え、ついに数代前に出雲本社勤めから米子支社に左遷された過去があった。みゆきも父親が退魔士だったのだがその力は彼女にはほとんど受け継がれず、父親の死後はその父親の所属していた米子支社で下働きのようなことをしていた。
そして陰陽陣、特に出雲本社の幹部たちは冷酷な現実主義者の集まり。だからこそ使えなくなった鍵里家は米子に飛ばされたのだ。そんな彼らが今更何の用なのか。
「とりあえず行くしかないだろ。何の用かも気になるし」
「そうね……気乗りはしないだろうけど気を付けて行ってきてね」
風で靡いた茶色のショートへアを手で押さえながら言うみゆき。その表情は暗い。彼女も正輝と同じように言い知れなぬ不安を感じていた。
「ああ、気を付けるよ。みゆきも俺が居ない間気を付けるようにな」
「うん、いってらっしゃい。帰ってきたら正輝の大好物のハタハタのから揚げ作ってあげるから」
「おお、ありがたい。小さいハタハタはから揚げが一番だからな。楽しみにしてるよ」
笑顔を浮かべた正輝の視界には、太陽を隠す黒い雲が見え始めていた――
「――うむ、やや長めの黒髪、標準的な身長と体格……写真の通り鍵里正輝本人だな」
「はい、鍵里正輝本人と思われます」
「よし、地下室へ通せ。準備も忘れるな」
「はっ、かしこまりました」
「ふふふ、これで白神会の奴等が大きな顔を出来るのもこれまでだ」
「鍵里正輝に相違ないな?」
「はっ、米子支社所属・鍵里正輝にございます」
石造りの地下室、まるで牢屋だなと膝を着いた正輝は感じていた。出雲本社に来るのは今回で二度目で、詳しい造りなどほとんど知らなかった。だがそれでもここが誰かを呼び出すのに適切な場所だとは思えなかった。
微かに饐えた臭いと少し肌寒さを感じる冷気の中、両脇に部下を控えさせた禿頭の老人――陰陽陣の大総長――は鷹揚に正輝に話しかける。その瞳に何らかの企みが見え隠れしていることに気付きはしたが、ここから逃げることはもう出来ない。覚悟を決めて言葉を待つ。
「ふむ。では鍵里正輝、お主に命じる。片目を抉り取れ」
「は……? 片目を抉る……?」
聞き間違えか。しかし聞き返した言葉に老人は何の反応もしない。だがそれは彼の聞き間違えが本当だということを示していた。
「理解できないか。なら理解できるように説明してやらねばな」
呆然と老人を見上げる正輝に、ゆっくりとした口調で語りかける。
「先月行われた定期診断は覚えているかな? そう、三日間に渡って行われたあれだ。それでお主にある『力』の片鱗が見えてな。そうだ、お主の一族に伝わるあの『力』だ」
「あの『力』……」
確かに自分の一族には特別な力があった。が、もはや自分の代では失われている。父親にもその力はなかった。
「そう、『開門士』の力だ。異界との扉を開くことの出来るという、な」
「しかしその力は……」
「隔世遺伝と言うべきなのかも知れぬ。確かにここ数代開門士の力は失われていた。だが鍵里正輝、お主には開門士としての力がある」
「そんな……」
俄かには信じられない。開門士として、退魔士として終わった一族。そう周囲も自分自身も思っていた。だから大した訓練などもせずに過ごしていたのだ。
「信じられぬのも仕方あるまい。しかし本当のことだ。そして、『開門士』の力は――片目を抉り出すことで真の力が解放されるという」
「……!」
確かにそれは鍵里家に代々伝わる秘伝書にも書かれていることだった。今在る瞳で現世を映し、失われた瞳で幽世を覗くという。この場合の幽世とは異界、即ち魔界と呼ばれる世界と言われていた。
「しかし……」
正輝には自分の眼球を取り出す勇気などない。血に塗れた退魔の世界を忌避していた。それ故に訓練を人並み以上にすることはなかった。
「真面目に修行に励んでおればもっと早く開門士の力に目覚めていただろうに……それがお主の罪じゃ。拒否権はない」
「な……しかし!」
「まぁこれを見ればお主も素直になるだろう……」
キィ、と後ろにある金属製の扉が耳障りな音とともに開く。そこには気を失い頭を項垂れ膝を着いた女と、その女の腕を両脇からがっしりと掴む二人の男。顔は見えないが、正輝が彼女を見間違うはずもなかった。
