第五十九話
夕方、興奮気味の子供達を帰してからは、もちろん大人達の時間が始まった。
大人向けの催しとして広場全体を酒場に見立てた、お店持ち全員で協力した『シャルパンティエの居酒屋さん』は大盛況で、今から来年もしようなんて話まで聞こえている。
いまはそちらも無事に終了して、あとはご自由にとしてあった。
「ほら、ジネット。酒杯が空いてる」
「はーい、いただきます!」
上機嫌なコルネリエさんに捕まっていたわたしは、改めて広場を見渡した。
篝火が十ほども焚かれた広場は、いつかのアロイジウス家のように明るい。
井戸の横のテーブルに出来ている人だかりは、賭け腕相撲だ。ちゃりんと銅貨の跳ねる音が絶えなかった。……って、冒険者に混じっていたカールさんが勝っちゃったよ。ユーリエさんすっごい喜んでる。
その向こうでは、ラルスホルトくんがアレットに引っぱり出され、手拍子に合わせて踊ってるのかじゃれてるのかわからないような動きをして、やんやと喝采を浴びている。……あーもう、初々しすぎてこっちが照れくさい。
「もう、心配させないでよ! 連絡ぐらい、ほんの一手間でしょうが!」
「ご、ごめんよ、ディートリンデ……」
お酒が入ると立場が入れ変わるのか、ついさっき翼馬に乗って颯爽と現れたクーニベルト様は、駄目駄目な状態のディートリンデさんに絡まれていた。
あれは……見なかったことにして、放っておこう。今は近づきたくない。
「狭い城壁の上だ、自由に動くにゃちょいと面倒なんだが、今度からはもう少し連携に頭を使え」
アロイジウス様は、昼間ずっと見張りをしていた『英雄の剣』に、説教を垂れていらした。
その奥様のパウリーネさまはというと、女性冒険者に囲まれて楽しげに談笑中だ。……ただし、一番強い蒸留酒を手にしておられるので、微妙に近づきがたい。
肝心のユリウスはと言えば……コンラート様やギーゼルベルトさんと、何かの密談中の様子だった。でも、小声すぎてこっちまで話の中身が聞こえない。
酒杯は手にしているけれど、時々真顔になったりしていて、あんまり楽しいお酒を飲んでるって感じじゃなかった。諸侯軍の引継のお話だろうって想像がついてしまったお陰で何気ない振りをしてお邪魔することも出来ず、わたしはせっかくのお祭りをコルネリエさんと過ごしているのだ。
「ふふ、気になる?」
「えっと……はい」
「あら素直ね、ジネット。ご褒美にいいこと教えてあげる」
ふふんと笑ったコルネリエさんは、人差し指を立てた。
「もうそろそろ、いい頃合いかしら? しばらくしたらユリウスが立ち上がって、『みんな、聞いてくれ』とか何とか言うから」
「何か、始まるんですか?」
「それは聞いてのお楽しみよ」
んー?
なんだろなあ。
見てる間に、ユリウスが面倒くさそうな顔で立ち上がった。
「皆、聞いてくれ」
それまでは賑やかだった広場が、しんと静まり返る。
領主様のお言葉なら、お酒が入っていても、皆何事かあると思うだろう。
「……すまん、皆。抵抗むなしく、明日からシャルパンティエ領は、レーヴェンガルト男爵領シャルパンティエ領と、名を変えることになった。面倒くさいだろうが、諦めてくれ」
あまり嬉しそうじゃない様子の『シャルパンティエ領主ユリウス・フォン・レーヴェンガルト」さまが、大きくため息をついた。
でも……みんなしてそれぞれに顔を見合わせ、言葉の意味を噛みしめていた数瞬が過ぎると、そこかしこから領主様万歳だの『洞窟狼』に乾杯だの、大歓声が上がる。
慶事には違いない。
けれどわたしには、ちょっと驚きが大きすぎたりもする。
わたしの知ってる範囲じゃ、ユリウスは地図見て唸ってただけだし……うーん、代官屋敷で何かやってたのかなあ……。
「びっくりした、ジネット?」
「ええ、まあ。でも、いきなり男爵様って……」
「これから実際に諸侯軍を指揮するのに、騎士爵じゃ何かと面倒でしょ。だからコンラートがね、諸侯軍の編成準備や作戦の立案を軍功扱いにして押しつけたの。でも、騎士爵に比べれば色々と自由だし、理に適ってるわ。ふふふ、ま、他にも理由はあるけどね」
「は、はい……」
……うん。
たぶん、心の底から面倒くさいと思ってるのは、ユリウスだけじゃないかな。
わたしは……半々ぐらい。
余計な書類仕事が増えるだろうけど、出世なら、いいんじゃないかなって思ったりもする。
それにしても、男爵様かあ……。
本人は嫌がってるけど、おめでとうぐらいは言ってあげた方がいいのかな。
「……声掛けてきますね」
「はーい、いってらっしゃい」
小さなため息を押し隠し、不機嫌そうなユリウスに近づく。
「……えっと、ユリウス」
「ジネット……」
不安そう……ではないんだけど、どこか躊躇いがちなユリウスの声に、あれっ!? ……と思いながらもにっこりと微笑む。
「おめでとうございます、『我が領主様』。……わたしも手伝うから、ね?」
「うむ、すまん……」
ユリウスは先ほどと同じように、わたしに謝った。
「そうだ、ジネット殿」
「はい、コンラート様?」
にやっと笑ったコンラート様は訝しげな表情のユリウスを斜めに見てから、とんでもない一言を仰った。
「明日の昼、竜騎士団が来るのでな。よろしく頼む」
「へ……? りゅ、竜ですか!?」
「待て、聞いておらんぞ!?」
ユリウスと二人、思わず顔を見合わせる。
あー、早速面倒事が来ちゃったか……。
「ああ。騎士団の全てではない。来ても降りるのは数頭だろう」
「待て。『誰が』来るのだ? 前侯爵殿か?」
「うむ、義父殿や我が妻も便乗して来ようが……お越しになるのは、第三王子リヒャルト殿下だ」
え、リヒャルト!?
「この度の戦では竜騎士として初陣を飾られたのだが、拝謁の折、どうしてかお前の近況などを聞かされて随分驚いたぞ」
「おい、それこそ聞かされておらんではないか! 肝心な事は先に言え!」
「それこそ一体『誰が』、陛下の代理で貴様の叙爵を行うというのだ? 侯爵風情にそんな権利はないぞ」
ああだこうだと口喧嘩を始めた二人を横目に、そっと微笑む。
面倒事だって、それを理由にリヒャルトが訪ねてくれるならまあいいか、って気分になったわたしだった。