第八話
「領主代理かあ……」
「ん?
気にしているのか?」
「わたしにしてみればね、話が大きすぎて、受け入れるのに時間が掛かるの。
それに銀の札なんて、贅沢すぎるわ」
「『孤月』の話じゃ、領主代理に鉄札なんぞ渡してると、そちらの方がもめ事の原因になるそうだ」
「……ふーん」
昼食後、街の案内とユリウスの買い物も兼ねて、わたしたち二人は商店の並ぶ街区に向かった。わたしはこのあたりの物価を確かめる意味もあって、大人しくついて回っている。
ちなみに給料は日割りで1日3グロッシェン、宿代はユリウス持ちと言うことに落ち着いていた。
……わたしの所持金を聞いた領主様は、大いに驚いてからよくここまで来られたなと心底呆れて下さいましたわ。あんたほど食べないなら、十分間に合うんだってばさ。
最初、もっと高い金額を言われたんだけど、それは流石に断っている。
領主代理って言っても、子供でも出来そうな手紙の受け取りでその給料を貰うのは許せないと、心の中の何かが囁いた。
だから1日3グロッシェン宿代別は、二人で話し合った妥協点。
ユリウスには安すぎるけどわたしにとっては高いという、中間の金額に決まった。
「それにしても、昨日の今日でわたしなんか信用してもいいの?」
「ジネットが俺を信用してくれたからな」
「……わたし、ユリウスを信用するなんて一言も言ってないけど?」
「うん?」
ユリウスは小さくため息をつくと、わたしに向き直った。
「俺のサインが入った紙切れ一枚を信じてアルールからここまで来た相手を信じなくて、この世の何を信じろと?」
うわ、真顔で言い切ったし。
でも……そんなものかなと頷いて、わたしも胸元に入れた銀札をぽんと叩いた。
冒険者らしい思い切りの良さにも思えるし、実はわたしもユリウスを信用しないと今後の生活が成り立たないわけで、信じる信じないは通り越している……ような気はしてる。
お互いがお互いを……ああ、そうか。
「『これ正に正道なり』、ね」
「……なんだそれは?」
「契約の成立とか約束事を守る時……それから信用に値するやりとりをした口にする、決まり文句よ。
……そうね、ここはアルールじゃなかったわ。
ごめんなさい」
謝りついでに初代国王陛下のお言葉だと解説し、昔語りなども付け加える。
冒険者から騎士様になったユリウスじゃないけど、アルールの王様も商人からの成り上がりで国を興した人だった。
「ふむ、民を慈しんだ王だからこそ、今も話が残っているのだろうな。
参考にさせて貰おう」
「……参考になるんだ?」
「含蓄に富んだ良い話だと思うぞ」
ふんふんと頷くユリウスには、わざと伝えなかった話がある。
……王様がこっそり飲みに行く事を、王妃様はとてもよくご存じだったのよ。
▽▽▽
「い、いってらっしゃいませ、『旦那様』。
御武運を」
「……うむ」
次の日、王様の馬だと言われたらそのまま信じてしまいそうなほど大きくて立派な黒毛の馬───メテオール号に乗って、ユリウスは『パイプと蜜酒』亭を後にした。
わたしもお見送りはしたけど、騎乗した彼とわたしの周囲だけ空気がまるで違っていたかもしれない。戦支度をして気合いを入れたユリウスの威圧感は、慣れたと思っていたわたしでさえ逃げ出したいほど酷かった。
それはメテオール号がかっぽかっぽと足を鳴らして向きを変えると、遠巻きにしていた人垣がさっと割れるほどで……。
「な、なあ姉ちゃん、あの人は何者なんだ?」
「旦那様のことですか?」
「何だお前、知らねえのか?
