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第六十五話

 ヴェルニエに来て五日目の朝、わたしはシャルパンティエに戻るべく、ユリウスと一緒にメテオール号に乗った。


 魔物発見の報告も徐々に減ってきているし、書類の整理も一段落ついたお陰で、ユリウスは丁度いいからとヴェルニエギルドのマスター、クーニベルト様に代理を押しつけて、この一泊二日の帰郷を捻り出している。


 ユリウスの名誉のために付け加えれば、クーニベルト様が前線から戻ってすぐ、夜の内に自慢のペガサスに乗ってシャルパンティエと往復し、ディートリンデさんに会いに行ったのが羨ましかったからじゃない、と思う。……その日わたしは、ヴェルニエにいてユリウスのそばでお手伝いをしていたからね。


「でもごめんね、ユリウス。わたしを送ってとんぼ返りじゃ、ほとんどお休みにならないでしょ」

「ジネットの送り迎えは俺が好きでやっていることだ、気にするな。無論、久しぶりに皆の顔も見たいし、シャルパンティエ領のこともあるが……そもそもこの余裕は、ジネットが作り出してくれたものだからな、大事にせねば。俺とヘンリクだけでは今もまだ書類の山に埋もれていただろうことは、聖神に誓って間違いない」

「そうかなあ……。クーニベルト様が戻られてから、書類の進みが全然違ったなって、わたしは感じたけど?」

「クーニベルトはクーニベルトで、諸侯軍所属の冒険者を束ねるのも仕事だったからな。ギルドで止まっていた書類が動いただけだ」


 ユリウスはそういうけれど、クーニベルト様って何でも出来るすごい人だった。


 元は黄金のタグ持ちで、冒険者としても間違いなく一流だし、大きい商家の次男というだけあって、計数も書き物も得意にされている。その上ディートリンデさんなんていう超のつく美人さんが恋人で、見目もよければ中身もいい好青年なんだよね。


 ……ディートリンデさん絡みだとちょっと暴走しちゃうけれど、そこはこれから改善していくだろうとわたしは思っている。




 特に急ぎって事はなかったけれど、ここしばらく馬小屋に押し込まれて鬱憤が溜まっていたせいか、メテオール号は勢いよくシャルパンティエまで駆け抜けてくれた。


 ぶるるるる。


「ユリウスもメテオールもお疲れさま」


 ふぃあ!


「うむ、また夕食時にな」


 わたしはお店に、ユリウスはギルドに、フリーデンは『魔晶石のかけら』亭でメテオール号は馬小屋へと、それぞれ別れる。


「お姉ちゃん、お帰りなさい。……どうだった?」

「ずっとユリウスのお手伝いで、書類仕事ばっかりしてたかな」

「あらら……」

「追いかけて街道を移動しなかっただけ、幸運だったと思うよ。それから……ありがと」

「いいよー。あたしだけじゃなくて、ディートリンデさんやパウリーネさまも心配されてたし……」


 申し訳ないことに、口実代わりにヴェルニエへと持っていった書類はサイン一つで済んだけれど、急ぎでなかった届け出や手紙の処理、アロイジウスさまやディートリンデさんとの打ち合わせ、こちらに張り付けてあった『水鳥の尾羽根』や『祝祭日の屋台』からの状況聞き取りなど、戻ったなら戻ったで領主様のお仕事はそれなり以上にあった。


「ルーヘンさんからは、もう魔物の噂は少なくなってきたって聞いたけど、大丈夫そう?」

「実際減ってるみたい。もう一つ二つ、東の奥を探ってる部隊が返ってきて何もなかったら、駐留してる拠点を半分ほどに減らそうかってお話になってるかな」

「じゃあ、シャルパンティエに冒険者も戻ってくるかな?」

「だと思うよ、向こうでもそういう空気だったし。東方辺境諸侯軍ってさあ、ユリウスの話を聞いてただけじゃ、名前ばかり立派で今ひとつって感じだったけど、それでも三百人近い数の集まりだし、王軍の部隊だって組み込まれてるから結構すごかったよ。……避難してる人の分も合わせてだけど、堅焼きパンが毎日四樽も減っていくの」

「シャルパンティエが一番賑やかな時の何倍も、かあ……」


 かららん。


「こんにちは! あ、ジネットさんお帰りなさい!」

「ただいま、アリアネ」

「いらっしゃい、アリアネ。お姉ちゃん、あたし、お仕事してくるねー」

「うん、いってらっしゃい」


 引継ついでの雑談が長くなっちゃったけど、アリアネが来てくれたのでアレットは二階に上がっていった。


「留守の間ありがとうね、アリアネ。お店の方はどうだった?」

「えっと、いつも通り……だったと思います。大きなお買い上げは、昨日『水鳥の尾羽根』のアルベリヒさんが買ってくれた裏打ち付きのマントぐらいでした」

「マント!?」


 今の時期に、どうしたんだろう?

