第六十二話
「今更だが……」
「……!」
あ、駄目だ。
……ユリウスの顔が、まともに見られない。
結婚の申し込み一つで真っ赤っかになって固まっちゃうぐらい、この朴念仁の大男が大好きなことに気付かされてしまった。
ユリウスのことは……最初は恐いし大きいしで逃げ出したくなったけれど、今は間違いなく好きだし、ずっと、一緒にいたいと思ってる。
「ヴェルニエで出会って数日で得難い相手だと思い至り、半月後には惚れていた気がする」
「……!」
思わぬ言葉にぱっと顔を上げれば、ユリウスと目が合ってしまった。すぐに下を向く。
これは……結婚の申し込みの方が先に来てるけど、愛の告白なのかな。もうちょっと、その、手順を踏むというか、恋人から婚約者を経てゆっくりと気持ちを育てたかった気もするけど……。
でも、最初の最初からそういう目で見てくれてたなんて、思いもしなかったよ。
わたしは、どうだっただろう?
「実はな、その……ジネットと結婚する為に、色々と考えても、いたのだ」
「そうなの!?」
これはちょっと、驚きかも。
そんな素振りはなかったように思うけど……。
ユリウスは、照れくさそうに頭を掻いた。
「たとえば、教会の誘致などもそうか」
「……そうなんだ」
「教会があれば、結婚式を話題にすることが出来よう。ついでに、人々も心穏やかに過ごしやすくなるだろうと考えた」
あー……。
そっちがついでなんだ。
嬉しいけれど、つい微妙な表情になってしまったわたしだった。
「孤児院までついてきたのは予定外だったが、旅の間、子供達の顔を見ているうちにな、シャルパンティエが賑やかになればジネットも笑顔になるだろうと、俺まで楽しくなった。……シャルパンティエに帰った直後は、ゲルトルーデを宥め損ねたままで、フランツにも手を焼かされたが、まあ、今はあれで良かったと思っている」
うん、ゲルトルーデとフランツには、感謝しなくちゃね。
二人のお陰でわたしは自分の気持ちを確かめることが出来たし、ユリウスも、もしかしたらわたしのことが好きなんじゃないかって、思えるようになったよ。
「このままでは先に教会を使われそうだが……そこまでの贅沢は、言うまい」
「ユリウスは、アレットとラルスホルトくんのこと、知ってたの?」
さっきもそんな口振りだったよね、ユリウスは。
「聞いたのは、つい昨日だ。ラルスホルトから、先に使ってもいいのか、それとも待った方がいいのかと聞かれてな」
「ラルスホルトくん、ユリウスとわたしのことも知ってたの!?」
む、むー……。
うちの大事な妹をさらっと持ってっちゃうし、油断ならないなあ、ラルスホルトくん。
……もちろん、アレットが自分から飛び込んでいったのかもしれないけど。よし、これは後で聞いてみよう。
「らしいな。……問いつめてみれば、出所はオルガドの『水煙草』だった」
「オルガドじゃ、止めようがないわね……」
ユリウスのお友達で魔導具職人の『水煙草』さんとは、わたしも一度、会ったことがある。シャルパンティエに来る前は同じオルガドで暮らしていたラルスホルトくんだから、畑は違うけど同じ職人同士、知り合いだったとしても不思議じゃない。
でも、『水煙草』さんが何故ユリウスとわたしのことを知ってたのかな? うん、こっちはちょっと不思議だ。
「ラルスホルトはジネットの耳に入らぬよう気を使ってくれていたが、間の悪いことに、コンラートの奴が聞いていて……また、投げ飛ばされた」
「あらら……」
喧嘩するほど仲がいいを通り越してるような気もするけど、男同士の親友ならそんなものなのかな。
もちろんわたしは、アルールにいる幼なじみの親友イヴェットを投げ飛ばしたりしたことなんて、一度もない。つかみ合いの喧嘩は……どうだろう、うんと小さい頃のことはよく覚えてないね。そういうことにしておこう。
「もう一つ、あるな。数日前だったか、男爵への叙爵が内示された時、非礼ながらギルドとコンラートを通してリヒャルト殿下にも辞退を申し上げていたのだが……昨夜、ついに首根っこを捕まれてしまった」
「男爵になるの……嫌がってそうだな、とは思ってたよ」
「……危うく、結婚の申し込みが出来なくなるところだったからな」
「えっ!?」
「身分の差が出来てしまうだろう」
「あ! そっか。……そうだったよね」
結婚に身分差のあれこれがつきものだってことは、うろ覚えってこともなく、わたしもよく知っている。身分のある相手との恋を扱った物語や劇は、大人気だからね。騎士物語で主役の騎士様が必ず白く輝く戦装束を身につけているのと同じくらい、よく知られた『お約束』だ。
現実でも、やはり約束事があった。こっちは国の法で定められている。
王族と男爵以上の上級貴族、上級貴族と騎士や勲爵士ら下級貴族、下級貴族と平民。
この組み合わせなら、身分の差があってもそのことで周囲から極端に非難されることは少ない。
もちろん、横恋慕ややっかみ、羽振りの善し悪しの他に派閥なんてものもあるし、同じ平民同士でも豪商の娘と行商人の男性だったりすると大変だけど。
