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第六十四話

 いいから行っといでと、放り出されるようにしてヴェルニエへ送り出されたわたしは、いつものようにマテウスさんの『パイプと蜜酒』亭に宿を取り、一泊した翌日、身支度を整えて代官庁舎へとお伺いすることにした。


「……あーあ」


 ふぃあ?


「ううん、大丈夫よ。ユリウスの居場所を聞きに行くだけだし」


 肩に乗ったフリーデンを優しく撫で、ため息を心の中に押し込む。

 代官庁舎は西通りの端にある『パイプと蜜酒』亭からは少し距離があるけれど、大通りに出て北に曲がれば迷うことはない。


 お屋敷へと代官の男爵様を訪ねるのと違って、訪問伺いの為のお伺いまでは立てなくても大丈夫だとは聞いているし、これまでだってユリウスの代わりに書類を届けに行ったことぐらいはあった。




 ただねえ……。


 貴族の『ヤネット・フォン・クラウス』さんでもあるわたしは、その内と言わず、儀礼上必要な訪問着ぐらいは新調しないといけないはずだった。


 今は当然、貴族らしい装いどころか気持ちの用意できていないし、付け焼刃じゃ無理にも程があるので、いつもの服での訪問だ。


 庁舎には代官様を訪ねて行くんじゃなくて、ユリウスを――司令官職として東方辺境のどこにいるか分からない領主への用事があって家臣が訪ねてきたって方便だから、正式な名を告げて身分を明かした上でお目こぼしを願うことになる。


 余計な出費と嘆かず、本当に必要で手に入れないといけないものの……はあ、やっぱりいいお値段になるんだろうなあ。


 普段着でさえいざ買うとなると躊躇うのに、貴族である証なんて理由で作らなきゃいけない服なんて、高いに決まってるもんね。ユリウスがシャルパンティエに篭りたくなる気持ちが、ちょっと分かったかもしれない。


 でも、今の状況はまだましな方で、今年中には男爵夫人になっちゃう予定のわたしだった。




 なんてことを考えながら、大通りの突き当たり、代官屋敷と並んで建っている庁舎の入り口で、衛兵さんに挨拶する。


「おはようございます、アルブレヒトさん」

「うむ……っと、ジネット殿!? おはようございます!」

「いつもお世話になります」


 知ってる衛兵さん……というか、アルブレヒトさんはヴェルニエ衛兵隊の副隊長さんで、こっちで暮らしていた頃は、たまに『パイプと蜜酒』亭まで飲みに来ていたのを見かけることもあったので、ユリウスやマテウスさんを通してわたしも挨拶ぐらいはするようになっていた。


「しかし、『洞窟狼』殿……もとい、レーヴェンガルト閣下なら、昨夜、お戻りになられていたと思いますが……」

「へ!?」

「うむ!? ジネット殿、レーヴェンガルト閣下への御用ではないのですか?」


 ユリウス、もうヴェルニエに戻ってるんだ!


 首を捻ったアルブレヒトさんが続ける。


「それとも、もうお出かけになられたのか……」

「その、間違いじゃないんですが、こちらに戻っているとは思わなくて……」

「ああ、そちらに連絡が届いていなかった可能性は……ふむ、高いですな」


 わたしは昨日夕方の到着で、こちらには連絡を入れていなかった。ユリウスは……もしかすると気を利かせてくれたかもしれないけれど、ギルドの鷹便やクーニベルト様の使い魔ズィーベンシュテルンだと、マテウスさんの『パイプと蜜酒』亭に話は通さない。