「みゆきっ!? これはどういうことだっ!」
「こうすれば素直に頼み事を聞いて貰えると思ってね。どうかね、言う事を聞いてくれる気になったかな?」
「なんてことをっ!」
怒りのあまり張本人を睨み付ける。目上とかそんなものは吹き飛んでいた。それだけの光景がそこには存在していたのだ。
「さて、それでどうかな。受け入れてくれる気になってくれるのなら助かるのだが」
「てめぇ……っ!」
最愛の恋人が捕えられている。それで冷静で居られる訳がなかった。言葉と同時に殴り掛かる。
「おっと、少しは落ち着きたまえ」
「ぐっ!?」
大総長の両脇に居た配下が瞬時に正輝を組み臥せる。その動きは無駄のない滑らかなもので、正輝が飛びかかるのを予測していたことを窺わせた。
「くそ、離せっ!」
今まで真剣に鍛錬に力を入れなかったことをこんなにも後悔することになるなんて。怒りと後悔と屈辱で心中が埋め尽くされていく。
「これ以上抵抗するようなら、解っているな?」
「――っ! ……片目を取り出せば、みゆきを無事に解放するんだな……?」
「もちろんだ。そしてその力を陰陽陣へと貸してくれればな」
なんでこんなことに。ただ慎ましやかに生きていたかっただけなのに。
「わかった……好きにすればいい」
退魔士として、開門士の一族として生まれた自分にはそんな生活は初めから望んではならなかったのだろうか。しかしそれを引き換えに、愛する彼女を救えるのなら――こんな瞳、こんな人生を捨てよう。
「ふむ、やはりこれが一番効果的だったな。よし、そのままでは痛かろう。早速手術だ。準備はしてある」
組み伏せていた二人組が掴んだ腕をそのまま引き上げ、力の抜けた正輝の身体を起こす。ふと視線を上げるとそこには鏡に映したかのような、同じ姿のみゆき。その姿を見て、自分の覚悟が間違っていないことを確認した。
「自分で歩ける。なんでもする。だから……みゆきのことだけは頼む」
人質を取った相手にこんなことを言っても、効果がどれほどあるのかはわからない。だが、それでも言いたかった。正輝の、何よりも大事なものを護る為の、精一杯の懇願の言葉だった。
「約束は守ろう。さ、連れて行け」
脇を固められたまま彼女の横を通り過ぎる。一縷の望みを懸けて助けようかとも考えたが、ここまで用意周到ならば周囲にも包囲網が敷かれているだろうことは容易に想像がついた。
(みゆき……生きて、幸せになってくれ)
通り過ぎ、背後に遠ざかる彼女の気配。最後まで振り返らず、彼は決別への道を進んで行った。
「う……」
目蓋を開くと、そこは十畳ほどの和室だった。周囲に人の気配はない。
「ぐ……っ!?」
ズキン、と包帯に巻かれた左目が痛みを吐き出す。ここでようやく正輝は自分の置かれた現状を思い出した。
左目の摘出手術。手術自体はちゃんとしたものであったようで、その最中は痛みはなく順調に終わったようだ。もっとも、これから利用しようとするのだからそれなりにしっかりと行ったに違いない。もはや自分は道具に成り下がったのだから。そう認識した。
(そうだ、みゆきは……)
一番大事なこと。その為に投げ打ったのだ。真っ先に彼女の無事な姿を確認したかった。
「く……」
布団に横たえられた身体を起こし、襖を開ける。ぎし、と木の軋む音をさせながら廊下に出た。時間は夜も深い時間らしい。ここからでは外の様子は見えないが、静かな空気で予想を付けた。
(まだ本調子ではないか)
左手で左目を抑えながら、ふらついた足取りで当てもなく本社内を彷徨う。薄暗い廊下をゆっくり、幽鬼のように。大事な彼女を求めて。
(……?)
どれくらい歩いただろうか。角を曲がった先に灯りが見えた。庭沿いの廊下に面した障子張りの小さな部屋。誰か居るのだろうか。見つかったら連れ戻されるだろうが、それでも誰かにみゆきのことを訊かなくてはならない。それを確認しないことにはこの先陰陽陣に協力するなど無理な話だ。
「――……!」
「――……」
(何を、話してる……?)
