第七話
無事ヴェルニエに着いて、騎士ユリウスと出会った日。
領地は無人ながらダンジョン持ち、領主も……たぶんましな方だろうという好条件に釣られて───決してやや上等のワインに酔ったわけじゃない───、わたしは店を出すと返事をしてしまっていた。
でも、店を借りようにも今は領主の館さえないシャルパンティエ、ギルドの調査が終わっても、すぐ移り住めるようにはならない。
聞けば道も廃道同然の山道で、物を動かすのに荷馬車が使えず駄載か歩荷───馬に乗せるか人の足で運ぶしかないから、騎士ユリウスは道の整備に力を入れたいそうだ。
その後、砦を使えるようにして村の基礎を作ってからでないと店は開けないぞと言う彼に、わたしも頷いていた。
今日はどう過ごそうかな、これからの事も騎士ユリウスに相談した方がいいかな、実家に手紙を送るのはもう少し落ち着いてからかなと、とりとめのないことを考えながら階下に降りる。
食堂に人影はまばらだ。
夜は沢山居た冒険者達も既に出払っているようで、隅の席で食べている大男の目立つこと目立つこと。それでも……昨日と違って、鎧を着ていないだけましかもしれない。
「騎士ユリウス、おはようございます。
昨夜はご相伴に預かりまして、ありがとうございます。大層口を楽しませていただきました」
「ジネット殿……いや、ジネット。
昨日あれだけ怒鳴りつけておいて、今更取り繕わんでもいいぞ。
元冒険者だと言っただろう、ただのユリウスでいい。
言葉遣いも戻せ。こっちが落ち着かん」
困ったような怒ったような顔の大男に、昨夜のことを思い出す。
あー……。
そう言えば酔った勢いも手伝って、一度癇癪玉を投げつけた後は、兄か馴染みのお客さんみたいに相手してたような気がする。
やってしまったものは仕方がない。けれど、下手をすれば無礼打ちの可能性だってあったと気付いて少し青くなる。
でも、騎士ユリウスの言った通り、確かに今更だった。
まったくもって取り繕いようもない。
……よし。
二日酔いの手前程度に頭が痛いことも手伝って面倒くさくなったわたしは、現状を受け入れることにした。
「……はあ。
騎士様に絡み酒なんてしたの、はじめてよ。……それを許されたのもね。
じゃあ、『おはよう、ユリウス』。
これでいい?」
「おお。
その方が、しっくりくるな!」
何が嬉しいのか、笑顔でぽんと膝を叩いたユリウスの斜めに座り、わたしも別料金の朝食を頼んだ。
黒いパン一つに、細かく刻まれた野菜が沢山とちょっぴりの肉団子が入ったスープ、それに山羊のチーズがひとかけら。
「随分と少ないな?」
「……あなたとわたしじゃ、身体の大きさが違いすぎるでしょ」
「む、それもそうか」
小首を傾げるユリウスの前には、半分は食べたにしても四、五個残っている黒パンの篭が置かれ、腸詰めが盛られた深皿と肉団子のスープがその両脇に並んでいる。下手しなくても、7人で食べていた実家の朝食より量が多いんじゃないだろうか。……そう言えば、昨夜ご馳走になった時も沢山のお皿が並んでいたかもしれない。
「でも、ユリウス……って、貴族なのに随分とくだけてるのね。
冒険者生活が長かったから?」
「貴族になったのは、半年前だ」
「……え!?
じゃ、じゃあ……」
「うむ。
貯め込んだ金で、貴族の権利と土地を買った」
「……」
……もうため息も尽きそうだ。
小さなアルールじゃあり得ないけれど、大国のヴィルトールやプローシャでは、貴族の権利も売り買いされている。文官武官を問わず仕官への糸口にもなるし、子供に受け継がせることも出来るから、ごくたまに大金持ちの商人が貴族になったと噂に聞くこともある。……でも冒険でその金額を稼ぐって、どれだけすごいのかわたしにもよくわからない。
「ヴィルトールの東進政策は知っているか?」
「うん。……なんとなく」
「売り手の王国は、何もない王領に適当な区切りと名前を付けて売れば後は勝手に育って行くし、将来の税収と国力増まで見込めるんだから熱心だ。
だが中央の貴族層は権勢の維持に忙しいし、辺境には大して興味もない。うま味がないからな。
そこで広く売られているんだが、俺たち買い手も頑張れば貴族に成れるんだから、文句はない。
ついでに言えば貴族の名に相応しくないほど阿呆な領主は篩いに掛ければ土地も戻ってくるから、王国には一石二鳥だ」
難しい話になってきたけれど、わたしのような駆け出しの商人にも多少は関係してくるから、今の話は聞き逃せない。領主さまの力の入れ具合やお代官さまの居る居ないで、物の値段が変わるからだ。
「興味本位で聞くけど、幾ら払ったの?」
「王国騎士の叙任に1万ターレル、シャルパンティエの獲得に8千ターレル」
「うっわあ……」
相場なんて端からわからないけど、文字通り桁が違う世界だ……。
うちの家族なら100年以上は贅沢に食べていける。
「あれ!?