「まだどこかの村に出たまんまなら、こちらで状況をお聞きしてから向かおうと予定を立てていたんですよ」

「なるほど、そうでありましたか。まだ庁舎にはお見えになられていないので、お屋敷の方にいらっしゃるかと思われますが……」

「では、そちらに伺います。ありがとうございました」

「はっ!」


 ぺこりと挨拶して、わたしはそのまま隣の代官屋敷へと向かった。


 知らず早足になっていたので門の前で改め、深呼吸。


 ふぃあー。


「フリーデンは静かにね」


 ふぃ。


 滞在中の領主様に家臣として取り次いで貰うだけだから、挨拶状まではいらないはずだった。


「失礼いたします。レーヴェンガルト家の筆頭家臣、ジネットことヤネット・フォン・クラウスと申しますが……」


 門衛さんは顔見知りじゃなかったので銀札を示して用件を切り出し、ユリウスに取り次いで貰う。

 待つことしばし、戻ってきた門衛さんが、私に敬礼してくれた。


「どうぞ、屋敷の中へ。部屋を用意させて頂きました」

「は、はいっ、ありがとうございます!」


 丁寧に扱われると、緊張の度合いが増すのはしょうがない。


 家名こそ王子様から頂戴した『クラウス』なんて立派なのがくっついてるけど、生まれも平民なら、中身も庶民育ちで、半月なんて短い時間で立派な貴族様になれるはずもなかった。


 ユリウスをここへ呼んでくれるだけでいいのにと思いつつも、断ることなんて無理なわけで、仕方なく門をくぐる。


「こちらでございます」


 実はヴェルニエ代官の男爵閣下には、お会いしたことがなかった。ユリウスは『真面目なお人柄で信用もおけるが話がくどい』、なんて口にしてたっけ。


 まあ、会っていたからって何がどうなるわけじゃないけれど、この近所じゃ『一番偉い人』なわけで、ユリウスを訪ねてここにきたにしても、挨拶ぐらいは……しなきゃいけないんだろうなあ。いいや、ユリウスに会ってから考えよう。


 緋色の絨毯を歩いた先、いつだったか入れてもらったフォントノワ商工組合の応接室よりも余程お金の掛かっていそうな部屋で、これまた焼き菓子付きのお茶を出される。


「失礼いたします、ヤネット様」

「はいっ!」

「すぐに参られます。それまでごゆるりと」

「お世話になりますっ!」


 メイドさん達が退出したのを確認してから部屋をぐるりと見渡して、わたしは大きめのため息をついた。


 幾ら辺境の田舎町でも、貴族の屋敷はお金の掛け方が違いすぎる。

 壁にはわたしが両手を広げたぐらいの幅がある大きな風景画が飾られているし、暖炉を閉じている金銀細工の飾り蓋だけでも職人さんの力の入れようがわかるほどだ。


 そりゃあ、代官様なら方々から来る貴族のお客様をお迎えするというお仕事も大事だし、ヴェルニエはこの東方辺境で一番の都市だからしょうがないのかもしれない


 けれど、ユリウスも同じ男爵様なわけで、こんなお部屋があるお屋敷を用意しなきゃいけないのかな……。


「失礼致す」

「は、はいっ!!」


 ノックの後にメイドさんの手で扉が開けられ、明らかに上等な服を着た小柄な老人が入ってきた。慌てて考えごとを頭から追い出し、立ち上がって姿勢を正す。


 ふぃあー!


「驚いたぞ、ジネット。おお、フリーデンも久しぶりだな」

「あ……」


 低い、ゆったりとした声音。


 老人に続けて笑顔のユリウスが入ってきたので、わたしはほっとして肩の力を抜いた。……気は抜けないけどね。


 会えたからには積もる話も色々としたいけど、たぶん、一緒に入ってきた老人は代官様だろう。その目の前でユリウスと私事をあれこれ交わす、っていうのはわたしには無理だった。