微かに聞こえてくる声は複数。二人か三人か。そっと障子に映らないように部屋の中の様子を窺う。手術後でまだ体力が戻り切っていない。正輝は脇の壁に音がしないように背中を預けた。
「予想外の事態だな」
「ああ。当初の予定から大きく変更せざるを得ないようだ」
「いや、そんなことはあるまい。上手く騙せれば計画に変更はない。問題は代わりの、似たような女を至急用意しなければならないことだ」
(代わりの女性? 何の話だ……?)
こちらに気付いている様子はない。話し声と気配から察するに二人だと推測。二人とも話に熱中しているようだ。それだけ重要な話なのかもしれない。
「そうだな……しかし数日は必要になるだろう。つまりそれまでどう時間を稼ぐかだ」
「明日の朝一番で似たような女を探す命令が各支社に出るはずだ。見つかるまでは、捕えた時に使用した薬が効いて目を覚ましていないとでもしておくしかあるまいよ」
(捕えた時……まさか)
女、捕えた時。嫌な言葉の羅列が悪い想像をさせ頭の中を駆け巡る。
「しかしこれから周囲の組織にしかける為とは言え、こんなことをすることになるとはな」
「あまり滅多なことを言うな。大総長に届きでもしたら粛清ものだ。だからこそ、あの女の行動は尊敬に値する」
「ああ、そうだな。しかしだからと言って我らは大総長の命に逆らえん。……井上みゆき、その名は忘れることは出来そうにないな」
(みゆき、みゆきと言ったか、今!)
何故みゆきの名前がそこで出てくる。話の流れを組み合わせると、彼らはみゆきの代わりを探してるというのか。
「隠し持った小刀で、愛する男の為に自ら命を絶つとは……予想もしていなかった」
「ああ、身体検査などしていなかったからな。状況を知ってすぐに自害するとは」
「それほどあの開門士の男のことを愛していたのだろうな……」
あの男たちは何を話しているのだろう。先程まで頭の中を渦巻いていたものは消え、今はただ何も考えることは出来なかった。目の前が真っ白になり、足から力が抜けた。
「……誰だっ!?」
壁にもたれかかるように崩れ落ちた正輝に誰何の声がかかり、同時に障子が大きな音を立て開かれた。
「な……!?」
「開門士の男……まさか今の話を」
「本当、なのか……」
二人の男の表情で、今までの話が事実だと言うことを理解してしまった。――みゆきはもういないのだと。
「うわあああああああああああああああああああああっ!!」
「くっ!」
「お、落ち着け!」
魂から震え上がるような絶叫。全てを奪い去られた絶望。彼は右目から涙、左目から血を流しながら咆哮した。何の為に、誰の為にこの身を捧げたのだろう。失って、護りたいものを失った。今の自分に何が残された。何の為に自分は今ここに存在する。
「……てやる」
「な、なんだ?」
「くれてやる……そんなにこの力が欲しいならくれてやるッ!!」
叫びとともに右手を振るう。するとその空間が黒く塗り潰されていく。
「まさか、これが!?」
「『開門士』の力か!」
凄まじい力の奔流。黒い点が円となり、巨大化していく。そして――
「な、魔獣どもが……!」
「ひぃっ!」
門が人ひとり容易に通れる程の大きさになると、そこから雪崩れ込むように数多の魔獣が出現していく。様々な種類、大きさの赤い瞳の魔獣の集団。それらは躊躇なく目の前に居た陰陽陣の退魔士二人に襲い掛かった。
「ぎゃあああっ!」
「やめてくれえええっ!」
そんな命乞いを掻き消すように、魔獣たちは無慈悲に二人を喰らっていく。
「みゆき……君は……っ」
血涙を流しながら、呆然とした表情で周囲に現れた魔獣たちを眺める。これが自分の行ったこと。しかしそれでも少しも気は晴れない。むしろ怒りと憎しみが身体を侵食していくようだった。
「……陰陽陣よ、この力が欲しいのだろう……ならばくれてやるっ!」
更に黒い門を拡げ、流れ出る魔獣たち。それらが得物を求めるように出雲本社に拡散していく。
「……自らの求めた力に滅びるがいい、外道たち……!」
各所から悲鳴が聞こえだす。百を超える魔獣たちに奇襲されれば、陰陽陣本拠地の出雲本社と言えど、陥落するのは時間の問題だろう。
「陰陽陣の、退魔士の全てが……憎いッ!」
そして彼は、全てを終わりにすべく歩み出した。それがどんな結末を導くかを知りながら――
「破滅への開門」完
ども、榎元です。ついに新連載開始です。
また再度和弥たちの話となりますが、彼らの成長と道程を見届けて頂けたらと思います。