 特に急ぎでもなければ、秋口とかの方がよく売れるんだけど……


「繕いながら何年も使ってたお気に入りだったけど、新調の踏ん切りが付いたんだそうです」

「下取りは? アレットが預かってるのかな?」

「いえ、お古はフランツが貰ってました」

「へえ……」


 なかなか粋なことをするなあ、アルベリヒさん。


 実は孤児院の旗頭フランツに目を掛けているのがユリウスだけじゃないってことは、わたしもよく知っていた。たまに夜の『魔晶石のかけら』亭でも、少し浅慮なところはあるけれど、頑張り屋で弟妹思いの少年の話題は、酒肴にされてたもんね。


「でも、ものすごく自慢してたんで、シスター・アリーセが『一人前になるまで預かります!』って、鍵付きの箱にしまってました」

「……あー、うん、目に浮かぶようだわ」


 フランツが一人前になるのは、もう少し先の話になるかなあ。

 ところどころ惜しいけど、まだまだ子供だし……うん、急ぎすぎてもよくないか。


「そうだ、ジネットさんの旅はどうでしたか? あ、ヴェルニエの街で領主様と落ち合えたことは、アレットさんに教えて貰いました」

「そうねえ、ずっと庁舎にこもって、ユリウス達と書類のお片づけしてたかな。後は……代官様の奥様に、色んな事を教わったわ。お客様をお迎えする時の約束事とか、綺麗に見える背筋の伸ばし方とか……」


 ……おまけに、貴族夫人の心構えとか、その……『夜のお作法』とか。


 そりゃあ、や、役に立つのは結婚してからになるけど、とても大事なことだからって、熱心にお聞きしたし!


「他には……あ、今度、ヴェルニエで戦勝記念の夜会があるんだって」

「わ、夜会! 前にオルガドの領主様が夜会を開かれた時、街でもお祭りがあったんですよ。振る舞いのお菓子を食べたのを覚えてます」

「お菓子かあ……」


 ユリウスとわたしは不在でも、前もって手配しておけば、振る舞いのお菓子とお酒ぐらいはシャルパンティエでも用意できるかな。


「でも、いいなあ……。夜はお城中に綺麗な魔法の明かりを灯して、お姫様と王子様が舞踏会するんですよね!」

「……あ」


 しまった、大事なこと忘れてたよ……。


「ジネットさん?」

「そ、そうね、舞踏会もあるよね、たぶん……」


 時間はまだあるけど、ほんと、どうしよう?




 夕方まではカウンターで留守にしていた間の帳簿をめくりつつ発注書を作り、合間にディートリンデさんやパウリーネさまのところへと帰宅の挨拶に走り、不在中のあれこれをアリアネから聞き出していると、冒険者のやってくる時間になっていた。


 かららん。


「はい、いらっしゃいませ!」

「いらっしゃいませ、『荒野の石ころ』さん!」

「ちわーっす!」

「おりょっ!?」

「ジネットさん、戻ってたのかい?」

「ユリウスも戻ってますよ。明日にはまたヴェルニエ行きですけど」

「領主様も大変だねえ……」


 がやがやと入ってきたのは、『荒野の石ころ』さんだ。

 シャルパンティエ領軍に組み込まれたままの『水鳥の尾羽根』と『祝祭日の屋台』や、ユリウスが諸侯軍として連れていったままの『英雄の剣』らとは違い、彼ら『荒野の石ころ』は既に平常営業へと戻っている。


「こっちはどうですか?」

「どうもこうも、狩り場選びは楽だけどさ、休憩所でかち合うパーティーも少ないから、夜番の交替が面倒だよ」

「こっちに来たばっかりの頃を思い出すねえ」


 やれやれ顔の『荒野の石ころ』さん達だけど、『シャルパンティエ山の魔窟』で大きな問題は起きてないらしい。

 稼ぎの方も順調で、今日は三十個ほどの魔晶石をギルドに預けてきたという。


 第三階層でも遜色ない活躍が出来る『水鳥の尾羽根』さんは、ずっと領軍に雇われているしお陰で村の安全が確保できているんだけど、ダンジョン内じゃ何かあったときの援護が心許ないので、みんな無理をせず第二階層の少し奥に狩り場を絞っているそうだ。