ありゃあ『洞窟狼』だ」
「『洞窟狼』?」
「北の方じゃ有名な冒険者でな、魔銀のタグ持ちだったはずだ」
ユリウスが角を曲がって見えなくなると、冷や汗が額に残ったままの冒険者達がわたしに質問を投げかけてきた。
訳知り顔の誰かがそこに加わり、ちょっとした騒ぎになる。
「怪我で引退したと聞いていたが……」
「あの大男なら、先月ぐらいからか、『パイプと蜜酒』亭に長逗留してたりふらっと出ていっちまったりで、ちょくちょく見かけるようになったぞ」
「ところで『洞窟狼』はどこに向かったんだ?」
「並の気迫じゃなかったな」
「旦那様はベアルを狩りに行かれたんです」
わたしも人前でユリウスを呼び捨てるようなことはしない。
代理のわたしが彼の株を下げてどうするの、っていう小さな自負心もある。
「ベアル!?」
「一人でか?」
「南の廃道で見かけたって話があったな」
「じゃあ、そいつ狙いか!」
「時期は悪くないが、それにしたって一人ってのは……」
「しかし『洞窟狼』ならそれも頷けるか」
「普通は勢子含めて10人は声掛けるところだが……」
まだがやがやとやっている野次馬冒険者達にぺこりと挨拶して、わたしは宿に戻った。……依頼の奪い合いに行かなくていいのかな?
それにしても、宿を出るだけでこの騒ぎ。
ご主人のマテウスさんも、肩をすくめて苦笑いしてる。
見送りで起きたからには仕方がないので、わたしはいつもより早い朝食を一人で摂ってから、一度部屋に戻った。
身だしなみを少しだけ整え直して小物入れを取り出し、筆記具などを用意する。
「マテウスさん」
「おう、どうした?
愛しの『旦那様』が出掛けて寂しいのか、ジネット?」
「そっちの『旦那様』じゃありませんってば。
そうじゃなくてですね、仕入先を紹介して貰いたいんです」
開店がいつになるかわからないけれど、顔だけでも繋いでおきたいと事情を話す。
ダンジョンのことはまだ口に出来ないと、ユリウスも頷いていた。でもシャルパンティエに村を作ろうとしていることは、秘密にしなくていい。
「昼までには一通りの仕入先が顔を出すから、そこのテーブルで茶でも飲んでるといい。
声を掛けてあげよう」
「ありがとうございます」
「それにしても、ジネットも大変な御仁に見込まれたな。
シャルパンティエなんて聞いたこともなかったが、『魔の山』のことだったんじゃろう?」
「ええ、そうみたいです……」
隣接した領地でも、誰も住んでいない領地の正式な名───それも王国が勝手に決めた名前───など誰も呼ぶわけがない。
地元では『魔の山』『ベアルの森』と呼ばれるあたりが、大体シャルパンティエになる。
「ま、精々頑張ることだ。
あの御仁、ちっとばかし枠から外れたお人だが、悪人じゃなかろう?」
「あはは。
ここまで来ちゃった時点で、もうしょうがないかなって思ってます」
ユリウスは営業許可証をくれたけど、それ以外は全部、わたしがなんとかしなくちゃいけないわけで。
わたしは昨日買い込んできた藁紙をテーブルに広げ、開店時に最低限揃えておきたい商品などを検討し始めた。
▽▽▽
マテウスさんに渡りをつけて貰いながら数日。
『旦那様』は未だ帰らず、わたしも望む商品の卸売りを頼めそうな商人との顔つなぎを終えてしまったので、幾らか暇をしていた。
店の方も、雛形らしいものが何とか仕上がっている。正確には、元になる予算の都合で当初は食料品と僅かな消耗品ぐらいしか用意できない……って言うのが大きいんだけどね。しばらくは露天で我慢かな……。
それにシャルパンティエの中心となる砦までの道───馬車が通れないほど細くてその上馬で半日という距離は、一度に運べる荷物は少ないし割高になるからわたしを悩ませていた。
合間にはお客人も来るし、手紙も届く。
昨日はご依頼の品ですといって、王都の商人の使いが法令集や農書を置いて帰った。
「ジネット、お客だぞ」
「はーい。
マテウスさん、いま行きます」
「気をつけた方が良い。
ありゃあどっかの貴族様だと思うが……」
「うわあ……」
面倒そうだけど、放っておくわけにもいかず。
ため息一つで色々と誤魔化して、階下の食堂にすっ飛んで出る。
わたしを待っていたのは、目つきの鋭い如何にもなお役人さまだった。兵隊さんは居なかったけど、書記や魔法使いも連れている。……ユリウスは手紙だけって言ってたのに。
「お前がシャルパンティエの領主代理、ジネットか」
「はい、そうです。
……お確かめ下さい」
慌てて懐から銀札を取り出し、捧げ持つ。
魔法使いが歩み出て杖を振ると、わたしの手ごと淡い青に光った。
「本物です」
「よろしい。
辺境巡察官、アウグスト・ニコラウス・フォン・ステンデルだ。
シャルパンティエについて、幾つか確かめねばならぬ事がある。……そこの席に着きたまえ」
巡察官!