 それに……うん、これはお仕事だ。そう自分に言い聞かせる。


「ジネット、こちらはヴェルニエの代官殿、グリュンタール男爵閣下だ」

「はい、『旦那様』。……お初にお目に掛かります、男爵閣下。レーヴェンガルト家筆頭家臣、ジネットこと、ヤネット・フォン・クラウスと申します」

「うむ、ゼルギウス・ユルゲン・フォン・グリュンタールだ。ようこそ我が屋敷へ、『男爵夫人』」

「へ!? あの……」

「……代官殿」


 まだ男爵夫人じゃないです! ……と、口に出来るはずもなく、わたしは曖昧な笑みで会釈してからユリウスを見上げた。


 あ、照れてる。


「はっはっは、数ヶ月もすれば事実となる故、口に乗せてもよろしかろう。リヒャルト殿下よりお墨付きも頂戴して、時間の問題と聞いておるしな」

「あれは……あることないこと煽ったゼールバッハ侯爵がですな……」


 なんだかユリウスが、ユリウスらしくない。


 同じ男爵でも目上の人である代官様に礼儀正しい態度をとるのは間違ってないんだけど、どうしてか、ちぐはぐに思えてしまった。


「あれほど皆、シャルパンティエの秘宝『洞窟狼の懐刀』には会いたがっておったのに、一向に連れて来てくれんかったのは何処のどなたかな?」


 その二つ名は忘れて下さいませ、代官様。何だか自分が自分じゃない気がしてきて、とても気恥ずかしいです。


「……彼女は我が領の筆頭家臣でもあります。留守居役をわざわざ戦場(いくさば)に呼びつけるような手間など、かけずに済むならばそれにこしたことはございませぬ」

「それは残念、筋は通っておるな」


 冗談の混じったからかい以上の意味はなかったらしく、代官様はわたしとユリウスをソファへと座るよう促した。




「……」

「……」


 ふぃー……。

 屋敷を出て、二人で小さくため息を合わせる。フリーデン、真似までしなくていいからね。


「前にユリウスが、さあ……」

「うむ?」

「……代官様のこと苦手って言ってた意味、ちょっとわかったよ」

「だろう。……あの御仁、根は善人なのだがどうにもな」


 もうすぐ一段落つけられそうな辺境諸侯軍と今後の東方辺境について、雑談混じりの会議のような報告のような、長い打ち合わせがようやく終わったのはお昼前で、少し疲れた体で代官屋敷を辞したわたし達二人だった。


 ユリウスに会ったら少しぐらいは甘えようとかいっぱい話をしようなんて考えていたのに、そんな気力もないよ。手は繋いでるけど。


「でも、魔物のことは何とか収まりそうで、ほっとしたわ」

「流石に冗談事では済まされぬ故、集められた兵士にも緊張を強いたし冒険者にも無理をさせたが、その甲斐はあった。深部に派遣した偵察隊の報告次第だが、人心が落ち着いた頃を見計らい、簡易な巡回のみに切り替えてもよいかと司令部の方でも話は出ている」

「そう……」


 王国中を揺るがせた魔物の襲来は、この半月で無事収束に向かっていた。

 竜騎士が一蹴したおかげで東方辺境が早期に安定出来たから、後方で留め置かれていた王国軍を北の方に投入する余力が生まれたそうだ。魔物の本隊の居場所が分かるまでは、動かせなかったらしい。

 おかげで北方辺境での騒動も、落ち着き始めているということだった。


「シャルパンティエはどうだ? 皆、息災か?」

「うん。巡回も見張りもしっかりしてもらってるし、護衛付きでも馬車便が復活したから、誰も慌ててないよ」


 でも、わたしの気がかりがなくなったわけじゃない。……というか、想定外の予定がどーんと立ちはだかってきた。


「それよりも……」

「うむ?」

「夜会なんて、どうしたらいいのか分かんないよ……」


 代官様から聞かされた横道のお話には、近隣の貴族や名士の『全て』を集めて祝う戦勝の夜会の時期をいつにするかなんてものまで含まれていて、内心で頭を抱えている。まだユリウスのお嫁さんじゃないけれど、わたしも今は貴族だった。


 夜会なんて……子供の頃に、大道芸の人形劇でなら見たことはあったし憧れもあるけれど、本物とはかけ離れてるんだろうなあということぐらいは、大人になった今なら分かる。


 幾ら田舎でも大人数になるだろうし、意地悪なお嬢様とかいたらどうしよう? 第一、お出かけ着さえ用意出来てないのに、ドレスとかどうしたらいいのか……。


 もちろん、夜会にはつきものの舞踏会で、くるくる回って踊るとか、無理にもほどがある。


「心配するな」

「ユリウス?」

「貴族として参加したことはないが、地方貴族の夜会ならば護衛役で雇われて中に入ったことはある」

「代官屋敷を訪ねるだけで緊張するようなわたしでも、大丈夫?」

「……まあ、なるようになる、はずだ」


 ほんとかなあと思いながら、庁舎の門をくぐる。アルブレヒトさんの敬礼に答礼を返すユリウスを見上げ、わたしも小さく会釈してそのままユリウスに付いていった。


 庁舎は何度か来たことがあるけれど、廊下まで喧噪に満ちていた。人の行き来が多いし、ちらっと受付の奥を覗けば、揃いのお仕着せを着たお役人が書類に向かっている姿が見える。