「傭兵仕事はどうも性に合わなくてねえ」

「野っぱらの魔物退治にかり出されても、大して役には立たないからな」

「モリッツの言うとおり、うちは元からダンジョン専業だしなあ」

「地道に稼ぐのが一番さ」


 そうは言うけど、斥候と罠の点検ぐらいならお手の物って感じでこなしてしまう彼らなので、侮れないんだ。


 万が一の予備戦力に数えられてるパーティーの中じゃ一番手だしね、『荒野の石ころ』さん。


「ヴェルニエはどんな様子でした?」

「街の中は割と普通でしたよ。庁舎とギルドはいつもより忙しそうでしたけど、もうしばらく様子を見て、大丈夫そうなら諸侯軍も半分にするそうです」

「へえ、じゃあそろそろこっちに戻ってくる奴らがいそうだなあ」


 たっぷり七日分の堅焼きパンとランプ油、それから代えの靴紐に副食の煎り豆と干しぶどうを手に、『荒野の石ころ』さんは祝杯をあげてくるからと、『魔晶石のかけら』亭に帰っていった。




「ディートリンデさん、ちょっと相談に乗ってほしいんですけど……」

「向こうで何かあったの、ジネット?」


 夕食後、わたしはユリウスに断りを入れて――いつだって話したいことは山ほどあるけど、今はごめんなさいだ――ユーリエさんにワインを頼んでから、ディートリンデさんをつかまえて空いているテーブルに誘った。


「実はですね、時期はまだ決まっていないんですけど、ヴェルニエで近隣の全貴族を招いた戦勝記念の夜会が催されることになったんですよ」

「ああ、なるほど。……当然、『ヤネット・フォン・クラウス』さまも招かれるわよね」

「そうなんです。ユリウスとも相談したんですが、お断りしたり逃げ出したりするのは無理みたいなので、どうすればいいかなって……」


 アリアネのように純粋な気持ちで夜会に憧れる気分は……ちょっぴりあるけれど、それ以上に何から手を着けていいのか分からず、不安の方が勝っていた。


 まずはお作法。

 ほんの少しだけは、ヴェルニエ滞在中に代官夫人のヨゼフィーネ様からお話を聞くことは出来ていたけれど、それだけだ。


 そもそも、夜会がどうのという前に覚えなきゃいけない事も多すぎるし、貴族らしい振る舞いとかなんだろうと思ってしまう。ふんぞり返っていればいいって筈はないし、一番身近なユリウスはそもそも男性で、見本には不適当すぎる。


 もちろん、本番の夜会もよく分からないことだらけだった。

 夜会でいかにもありそうな舞踏会なんて、今から練習しても間に合うわけがなく、着ていくものも一体どうすればいいんだか……。


「お待たせしました!」

「ありがと、アレット」

「ちょっとは板に付いてきたかしら?」

「まだまだですよ」


 アレットはここのところ、『魔晶石のかけら』亭でお料理を習う合間に、夜の給仕も手伝っていた。


 ラルスホルトくんのところへお嫁に出す前に、お料理を中心に家事仕事を覚えて貰わないとね。本人も多少は慣れてきたのか、わたしがヴェルニエに行く前よりも余裕が感じられるかな。


「でも、ごめんなさい。私はジネットと同じ平民の出だし、この件じゃお役に立てないわね。でも……少し待っててね」


 立ち上がったディートリンデさんは、二つ向こうのテーブルのパウリーネ様に声を掛けた。


「失礼いたします、パウリーネ様。少しよろしゅうございますか?」

「どうかしたの、ディートリンデ?」

「ジネットが困り事を抱えているようなのです。パウリーネ様のお力をお借りいたしたく思うのですが……」

「あらまあ」


 パウリーネさまが優しく微笑んで下さったので、ユリウスと話し込んでいたアロイジウスさまにも小さく会釈して助けを求める視線を送る。


 わたしは席を移って下さったパウリーネさまの分もワインを頼み、もう一度、夜会のお話を繰り返した。




「なら……そうね、明日にでも準備を始めましょうか」

「パウリーネさま、ありがとうございますっ!」


 話を聞いたパウリーネさまは、安心なさいと仰った。


 でも、少しだけ力を抜いたわたしに、追い打ちが掛かる。


「でも、大変なことには変わりないわ。応援するから、頑張るのよ」

「はいっ!」

「夜会の日取りはまだ決まっていないと聞いたけれど、とりあえずは基本のお作法と、東方辺境での流儀を覚えましょうか。それにリヒャルト殿下のことも考えて、中央のやり方も少しでいいから頭の片隅に置いておく方がいいわね」