逃げ出したくなってくるけど、そんなことが出来るはずもなく、わたしは大人しく指で示された椅子に座った。
シャルパンティエの事は、どのぐらい知っているか自分でもわからないのに、どうすればいいんだろう……。
ちなみに巡察官とは、地方領主や代官の元を訪れて、不正がないか、健全な領地経営を心掛けているかを、『予告なし』で確かめに来るという中央のお役人様だ。ただの商人なら一生関わり合いになることがなさそうな相手で、ユリウスが恨めしい。
「新領とあって聞き取り調査も兼ねているのだが……。
まず聞かねばならぬのは、領主たるレーヴェンガルト卿は今、何処に居るのかという事だ。
ヴェルニエに逗留中と聞いたが?」
「旦那様はベアル退治のため、シャルパンティエに向かわれました」
「ベアル退治か。
ふむ、討伐隊の規模は?」
「討伐隊……?
いえ、お一人ですけど……」
ステンデル卿も、流石に表情を変えた。……但し、呆れている方向で。
きちんと一から説明した方がいいんだろうか。
言いくるめられそうにもないから、ともかく知っていることを答えて話を繋ぐ。
「秋暮れて雪降る前、今の時期が一番狩りやすいそうです」
「ふむ……」
「詳しくはお話しになりませんでしたが、シャルパンティエまでの道にベアルがいると、村を作ろうにも人が寄りつかないから……だと思います」
「道理であるな。
しかし一人で赴くなど、少し腰が、いや頭が軽いとも思えるが……」
「旦那様は元冒険者ですから、慣れていらっしゃるのかもしれません。
魔銀のタグをお持ちだったと伺いました」
「なるほど、元は冒険者であったか。
しかも魔銀とあれば納得もできる。
……新興家なら商人上がりか貴族家の分家が相場だし私もそう思っていたが、確かに一流どころの冒険者ならば貴族となることも叶おう。
ふむ、ベアル退治も自ら出たほうが効率も良かろうか」
何やら納得したステンデル卿は一瞬だけ表情を和らげ、また元の鋭い表情に戻った。
「続けて領内の様子を聞こうか……と思ったが、その表情では行ったこともない様子だな?」
「はい。……申し訳ありません」
「いや、責めているのではない。
無人であったことは既に知っておる。
殖産興業の要になりそうな物があれば、聞いておきたかったのだ」
「失礼いたしました」
領主の為人、開村への展望……。
存じませんと返すことも多かったものの、アルールから来たばかりだと知って納得して貰えたのは幸いだった。ダンジョンの事は口を噤んだけれど、後はもうなるようになれと、聞かれるままに答えていく。
予告なしにやってきた巡察官は、昼前までの時間をたっぷり質問に使うと……それ以上は無駄と考えたのか、ユリウスに宛てた書類と手紙をわたしに預けて引き上げた。
巡察官はまた来るのかなと考えて、そこで気付く。
もしもユリウスが、これを見越してベアル狩りに出掛けたのだとすれば……。
帰ってきたら、いの一番に問いつめてやるっ。