でも、爵位より領地の方が安いの?」
「街道からは外れているが、ヴェルニエに近い分、無人にしてはかなり高かった。
村があるなら余程の寒村でもその倍は堅いし、街道上ならそのまた倍以上が相場だな」
「ふうん……」
「だがシャルパンティエは、無人でも……ダンジョン抜きにしても一等にいい土地だった。
3ヶ月ほど掛けて、これはと思った予定地を全部確かめに回ったから間違いない。
おお、安い領地なら1000ターレルなどという領地もあったぞ。岩石砂漠のど真ん中で、わき水すらなくてえらく大変な目にあったが……。
ジネットもどうだ?
商売が上手く行くようなら……」
「……そんな簡単に雑貨屋が儲かるなら、わたし、アルールから出なかったわよ」
「むう……」
彼が安いと言った1000ターレルもあれば、わたしと妹2人の持参金どころか、新しい馬車と営業権付きの支店まで揃ってしまうだろう。金銭感覚がずれ過ぎていてため息も出ない。
それにしても、予定地を全部回るって……割と生真面目なのかな?
「そうだ、ジネット」
「なあに?」
「砦の整備が出来るまで、向こうには誰も住めないからな。
店も開けられないだろうし、しばらくは家臣として俺に雇われる気はないか?」
……考え無しの領主さまって張り紙は、しっかり剥がしておいてあげよう。
砦が出来て人が住めるようになるまでは、どこかでお仕事探さなきゃと思っていたけど、ほんとに助かる。
「……そうね。
ま、まあ、お店出せるようになるまで暇はあるし、宿代もちょっと心許ないからわたしも嬉しいけど……」
「そうか、恩に着る!」
「こちらこそ。
でも、どんな仕事をすればいいの?」
「領主代行だ」
「……は?」
それはまた、剛毅なことで。
聞けば家臣を雇うのを忘れていたわけじゃなくて、これまでは領民も居らず、自分一人で何とかなっていたかららしい。
▽▽▽
食事を終えたわたしは、ユリウスに連れられて街に出た。
領主代行の仕事に必要なことと言われれば、ついていくしかない。
「まあ、俺でも出来たことだ。
金勘定が出来るジネットなら、俺より上手く捌けるだろう」
「そんな簡単に……」
「いや、本当に簡単なのだ。
俺の代わりに手紙を受け取ったり金を支払ったり、ともかく街にいてくれればそれだけでも助かる」
「まあ、それぐらいなら……」
彼が言うには、領民からの陳情は絶対にないし、徴税なんて面倒もない。廃砦と村の整備もギルドからの報告次第では手を加えねばならないので止まってしまっているから、領主として必要なはずの本来の仕事はほぼないそうだ。
これなら大丈夫かなと、わたしにも思えてしまった。
「ここのところ街から離れられなくて、往生していたのだ」
「どこかに行くの?」
「廃砦の手前、湖のそばの森だ。
ヴァルトベアルが巣くっていてな、こいつらのお陰でシャルパンティエが無人だったにしても、これからはちょっと目障りだろう」
「ヴァルトベアル?」
「ああ、アルールの方じゃ出ないか。
大きい奴だと身の丈が人の3倍はある人喰い熊だ。
この時期は寝ているか、起きていても動きは鈍い。
ギルドに依頼を出してもいいんだが、存外金が掛かるからな。
雪が積もる前に何とかしたかったんで、ジネットが来てくれて助かった」
「あの、もしかして……一人で狩るの?」
「これでも引退前は、魔銀のギルドタグ持ちだったんだが……」
「うっわあ……」
わたしはまじまじと、隣を歩く大男を見上げた。
ギルドのタグは冒険者の誰もが持たされる、身分証のようなものだ。
冒険者に成り立ての初心者は錬鉄のタグを与えられて、昇格試験に受かれば青銅、真鍮、赤銅……と順に交換されるから、実力の証明も兼ねている。
魔銀は一番上の聖鋼から数えて二番目、実家の店先で見たことはなかった。街に現れれば、『魔銀のタグ持ちが来た』と噂されるぐらいにはすごいんだけど……。
「でも、どうして引退したの?