「リヒャルト殿下、ですか?」

「ええ。……また遊びにいらっしゃることもあるでしょうし」

「あー、それは、はい……」


 絶対に来るだろうなあ、リヒャルト。

 もちろん、楽しみでもあるけれど、大騒動になるのも間違いない。


 お忍びでさえも二十人近い数だったし、それこそつい先日、第三王子殿下としてシャルパンティエに現れた時なんか、百騎以上の竜騎士を従えてのご来訪だった。


 それに、わたしの母国アルールのマリー姫も、秋からはこっちの王都に留学されるって話だから、お二人揃ってシャルパンティエにいらっしゃっても不思議じゃない。


 ほんとによく考えて心の準備をしておかないと、困るのはわたしだね、これ……。


「でも……」

「どうしたの、ジネット?」

「パウリーネさまは、どうして貴族のことにお詳しいのですか? やっぱり、ユリウスみたいに貴族の冒険者から教えて貰ったとか……?」


 実はユリウス、代官様の前でぼろを出さない程度には礼儀作法が身についている。


 ぼんやりとでも、ユリウスのお嫁さんになれたらいいなあ、って思いだした頃からよく考えて手を打っておけば、ここまで切羽詰まることもなかったのに……。

 若い頃、同じ『星の狩人』のコンラート様から、仕事に必要だと言いくるめられて無理矢理仕込まれたとぼやいてたけど、慌てなくていいのは羨ましい。


「ジネットには言ってなかったかしら? 私の実家は領地を持たない小さな男爵家でね……」

「へ……!?」

 パウリーネさまは王都グランヴィルのご出身で、王家の信任も厚い男爵家のご令嬢だったとかなんとか。


 どこかの絵物語のように、結婚が嫌で逃げ出したわけじゃなくて、王都の女学院を卒業後、身一つで運命を切り開きたいと両親に頭を下げて家を出たのよと続けられた。


 でも最初から作法が身に着いていたお陰で、腕がそこそこ上がってからは貴族のご婦人やご令嬢から名指しで護衛の依頼が入るようになり、逆に中堅以上の冒険者から礼法指南の依頼を受けたりと、忙しい日々が続いたという。


「冒険者になってからは、そうね、苦労も含めてとても楽しかったけれど……。ええ、今は私のことより、ジネットのことね」

「はい」

「明日からは、なるべく時間を空けてお店に顔を出すわ。これ以上ないぐらいの淑女に仕立ててあげる」

「よろしくお願いします!」

「ふふ、楽しみだこと。年甲斐もなく張り切っちゃういそうだわ」


 目を輝かせたパウリーネさまは、そのまま後ろを振り返った。


「……あなた」

「おう?」

「ユリウスくんの方は大丈夫そう?」

「フン、いつもの如く、だろうさ」

「おい、『孤月』……」


 何の話なのかまでは聞いてなかったけれど、複雑な表情をしたユリウスを前に、アロイジウスさまはこれ見よがしのため息をついていた。


「お前もな、ぐだぐだ言ってねえで腹を括れ。お前以外に誰がいるよ?」

「だがな……」

「所帯持つ方がよっぽど重てえんだぞ、そのぐらい気づきやがれ」


 ユリウスにもとばっちり……じゃなくて、諸侯軍解散のお話か、別の用件かな?