男爵家の当主に平民の女性が嫁ぐことは、自由でのんびりとした気風のアルールでさえ認められていなかった。
但しこの場合でも、男爵が潔く身分を捨てたり、平民の女性に貴族の身分を与えることは……苦労はあるけど出来なくもない。それでもまあ、大変には違いないので、大きな噂話になった。
表向きはお妾さんということにして、代わりに正妻を貰わないって人も、たまにいるかな。これは実利を取りつつ名目に目を瞑る線引きだけど、もちろん、これはこれで苦労も多い。
まあ、それらはともかく。
「ところが昨日になって、コンラートは『ジネットも貴族にした。お前もいい加減男爵を引き受けろ』などと切り札を出してきた。リヒャルト殿下にも結婚の許可について一筆を願っておいたぞと言われてな、お陰で叙爵を断りきれなくなってしまった。……諸侯軍の指揮にこそ都合はいいが、それ以外は面倒だらけだからな」
ユリウスによれば、これまで通り騎士のままならわたしが平民でも結婚に問題はなく、貴族院へは後から届け出るだけで済むところが、男爵の結婚には貴族院の審査があるらしい。
「上級貴族は特権が大きい分、結婚一つを取っても王国の目が厳しくなるわけだ。無論、リヒャルト殿下の一筆があれば、そのまま通るという話だが」
「ふうん……」
まあ、今更……かなあ。
面倒の方がどう考えても多すぎるので、二人して身分を元に戻して貰いたいですとか、言い出せるわけがないもんね。
「ねえ、ユリウス」
「うむ?」
わたしは何気ない風を装って……その実、緊張しながらユリウスを見つめた。
「ユリウスのお嫁さんは、わたしでいいの?」
「もうジネットに決めている」
……本当に迷いなく、答えてくれるんだね。
二十歳はとうに超えた嫁き遅れ一歩……半歩手前だとか、実家を出る前から既にお見合いの話が来なくなっていたとか、商人向けの『いい性格』をしているとか……それらは見事、ユリウスの言葉で吹き飛ばされてしまった。
もちろん、『わたしの旦那様』は、わたしもユリウスがいいよ。
「ところで……」
「ユリウス?」
あらら、またさっきの困り顔だ。
それこそ結婚の申し込み付きで恥ずかしい告白までして、今更だと思うんだけどね。
「返事をまだ、貰っていないのだが……」
……あー。
ほんとに、ごめんね。
さっきから、ユリウスとの思い出ばかり考えていてすっかり忘れてた……なんて、恥ずかしすぎてとても言い訳に出来ないけれど。
「わたしも……結婚するならユリウスがいいなって、ずっと思ってた」
大きな体は、頼り甲斐がある証。
恐い顔だって、強い意志の現れだ。
……って、ユリウスの顔が、困り顔からみるみる赤くなった。
わたしの顔も、たぶん真っ赤になっているだろう。
「ジネット」
「ユリウス……」
テーブル越しに、顔が近づく。
誰も見てないから、いいよね……。
▽▽▽
本当なら、こんな記念すべき日にはユリウスと二人だけで過ごしていたいけれど、領主様とその筆頭家臣がこの忙しい折に丸一日行方不明とか……流石にありえなかった。
「では、戻る。……名残惜しいが」
「はい、いってらっしゃいませ、『旦那さ……まっ!』」
「……ジネット?」
「な、なんでもない! いってらっしゃい!」
「う、うむ……」
かららんばたんと扉を閉じて、その扉にもたれ掛かる。
「ふう……」
……ただの挨拶がものすごく照れくさくなったのは、『旦那様』の意味が変わってしまったせいで間違いない。
ユリウスを送り出した後、わたしはお店から出ることもなく……少し早いけれど、夕方に出す商品をまとめていた。
ほんと、今日が半休で良かったよ。
……そりゃ、夕方には『魔晶石のかけら』亭に顔を出さなきゃいけないけれど、気持ちの整理をつける時間が、わたしは欲しかった。
もちろん、ユリウスとの結婚が嫌だったり、今になって迷ってる……なんてことはない。
わたしの好きな人がわたしを選んでくれたんだから、これ以上の幸せはないと言い切っていいぐらいだ。
なのに少しばかり気分が乗らないのは、今、他の誰かと顔を合わせるなんて考えるだけで恥ずかしすぎてどうすればいいのか……本気で分からなくなってきたからだ。
肝心なところで駄目だなあって、心の弱いところが自分でも分かってるから更に情けない。
そんな事を考えながら手を動かしているうちに、残念ながら心の切り替えよりも早く、荷物の方が出来てしまった。
「……あらら」
用意が調ってしまったからには仕方がない。
悩んでいようと落ち込んでいようと、たとえ浮かれていようとも、八歳から店番一筋でやってきたこの身体は自然に動いてしまうのだ。
「フリーデン、降りてきて! お出かけするよー!」
ふぃあ!
てってってと素早く走ってきたフリーデンを抱き上げ、右手の指輪をひとまとめにした荷物に向ける。
「【魔力よ集え、浮力と為せ】。……あ、そっか」
ふぃ?
「ふふ、何でもないよ。行こ!」
荷物に手を添えてすいっと動かしながら、気持ちの切り替えなんてほんとはとても簡単なことだったと気付いて、笑いがこみ上げてくる。
みんなの前に顔を出すんじゃなくて、ユリウスに会いに行くって思えばいいだけだった。