騎士になりたかったから?」
「違う。
こっちの界隈じゃ有名な話だが……依頼中、ドジを踏んでな。
それまでの半分も戦えなくなったから、引退した。
まあ、今もそこらの夜盗や野獣に負ける気は全くせんが」
「怪我、したんだ……」
まあなと、ユリウスは肩をすくめた。
「左の肘から先を持って行かれかけた。
侯爵家の姫様を守るって依頼だったんだが……お付きの侍女従者に、継承権争いで敵対する親族から送り込まれた暗殺者が混じっていてな」
「……」
「姫様はなんとか守りきったぞ。
代わりに組んでた仲間の一人は俺より酷い重傷で、回復役はそちらにつきっきり、俺の神聖治癒は遅れてこの有様だ。
だが……そいつが身体張ったお陰で依頼は成功したし、回復役が心底力注いだからそいつも一命を取り留めた。
振り返れば、腕一本なら運が良かったって気分ではある。
……今はもう、酒杯やフォークぐらいは落とさず握れるようになったし、領主なら腕が動かないぐらいで食いっぱぐれることもなかろう?」
ユリウスはにやっと笑って、その左手をわきわきとさせた。
……ふうん、吹っ切ってるんだ。
この太い腕が落ちそうになるほどの怪我って、相当な大怪我だと思うのに……。
それにしても流石は魔銀のギルドタグ持ち、依頼も波乱に富んでいますこと。
うちの実家の常連さんだと赤銅がせいぜいで、護衛の依頼も……あるにはあるけど、隊商の護衛でさえ上等だ。まあ、それだって大したものだけどね。
「ジネット、ここがヴェルニエのギルドだ。
このあたりの総元締めでもある」
「アルールのギルドより大きいかな」
管轄する地域が広いと規模も大きい。建物その物も大きいけれど、アルールのギルドより格上の、銀の銘板が掲げられている。
中に入るとユリウスは顔なじみの上客のように扱われ、わたしもその連れということで、応接室で上等のお茶を振る舞われた。
「よう、『孤月』」
「朝からどうした、『洞窟狼』」
しばらくしてやってきたのは、六十頃に見える小柄な老人だった。
身なりからギルドマスターだと思えたので、わたしは小さく会釈した。
それにしてもユリウスの通り名は、『洞窟狼』かあ。流石は魔銀のタグ持ちだ。
実家の常連さんは、『西通りの掃除屋』だの『茶色の風』だの、あんまり強そうじゃない人ばっかりだったっけ……。
だけど……驚きの混じった思案顔でわたしたちを見比べるその人に、どう接すればいいのか分からない。
しばらくして、老人はじろりとユリウスを見上げた。
「……嫁取りの報告なら神官の職分だ。教会に行け」
「ば、な……何言ってやがる!」
からかわれ慣れてないんだろうなあ、ユリウスは真っ赤っかになって腕を振り上げている。
軽い冗談だし、そこまで慌てることはないと思うんだけど……。
店番してるとこのぐらいは日に1回や2回はあったんで、とっくに慣れた。
「なんだつまらん。
で、そちらさんは?」
「はじめまして。
……ギルドマスターとお見受けします」
わたしも顔を引き締めて姿勢を正した。
ユリウスは『許してくれた』けど、だからって他の初対面の人───それもこれだけ大きなギルドのマスター───にまで馴れ馴れしくしているようでは、商人として失格だ。
「昨日アルールより参じました、ジネットと申します。
レーヴェンガルト卿より営業許可証を授けられし、駆け出しの商人でございます」
「……失礼した。
ヴェルニエのギルドマスター、アロイジウスだ」
「『孤月』、しばらく空けるから彼女を領主代理として扱ってくれ」
「今度はどこだ?」
「目と鼻の先だ。
雪が積もらぬ内にベアルを狩っておきたい」
「ああ、あれか」
マスター・アロイジウスはふむと頷いて、テーブルの上の呼び鈴を取り上げて振った。
でも、音が鳴らない。
不思議に思っていると、代わりに扉がノックされた。魔法の道具なんだと思い至る。
入ってきたのはローブを着た妙齢の女性だった。
……魔術師かな? 艶宿のおねーさん並に綺麗な人だ。
「お呼びですか?
あら、レーヴェンガルト卿、ご無沙汰しております」
「久しいな、『銀の炎』」
「ディートリンデ君。
レーヴェンガルト卿がこちらの女性、ジネット殿をご自身の代理人とされるそうだ。
手続きと札の発行を頼む」
「済まないな、手間を掛ける」
「お気遣いありがとうございます。
ではジネット様、こちらへお願いできますか?」
「は、はいっ」
おっかなびっくりで別室まで案内され、そこで説明されるまま書類にサインを入れながら、わたしは小さくため息をついた。
血まで採られたのは鉄札の代わりに銀の札まで作ったギルドだけだったけど、市庁舎と商工組合でも似たような申し送りが行われて、わたしはその日、シャルパンティエの領主代理にされてしまった。