 割と真面目な表情のままでお話が続いてたみたいだしねえ、ユリウスも久しぶりに戻ってきたから、アロイジウスさまに知恵をお借りしてるのかもしれない。


「……うむ。その件は、分かった」

「おう、ばっちり仕込んでやるから覚悟してろ」


 何やら渋々で頷いたユリウスと目を見交わし、二人でうんと頷く。

 とにかく、明日からは本当に頑張らないとね。




「じゃあ、気を付けてね。……いってらっしゃいませ、『旦那様』」

「うむ、行って来る」


 ヴェルニエに戻るユリウスとメテオール号を見送った翌朝、お店を開けて一番に、パウリーネさまがいらっしゃった。


「おはようございます、パウリーネさま」

「朝の方がいいわよね。お昼からは、アリアネにお店のお仕事を教えてあげなきゃいけないんでしょ?」

「はい、お気遣いありがとうございます」


 たぶん一度じゃ覚えきれないと思ったので走り書きに使う藁紙も用意したし、気になっていたところは昨日の内に書き出してある。わたしもユリウスを見送ったばかりで気力も十分だ。


「そうそう、今朝、うちの人に聞いたのだけれど……」

「はい?」

「夜会は晩夏か秋口の、それもかなり早い時期になりそうなのよね?」

「えっと、偵察に出ている部隊の報告次第だって聞いてます」


 一番早ければ来月、神鳴月の半ば頃にはもう夜会の日が来てしまう。


 夜会はなるべく後の方が嬉しいけど、それだと魔物の騒動がこれからも続くということで、ユリウスがまだ諸侯軍の仕事に取られてシャルパンティエに戻ってこないことと同義になるから、わたしとしてはとても複雑な心持ちだった。


「魔物の姿がないなら諸侯軍の規模を今の半分にして、すぐに諸侯軍解散の予告と夜会の日取りを発表するそうです」


 元冒険者のパウリーネさまだから、こういう話は説明が少なくて済む。


「じゃあ、今朝の内に済ませておいて良かったわね」

「何かご用があったんですか?」

「ここに来る前、ギルドに寄っていたの。数日中に、ヴェルニエから仕立屋さんが来るように手配しておいたわ」


 もちろんわたしの為、だろうなあ。

 何から何まで、本当にありがとうございます、パウリーネさま。


「この夜会はね、もちろん戦勝のお祝いが主体だけど、ユリウスくんとジネットの、社交界へのお披露目も兼ねているわ。だからね、ほんの少しだけ特別な準備がいるの」

「そこまで気にしていませんでした……」


 社交界へのお披露目とか、全然考えてなかったよ。

 でも確かにパウリーネさまの仰るとおりで、ユリウスは『洞窟狼』として幾ら有名だったとしても、一昨年王国騎士になってつい先日男爵に叙されたばかりの新興貴族だし、ヤネット・フォン・クラウスさんとしてのわたしも似たようなものだった。


「でもパウリーネさま、特別な準備って、わたしは何をすればいいんですか?」

「あまり深く考えなくていいわ。ジネットには自然と身に着くように教えてあげるから」

「はい、よろしくお願いします」


 パウリーネ『先生』による夜会に向けてのお稽古は、こうして始まった。




 最初の数日は、とにかくパウリーネさまといっぱいお話しして、口調を真似るのがわたしの淑女教育の第一歩になった。


「ジネットは貿易港で商売をしていた家の娘だからかしら、西方訛りと言っても極端に目立つほどじゃないの。言葉遣いもお仕事で慣れているから、気を張っていれば悪くないわね。だからこそ直すのは難しいし、あまり気にしなくていいわ」

「こちらに来た頃は、ほんの少しだけ違和感がありました。今はもう慣れましたけれど、貴族のご婦人と談笑するには少し足りないと……自分でも思います」

「まだ話題の乗り方までは覚えなくていいわ。それこそ数年掛けて身につけないと、ね」


 実家アルールのある西方とこのヴィルトールは、同じラ・ガリア語圏でも発音が微妙に違う上、わたしが普段一番喋る相手は冒険者だった。


 別に貴族だからって余所の国の言葉を話すわけじゃないけれど、比喩や言い回しも微妙に違ったりするし、礼儀知らずなんて受け取られ方をするととても困る。特に……ユリウスを支えるつもりが、足を引っ張ったりすることになるのはわたしも絶対にいやだった。


「ついでだわ、お茶の飲み方も覚えましょうか。茶器や食器の扱いって、言葉や歩法以上に難題なのよ」

「はい、パウリーネさま」


 代官夫人のヨゼフィーネ様にもほんのちょっぴり教わったけれど、茶葉の種類どころか食器の産地なんて覚えきれるはずもなく、今からじゃどう頑張っても付け焼き刃にさえなりゃしない。冒険道具の扱いや知識なら、体に染みついてるんだけどなあ……。


 最初から相手を立て、若輩者が教えを請うという回避の仕方を示して貰って、ようやく心の平衡を保つことが出来たわたしだった。


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