「前に来た時より忙しそうね」

「あれだけの大騒ぎの後だ、諸侯軍への要望とは別に、陳情や被害報告の部類も増えているからな」

「ふうん……」


 ユリウスの仕事場を兼ねる東方辺境諸侯軍の司令部は、庁舎左翼の手前側にあった。


「ここだ」

「お邪魔します」

「領主様、お疲れさまです! っと、ジネットさん!?」

「あれっ、ヘンリクくん!?」


 ふぃあ。


 中には机が幾つか並んでいて、その一つに『英雄の剣』のヘンリクくんが座っている。書類束が積んであるけど……ああ、そう言えば、ヘンリクくんは村長さんの息子で、読み書き計数に強いって聞いたことがあったっけ。


「ヨルクくんとディモくんはどうしたの?」

「夜警に備えて仮眠してます」

「パーティーを分けてしまうことになったが、二人はヴェルニエの衛兵隊に組み込んだ。困ったことに、書類仕事の手が足りぬのだ。……ギルドからも人を借りているが、向こうも忙しく、時々しか都合がつかん」

「こればかりは、ええ……」

「募集もしてはおるのだがな……」


 二人から、何かを期待するような目でじっと見つめられる。

 ……まあ、しょうがないか。


 もちろん、ユリウスと会えればのんびり出来るなんて最初から思ってなかったけど、本当に困ってそうだし。


 机の上の書類束をめくり、何枚か見比べる。


 臨時雇いした冒険者のお給金に、遙かシェーヌにある商会からの納品書、各地から消耗品支給の要望を走り書きした藁紙に、派遣されている王軍部隊に付けた馬車便への支払い証明書などなど……。


 これなら何とかなりそうだ。


「軍隊で使う書式は流石に知らないよ。でも、計数の方なら少しはお手伝い出来る……かな」

「それだけでも助かる!」

「お願いします、ジネットさん!」


 さあさあこちらだと言われるままに座らされ、机に向かう。

 ここまで期待されちゃ、やるしかないよね。


 それに……お仕事が早めに終わるなら、ユリウスも早くシャルパンティエに戻れるはず。


 うん、ちょっとやる気に火がついた。


「計算書きに使っていい藁紙って、沢山ある?」

「うむ」


 わたしはインク壷や藁紙の位置を少し動かして用意を調えると、腕まくりをした。




 お昼は軽いもの……というか堅焼きパンとお茶で済ませ、黙々と仕事をする。ギルドの人は、向こうのお仕事で今日はお休みらしい。


「ヘンリク、この報告書をギルドに。宛先は王国の軍務府だ」

「はい」

「クーニベルトはまだ戻っていないと思うが、諸侯軍の解散時期について相談したいと伝えておいてくれ。こっちと代官殿との間では、大凡まとまった」

「分かりました」


 諸侯軍に組み込まれている兵隊さんは、冒険者以外だと、近隣諸領で領主に集められた農家の次男三男がほとんどだった。


「ヘンリクくん、ギルドに行くならこれもお願い!」

「はい」


 さらさらと短い書き付けをその場で仕上げ、数枚の銀貨と一緒に手渡す。


「あ、中見てもいいよ。早々にユリウスが見つかって、わたしはしばらくヴェルニエでそのお手伝いをするって書いてあるだけだから。えっと……アレット宛にしとこうかな」


 中にはきちんと読み書きが出来て算術も上手い、領主の跡取り息子や貴族上がりの冒険者もいるけれど、そちらは幾つか置いた拠点のまとめ役兼業の書記方として外せないそうだ。


 ヘンリクくんが出て行ってしばらくは、書類をめくる紙の音とペン先のすれる音だけが、部屋に響いた。


 ちなみにフリーデンもお仕事中だった。ユリウスの肩に乗って補給物資の積まれた倉庫へと向かい、ねずみを退治する任務が与えられている。


「ユリウス、これはシェーヌからの報告書みたい。混じってたよ」

「すまん、こちらで預かろう」


 まとめ終わった書類を束にして藁紙で挟み込み、混ざらないように調える。


 幸い、身構えていたほど悩むようなこともなかった。


 わたしが渡されたのは、多少難しい書き方がしてあるけれど、要は注文と仕入れと売り上げが少し混ざったような書類ばかりなのだ。一番金額が大きくなる諸侯軍兵士のお給金はそれぞれの領主が支払うから報告書さえこちらになかったし、命令書なんかはそれこそユリウスの領分で、わたしが考えても仕方がないものね。


 各地に置かれた拠点がお客さんで、ユリウスの居る司令部がお店と考えればいいわけだ。


「えっと、こっちは『切り株の腰掛け』薬品商会さんで、これはオルガドのカルステン魔導具工房っと。……よし」


 仕入先ごとに支払う金額をまとめ、送り先の拠点ごとに品目の書かれた別紙を添える。

 後は確かめ算をして出来上がりだ。


「ユリウス」

「うむ?」

「渡された分は終わったから、確かめて」

「何!?」

「一枚の紙に二つ三つの品目しか書いてないから、そんなに手間でもなかったかな」


 ぐーっと伸びをしながらユリウスを見れば、かなり驚いた顔をしていた。


 でも、苦手なことをさせられているユリウス達と得意なことを引き受けたわたしじゃ、差が出て当然で、あまり自慢にはならないかな。


 普段のお仕事とは桁の数が違うだけで、中身も似たような物だし。喜んでくれてるのは分かるから、嬉しいけどね。




 日暮れになって、一旦執務を終えるとユリウスが宣言し、今日のところはお仕事終了となった。まだまだ書類の山はあるけどね。


「ご苦労だった」

「では、お先に失礼します」

「お疲れさま、ヘンリクくん」


 いつもの常宿、『パイプと蜜酒』亭へと帰るヘンリクくんを送り出してから戸締まりして、わたしはユリウスと連れだって、代官屋敷へと歩く。


 貴族の社交や作法への慣れも含めて、うちで泊まるようにと代官様に押し切られてしまったので、ユリウスと一緒に少しだけ考えてから、ありがたくお受けすることにした。


 ……『パイプと蜜酒』亭の一階酒場で、さんざんからかわれたあげくに乾杯を繰り返されるよりはいいかなと、思い至ったせいでもある。


「ジネットの働きぶりは良く知っているつもりだったが、それ以上だったな。非常に助かったぞ。往生していたのだ」

「お礼はディートリンデさんやアレットにね」

「うむ」

「ユリウスからお留守を任されてたのはわたしだし、二人が背中押してくれなきゃ、ヴェルニエに来ることはなかったと思うの」

「ふむ、別に土産を用意するか。……時期を見てこちらからジネットを呼ぶという選択もあったかと、省みているところだ」


 今日の一日だけで溜まっていた分の半分は片づいた……とは言うものの、報告書も物資の要求も毎日送られてくるそうで、解散した後でないと絶対に終わらないそうだ。


「ユリウスに会えるまでもっと時間が掛かると思ってたから、シャルパンティエに手紙を出せば、もう二、三日ならこちらに居られるよ。ユリウスはユリウスで忙しいんでしょ?」

「まあ、な……」


 わたしは思い切って、ユリウスの腕に自分の腕を巻き付けた。

 少し前なら恥ずかしさも躊躇いもあったけれど、今はもう、難しく考えなくても、深く考えなくてもいい。


 結婚の約束までした相手に甘えて悪い事なんて、一つもないんだし。


「ユリウスのお手伝いなんて今更でしょ。いつものこと、だよ」

「うむ、頼んだ」


 ただ……甘えるのは、勢いがとても大事だ、とも思う。


 ふぃあ?


「な、なんでもないよっ!」


 日暮れで目立たないけれど、わたしは耳まで赤くなっていた。


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